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2022年5月8日日曜日

頑張ってる車たち


アメリカから帰国して1週間が過ぎた。今回は帰国後の自主隔離期間なく、監視の電話や存在地チェックもなかったので、助かった。しかし成田空港の水際対策は、前回よりもだいぶ改善は見られるものの、疑問に思う事が多い。

田舎に住んでいると、車は必要不可欠で、これはアメリカ生活と変わらない。




私たちがサンノゼに住んでいた11年前に乗っていた車が今も元気にアメリの地を走っている。メルセデスは2006年、Dakotaトラックは2000年購入の車だ。どちらも年は隠せないものもまだまだ走る。これは息子たちや夫の車に対する愛がなせる技。現在走行距離はメルセデスは145000マイル(約233000キロ)トラックは90000マイル(約145000キロ)である。

私たちがアメリカで過ごす時、車は絶対必要の交通手段。これからも、どうか元気にいてくれ〜

2021年3月5日金曜日

春告草

春告草(ハルツゲグサ)は、梅の別名。なんて風情のある名前でしょ。

どちらかと言えば 桜より梅が好き。ゴツゴツとした枝ぶりが好き。万葉集には、梅が120首、桜は40首詠まれている。古代中国から渡って来て彼らが愛でた梅は白のみの小輪で八重咲はなかったとか。

梅を見に行った。

水戸市 偕楽園と弘道館(2/20)この日は梅はまだ2分咲き。ネットによれば、3月5日の今日はほぼ満開になってるようだ。


佐野市 朝日森天満宮と梅林公園(2/28) 5分咲き。



栃木市 三毳山万葉庭園(3/3) 満開。紅白の枝垂れ梅が見事だった。




実家にあった梅の木。毎年たくさん咲いて、たくさん実をつけた。母は梅干しや梅酒を作った。お転婆の祖母は一人梯子をかけ実を採った。そして梯子から落ちて頭を切り縫った事もあった思い出の梅の木。母が亡くなってからもその梅の木は花が咲き実をつけた。それから10年弱経って父が亡くなった。そして数ヶ月後、梅の木は突然枯れた。もう良いねってあっさりと家の梅の木である事を止めたみたいだ。今思っても不思議でならない。

2021年3月1日月曜日

折り鶴


友人から教えてもらった鶴の折り紙飾り。可愛くて毎日一個ずつ作るようになった。大きさや紙質の違いを踏まえ、今やっと慣れて来たところだ。

折り紙、ボケ防止にとても良いらしい。それでも先日図書館で借りて来た折り紙本は、私にはとても難しく敢えなくギブアップしたが、これならできる:)

折り鶴の思い出はいろいろある。

25年前闘病中の母に子供達と千羽鶴を折った。病室に飾り最後はお棺に入れてもらった。テキサスで仲良くなって折り紙に興味を持ってくれたパティには手作りの折り紙教本を差し上げた。子供達と拙い英語の手順を書いた。それぞれのページにはその過程折り紙を貼り付けた。あの本がどんな出来栄えだったのか、もう見られないのがとても残念だ。小学校ではボランティアで鶴の折り方講習もした。旅行に行くと、お部屋にタオルで鶴を折ってベッドに置いてチェックアウトした。最近では、ボランティアしているお喋りサロンで変わり鶴をいくつか習った。

こんなに私の生活の一コマに出て来ていた折り鶴いつどんな形でできたんだろ?調べてみよう。

鎮魂の折鶴





四十九日も近い。西日本では満中陰と言うとか。初めて耳にする言葉である。

鎮魂の折り鶴をテディに献ぐ。





追記 >この記事見つけた。

『折り紙は贈答品を包装する武士の礼法として室町時代に確立した。この時期の和紙は長方形が基本なので、礼法の流派ごとに定めた縦横の比率を正確に習わないと折れなかった。

 江戸時代になると折り紙は町人の間に普及し、特に女性の人気を集めた。中でも折り鶴は正方形の紙を使い、特別に習わなくても折れるため広まったという。』

一般市民にも広がっていった日本の伝統工芸。素晴らしい!

2020年8月1日土曜日

お祝いお祝いお祝い


7月31日 メリーランドに住む娘に第二子が生まれた。予定日より2週間早かったけれど、元気な男の子。コロナ禍で手伝いに行く事も出来ず、検診に行くのもただただ心配しただけだった。が、無事出産。こんな嬉しい事はない。












8月1日 テディ17歳の誕生日。
1歳で突発性癲癇を発症。その後も発作を繰り返し、大学病院まで連れて行った。
7歳の時日本に来た。数回の引越しはもちろんお出かけどこに行くにも一緒だった。
日本に来て10年の年月が流れた。テディも私も年を取った。
天晴れテディ。
お祝いに初めて犬用ケーキを買った。ちょいと舐めたら、かなり甘かった。最初興味を示さなかったテディだが、一口食べたら目が丸くなった。一個は多過ぎる。明日もまた食べようね。

8月1日 娘の結婚記念日。5年前メリーランドで式を挙げた。その彼女が既に2人の子持ちとなった。
入院先の病室から、ビデオチャットしてくれた。生後二日目の孫はとてつもなく愛らしく、おっぱいの匂いがするような気がした。
今はこんな世の中だけど、良い事あるね。
今少し我慢して未来に繋げよう。

2020年7月12日日曜日

ありがとう!感謝してる

暑い💦気まぐれ断捨離、片付けをしてる。
海外生活してる間に、両親はもとより祖父母も皆んな彼方の世界に逝ってしまった。
あっちに引越しこっちに引越しし、あっちの家もこっちの家も既に処分してしまったけれど、捨てられる事なく残った品々が僅かだけれど、クロゼットの隅に眠っている。その私にとってタイムカプセルのような箱を開けた。
学校もろくに行けなかった祖母。私の性格は祖母そのものだ。自分の破茶滅茶な立ち居振る舞いにいつも祖母の血を感じ苦笑いしてる。
市役所からの納税封筒に包まれた10円玉。その封筒に書かれた懐かしい祖母の字体。お婆ちゃん会いたいよ。







父は几帳面な人だった。彼のジョークはいつもピント外れだったけど、それが一層皆んなを笑顔にさせた。そして今なお思い出して笑顔になる。
遠く離れ生活する私たちをいつも気にかけてくれていたね。










まともに「ありがとう」って言った覚えがない。今更だけど、心からありがとうを捧げる。まだまだ私たちを見守ってて下さい。

2020年5月10日日曜日

2人だけの母の日BBQ

今日は母の日。
だけど花を贈る事ができる私達夫婦の母は、もうとうにこの世を去った。
異国の地に住む子供らからは花が届くこともない。
気持ちの良い季節。今日は外で食べようか。二人だけのちょこっとBBQ。暑くもなく心地よい夕刻。
カエルの声がちと煩い。
お肉の香りに気づいたか、珍しくテディものろのろ外に出た。
静かな母の日。こんな素朴な時を幸せって言うのかな。







実家とお別れに行った日に、庭先にあったユキノシタ。連れてきて、今日初めて一輪の花が咲いた。
母の好きだったナデシコの花が満開だ

2020年5月9日土曜日

マスク

恥ずかしいけど公開(・・;)
ベトナムで買って来たマスクを便利に使ってる。
就寝時に使おうと買って来たマスク。耳にかける部分が使いにくくて付け直したけれど、今回のパンデミックでは街に出るのにとても便利。
ベトナムはコロナ対策に成功したよう。当時のベトナムではバイク乗りの人達だけがしていたマスクだけど、今は皆んながつけてるのかな?
アベノマスクはまだ来ない。
都市部はもう簡単に買えるようになったと聞くし、配布の必要はますますなくなったのではないかしら。今からでも配布をやめるか、希望者のみお渡しって一括市町村にでも送ったらといいんじゃない?
無駄な出費やめようよ、と思う。もう何処かに寄付もできない感じ(T . T)



追記5/20
アベノマスクはまだ来ない。最低最悪マスクの供給。せめて受取拒否できたらいいのに。

2020年5月6日水曜日

一年前とはずいぶん違う( ; ; )

今年の連休終わった。ずいぶん違うなぁ。
一年後は?
不安は尽きないけれど、前を向いて歩こう。

************
2019年5月6日
大型連休最終日。皆さん 家族 友人との楽しい時を過ごしたかな?そして今 渋滞の中にいる人、明日からの仕事に暗くなってる人、エネルギー満タン意気揚々の人 いろんな思いが日本中を覆ってるんだろうか。
FBのタイムラインに出てくる過去の投稿は 数年前の同時期の自分を思い出させてくれる。普段は昔の写真や記録を改めて見ることもない。
さて今年 2019年の連休の話。新元号になった5月。令和には特に思い入れなく 巷の大騒ぎを見るにつけ 冷めていくのはへそ曲がりの性かしら。新生日本を強く欲する。なーんて事は漠然と思うだけで 夫が帰国しずっと家にいる連休というのが一番の大きな変化。日々の生活に政治も社会も遠くなっていってしまう。
我が家の連休は
(1)益子の陶器市
植木鉢を探して歩いた。久々の陶器市は大盛況で大混雑。平日の益子を知る私はこの混雑が嬉しかった。欲しいと思う植木鉢は高いし数も欲しいのでとても手が出ない。手頃な価格帯の品をいくつか購入。でもやっぱり大き目も買えば良かった。
(2)鹿沼の春祭り
27台の屋台(山車)が街中を練り歩く。白木に豪壮雄大 かつ細かな彫刻、極彩色豊かな漆を施された屋台が列をなしていく姿は見ものであった。街中央の観光客や法被姿の若衆とは対照的に、数ブロック離れた商店街がもぬけの殻シーンとしていたのが印象的だった。商売人は皆祭りに駆り出されていた(と想像)。
(3)姉夫婦との宴
夫の退職 帰国祝いの宴というか、、まだ家が片付いておらず泊まってもらえない(><)ので 酒はちょこっと(><)
しかしお喋りネタは絶える事がない:)
他、佐野市の五丈の滝前植物園でクマガイソウを見たり 薬師寺バーチャル体験したり ヨガのスペシャルプログラム受けたり、、、まずまずの10日間だった。
それにしても一日一日が飛ぶように流れていく。恐ろしい。

2020年1月13日月曜日

今年のテーマはOneTeam


2019年度版 我が家のコラージュ完成した。ラグビーW杯に因んで テーマはOneTeam;)
メリーランド、サンディエゴ、ユタ、ワシントン、シンガポール、栃木の6つの生活拠点からの写真に加え、各々の旅の写真、家族揃っての結婚式出席、孫が1歳になった2019 年は、写真が多過ぎて、載せられなかった写真もいっぱい。ゴチャゴチャ感満載だけれど、これが我が家らしいってものかな(><)
昨年は孤独な年越しで製作も一人だったけれど、今年は夫と次男と3人の共同作業、これまた良い思い出ができた。

2019年8月7日水曜日

柏よ バイバイ

父が亡くなって14年。母はその10年前に亡くなっている。
実家は父が亡くなってすぐから 賃貸契約して入居してもらっていたが この夏売却が決まった。
建て替えて幼い頃の私が住んでいたままの家ではないものの 私の育った土地 遊んだ庭 子供達を連れて帰国の際は皆んなで集まった家の売却は やはり寂しい。持っていようか、、そんな気持ちも少しあった。しかし身辺整理は早くに始めた方が良い。売却を決めた。

先週子供達と一緒に柏の家とお別れをして来た。
まだ小さかった子供達が 「この部屋で花火を見た」とか「ここに布団を並べて寝たねぇ」とか、意外にしっかり覚えているのには驚いた。

夫の実家を手放す時(義父母の最期)も 子供達が時間差で3人タイミングよく一時帰国していた。神様は私たちにお別れのチャンスをくれるんだね。

夫の退職から半年が過ぎようとしている。
新しくめくられたページもだいぶ進んでいる。


2019年5月9日木曜日

お義母さんも見てるかな?

義母の遺した沢山の陶器。味のある作品が多いけど大量で行き場に困る。
夫に穴を開けてもらって 植木鉢にして 多肉植物の寄せ植えにしてみた。春の日差しを浴びて元気に育ってくれるかな。今日は何だか良い気分🎶



大陶芸家に褒めて貰っちゃった;)
大先生「良い感じですよーー」
 私「ありがとうございます😊そんな風に窯元大先生に言って頂けて義母も大喜び!顔が浮かびますm(_ _)m」
大先生「本当にすごくセンスが良いです 相当な方です」

2018年12月24日月曜日

メリークリスマス🎄

12月24日 クリスマスイブ
それぞれの家庭で、祝っても祝わなくても、それぞれ思い思いにイブを過ごしているのでしょう。幼い子供達はドキドキしながら眠るのかな?

31年前 その年の5月に産まれた娘の初めてのクリスマスにと、母が小さなクリスマスツリーを買って来てくれた。狭いアパートに住む私たちには充分大きいツリーだった。電飾の光に娘はキラキラと目を輝かせた。
度重なる引っ越しでも、どうしても捨てられなかった小さなツリー。今年は玄関に飾ってみた。家は大きくなったけれど ここ数年は大きなツリーを出す事はない。この小さなツリーが日の目を見るようになるとは思わなかったが、31年前のツリーが今は小粋に見える。
小さなツリーに目を輝かせた娘が今年は母になった。そして娘夫婦の赤ん坊中心の生活が始まった。






しみじみとしたクリスマスイブ。
地元のクリスマスイルミネーションを見に行った。『グリムの森』今年は10周年という事で、イルミネーションにも力が入ってる。入場無料。全てボランティアでの作業による開催というから驚きである。



















子供達の嬉しそうな笑い声。家族揃っての写真撮影。皆んなの笑顔がずっとずーっと続きますように。

2017年12月16日土曜日

命日に想う

今日は義父の命日。あれから4年の月日が流れた。感覚的には2年位にしか感じない。こうしてあっという間一年一年が過ぎて行くのだな。
最近のギスギスした世界は息苦しい。世の中が怒りで満ちて来てしまってるんだろか?
亡くなった実父母、義父母のあれこれを想い出した。
義父〉初めての海外は我が家の最初の赴任地オランダだった。オランダの南端アイントホーフェンという田舎町。春先ののどかな良い季節という事もあってゆっくりと時を過ごした。オランダのフリッツ(フライドポテト)は最高!オランダ版マヨネーズをつけて食す。その日はフリッツ屋さんでフリッツやクロケット(コロッケ)フリカンデール(ソーセージ)をお持ち帰りした。何でも初体験の義父。不思議そうに見ていたのかな?精算後フリッツ屋のオヤジさんが義父を見つめてウインク(^_-)したらしい。特大の(^_-)。
「男にウインクされたのは初めてだ。どういう意味だろ?」嬉しそうに言った義父の顔が浮かぶ。
義母〉同じく初めての海外はオランダのアイントホーフェン。
お隣のご主人に会った時の事だ。私が彼女を紹介し、彼は英語で挨拶した。義母は「………」の後「いつもありがとうございます。息子たちがお世話になりますがよろしくお願いします」と丁寧な日本語でしっかり頭を下げた。カッコ良かった。
実父〉彼の初めてもオランダである。スーパーに買い物に行った時の事。ニコニコと笑みを浮かべ何か言いたそうな少女が私たちの後をついてくる。そこで父"Can you speak English?"
オランダ人は子供でも英語を話す。しかし彼は英語を話せない(>_<) 父は何とかコミュニケーション取りたかったんだろうな。
実母〉オランダからパリに旅行に行った。パリの街は地下鉄が便利であるが、時に非常に混雑する。電車に腰掛けていた母の前に大荷物を抱えた女性が立った。母は身振り手振りで荷物を自分の膝におけと、彼女の荷物に手をかけた。そりゃやられた方はびっくり引くよ。私は母に注意したが「だってすごく大変そうだったのよー」と言った。母はちょっとしょんぼりしてた。

こんな記事に亡き父母たちとの思い出が蘇ったのかも。
http://www.sacbee.com/news/state/california/article189768224.html

2017年6月24日土曜日

変わリ行く花之江の郷

久々に都賀町にある花之江の郷を訪れた。
今回もまた、たくさんの見知らぬ花との出会いがあった。
しかし今回は悲しい知らせもあった。100万本(?)のハナショウブ、アヤメ5万本(?)が咲き乱れる湿地ゾーンの閉鎖という告知である。
衝撃は大きい。この日はまだ少しショウブは見られると言うので、行ってみたけれど、、(>_<)(>_<)(>_<)

すでに湿地帯ではない(>_<) 逝くのを待つかのようなショウブ。
まともにカメラを向けられなかった


昨年のショウブ

係りの人の説明では湿地帯のすぐ隣に太陽光パネルが並び、景観が悪くなった事とイノシシの被害が大きいのが閉鎖の理由だそう。いつも綺麗に広い公園を維持するのは相当の労力を要するものだっただろう。入園者が少なく一人500円では採算は取れるはずもない(と思う) 。ともかくショックである。湿地ゾーンも含め、私は本当にここで季節の移り変わりを肌で感じさせてもらっていた。





ポンテデリア・ランケオラータ

ギボウシ



アスチルベ






ミソハギ





















ウツボグサ

クガイソウ














半夏生




















ミツバシモツケ

オカノトラノオ
ホタルブクロ


ストケシア


















マツモトセンノウ

ヤマアジサイ


花しょうぶ御膳(¥1620) 和菓子、飲み物付













現在のパンフ
4−5年前のパンフ