2011年11月13日日曜日

2011/11

見所いっぱい、那須烏山

2011年11月14日14:33
日光の紅葉は終わってしまったけれど、少しは紅葉が見たい。
家から1時間ほどの所にある那須烏山<落石>に向かった。ここは関東の嵐山と言われているが、山々の紅葉、桂川ならぬ那珂川にかかる橋と正に嵐山?! とはならなかったのは、残念。
完全紅葉には少し早かった。ケヤキともみじの紅葉で赤茶けてる。天気が今一つ・・など理由はいろいろありそうだけど、どう考えても関東の嵐山とは言い過ぎだわね。
でもでも、紅葉以外に魅力はた~くさん。
Yahooの今見ごろと紹介されても、ほとんど観光客のいないシブーい栃木の片田舎を那須烏山を紹介します。

その1>サケの遡上と産卵。
産卵の為、10月下旬から12月上旬に那珂川に戻ってくる。
こんな間近にサケの姿を見たのは初めてだった。夫が叫んだ「卵産んでる~!」1匹のサケが何回も体を横にして何やら格闘しているではないか。あやや、産卵に立ち会ってしまったか!

その2>龍門の滝・大平寺
龍門の滝;大蛇が住むという伝説あり。散歩コースが充実してる。
大平寺;803年創立。下野の国十一番札所である。
ほとんど観光客も訪れない片田舎に1300年もの歴史建造物が、当たり前のように残されていた。心は一挙に鎌倉時代。心が揺さぶられる。日本はなんてすごい国なんだ。
今までアメリカ史に関わる地を旅して来た。しかしアメリカの文化遺産はたかだか400年程のもの(アメリカ先住民は別)。日本をもっと知りたい。

その3>島崎酒造”東力士 洞窟酒造”
第二次世界大戦末期に計画された戦車製造の地下工場跡地を低温貯蔵庫として利用している。
なかなかの見応え。お正月用の新酒、10年物の熟成酒もちょこっと試飲させてくれもらえる。ふむふむ、日本酒も実に奥が深いぞ。この洞窟、ワイン蔵にもなりそう。戦時下に戦車製造等に部品置き場だったとは、とても考えられないよ。結局工場として機能することなく、終戦を迎えたという話だが・・。

その4>”松月庵”で手打ちそばを堪能。
八溝そば街道:八溝山系の豊かな水資源・寒暖差が大きい栃木県東部(茂木~大田原)の山間地域の街道である。
腰のある手打ちそば。うまい!栃木特有の濃い味でもない。天つゆもだしのお味を生かした薄味。これはいける。

その5>和紙の里
日も落ちる5時頃到着。紙すき場を見学する。
職人さんから手法等細かい説明を受ける。和紙作りがこんなにも手のかかる作業だったとは、知らなかった。その日は卒業証書をすいていたのだけど、栃木県内の卒業証書はすべて和紙だとか・・。千葉県はどうなんだろ?ちなみに希望すれば紙すき体験もできるそう。800年の歴史を誇る烏山の和紙作り。職人さんの誇りを感じた。
次回は和紙会館に赴き、和紙の電気のかさを手に入れたくなった。

その他、6月には鮎の解禁となり、観光やなができる。今回食べなかった鮎の塩焼き、食べに行くぞ~。
<やなとは、川の流れをⅤ字型にせき止め、大きな青竹の上に細く割った竹などで編んだ簾を設けて落ちてくる鮎や鰻を取る仕掛け>

また7月第4の金土日には国の重要無形文化財である山あげ祭が開かれる。こちらは450年の伝統を誇る日本一の野外劇であり、狂言・舞台歌舞伎が鑑賞できる。舞台の背景として、烏山特産の和紙で作られた山を立てる(あげる)そう。こりゃ是非見てみたいな。しかしあの狭い商店街でどんな舞台ができるんだ?

<那須烏山>という地名をどれほどの人が知っているだろ?私は全く知らなかった。しかしなんと歴史ある素晴らしい田舎町だろ。

行きたい。見たい。食べたい。ますます欲深くなったような・・。だけどまたまた栃木が面白くなってきたよ。

anton2011年11月14日 21:59
人がいない静かな所を見てまわれるって、すご~くいいね。
私の子どもたちは小学生の体験授業で、小川町というところで紙漉き体験をしたような。
そばもおいしそう。
素敵な休日でしたね。

kame32011年11月15日 07:23
日常からちょっと抜け出てみると、想像してなかった世界があリますね。
人ごみも渋滞もなしで、そんなスペシャルな空間に身を置けるのをありがたく思います。
お子達、紙漉き体験したんですね。日本各地で和紙の製造をしているんだね。
それにしても楮・三椏からの原料作りから始まる長~い工程、非常に手間のかかる手作業なのに、土産品があまりに安いのに驚きました。


冬トマト?

2011年11月28日07:26
あれはたぶん8月、 秋トマトの苗木を植えた。最初元気のなかった苗も、栄養剤やら病害虫駆除のカダンプラスDXを施したら、がんがん大きくなって次々花が咲き実をつけた。
しかし実はいっぱいなってるのに、一向に赤くならない。
11月半ば、緑色のままだった実がようやく赤みを帯びてきた。枯れてきた?と思った。
しかし、ついに11月26日。初収穫。
甘味は薄いけど、しっかりトマトの味してる。まだまだついてる青いトマト。皆色づいてくれるかな?
それにしてもこれじゃ、秋トマトならぬ冬トマトだわね。

今更ながらに、秋トマトの育て方を検索。
室内の日当たりの良い窓際では、真冬も収穫を楽しめるそう。我が家のも、ちょっとビニールのカバーでも掛けてあげたら、まだまだ実をつけるのかしら?
トマト用の栄養剤を与え、水は少なめにすると甘味の強いトマトができるとも書いてあった。
だけど、植物ごとの栄養剤を揃えるのはたいへんだわ。


もうすぐクリスマス

2011年11月28日09:38
飛ぶように月日は流れ、今年もあと1か月で終わってしまう。
11月24日(木)アメリカでは家族や親戚が一堂に集まるThanksgiving day の祝日だった。昨年はカリフォルニアに住む子供たち3人それぞれの友達も交えてサンディエゴの家で集ったと聞く。しかし今年は3人バラバラ、各々の友達のお宅のパーティーに参加したり、彼との時を過ごしたりだったらしい。
アメリカに住んでいれば、いつものようにスタッフィング入りチキンを焼いて、マッシュポテトにグレイビーソース、パンプキンパイのデザートを家族で食べた事だろう。

Thanksgivingが終わると、街は一気にクリスマス色になる。家々のイルミネーションが灯リ始めるのもThanksgiving明けの週末だ。

かくいう私もこの週末はクリスマスの飾りつけをした。
クリスマスの飾りつけをしてる時は、<来年はどこでこの作業をするんだろ?>とか、<このオーナメントはあそこで手に入れたんだわ>とか・・毎年妙に感傷的な気分になるものだけど、今年は特にさらにその思いが強かった。
昨年引っ越し時にかなりの量のクリスマス等の飾りつけを処分したつもりだが、それでも我が家にはまだまだたくさんのクリスマス用品がある。1年にたった一度のクリスマス。クロゼットの奥にしまった飾りつけを引っ張り出し、ふだんは椅子とテーブルのある場所にツリーを立てたり、その他部屋のあちこちに飾れる場所を作りだすのは、それだけで結構な労働である。片づけも然りで、毎回何日も費やす事になる。だけどそんな作業も家族と迎えるクリスマスがなんとも楽しく、最高に幸せな時であったから、飾りつけも片づけもルンルン気分で行ってきた。

今年は12月中旬、子供たちが日本に来る(帰国するという言葉はすでにそぐわないような気がしてる)。もしかしたら来年は家族5人揃ってクリスマスを祝う事もない? !娘と長男は、うまくいけば(?)就職しているからだ。このもしかしたらは、あくまでももしかしたらで、大学を卒業しないかもしれないし就職できない可能性もかなりある。将来なんてどう動いていくのか確かな事は何もわかっていないけれど、3人学生で同時期にまとまった時間が作れるのはこれが最後という思いは強い。
子供たちがいないクリスマス。果たして来年はクリスマスの飾りつけはするのだろうか?せめてツリーだけでも飾れたらいい。今年は片づけも一工夫しなくちゃかしらね。
いつの間にか飾らなくなったお雛様や兜。日本の行事は大切にしたいと思っていたけど、いつの間にやら出す習慣がなくなってしまった。お雛様も兜もアメリカにおいてきてしまって、今後飾ってもらえる日は来るのだろうか。

なんだかんだ言っても、一日一日は確実に終わっていく。
その日その日を心に刻んでいきたいと思う。


もらっちゃった!

2011年11月30日19:08
とても良いお天気。散歩にはうってつけの気候だった。
2時、いつも通りの散歩道を歩く。畑が広がり刈り入れに働く老夫婦がいる。
私「こんにちは~!」
農「こんにちは。いい天気で暖かいね~。大きな犬だね~。」
私「はい。何を採ってらっしゃるんですか? ターサイ?おお、これは大きなカブですねー。」
農「この芽の部分が美味しいのよ」「甘酢漬けをいっぱい作って皆にもらってもらってるんだ」
などと、野菜談義をしていた。
と突然、「このカブ持っていく?」

聞けば無農薬で育てられたカブ。葉はアブラムシにやられてるけど、実ははちきれんばかりに大きくなってる。しかし食べきれない分はこのまま放置し肥やしにしてしまうそうで、卸し販売はしていないとか。
それでは喜んでいただきますと、そそくさと車を取りに帰った私。

車で畑に戻ると、ご主人は採ったばかりの山のようなカブとほうれん草の山を用意してくれていた。ややや、すごい量。こんなにどうする?
と思う間もなく、ご主人は泥付きほうれん草をさっさと車に・・・。あっと、車が汚れ…(笑)。

農家の人と知り合いになりたいなあ、いろいろ教えて欲しいなあって思っていたけど、こんなふうに採りたて野菜までいただくとは思わなかった。

今日はお隣さんに青梗菜と白菜もいただいたし、仕事先でもキウイや大根、サラダ菜などいろいろ新鮮野菜をいただく事も多い。
茨城に引けを取らない農業県、栃木。宇都宮に住んでいた時には知らなかった楽しみがこの地にはある。

仲良くしてもらってる別隣のおばあちゃんには、このかぶとほうれん草少し引き取ってもらったけれど、あとはどうやって食べよう(なくそう)か?
ほうれん草はお浸し・胡麻和え・ソテーや卵焼き。ゆでれば冷凍にもできるわね。
カブは煮物・酢の物・味噌汁・クリーム煮・・でもお漬物が一番か?! 漬物苦手な私も、ついに未知の領域に入る時が来る?!

anton2011年12月01日 08:10
お、これもティディー効果?
採れたては、何よりのぜいたくですね。
ほうれん草は常夜鍋でもすれば、一人一束は軽くいけちゃいそう。
かぶのそぼろあんかけもおいしいそうだけど、せっかく新鮮で瑞々しそうなかぶだから、
薄く切って塩をまぶして即席漬けにしてもよさそう。ビニール袋にぎゅっとつめて凍らない程度に冷凍庫に入れれば、すぐ食べられます。これに、さっとゆがいた茎やゆずを混ぜてもおいしいよ。
ころころに切って塩こんぶと混ぜても。
最近知った食べ方では、薄く切ったかぶをオリーブオイルと塩で和えて、レモン汁をかける、というのが
なかなかでした目がハート
漬物デビューしたら食べさせてね!

kame32011年12月01日 08:56
ありがとう~!!今朝も玄関に置かれた大量の野菜を、どうしようと頭を悩ませていたところ。
<常夜鍋>って知らなかった。すぐに検索。早速今晩のメニューにさせていただきます。
そっか、即席漬けだったら旦那の酒のつまみにも良いね。ゆずもあるぞ。これも今から作ろう。オリーブオイルバージョンも興味津々。やる気が出てきたぞ(ダメにしてはならぬとちょっと気重になってた・笑)。
ホントGood Infoをありがと!

Teddy効果は確かにあるね。この地で知り合いも多くなったけど、それもすべて犬繋がり。私の名前は知らなくても、あそこに住んでるTeddyのママ(?!)で通ってる。有名人(犬)でちょっと怖い気もするけど・・。

anton2011年12月01日 16:46
うんうん、Teddyは美犬だもの、目立つよね~
常夜鍋、ウチでは酒をドボドボ、潰したニンニクや生姜も入れてグラグラさせます。タレにはゆずやレモンを入れた方がおいしいかな。
私も夫も好きなんだけど、「鍋なのに具はこれだけ?」なんて無粋なことを言う奴がいるので、大抵寄せ鍋になっちゃう。

kame32011年12月02日 07:16
<常夜鍋>食べました。美味しいねぇ~。今までにはない鍋で、とっても気に入りました。anton家のまねをしてwebのレシピーにはなかったにんにくも加え、シメジやお豆腐も入れました。この冬頻繁に登場しそうな一品です。
しかしながら、あまりに大量のほうれん草で山の一角を崩しただけ。今朝も卵とほうれん草のバター炒めを食べたのですが、ほうれん草その物に飽きてきた感。かなり手ごわい量ですわ。トホホ・・。

テディー、お世辞と知っていても褒められると単純に嬉しい目がハート私です。近い内にまた飲みに来て~!

eri2011年12月05日 05:22
すごい量・・・w

kame32011年12月05日 06:55
泊まりに来てくれた運河にも手伝ってもらって、カブを少し残すのみでほとんど食べ終わりました。ひと冬分のほうれん草とカブをすでに食べてしまった感じ。それにしてもホント日本の冬野菜はおいしいよぉ~。

がみら2011年12月07日 09:32
2年前府中に住んでいた時に区画整理の合間に残された農家の畑の脇で無人販売されていたダイコンやホウレン草を100円玉を箱に入れて買って帰る時の幸せを思い出しました。あの頃の朝焼けの美しさや日本らしい生活のにおいを思い出しました。それでいて、本日の自分の小さな仕事の失敗で頭がいっぱいで義父の小手術の日を忘れていた自分にやや自己嫌悪の私です。でもね、いつか日本に帰って、少しは人の役に立ちたいと切望しているのです、先が思いやられますねえ。
順子さん、待っててくれる?

kame32011年12月07日 18:01
がみらさん
そうそう、日本の香りってある。そして採れたての旬のお野菜が食べられる喜びは、何物にも代えがたいです。

お義父さまその後いかがでしょうか? 離れて暮らしていると、気にはなっていてもどうしても同じ時空でいられない。私もそんな思いの連続でした(と言っても何の慰めにもならないね)。今は同じ日本と言えども、千葉に住む義父母を想いながらも何もできない自分があります。

私もこれからは少しは人の役に立つ事がしたい。今の仕事は辞めるつもり。私に何ができる・・・そんな事を考え始めたこの頃です。日本に帰っておいで~~~!またいっぱいおしゃべりしよ!いつでもいつまでも待ってるよ!


2011年10月5日水曜日

2011/10

市民権

2011年10月05日17:28
先日晴れて運転免許を取得して、ついに私は日本での市民権を得たような気分になっている。
『市民権』本来の意味は、市民として暮らす権利で免許などなくても、何ら問題はない。
が、私の住む地では免許がなくては生活ができない。駅まで歩いて45分、バスも一日数本しか走っていない。運転できなくては生活が成り立たないのだ。この状況はNY等の一部の大都市を除くほとんどのアメリカ地域でも同じで、免許・車があるのは当たり前であり、交通網の発達した日本の都市部や一般的な住宅地とは、だいぶ異なる。

市民権を感じるもう一つの要項は健康保険だ。
夫に扶養されている私は、夫の会社の健康保険に入っている。日本の健康保険は素晴らしく、保険さえ持っていればどこの病院でも診てもらえるのは、ありがたい事だ。

先日娘が虫垂炎で入院手術した。幸い娘も今年は夫の健康保険に加入を認められていたので、入院代は15万円ほどだった。仮になかったら、50万近く?!とんでもない金額になっていたと空恐ろしくなる。
今、来年も我々扶養されている家族全員保険に入れるよう、いろいろと書類をかき集めている所だが、海外に住む子供たちの健康保険を保持するのは、なかなか難しい状況にある。
日本にどの位の期間帰って来られるもわからない状況だが、今回の娘の緊急手術のような事があると、なんとしても保険をキープしたい。

かたや、アメリカの話。
私達夫婦はアメリカの運転免許は持っている。しかし健康保険がない。先日私はなんで帰国したんだっけ?とふと不思議になった。愛する夫(笑)がいるからなんだけど、それより職を持たない私の健康保険料が払えないので帰国したんだった。
病気や事故になったら、医者にかかれず死ぬか、破産するかのアメリカ。自己破産の最大の理由は医療費と言うのだから、アメリカの医療システム、保険問題は深刻である。

さて、市民権(永住権だけど)の話。
私たちはグリーンカード(永住権)を取って、アメリカに住んでいた。このグリーンカードを手に入れるのも、えらく苦労したもんだったけど、9.11のテロ以来、移民局のチェックがさらに厳しくなり、グリーンカードを持っていても半年以上アメリカ本土を離れる場合、再入国許可書を取得しないと、最悪グリーンカードを失ってしまうようにもなってしまった。許可書の有効期間は2年。夫が帰国してすでに2年が経過し、再入国許可書が無効となり、グリーンカードもなくなってしまったのではないかと、想像する。

子供たちがアメリカで暮らせるようにと手に入れたグリーンカードだったので、その目的は果たせたグリーンカード取得ではあったけれど、16年のアメリカ生活・グリーンカード取得までの長い道のりを思う時、なんとも言い難い寂寞とした感情が沸き起こってくるのは、否めない。

私が免許を取ったことで、精神的に市民権を得た感じている今、我々夫婦は何をするべきなのか。いろいろ考える今日この頃である。


アメリカで日本食”ミツワ”

2011年10月13日09:59
日本人は食に貪欲だ。そして四季折々を味わい、世界中の食べ物をも各家庭で楽しんでしまう高度な(?)日本の食生活は、海外生活では味わえない大きな喜びである。
反面、”限定”って言葉に弱くて、つい限定やプレミアムなんて言葉を見ると、買ってしまう弱点もあるような気もするけどね。
さて食欲の秋到来。あれもこれもと食べたくなるのを抑えようもない。空腹時にスーパーに行くのは危険なので、最近では腹ごしらえ後に買い物に行くようにしてる(笑)。

これはアメリカの話。テキサス・カリフォルニア・バージニアと暮らして、カリフォルニアはアジア人も多く、なんて住みやすい所だろうと思っていた。特に南カリフォルニアは日本食レストランや日系スーパーも多く、ほとんどの物が手に入る。
ロサンジェルスに住む娘の大学院での専攻は、the Asian American Studiesだ。 大学での専攻だったthe Cultural Anthropology(文化人類学)から一歩踏み込んだ形で、主にアジアからのアメリカ移民について研究している。
彼女が大学のジャーナルで書いたアメリカ最大級の日系スーパーマーケット”ミツワマーケットプレイス”の記事がDiscover Nekkeiに掲載された。実際のミツワは、書かれているほど素晴らしいものではないのだけれど、初めてこのトーランスのミツワに行った時は、非常に感激したのを今でもはっきり覚えている。
http://www.discovernikkei.org/en/journal/2011/10/5/mitsuwa-marketplace/(その1)
http://www.discovernikkei.org/en/journal/2011/10/12/mitsuwa-marketplace/(その2)

一口にアメリカへ赴任と言っても、住む場所によってその生活形態は全く変わってくる。
そんなこんなを思い出しながら、日本の秋を感じてる。


太陽光発電

2011年10月15日14:25
3月、太陽光パネルを取り付けた。
私たちが設置を決めたのは、以下の理由からだった。
・日当たり自慢の我が家、さんさんと照らす日差しがもったいない。
・東京電力の余剰電力の買い取り価格が3月までの契約で1kW当たり44円、4月からは42円になる。
・国からの補助金も年々減少して来ている(国の補助金の上限は22年度65万円→23年度60万円)。
・いずれは取り付けるつもりであるなら、家の築年数・日々の電気代を考ると、設置費用を考えても早く取り付けるべきだ。

3月中に工事を完了させる為に、2月末太陽光パネル設置の契約をした。
そして、3月11日東日本大地震。
地震当日の停電、さらに計画停電が実施され、電気がなくては生活がおぼつかないと、身をもって経験した。

3月29日・30日 太陽光パネル取り付け工事。足場を組み8人がかりの大仕事だった。屋根の上で作業する人たちを見て、余震が起こらないようにと祈った。

4月12日、東京電力との通電がなされ、売買契約が取り交わされた。どうやらわが地区では、22年度最後の契約者だったらしい。ぎりぎり滑り込みの22年度契約となった。

原発事故以来、エネルギーの再生問題は大きく取り上げられているが、実際我々一般市民は何ができるんだろ?
私は原発はできるだけ早い時期に全面撤廃できるよう進めていくべきだと考える。原発を少しでも早く止めるためにも、我々にできる事は何?
<節電>
そう、この夏も節電が叫ばれ、国民総出になって協力し、かなりの成果を上げた。
しかし、、、
実際自分の家で太陽光発電をするようになって、あれ?と思う事がある(震災前の契約の時には、停電時は・・なんて話は考えもしなかった)。
が、震災を経験し停電時の不十分なシステムを知り、疑問を感じた。太陽光パネルが充分な発電をしていたとしても、一つのコンセントのみの稼働になってしまうので、その電力はPCや携帯の充電程度の僅かな電力しか賄えないのだ。
今私が望むのは、蓄電技術の開発だ。余剰電力を買ってくれるのはうれしいけれど、各家庭で蓄える事が出来たらどんなに素晴らしいだろう。多くの科学者・研修者たちが、頑張ってくれているんだろうけど、1日も早く市場にでるようにと心から願う。もしそんな日が来たら、電力会社の怪しげな経営や組織にも打撃を与えられるかもなんて、想像してる。

ついでに、ここ半年の我が家の売買電力を記録する。
年月    買う(円)   売る( 円)  
23.4     3.062     -
23.5     2.542      21.504
23.6     2.920      16.320
23.7     2.854     18.000
23.8     3.269     16.416
23.9     4.063     17.424
23.10     3.480      16.656
23.11      4.284      12.480
23.12      6.004     10.704
24.1    11.526      14.880  
(随時データ更新中)

昨年のデータがないので、この数字がどういう意味があるのかよくわからないのだけど、夏場のエアコンも使用している時期に電気代が3~4000円代で済んでるのは、なかなか良い?
ちなみに、一番発電量が多いのは4~5月とか。来年の春に期待しよう。


神の御業?

2011年10月19日07:53
私とどうも相性の悪いのか、ハイビスカス(一つ目の鉢は盗まれた。これは二つ目で、ほとんど死にかけたけど蘇った。しかし、最初の数個以来花をつけずの夏だった)

3週間以上前に小さな蕾を発見した。
せっせと日に当て、ひたすら咲くのを待っていた。
固く固く閉じたまま、なかなか膨らまない蕾。
ポトンと落ちてしまいそうで怖かった。
が、ついに今日、大輪の花(直径18cm)が咲いた。
心に沸き起こる達成感。
それにしても、小さな鉢に不釣り合いなほど大きな花。
待ちに待った花だけど、こんなに大きかったらすぐに落ちてしまいそうだ。
神の御業を感じる精巧な造り。感動。

がみら2011年10月19日 10:59
生き物ってみんな神秘的だよね。

kame32011年10月19日 17:13
そうだね。生物全般に言えるね。
私はとりわけ花に、ゾクゾクするような感動を覚えるんだけど、奇抜なデザイン・洗練された柄・思いもつかない隠れ技のようなものまで造り出しちゃう創造主(神?)は、なんて独創的でユニークな方でしょ?!

2011年9月23日金曜日

2011/9

性格診断

2011年09月23日11:56
性格って人それぞれだなあ~ってつくづく思う。
そして年を追うごとに、その性格は色濃くなって、かたくなになってきたような気がする。年を取って丸くなったなんて言葉はよく聞くけどね。

長男が正にこれが自分という結果が出たと教えてくれた性格診断は興味深い。
http://www.humanmetrics.com/cgi-win/jtypes2.asp(英語72問)

そして長男は「お父さんもマイ性格型と同じ結果が出ると思うよ。」とも言った。
ハハハ、よくわかってる。
最近富みに性格が夫に酷似してきた長男。日に日にさらに似てくるので、正直驚いていた所だった。
この診断テストMBTI(Myers-Briggs Type Indicator)はユング心理学説に基づいて作られた心理テストである。現在24か国語に翻訳され、多くの企業を始めさまざまな形で広く利用されている。
(実際、娘が大学を受験する際にも受けた。また夫の会社でも受けるチャンスがあったとか・・)

興味津々、夫と私は診断テストを受けた。
ありゃりゃ、ホントに夫と長男は同じだわ!16パターンしかないので、それほどびっくりでもないかしら?いやいや、やっぱり全く同じというのはすごいよね。こりゃ、息子も苦労するぞー(笑)。

娘や次男もこの診断テストを受け、しばし私たちは性格談義で盛り上がった。
まだ受けてない方、どうぞお試しあれ。結構面白い結果が出ますよ。

http://www.seikakushindan.info/(日本語・簡易テスト)
http://www5.big.or.jp/~seraph/zero/mbti.cgi(日本語72問)


Mottainai

2011年09月26日19:09
ノーベル平和賞を受賞し、もったいない運動を推進してきたケニアの環境保護活動家のワンガリ・マータイさんが亡くなった。

祖母や母がよく言っていた『もったいない』という言葉。昔は二人が何でもかんでももったいないって、しまい込んでおくのが嫌だった。
そうは言っても、勿体ないと叩き込まれた私は、なかなか物が捨てられない性分となった。

聞けば『もったいない』とは、『物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ち』だとか・・。仏教用語の物体から来ているらしい。

もったいない運動。アメリカで今も続けられているようだ。
http://www.youtube.com/watch?v=TrMLqbxL0E0

アメリカのWaste(浪費)文化。これはどうしても受け入れられなかった事の一つだが、こんな運動をしている日系人がいたんだ~!


へんな夢

2011年09月27日10:53
こんな事を書いたら、又おかしな奴だと思われてしまうかな?と、思いつつ忘れない内に書き留めます。

おかしな夢を見た。しかし画面も鮮明で、夢の中であれこれ考えすべてを認識しているような夢だった。
私には何故か3人の息子と1人の娘がいるという設定だった。そして夢はその3番目の息子の話である。
家の中の風景、ティーンエイジャー特有の突然いっぱしの理論を展開する三男がいた。というか、実際には話してはいないが、勝手な態度がそれを物語っていた。そんな彼に大きな問題がふりかかった。行く末を決める決断をしなくてはならない。答えを私に求め、ひたすら私の後を追い、何も言わず私を見つめるまん丸の目が<どうしたらいいの?>と助けを求めてる。しかし決めるのは自分だ。私は何も答えなかった。
私<何でこの子は、自分で自分の道を決められないのだろう?娘はもちろん、H男(長男)もK男(次男)だって少しずつ自分で考え歩き始めたのに・・・。同じように育てたのに、、、何で?何で?何で~?>
夢の中の私は自分に4人の子供がある事に何の疑いも持っていなかった。

どんな風に夢が終わったのかわからない。
しかし何故かとてもリアルで、切迫した感情が残り、翌朝すぐに夫に話した。

夫は言った「ははぁ~、その三男はテディーだな。」

う!そうだ。そうに違いない。あまりの新事実に愕然とする私(ホントかいな?)。
テディーと私は相思相愛などと、人様にバカげた事を言っている場合ではない。
私が仕事を始めたので留守番の時間がずいぶんと長くなったテディーだけど、もっともっと自立できるようにしなくては・・なのか?
いやいや、自立しなくてはならないのは、私の方?!
おお、大きな問題が隠されていたのね。
成犬の1年は人間の4~5年。どんどん年を重ねてしまう。つらい。


ついに、運転免許取得!

2011年10月03日11:44
帰国して約11か月。やっと日本の自動車免許を手に入れた。
間が悪かったと言ってしまえばそれまでだけど、長い長~いその工程を記録します。
今日の日記も長くなりそう。。。

海外滞在で日本の運転免許失効の手続きは、
『免許証の有効期間が過ぎて3年以内の場合は、帰国後1ヶ月以内に試験場で申請すれば、学科、技能試験が免除される。1ヶ月を過ぎてしまうと、何と、一からやり直し!3年をすぎた場合は、一部試験(学科試験)を受けることになる。』

こういう決め事があるのを知らず、昨年10月中旬帰国した私はあっという間に1か月を過ごしてしまった。私の日本免許は失効からすでに12年以上。試験がいやで敢えて先送りにしていたような気もするけど、とにかく時は容赦なく過ぎていった。

国際免許で運転をしていた私だが、年が明けてそろそろ正式な日本の免許を取らなくてはと重い腰を上げた。しかしもう帰国から1か月の規定はとうに過ぎてる。それなら外国免許からの書き換えの手続きをしようか。。。
ああ、どっちにしても免許センターは鹿沼。遠いなあ~。いやだなあ~。試験。たいへんそうとか、思っているだけで月日は瞬く間に流れていく。
必要書類の準備にかかった。
まずはアメリカの免許は、っと。。。。おっと、もうすぐ切れてしまうではないか。5年ごとの書き換えが今年だったのか。
いつものように、オンラインで更新の手続きをしようと思った。ありゃ!すでに2回オンラインで更新しているので今回はDMVでのみ手続き可能と記載されてるではないか。おおお、参った。
アメリカに行かなくちゃアメリカの免許も失ってしまう。
外国免許からの書き換えは有効期限内の免許があるのが条件。これじゃ日本の免許はおろか、アメリカの免許もないって事じゃん。となると、国際免許も無効?!無免許運転?!
いやいや、参った。

他に方法はないものかと、あちこち問い合わせを入れてみたけど、どうやら最初から始めなくちゃならないみたい。今更教習所通い?やめてよ、40万円くらいかかっちゃう。それじゃ一発試験に臨む?絶対無理。奈落の底に落とされた気分になった。
それにしても何で5年に一回の更新が今年なのよ。おまけにオンラン手続きできないなんて不運だわ~。

仕方がないので、まずはアメリカで免許更新をするしかないと、7月のアメリカ行きに望みを託した。7月、アメリカのDMVでは免許切れから半年近く経っているにも関わらず、手続きはいとも簡単に、免許切れの理由も聞かれず、全く通常の更新と同じように免許更新ができてしまった。いいね~、アメリカのこのいい加減さ(?!)が実にいい(笑)。
その日は仮のプリントアウトされた免許証をもらった。正式な免許はSDの家に送付になる。さらにDMVではカリフォルニア免許ヒストリーも作成してもらった。ついでに念のため、AAA(アメリカのJAF)で国際免許も改めて作った。
ここまでは順調。これで8月娘の帰国時に送られているはずの本免許を持ってきてもらえば、何とか手続きはできるはず。

9月、娘に持ってきてもらったカリフォルニア免許の日本語訳を作りにJAFに行った。住民票も取った。
すべて書類を抱え、免許センターに行った。帰国して10か月、多少運転慣れしたので、自分でドライブして鹿沼の免許センターまで行く自信ができていたのは良かった。

外国免許からの受付は1時から2時。少し早めに行ったのだけど、大混雑でかなり待たされた。外国免許からの書き換えはほとんど外国人。いろんな国の免許等の確認をするので、一人あたりの時間がべらぼうにかかる。

免許センターの係員はとても親切な人だった。一つ一つ丁寧に書類をチェックしていたが、私は文句ないでしょって気持ちだった。しかし、、、
そうは問屋が卸さなかった。カリフォルニアで出してもらった運転履歴では、充分でないと指摘されたのだ。外国免許からの書き換えではその外国免許で少なくとも3か月間運転していた事が証明されないといけないのだが、私の免許発行は7月で発行から3か月満たない。その事は知っていたからわざわざDMVで運転履歴をもらって来たのだが、その履歴情報では不十分だとはあんまりだ。確かにその記録にはバージニアに引っ越す前のカリフォルニアの住所が載っているけど、それしか出ないんだから仕方ないじゃん。しかし、免許センターでは本人である確認が取れないと説明して、私の言い分は聞いてくれない。あああ、そもそも引っ越し続きでコロコロ住所が変わっているのが、いけないのよね。でもね~でもね、苦労して何州にもまたいで免許を取ってたのよ。ホントにカリフォルニアを出たり入ったりしたのよ!アメリカで16年間も運転してきたのに、たった3か月間の運転さえ証明されないなんて、ひどすぎる。ああ、可哀そうな私。苦労もなにも、記載されずでは何にも証明できないよ。

何とかならないか、ひたすら知恵を求めた。「有効期限の切れた免許書、有効期限の切れたパスポート全部持ってきてください。」
家の中を探しまくった。何でこんなに書類がぐちゃぐちゃなんだ~!我を呪った。そんな事言っても、アメリカに残してきた書類もあるし、たいへんなのよ~!自分で自分に言い訳しつつ必死になって探した。全くもぉ~。きちんと整理しておけよ。自分にまた腹が立った。
サンディエゴの息子にもデスクを探してくれと依頼メールを出した。

見つけた。何枚かの古い免許証。これでどうかと、担当してくれた係員に電話した。発効日、有効期限等をチェックされた。
また不具合が出た。切り替え時でない時が発効日になってる。「何故その日付になってるかかが証明されないとダメですね。」うそ~~~。もう。。。。
思い出した。その頃ミニのガラスが割られ、バッグが盗まれた事件があった。その時に新しく免許書を再発行してもらったんだ!そうだ、そうだ。。。。何でこうもいろいろあるんだよぉん?!

次の日私は朝から気合が入っていた。面談申し込みに朝9時から免許センターに出かけ行った。面談は1時開始なのでいったん家に戻り、昼過ぎ試験を受ける覚悟で再び免許センターに向かった。古い免許・パスポート、ミクシイ日記も含め、事故の資料となんでもかんでも見せられるように準備万端だった。
一つ一つパスポートを確認する係員。何でそこまでやるの~?決して怪しい者ではございませんが・・。連日お付き合いいただいてる若い係員はどこまでも感じが良く、私のつまらんジョークにも反応してくれた。

そしてついに係員が言った。「これで大丈夫です。免許が再発行になります。良かったですね(笑)。」
やった~~~!
とりあえず、教習所には通わなくて良さそうだ。問題は試験。外国免許からの書き換えの実地試験はとにかく難しいらしく、その日も先日来た時も本日の合格者は無しと放送されていた。実際友人も何回も落とされ結局教習所で講習を受けたそう。
まだまだ気を引き締めて事に当たらねば。。。この後が勝負だぞ。

と思っていたら、「では目の検査をしましょう。それと手数料が4500円かかってしまいますが、よろしいですか?」と言われた。
え???もう免許発行になっちゃうの???何の試験もなし???
私「あ、あ、ありがとうございます。はい。いくらでもお支払します。」

と言うわけで、最終的にはは棚ぼたというかわけのわからん形で免許が取れてしまった。失効後12年。帰国後10か月を過ぎて試験なしの再発行とは、これいかに?
止む終えぬ事情での免許失効という手続きにしてくれたのかな?それにしても筆記試験も実地試験も無しとは超ラッキー!!これってもしかして粘り勝ち?

もう天にも昇る気持ち。いかんいかん、帰りの道も安全運転に気をつけねば。
浮かれていてはいけません。少し日本の道にも慣れてきた今が危ないよね。

いやあ、長い道のりだった~。
こんな時は誰かと祝杯をあげたいけれど、途中一人酒を飲むわけにもいかずシュークリームなんぞ買って帰った私でした。

ととると(*´ω`*)♪2011年10月03日 13:38
うわぁぁぁあせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)
大変な道のりあせあせ(飛び散る汗)

お疲れ様でしたがまん顔がまん顔がまん顔

でも1から教習所よりはよかったのかな

祝杯いつでもお付き合いしますよハート←もうだいぶたっちゃったけど(笑)

kame32011年10月03日 16:52
とも@全力エプロンさん

ありがとう!
教本もお借りしてて、きちんとご挨拶できずにすみません。
でも本当にほっとしたよ~。日が経つほどに免許どうするんだと、どんどん心に重くのしかかっていたからね。
で、実際取れたら日本免許を持ったというだけで、運転がうまくなってきたような気がして、どこでも行けるぞ気分になっている自分が怖い。

anton2011年10月06日 00:28
ただ読んでいるだけのこちらまで、げっそりしそう。
無事交付されてよかった、よかった。

それにしてもそこまでの面倒な流れにしては、え、実地も筆記もしなくていいの?って、ちょっとあっけにとられちゃうわよね。
でも、とにかくお疲れ様でした。

だんだんと近づいてくる。ふふふ。

kame32011年10月06日 06:55
antonさん

良くも悪くも、物事はこちらの予測通りには進まないもんですね~。今思い返しても、どうやらあまり膨大な資料に、係員はわけがわからなくなってしまったのではと推察してる。でも取った者勝ち、もう離さないぞ~。

暑さを避けてたけど、今度はあまり寒くならないといいなって思ってる。すっかり季節が変わってしまったね。

2011年8月3日水曜日

2011/8

こうしてできるんだ~!?

2011年08月03日15:23
夫の実家から頂いた茗荷の苗。ついに花咲き、収穫となった!
こんな風に茗荷ができるなんて、知らなかった~。感激!!


anton2011年08月07日 02:30
子どもの頃、昼食が素麺なんかだと庭に茗荷を掘りに行かされたことを思い出したヨ。
スーパーで見かける姿からは、なっている(生えている)状態って想像つかないよね。落花生なんかも。

これまでで一番驚いたのはパイナップル。
てっきり木からぶら下がってるものだと思ってたもんwww

kame32011年08月07日 14:33
antonさんは、子供の頃から茗荷採りしていたのね!

茗荷が店頭に並ぶようになって、私はうちのはまだかとずっと心待ちにしていました。実のなる様子、話には聞いていても実際見るまではピンと来ず、収穫はそれは感動物でした。

パイナップルを知った時もびっくりしたような気がするけど、落花生はどうなるんだ?思わず調べてしまいました。そうかそうか、、、小学校の頃、こういうの習ったねー。あの頃はなんとも思わなかった植物のあれこれ、今はとっても興味深い。


暑い暑い暑い~!!

2011年08月10日10:05
これが恐れていた日本の夏だったんだ~!
朝6時、暑いと感じなかったのに、室内の気温が30度あった。今日の予想最高気温は35度。風もあまりなさそうだ。昨夏の猛暑を、どこか横目で見ていた私(ごめんなさい)だけど、体験して恐れ入った。
カリフォルニアでは38度近くの時も室内でエアコンなしでもしのげた。しかし日本の暑さはどこにいてもねっちょりと纏わりついてくるような、逃げ場のない暑さだなあ。
そう言えば、昔はよく『不快指数』なんて言葉を耳にしたような気がするけど、不快指数85以上の日が続いて、聞けば尚更不快になるから、言わなくなったのかな?まあ、あんまり意味のある指数とも思えないけど・・。

最近のテディーのお散歩は夫を送り出してすぐの6時台。たくさんの犬友に会う。それでも7時を過ぎるとぱったり散歩する人もいなくなって、テディーもさっさと家へ向かう。日中庭に出ている事はなく、外でゆったりできるのは日が完全に落ちてから。テディーもこの暑さを持て余しているようだ。

この家、日当たりが良くて最高なんて思ってたけど、裏を返せば夏はつらい。暑さ対策が甘かった。扇風機を買い求めたら店頭ではすべて売り切れだった(アマゾンでゲットした)し、窓際にグリーンも育てなかった。来年は、早々に暑さ対策の準備を始めるぞ~!
とは言っても、少なくともあと1か月は続くであろうこの酷暑をどう乗り切ろうか?!


料理屋 ”多門”

2011年08月15日10:10

家から20分の自治医大(地名です)にある料理屋”多門”に行った。
新聞で紹介されて大人気、先日ふらっと行ってみたけど予約なしには入れなかった。今回は姉夫婦が泊まりに来てくれるというので、予約を入れた。

栃木料理はとかく濃い味だ。お醤油ばっちりに仕立てられた物が多い。この人気店もたぶん・・・とあまり期待もせずに行った。
が、想像は外れとてもおいしかった。そして何よりめちゃくちゃ安かった。そして個室でのお食事で高級感もある。大当たりの店だった。
今回私たちが頂いたのは、にじ御膳 1890円也!
これでデザートに食後のドリンク付き。

次は懐石、食べてみよ。


Welcome Fireworks

2011年08月29日10:23

先週末(8/26)深夜、娘が一時帰国した。
気候の格差に娘はさぞ大変な思いをすると思っていたが、ここ数日の最高気温25度前後のエアコンなしの快適な日が続いてるのは、非常にありがたい事である。

翌朝(8/27) 7時 バンバ~ンと、盛大な花火の音で目が覚めた。
季節外れの運動会?って思っていたら、10時、わっしょいわっしょいの掛け声の元、家の前の通りを子供神輿が登場した。カッワイイ~!
いつも静かな住宅街が、今日はどこか違ってる。気がつけば浴衣姿の子供たちがあっちにこっちに・・。
おお、今日が噂に聞いたこの団地自慢のお祭りだった!
散歩がてらに、団地中央にある公園に行ってみた。公園内は場所取りのテーブルや露店の準備が施されていた。どういう訳かうちには配布されなかった祭りのスケジュールや抽選券を手に入れ、何が何だかわからないままに、周りの雰囲気に包まれいつしか私たちもウキウキ気分になって行った。

早めの夕食で娘のリクエストであったお寿司を食べに行った後、再び公園へ行った。
おお、盛り上がってる~。
いつもの事ながら抽選には外れたけれど、ビール片手に一喜一憂するのは楽しいもんだ。

さてさて、ここの祭りのメインはなんといっても打ち上げ花火。公園際で打ち上げられる住民対象の花火大会なのだ。花火が上がり始めてすぐ、テディと一緒だった私たちは公園を離れ家に戻ったが、それがかえって風情を増した。花火まるまる家の玄関先から見える(打ち上げ場所までは徒歩2分です)。団地の花火大会と言えども、侮るなかれ。数量は充分、ここまでやるの~っていうような大花火もある。それが、「あなたに捧げます」てな感じで私たちに打ち上げられるんだから、感動物だ。というのは、家の玄関先には我々3人しかいないからねぇ~。
花火は7時過ぎには終わってしまったけれど、これじゃ大人も子供も朝から盛り上がるのも、頷けるというものだ。

ちなみにアメリカで花火が見られるのは、7月4日の独立記念日と年が明けた1月1日の深夜。独立記念日にはこぞって花火を見に出かけたりもするけれど、とても日本の花火の足元に及ばない。
驚いたことに、花火大会はこの辺りではあちらこちらでたくさん開催されるらしく、私の家のベランダからは毎週花火鑑賞ができた。例にもれず、翌日の28日もあった!なんて、日本人(栃木人?)の花火好きは相当なものなのかもね。

anton2011年09月02日 16:58
親子3人での生活、堪能してますか。

日本の夏の風物詩も味わえて。

言われてみれば、私の住んでいる市でも毎年8千発近い花火を打ち上げる祭りがあるし、近隣の市の名が付いた花火大会もたくさんある。
打ち上げ花火の技術ってやはり世界に誇れるものがあるのかしらん。

kame32011年09月02日 18:28
う~、親子3人楽しく過ごすはずが・・・。思わぬ事が起こるもんですゎ。日記にアップするので読んでー。

花火って風情があるね~。この年になって結構感じ入ってる。
今年は震災で我が自治会も祭りを開催するかどうかでアンケートを取ってました。日本人の花火や祭りへの思いって深いものがあると、しみじみ感じる夏となりました。
それにしても、日本の花火はホントすごいよ!


何事も経験?

8月30日(火)
夕飯を終えて、突然娘が腹痛を訴え出した。寝れば治ると高をくくっていたが、痛みは強くなるばかり様子だった。
夜中1時過ぎ娘が耐えられないと起こしに来た。痛み止めは飲ませられない。下痢はしていないが、相当数吐いたようだった。痛みに強いと思われる娘がここまでつらそうなのは、尋常じゃない。インターネットで調べた。やはり盲腸炎か・・?
病院、ましてや救急で診てくれる良い医者なんてわからない。とりあえず夫が宇都宮の救急病院に連れて行くことにした。
診断はたぶん、虫垂炎・・・気休めに消炎剤をもらって帰宅した。

8月31日(水)
朝を迎えても、痛みは去らない。検査・手術・入院ができる家から近くの総合病院に、連れて行った。血液検査・CT検査の結果、やはり虫垂炎(でしょう)。と、手術になった。
あれよあれよという間に手術・入院・・・手術を終えた娘は麻酔が切れないのか、まともに話ができない。大手術のような様にちょっとビビる。
それにしても私が受けた30年以上前の盲腸手術とは全然違う。エコノミー症候群予防のポンプ(血流を良くする)や、術後の酸素マスクetc..装着してるし・・。
それでも最近の腹腔鏡の手術ではなく、全身麻酔の切開手術だったのは何故だろう?彼女の虫垂は、かなり腫れてねじれていたからかな?

9月1日(木)
絶食、点滴に繋がれてる。

9月2日(金)
重湯~おかゆ すごくおいしく感じたみたい。濃い味だったというのは、いかにも栃木?入院患者はお年寄りばかりの古い病院だったけれど、そこそこおいしい食事を出してくれたみたい。

9月3日(土)
暇を持て余してる。痛み止めなしでいられるようになった。ずいぶん身軽に動き回ってる。早や!点滴・抗生剤もあと少しの辛抱。

9月4日(日)
退院。

と、いうわけで、急な手術・入院となって、予定していた事も出来ずでした。
でもかなり良いタイミングでの発病だわね。あの痛がりようでは機内だったらさぞ大変だっただろう。アメリカで一人で苦しんでても心配だったしね。
数日後に抜糸の予定。このまま順調に回復してくれれば、来週にはアメリカに戻るはず。
忘れられない一時帰国となった娘です。

BOMKAME2011年09月04日 19:31
タイミング。ってこういうことなんでしょうね。
両親の居る時に、居る場所で発病、入院、手術、療養、退院、と。
親孝行?!になるのかな。

こちらは長引く娘の風邪で自宅監禁のうちにスキーシーズン終わりそうです。

kame32011年09月04日 21:35
何が起こるかわからない。それがいつ起こるかもわからない。つくづく感じました。

日本での検査・手術・入院・・・日本語に不自由しなくなった娘だったので良かったけど、息子たちだったらどうだったろうと考えてしまいました。いい年の青年が医師や看護婦の説明に対応できなかったら、困るなあ~って・・。

子どもの風邪って、こっちもつらくなっちゃうよね。早く治るといいね~。
何月まで滑れるの?

anton2011年09月05日 19:59
いや~そんなことが起きていたとは!
でも順調に回復してよかったよね。

一人の時に苦しくて心細い思いをするより、ご両親のいる時で本当によかった。

いろんなことがあるもんだなぁ。。

kame32011年09月06日 06:44
antonさん

私達がそばにいて良かったと我々もつくづく思うのですが、当の本人は至って淡々としたもので、今はもう残された滞在を少しでも楽しもうと計画してます。これが子供ってもんなのでしょうかね~(笑)。
虫垂炎は約7%の人がかかる病気だとか。結構高い確率のような気がするな。罹患するのは、10代20代がほとんどだそうで、そういえば年寄りが盲腸で入院したって聞いたことがない。
私の虫垂炎の時と比べたり、日本の入院の様を見たり、私も面白い経験させてもらいました。

JettaZ332011年09月10日 08:43
一週間もたたず、元気になって良かったですね。
若い証拠です。
しかし大変ですが思い出に残る一時帰国になりましたね。
人生何事も経験と言う言葉もあるので、きっと何かの役に立つ日も来るでしょう。
私も虫垂炎は大人は成らない病気だと思っていましたので、私も勉強になりました、ありがとうございます。

kame32011年09月10日 11:01
JettaZ35さん

ありがとうござます。
術後1~2日は、笑うと痛いと言っていましたが、その後は大笑いもOK。やはり昔の手術とは違うようです。
南カリフォルニアで学ぶ医者がいたり、次男の大学の教授が近々ここの病院に来るいう話があったり、、、繋がってるなあって感じました。何事も経験ですね。

2011年7月5日火曜日

9日間のカリフォルニア滞在

9日間のカリフォルニア滞在は、ひたすら忙しくあっという間に終わってしまった。

7/5火<1日目>

ロサンジェルス(LA)到着。LAに住む娘に迎えに来てもらった。すぐに1時間半の南下してアーバインに住む次男のアパートに向かった。
次男と駐車場で合流し、そのまま量販店コスコまで買い物に出た。次男のアパートでコスコで購入した食料品を3人の子供たちに分配、日本からのお土産も3等分にした。次男はすぐに日本太鼓の練習へ。夕飯は娘と私たちの3人でベトナム料理を食べた。娘はLAに戻り、私たちは次男が乗っている車でサンディエゴ(SD)の家に向かった。SD到着夜の11時過ぎだった。長男はお出かけ中だったので、家の中を一回り。なんだか変な感じ。長男帰宅後、再会を祝し乾杯!

7/6水<2日目>

予約しておいたDMVで運転免許の更新。通常はオンラインでできるのだが、2回すでにオンラインで更新してしまったので今回の更新はDMVまで出向く必要があった。有効期限が切れていたので、面倒なことになるかと思いきや、何の問題もなく仮の免許書(有効期限10月まで)が発行された。本来の免許書は2~3週間で発送になると言われ、<これがなかなか来ないのよね~>なんて思っていたのだが、すでにSDの家に送付されたそう。あまりに簡単に手続き終了でちょっと拍子抜けしたような・・。

家は、内外問わず荒れ放題。ソファーには誰のものかもわからない衣類が山とあった。友達が来て忘れていくとか・・。極めつけはマスターベッドルームに置かれた2人用の長い枕?!何なんだ~~~?!聞けば友人(男)が枕を持ってお泊りに来て忘れていったとか。確かにその友人の名前が書かれていたけれど、何をやっているのかしらね。それにしても、トイレに洗面所・キッチンとどこもかしこもずいぶん汚してくれたもんです。こりゃ少しずつ時間をかけて掃除しなくちゃ、簡単にはきれいにならないと早々に掃除開始。夫は荒れ放題の雑草取り。狭い庭も何も手を加えず草ぼうぼうになっていた。
それでも我々が来ると長男は大慌てで掃除したような痕跡が見えるのが大いに笑えた。シーツをはがして洗濯したり(何か月ぶり?)大急ぎで棚を拭いたような片隅に集められた埃とかね。そういえば娘と次男が昨日「今頃はH(長男)は掃除で大変そう~。」とニヤニヤ笑っていた。ちょっとからかったら、長男「すっごく大変だったんだからー。」と口をとがらせていた。haha.

山のような郵便物・書類をチェックした後、この日もコスコにお買い物。郵便物に期待していたコスコやクレジットカードのキャッシュバックがきちんとあったのがうれしい。銀行で解約の手続きを取ったり携帯電話を調べたり、あれもこれもと雑事に追われた。

夕飯はコスコで買ったサーモンを焼いた。調理機器や調味料・・いろいろ変わっててスムーズに調理ができない。でもサーモン、やっぱ美味しいよぉ~~。
カリフォルニアに行ったら食べるぞリストを一つずつ食べていく決意を固めた(笑)。

今まで一人暮らしを経験したことがないのに、いきなりアパートとはいえ1軒の家の管理を任された長男は、いろいろ大変なんだろうと推察する。家の掃除はともかく、郵便物の仕分け、重要書類は私に写真やスキャンで送らなければならない。郵便物は娘や次男の物もあるし、それらのお世話も長男の役目だ。銀行の残高チェックや支払はできるだけオンラインで私がするようにしているが、それでもオンライン処理できないものもある。そもそも事務処理能力に欠け、面倒くさがり屋の長男が管理しなくてはならないというのも、酷なものだねぇ。

7/7( 木)<3日目> 

サマークラスに太鼓レッスンと忙しく過ごす次男は、私たちの滞在中サンディエゴの家に戻ってくる事も出来ないと言う。それでもスケジュールを調整して、この日をオープンにしてくれたので、私たちは長男を連れて彼の住むアーバインに出かけて行った。アーバインまでは海岸線を約1時間半のドライブである。
大学2年となる次男は、寮生活からアパート住まいに変わった。アパートは大学の敷地内にあり清々とした贅沢な所だった。息子はバストイレ付の2人部屋、同じユニットには他2つの一人部屋とリビング&キッチン,バストイレがついている。大物家具や冷蔵庫は設置されており、こんな贅沢許されるの~ってな、お部屋だった。同じUC(カリフォルニア大学)といえども、場所によってずいぶん生活環境が異なる。昨年LAの大学のアパートに住んでいた娘もあまりの違いに驚いてた。。LAの住まいは狭い・高いの極みだからねぇ。

UCI大学のキャンパス、近くのショップを案内してもらった。1965年創立のUCIであるが、キャンパスは近代的でわかりやすい配置になっている。
UCI会館
Anteater(アリクイ)はUCIのマスコット
この日のキャンパスは夏休みとあって人影は少なく、物静かで緑におおわれた木々が美しく清々とした装いであった。
私達は、息子が8月から始めるというバイト先をのぞいたり、時々利用するというフードコートに行ったりした。昼食には待望のLee's sandwichesにも行った。このベトナムサンドイッチ屋さんはシリコンバレーで多数の店舗を持つレストランで一時は1週間に1回は食べるほど私たちは気に入っていたけれど、サンディエゴには店がなく、とても恋しく思ってた。

キャンパスを離れ、南カリフォルニア最大の300店舗以上が入る巨大モールSouth Coast Plazaに行った。高級品店街をウインドショッピング。おしゃれしてくれば良かったと後悔した。モール内をフラフラしていただけでタイムアウトとなり、大急ぎでアパートに戻った。この日も6時から息子の日本太鼓の練習があるのだった。今や生活の中心が太鼓となった息子だが、週末はサンノゼの祭りイベントで太鼓のパフォーマンスに出かけていくという。

アーバイン観光(?)を終えた私たちは、海岸線を下る。途中どれほどのお金持ちなんだという超高級リゾート地Laguna Beachを通る。どんな人が住んでるんだろ?この辺りは走る車も超高級車揃い。ちょっと夕飯でもと思ったけれど、どうも場違いな私たち・・なかなか決められない内に落ち着ける雰囲気に車窓からの風景が変わっていった(笑)。
イタリアンで夕食。これぞアメリカものすごい大盛り、大味でございます。食材は良いのに、何でここまで濃い味にするかな~?やはりイタリアンはアメリカでは避けるに限る。いい値段とる割りに、これはいけるという事はほとんどない。その点日本のイタリアンは安くておいしいなあ。それでも夫はワインなんぞ飲み、帰りは長男に運転してもらってと、ちょっと良い気分だった。

7/8(金)<4日目>

連日、最高気温25度・湿度40%の青空の南カリフォルニアだから、夜もぐっすりよく眠れる。すっかり朝寝坊してしまって、行動開始が遅くなった。
この日はまずは掃除から始めた。夫は車の整備やガレージ内を、私はキッチン・洗面所。その後、郵便物や書類の整理をしてあっという間に半日が終わった。
国際免許の再発行手続きをしたり、日本での免許取得のためのドライビング記録のコピーを作ってもらったり、DMVとAAA(日本のJAFF)へ行った。その後我が家のメインバンクに出向き、今後の資金繰りのお話を少し。担当者からの電話をもらう事にした。(後日談、約束の電話はかかってこなかった。こんな事もあろうかと滞在早めに銀行に出向いて良かった。再チェックする時間が残されていたからね。こういう所アメリカを信用しちゃいけないのよね~。)

昼食抜きの私たちは早めの夕食を行きつけの韓国焼肉店で食べた。韓国焼肉もカリフォルニアで食べるリストに入っていたのです。いやいや、久々の肉肉肉・・・。思い切り食べた~。お腹がはちきれそうになった。

7時過ぎ、腹ごなしに家から5分のUTCモールに出かけた。このモール大好き。何も買わずプラプラしているだけで楽しい。冷たいほどの夜風が心地よい。灯り出した電灯の明かりがやさしい光を放ってる。
この街、好きだなあ~。

7/9(土)<5日目>

ロサンジェルスに住む娘が、この週末サンディエゴに戻って来てくれるという。
彼女の所からは1時間半南下、SDからは30分北上した所にあるカールスバッドのアウトレットで、待ち合わせをした。
サンディエゴ近郊のアウトレットは2つあり、このカールスバットとメキシコとの国境沿いにあるLas Americasだ。アウトレットもいろいろで、Las Americasはさらにお安いアウトレットのような気がするのだけど、ホントかな?
それはさておき、中間点である Carlsbad Premium Outletsは、私のお気に入りのアウトレット。規模も手ごろ、好きなショップがたくさん入っている。

ランチタイムなったので、小粋なシーフードレストランでの合流となった。
http://www.kingsfishhouse.com/index.html
ちょっとした旅行気分に心も踊る。次男も来られたら良かったなあ(次男は太鼓パフォーマンスでサンノゼに行ってる)。クラムチャウダー、ソフトシェルクラブサンド、フィッシュ&チップス、サーモン、カキフライ・・・アメリカならではのシーフード料理に舌鼓を打った。

お昼を過ぎたら、駐車場は満車状態。今までにない混みようだ。
4人バラバラになって勝手にお好みの物を物色。行く店は決まっているので、あまり見失うこともない。
夕方アウトレットを出て、2台連れだってデルマールを目指し海岸線を南下した。
お目当ては、デルマルピザ。お気に入りのピザ屋さんだ。
http://delmarpizza.net/
飾らない店の作り、リーズナブルなお値段。席が少ないのが難だけど、デルマルに行ったら外せないピザ屋だ。おしゃれな海岸線の街デルマールは犬連れも多く、犬同伴OKのレストランも多い。この前はテディーと一緒だったな、ああ、連れてきたかった~。

7/10(日)<6日目>

庭つくりが趣味になりつつある夫は、いろいろとガーデン用品を手に入れたいということで、サンディエゴダウンタウンにあるオールドタウンに出かけた。
何でオールドタウンかというと、、、メキシコの品々が安く売られているので掘り出し物でもないかとチェックしたかった。
だけど、ガーデン用品ってどれもこれも大物だし、小さくても重い!安くても送料かけてまでの物でなく・・・。
今まで貸家の生活をしていたので、何の興味もなかったガーデン用品だが、こうして興味を持ってみるとアメリカでは非常にさまざまな物が手ごろな価格で買えるのを知った。

サンディエゴのアパートには、1月から一人ルームメイトが入っていた。彼は、大学が夏休みに入って実家に帰っているが、9月の新学期にはまたサンディエゴに戻ってくる予定だ。
来月8月にはさらに2人のルームメイトが入る事になった。長男の広いとは思えない部屋に2人の男が入る。あの部屋でどうやって暮らすんだろう?との想像はともかく、長男はマスターベッドルームに居を移すことになった。

この日は午後からは、マスターベッドルームの片づけに追われた。マスターベッドルームには娘や次男の衣類他がクロゼットにたくさんあるが、娘も積極的に荷物整理をしてくれたので、思いのほか早々に片付けは終わり、長男は少しずつ衣類の移動にかかっていた。

というわけで、長男は友達と8月から3人、9月からは4人の共同生活となる。
今回サンディエゴの家に帰って、自分の家のようなそうでないような、不思議な感覚に襲われたけれど、今後ますます変わっていくんだろうなあ~。

カリフォルニア滞在も残りあと僅かとなった。行きたかったお出かけスポットもろくに行けず、食べたい物もリストの半分ほどしか食べてない。お買いものはまだまだしたいし・・。でも絶対しなくちゃいけない事はそれなりに進めてるし、仕方がないか(泣)。

7/11(月)<7日目>

午前中は、UTCモールへ。5分で行けるっていうのは実にうれしい。Clarksで大セール開催中。アウトレットより安い!夫は2足購入。ガーデン用品もあるし大荷物になりそう。全部持ち帰れるのか、だんだん心配になってきた(笑)。
またまた家の掃除。
午後からは、長男と夕飯の買い出し・銀行他の残りの事務処理に行った。
長男の食生活はかなりお粗末なものらしい。冷蔵庫に豊富にあったのはビールだけ。一体これでどうやって食べてるのという状態だった。そんな悲惨な食生活を見かねてか、自宅から大学に通っている友人が時々家族の食事に誘ってくれるという。その友達に一般家庭での日本食に招待したいという長男の希望があったので、友人たち4人を夕飯に招く事にした。
日本食なら日本のスーパーだ。日本食材を求めて<にじや>へ行った。しかし、買い物が難しい。一回で使いきってしまう物は良いにしても、使いきれない食材は腐らせるだけなので、できるだけ残らない物を使い、大勢で食べられて若者受けする、しかも短時間でパパッと料理できる一般的な日本食って何かしら?
五目ちらし・肉じゃが・鳥のから揚げ・味噌汁の日本食にした。それにちょっとアメリカンなサラダとサーモンマリネの前菜を添えてというメニュー。デザートにフルーツはたっぷりあるけど、若者4人が来て足りるかなあ~?

5時過ぎに帰宅、大急ぎでディナーの支度になった。
しかし、自分の物でなくなった台所というのは何とも使いにくい。鍋釜他、おたまやしゃもじ等のキッチンツールが簡単に見つからない。その極めつけが飯台だった。パーティー用にと置いていった飯台がどこを探しても見つからない。息子に聞いても「そんなのあったの?」という返事。もしやと思い娘に電話してみたら、「ああ、それ持ってきてるよ」だって。 チ~ン!
包丁も鍋も皿も、娘も次男も必要とあればこの家からそれぞれの地に持って行ってる。そりゃあ至って当然の事なんだけど、全く状況がつかめていない私は確かあったはずと、それぞれの品をいちいち探すことから料理を始める必要があったのだ。ふ~っ。

夜8時、息子の友達が集合して夕飯となった。狭いアパートゆえ、我々夫婦は庭へ。心地よい夜風を感じながらの夕食だった。
キッチンから聞こえる息子達のが楽しそうに声。サンディエゴでも自分の場所ができたんだなあと、うれしくなった。今日の友達はハイキングを通して知り合った仲間だとか。彼がFlickrにアップする自然の写真は、彼らと行っているのかしら?
長男は8月からサマークラスが始まる。そして動物園や水族館でのボランティアも同時期にスタートとなるので、忙しくなることだろう。その前に、机や本棚を移す自分の部屋の引っ越しもしなくちゃとは大仕事が待ってる。

私が料理に悪戦苦闘している間、夫は苦労して荷詰めをしていた。一人23キロを2個持てるのだけど、パズルのようなパッキングには、かなりの時間を要してた。

さあて、サンディエゴでのお泊りもこの日が最終日。明日は娘のいるロサンジェルスへ向かう。

葛桜れい2011年07月30日 14:04
カルフォルニア滞在その4まで、一気に読んでしまいました。
前から思っていたのですが、文章に才能を感じてしまうー
長文のブログを読むのが苦手な私に、一気に読ませてしまうとは***
只者ではないないですよ!!

3人のお子様の成長ぶりを羨ましく思ったり、雑用に追われる日々を自分のことのように感じてしまいました。
私も海外で暮らす楽しさや、チョッとだけドキドキを疑似体験させてもらいました。

お帰りなさい!!お疲れさまでしたわーい(嬉しい顔)

kame32011年07月31日 22:15
さまざまの地でいろんな事があって、そのたびいろいろと思ってもすぐ忘れてしまいます。少しでも書き留めておこうと日記に書いていますが、どうも長々と要領の得ない文になってしまい、お恥ずかしい限りです。

お子様たちとの時、ばたばたと忙しい日々をお過ごしになっていらっしゃるのですね。とてもうらやましいです。

7/12(火)8日目

あっという間の1週間だったが、もうサンディエゴを発たなくては・・・。息子にお惣菜でも少し作っておきたいななんて思っていたけど、そんな時間はありゃしない。
10時、サンディエゴのアパートを出て、アーバインの次男のアパートに向かった。
息子に写真を見せてもらったり、太鼓の話を聞いたりの穏やかな時間をほんの少し持った後、アパートから5分の韓国レストランで昼食。私は豆腐のチゲ(スンドゥブチゲ)とビビンバを頂いた。これらの韓国料理も時々食べたくなるメニューである。韓国のおぼろ豆腐の美味しさはもちろんだが、バンチャンと言われるたくさんの小鉢に入ったおかずがうれしい。
食後すぐに北上、娘のアパートに向かった。運転は夫。私は満腹になって、ちょっとウトウトしてしまったら、あっという間にロサンジェルスに着いていた(笑)。
LA生活2年目となるのを期に、先日引っ越したばかりのこのアパートはとにかく古い。LA1年目で入っていたUCLA院生用の大学アパートとは、ロケーションもアパートの状態も全く違う。娘はこのアパート(2ベッドルーム・リビング・キッチン)にルームメイトと2人で住む。
娘のアパートでちょっと休憩後、この日も太鼓の練習のある次男はアーバインに戻って行った。
それにしても、、、である。子供3人それぞれに車の運転練習に付き合い免許を取らせ、最初は心配でハイウエーには乗らせなかった。それがいつの間にか、ホントいつの間にか3人ともクレイジーなLAの高速道路を走りこなし、長距離ドライブもなんのそのになってしまった。これは単に運転免許だけど、こうして子供たちはいつの間にいろんな事が出来るようになってしまう。LAのハイウエーは怖くて運転できない私を飛び越えて・・。

長男そして次男とさよならした私たちは、娘にUCLAを案内してもらう事にした。
絵になる大学と評判のUCLAは、カリフォルニア大学としてはバークレイに次ぎ1919年に設立された。誰もが一度は訪れてみたらいいというのも頷ける。
重厚なたたずまいは、喧噪のLAにいる事を忘れてしまいそうほど、濃厚で落ち着きそこには別の空間が存在する。
娘のバイト先だった、Asian American Studiesのオフィスでお世話になってる方とも挨拶することができた。そして夏からTA(Teachers's Assistant)として働いている教室や、図書室・ブックストアをのぞいたりもした。
日本の大学しか知らない私たちは、私たちの知らない世界で暮らす娘の姿に静かな感動を覚えた。
娘がインドネシア料理を食べに行こうと誘った。素敵なファンシーレストランを想像していたら、学生食堂風の全く飾り気のないレストランだった。娘曰く、「常に金欠状態にある学生なんだから、LAには美味しい高級レストランがいっぱいあるけど、私は全然知らないよ~。」
簡素ではあったが、インドネシアの食事が初めての私たちは新種の美味しさを味わい素敵な晩餐となった。タイ・ベトナム・インド料理どれも好き。そしてこれからはインドネシア料理も加わりそうね。
驚いたことに、メニューには<ナシ>と呼ばれるオランダ駐在時代に時々食べていたものもあり、それらがインドネシアから来てた?なんて、話題豊富で楽しい夕食となった。アジアのお食事も、それぞれ辛みや使っている食材は同じものも多いが、国ごとに全く違った食事メニューとなる。<食文化>面白いね~。

UCLAはハリウッドのすぐ裏に位置し、海岸線の街サンタモニカまでほんの15分ほどだ。
サンセットに間に合うかしらと、急いで海岸へ出た。
それにしても寒い。通りを歩く人々は長袖着てるよぉ。ブルブル震えながら、終わってしまう太陽を見つめた。
娘のアパートで一泊。ルームメイトは旅行中というので、リビングにスリーピングバッグを広げて寝た。明日の今頃は機内かぁ・・。何でこんなにも簡単に時が過ぎてしまうんだろ。

7/13(水)9日目

娘は朝からバイトに行った。彼女の仕事は大学の日本語クラスのTA(Teacher's Assistant)。日本語の教育は自宅学習だけで、当の昔に英語が第一言語になってしまった娘が日本語を教える~?最初その話を聞いた時は、<おいおい、大丈夫かい?>と思った。
しかし、昨年日本での1年間の留学は彼女の日本語力をグンとアップさせたらしい。日本の大学で何を学んだかはいささか疑問ではあるが、友達との交流でメキメキ日本語が上達した。2つのバイトを経験したのも良かったのかもしれない。敬語が使えるようになったのだ。

アパートに残された私達は、コーヒーでも飲みに行こうと外に出たが、徒歩で行ける所にコーヒーショップがない。LAは魅力的な街ではあるけど、車を出しても停める所を見つけるのが容易でない。車社会であるのに、どこかしこも渋滞でそこらじゅう車で動きがとれず行きたい所に簡単にいけない。ニューヨークやサンフランシスコも同じようなものだから、大都市では致し方ない事なのだろう。

そうこうする内にアパートを出る時間が来た。
アパートに鍵をかけ車に荷物を積み込み、娘との待ち合わせ場所に向かった。娘のバイト先のクラスの空きの時間を利用してLA空港まで送ってもらう事にしていたのだ。
来る時はワクワク、帰路はドロンとした気分。人間の心って正直なのもの。<心の色>って言葉が浮かんだ。空港正面で荷物と共に車を降りた私たちは娘とお別れした。11時だった。
LA発3時45分なのでフライトまで5時間近くあったが、送ってもらえたのは非常に助かった。なんせ大荷物だからねぇ。

成田到着、翌日(7/14)午後7時。
荷物チェックに手間取るかと思っていたが、殊の外すんなり通過し私たちは車をピックアップ後、すぐに家に向かった。
帰宅午後11時。順調なドライブだった。
日本に帰ったら気になるのは、テディー。翌朝の再会が楽しみのような怖いような・・だった。

結局家族5人で食卓を囲む事は出来なかった。次男に至ってはディナーも一夜の宿を共にする事も叶わなかった。それでも子供たちは、それぞれに忙しいスケジュールをなんとか調整し、私たちとの時を持とうとしてくれた。親を喜ばせるような言葉は言ってくれない子供たちだけど、さりげない彼らの優しさをありがたく思う。

子供たちと離れて9か月。彼らの生活ぶりを見るまでは、私は今一つ子離れしていない自分を感じていた。しかし今回の訪米で、子供たちがそれぞれ自分のこれからを考え、自分の世界を持ってそれなりに生き生きと暮らしているのを見て、吹っ切れた。私は私。私の人生を考えなくてはいけない。実際、今子供に必要なのはお金で、親のお世話は必要としていない。高校卒業と同時にこのような状況になった次男にはかなり不安はあったけれど、いずれは来る親離れ子離れで、我が家はいちどきに来ただけの事。さみしくもあるが、こうならなければ日本とアメリカで離れては暮らせない。私は何か困った事があった時、いつでも帰れる港ではありたいなって願うだけだな。

今回カリフォルニアに行ってきて、なんとなく心が落ち着いたのには、もう一つ理由がある。
思っていたより、サンディエゴはずっと近い!って感じたからだ。今回は日本でもアメリカでも全く時差ボケがなかった。何の違和感もなくすーっと日米の生活に入っていけた。これなら行きたい時に気楽に行ける。さらにテディーを安心して預ける場所も見つけたしね。
となると、問題は資金・時間・健康だ。行くならやはり夫と一緒に行きたいな。なかなか二人3拍子揃えるのは難しそうだけど、次回を楽しみに、私は日本での生活も楽しむぞぉ!

2011年7月1日金曜日

2011/7

子供たちへのお土産

2011年07月01日16:01
来週火曜日からちょこっとカリフォルニアに行って来る。
子供達に何かお土産はいらないかと問い合わせしたけれど、娘からの基礎化粧品の依頼だけとは、何とも張り合いのない話だ。それでも私は何か見繕って持っていこうと思っているが、私もこれといった品が浮かばない。
カリフォルニア、それもロサンジェルスエリアなので、銘柄にこだわらなければそしてお金さえ出せば、ほとんどの日本の品は買う事ができるからだ。

アメリカ滞在中一時帰国の度に、私は山のような荷物を抱えてアメリカに戻った。スーツケースの中は食品と本でいっぱいだった。しかし食品も料理で使う品物が多く、今回は子供たちがどの程度食事を作っているのかもわからず、買って行くのは適さない。
結局アメリカでは買えないデパートの名店街で買うような贈答用菓子類をばらばらと持って行く事にした。でもそういうのって量がないのよねぇ~。ばくっと一口で食べてしまう子供らには、あまりありがたみもないだろうなあと思いつつ、和洋それなりに取り揃えた。ついでに亡くなった母の好物だった舟和のあんこ玉と芋ようかんを買った。おいしい!「こんな生菓子を和も洋も持って行ってあげたいねぇ。でもダメだわねー。」と、私たちはまた一つあんこ玉を口に入れた。

スーパーで子供の好きそうなスナックも買った。
子供達の好きな柴漬けを探した。千葉の実家付近では簡単に買えた柴漬けが栃木ではあまり手に入らないと知った。漬物コーナーはたまり漬けを始めどっぷりしょうゆ味ばかり。これも地方色かな~と思っていたら、都内に出張中の夫が柴漬け見当たらずと知らせてきた。

今はまだ子供たちが好きかもなんて少しは想像し買う事ができるけれど、その内何がお好みなのか全くわからくなってしまうんだろうな。ま、それも仕方がないか。

さ、アメリカから買って帰るリストの漏れがないか確認しようっと。

葛桜れい2011年07月03日 14:19
楽しみですねー
気をつけて行って来て下さいねー
お子様達との楽しいエピソードがブログにアップされるのを、待っていますよー

kame32011年07月03日 15:14
ありがとうございます。
子供達はそれぞれに予定が入っているようで、どの位接触時間があるんだか・・・。親離れしなかったら困りますが、あまりにあっさりしているのは寂しいものです。
でも久々のカリフォルニア、楽しんできま~す!

anton2011年07月03日 15:32
女の子の方が欲しいものがはっきりしているから、楽よね~
やっぱり化粧品!
娘が韓国に行った時にカタツムリのエキス入りクリームを買ってきて結構気に入っていたみたい。
使ってもいいよと言われたけれど、いや~んだったわよ。

気をつけて、行ってらっしゃいませ。
土産話、楽しみにしてるよ!

kame32011年07月03日 16:43
息子達は「日本に何があるか、わからないよ。」だって。年末に帰国した時は買い物三昧で、山のようにいろんな物を買って帰ったのに・・。洋服はもう私の見立てでは着ないし、土産ショッピングは楽しめないわ。でも女の子ははっきりしていて、実に気持ちがいいですな~。

カタツムリのエキス入り・・とっても利きそうな感じがするよ。娘の韓国人のお友達(韓国から日本に留学)は、お肌すべすべだった。アメリカに住む韓国人の女の子ではそう感じたことがなかった。彼女はたまたま?いや、やはり本場韓国の化粧品は良さそうだ!

南カリフォルニアの最高気温、20~23度って出てる。着替えに何を持っていこうか、ただ今考え中。帰ってからがつらそうです。


ペットホテル

2011年07月20日11:34

先週末、カリフォルニアから戻った。
いつもの事ながら、出かける前はテディーを預けていくのが心配で心配で、旅行を楽しみにすると言うより、テディーと離れ離れになるのに極端なストレスを感じてしまう私。
今回も預けるまでは、気になって気になって・・(実際は預けてしまうとさらっとした気分にもなるのだけど)。

昨年10月に帰国して、すぐに取り掛かったのはテディーの医者探しだった。癲癇の薬を飲んでいるので、家から近く親切かつ脳神経外科に強い獣医を求め、片っ端から連絡を取った。そして見つけたのが家から車で30分ほどの小山にあるS獣医。アメリカ留学経験があり、とても話しやすかった。大量のテディーの病歴録を持ってすぐに彼の診察を受けた。S獣医は脳神経外科専門の医師ではなかったが、ペット・飼い主を一番に考えてくれるとても優しい勉強熱心な獣医だった。

4月にテディーを預けなくてはならない用事ができた。ペットホテルを探した。アメリカではかかりつけの獣医の所に預けられたので、預けるのは簡単だった。しかしS獣医では預かってもらえない。家から近いペットホテルを探し始めた。癲癇の持病があり、1日に3回薬を飲む必要があるテディーを預かってくれる所はなかなか見つからなかった。
そこでS獣医に相談したところ、ペットシッターとペットホテルを紹介していただいた。
4月初め、紹介してもらったペットホテルで2時間のお試し預けをした1週間後、今度は丸一日テディーを預かってもらった。場所が変わるとトイレができないテディーは、ドアに張り付きひたすら私のお迎えを待っていたようだった。

そして今回の11日間のペットホテルでのお留守番となった。さてさてどうなる事かと思いきや、あまりに簡単にリラックスモードに入ったのには、驚いた。
このペットホテルは、普通のおうちの室内でホテルのオーナー犬2匹とケージなしに過ごさせてもらえる。預かる犬も多くて3匹なので、しっかり家族のように面倒を見てくれる。さらに預けている間写真メールでペットの様子を知らせてくれるので、どんな状態なのかよ~くわかる。
テディーは預けたその日におしっこ・ウンチもしっかり庭でできたそうだ。ホテルでは猛暑を感じる事もなくエアコンの利いた部屋ですっかりくつろいでいたようで、その姿が早々に送られて来た。

極めつけはこの写真。爆睡へそ天で寝ている姿は超リラックス状態。
あんまり居心地が良くて、お迎えに行って帰りたがらなかったらどうしようと、私は少し不安になった(笑)。

ホテルオーナーのJさんは散歩にも毎日連れて行ってくれ、本当にいろいろよく世話していただいた。
ホテル利用は一泊6000円(小型犬は4500円かな?)と決して安くはないけれど、安心して預けられる所があるのは何よりの心丈夫。また近い内に利用しようと思ってる。

子供たちはとてもテディーに会いたがってる。連れて行けたら一番いいんだけど・・。


贅沢な一品

2011年07月28日13:59

アメリカ人もよく食べる枝豆。でもこの状態で出回ることはない。
フフ、旬を食す楽しみ。最高だね!

ととると(*´ω`*)♪2011年07月28日 19:08
枝豆止まらないハートハートハート

kame32011年07月28日 21:39
10年以上冷凍の枝豆を食べて来たので、一層今日の枝豆は美味しく思いました。
やっぱり採りたてをいただくのが良いですねぇ~。

anton2011年07月29日 00:40
アメリカ人も枝豆食べるなんて知らなかった!
莢から出したもの?付けあわせで?

何でも採れたてのものはおいしいですが、特に豆類は甘みが違うような気がします。

kame32011年07月30日 10:13
antonさん

一連の健康思考の高まりで、豆腐に続き枝豆を多くのスーパーで取り扱うようになりました。日本で売っているような莢のままが一般的ですが、出して袋詰めになったものもあります。最近のカジュアルなパーティーでは、いつも出ていたような気がするなあ。シンプルな塩茹での枝豆でした。

2011年6月9日木曜日

2011/6

庭のツツジ

2011年06月09日12:19
早くも梅雨入りしてしまったけれど、ここ数日は天気も良くて気持ちがいい。だけれど、この夏はどんな暑さが待っているんだろう?
ここ数十年の日本の夏期の気温変化のグラフを見た。我が家がアメリカに渡った16年前頃から平均気温が軒並み上昇していた。私の知っている日本の夏は今から比べればかなり涼しいものだった!?ううう、恐怖の夏がもうすぐそこに・・・。テディーは耐えられるかなあ~。

私の帰国前の昨年9月から、夫は入居準備として前庭の雑草取り等の外回りの作業も始めていた(我が家の庭はかなり荒地になっていたのです)。今年に入って、以前は垣根の役目をしていたはずのすでに完全に枯れてしまった紅かなめを撤去し、枯れそうなツツジを掘り返し
仮植えし、フェンス工事を開始した。土台部分は業者さんに依頼した。土台ができた後、瀕死の状態のツツジを再び植え込み、夫はフェンス上部を木材でカントリースタイルに作り上げた。
お手製のフェンスだから、巨大地震や大風の時は倒れてしまわないかと多少不安だったりもするけれど、思ったより良くできてる(笑)。

さて、もうダメかもと思っていたツツジの話。植えつけた後も葉はかさかさ・全く正気がない。でも非常に苦労して掘り返して植え込み作業をしたので、簡単にあきらめられなかった。で、思い切り剪定してみた。これでダメなら仕方がない。5月になって少し新芽が出た。生きてる~!しかし周りのお宅のツツジはきれいに咲いてるのに、うちのは全然花をつけようとしない。ま、花がなくてもいいっかぁ。
と思っていたら、5月末一輪の花が咲いた。
その後は次々蕾をつけ、花が咲いてる。まだまだ華やかさはなく不恰好なツツジだけれど、立派に咲いてる我が家のツツジ。何だかとってもうれしくなった。

自分の家っていいなあって思う。なんせ結婚以来ずーっと借家だったから勝手に庭も室内もいじる事ができなかった。
夫は庭先にポーチを作ろうと、あれこれ考えている。私はどんな花を咲かそうか。ガーデニングも面白そうね。

anton2011年06月10日 00:23
あ!庭が緑になってる(笑)

自分たちの好みにお家を仕立てていくの、楽しみですね。

花いっぱいの庭もいいけれど、シソや茗荷もちょろっと植えておくと
便利よ~(多分)

kame32011年06月10日 06:55
antonさん

うんうん、そうなのよ。
庭の片隅にハーブガーデンならぬコンビガーデンを作るつもり。今、紫蘇・茗荷・パセリ・バジル
が植わってる。ホント便利だよ。他にチャイブやミントもいいなあって思ってるんだけど、テディーが口にしたら危険な物もあるから、慎重に選ばないと・・(チャイブはダメなのよ)。


大学のあり方

2011年06月14日11:17
アメリカに住む子供達はファイナルの試験が終わり、夏休みに突入した。
昨年9月学校が始まると同時に始まった我が家の新しい生活だが、ファイナルを終えて我が家の初年度が終わったとしみじみした気持ちになっている。莫大な学費に加え、4箇所に分かれた暮らしは住まい他リビングコストもそれぞれにかかり、我が家の家計はアップアップの状態である。
来年度からはまた学費が増額されるそうで、果たしてやっていけるのだろうかと不安は尽きない。

そんな中、ワシントンポストにこんな記事が出た。
http://www.washingtonpost.com/opinions/what-is-a-college-education-really-worth/2011/06/02/AGzIO4HH_story.html

"What is a college education really worth?"(本当に価値のある大学教育とは?)
高くなる一方の教育費、果たして本当に子供達に大学に行かせる意味はあるのだろうか?
子供達に記事を送り感想を聞いてみた。
返って来たメールでは、大学は勉強だけではないエクストラの部分も大きく、学費が高すぎるのは事実であるが、短絡的にアメリカの大学を批判できないと思い、彼らは彼らの学生時代を無駄にしないよう一応自覚を持って生活しているように感じられた。
そして、次男からは偶然にもこんなコラムを読んでたって知らせも。
http://edition.cnn.com/2011/OPINION/06/03/stephens.college/index.html?&hpt=hp_c2
"College is a waste of time"(大学は時間の無駄だ)
大学のあり方、大学に行く事の意味をもう一度考える時なのかもしれない。

私の学生時代とは日本の教育システムも全く変わってしまって、私は現在の日本の教育についてあまりよくわからない。しかし日本とアメリカとでは、事情もシステムも考え方も全く異なるように感じられる。
重ねて言うけど、私は日本の事情がよくわかっていない。
何で浪人ってできたんだろうか?『浪人生』英語では何というのだろうか?アメリカでは高校を卒業すると、大学に行く・就職する(今は就職難で簡単ではないけれど)の二つに一つが、一般的である。希望の大学に入れなかった人や学びたい事が決まらない人は、コミュニティーカレッジという短期大学に行く(長男がそうだった)事が多い。コミュニティーカレッジでは一般の大学と同じように一般教養から専門的な分野のクラスを受講し単位の取得ができる。コミュニティーカレッジは何年でも行けるし受験もない。コミュニティーカレッジに入学後息子は自分の進む道を見つけ、その道に進むためにクラス単位を取り、希望の大学入学の条件を満たすべく好成績を取った。高校時代は全く勉強をしなった長男が、、である。長男には時間が必要だった。高校時代は彼は何をしたいのか、どんな道に進みたいのか、何で大学に行くのか、わからなかったのだ。迷いの中でコミュニティーカレッジに行き始めて、単位を取得したので彼の2年間は充分に今の彼に生かされる学習だった。
かたや日本の浪人という体制。。。受験を突破する為だけの学習に何の意味があるのだろうか?確かに自分の目指す道に向かって努力する期間という意味では貴重なものであろうが。

先日サンノゼ時代の友人と会う機会を得た。彼女が帰国したのは彼女の二人の息子が小学生の頃だった。その子供達は今大学4年と大学1年。才能豊かな彼らはとても優秀である。が、彼らは今の大学になじめないでいる。新たに受験することを考えつつ日々を重ねてきたけれど、ここにきてまた非常に悩んでいる。
日本にはトランスファー(編入)のシステムがない!
<苦労して入った大学に合わない、期待と違っていた、専攻した分野に興味がなくなった>などの理由で編入したくても、大学内の転部はできても、大学から大学への編入はできないと聞いた。
アメリカでは、ある程度の成績を収めていれば他の大学への編入は可能だ。これは公立・私立を問わない(諸々細かい手続き・規制はあるけれど)。

若者にチャンスを与えたい。世の中の決め事が、若者のやる気をそがないで欲しい。
アメリカのコミュニティーカレッジ、編入制度は、少なくともやる気や才能のある若者に社会が手を広げている制度であると思う。

ちなみに、アメリカでは医学部・薬学部・獣医学部といった受験選びはない。この分野は全てBiology(生物学)となる。なので理科の先生も研究者も窓口は一緒である。
ティーンの学生に確かな自分の道を選べるとは思えない。ましてや17・8歳で命を預かる医者を目指すと決めなくてはならないなんて、無理だ。その無理な中で選択をして路線変更はままならず(トランファーはできず)、学校があっていなかったと思ったらスタートオーバー(受験のし直し)なんて、子供たちがあまりに可哀想だ。

アメリカの教育の事を書こうと思ったら、日本事情になっちゃった。
こうして不満ばかり言っていてはいけないんだろうけど・・。

追記(6/17記)
日本でも条件は限られているようだが、編入のシステムがあると知った。まだまだ一般的ではなく改善の余地はありそうだが、まずは良かった!
http://www.gakkou.net/daigaku/guide/daigaku_3/


やだね~

2011年06月19日18:18
最近、よくある会話
夫「・・・・、・・・・。」
私「何・?」
夫「-」
夫「やだね~、聞こえないんだから!」
私「もしょもしょ小さい声で言ってもわからん。やだね~、おじじ!」
夫「そっちこそ、おばば!」

数年前にはなかったのに・・・。会話にもなってない。。。

ととると(*´ω`*)♪2011年06月19日 19:06
すいません…爆笑しちゃったウッシッシウッシッシウッシッシ

仲が良くていいじゃないですかウッシッシウッシッシウッシッシ手(チョキ)

kame32011年06月19日 21:21
とも@緑星人(∵)√⊃さん

うう、そう思いたい。。
だけど何を言いたかったのか、結局わからずじまいの事も多く、今後は言った言わない論争に発展しそう。。。あ~あ、年をとるはも大変だ。

anton2011年06月20日 00:09
あはは!同じだぁ!

もうすでにウチは「言った!」「聞いてない!」の世界だわよ。
でもって、ついつい口をきくときは喧嘩腰になってしまって
「なんでいつも、そう喧嘩腰なんだ!」って非難される。
なんででしょ。

kame32011年06月20日 08:11
antonさん

フフ、antonさんのご夫婦もそうですかー。
口を開くと喧嘩腰・・笑ってしまう。
もっと普通に会話ができないものかと相手を非難したくなりますが、原因は私にあるのか?確かに耳が遠くなってるようだし・・。
でもあの独り言だか何だかわからない語り口、止めて欲しいよ。
「何?」って聞くと、「テディーに言ってる」「独り言をいちいち聞き返すな」「どうしてちゃんと聞こえないかな」どう返されるかわからないのは、困りものです。


体の神秘?

2011年06月22日14:44
アメリカでは健診のプログラムは一般的でなく、私達は1年に一回日本人医師による日本の医療機関に近い健康診断を受ける事で健康管理をしていた。ちなみに通常アメリカ人はホームドクターの勧めで各々の検査を個々に受けている。

5月、人間ドッグを受けた。支払いは健康保険でほとんどカバーされ、追加した分だけの僅かな金額でたくさんの項目をチェックしてもらえた。日本の医療システムはすごい!めちゃくちゃすごいよ!

昨年中は、血圧のコントロールができずずいぶん苦労した。薬の量が増え種類も追加されたが、あまりコントロールできているとは言えない状況だった。精神不安もあったのだろう、そして自律神経もおかしくなっていたのだろう、不眠・呑気症・めまい・動悸で一時は買い物もままならぬ状態だったが、信頼できる漢方医に診て頂き鍼・お灸・漢方の力で急場をしのいだ。少し落ち着いたと思ったら、例の乳がんの疑いでの手術。もう勘弁してくれって感じだった。当然また血圧もぐんぐん上がった。

あれから1年たった。少し気になる所が出てきたので、思い切って人間ドッグで徹底的に診てもらう事にした。
血圧は帰国してからほとんど測っていなかった。血圧が気になるような精神状態ではなかったし、制御不能の血圧になっていたらと少しチェックするのが怖い気もしてた。
で、人間ドッグ当日。前日9時以降の絶食、朝は降圧剤も飲まなかった。当然血圧は高いはず・・と思って、検査へ行った所、何と120台!めちゃくちゃいいじゃん。初めて見るような値だよ~~ん。心うきうきした。
ドッグが終わっても、試しに朝の薬(βブロックの降圧剤)を止めてみた。朝晩しっかり血圧はチェックした。1週間立っても血圧は非常に安定している。フフ、何でだろ?
あんなにコントロールできなかった血圧がこんなに下がっている!医者は暖かくなると血管が開いて血圧は下がる事があるって言っていたけど、それだけじゃなさそうだよ。

精神的な安定(自律神経のバランス)・食事(アメリカ食→日本食)・更年期・・・いろいろ絡み合っているのだろうけど、理由がしっかり知りたいよ。
そして今私は夜の降圧剤(カルシウム拮抗剤)だけは飲んでいるが、できればこの薬も止めてしまいたい。どう挑戦するかだな。

人間の体って面白いね。去年は自分の体を実験台にいろいろ試してみたけれど下がらなかった血圧、何もしない今年になってこんなに風になるなんて。心のバランスってホント大事なんだろうねぇ~。

anton2011年06月22日 23:11
ふむ、ふむ、不思議ね~
薬に頼らないでいられれば、それに越したことはないものね。

やっぱり去年は考えること山積みで忙しすぎたのでしょうね。
アポ~ンとして過ごすのが一番?

あ、でも呆けちゃ、困る。

それにしても今日は暑かったね~

kame32011年06月23日 07:18
家の中で夕方でも32度あったよ。これからどうなるんだ~?怖いよぉ。

体ってホント不思議だよね。人体の神秘というか、生命体の神秘・・この年になって面白くなってきたよ。体と心の繋がり、もっと知りた~い。
心身ともにバランスを整えて、呆けずに元気でいたいね。

kame32011年06月23日 07:57
昨晩、1日1回の降圧剤を飲むのを忘れた。今、気がついて血圧チェック。124/78 上がってないじゃん。この薬も止めてみちゃおうかな・・。医者に頼らない薬のコントロール。さて、どうしよう。


まだ6月なのにー

2011年06月24日20:37
本日の宇都宮の最高気温は37度。梅雨明け前にこの暑さ。本格的な夏が来たら、どうなってしまうんだろう。

今の私の最大の関心事は、<この暑さの中でどうやってテディーにお留守番をさせるか>だ。
節電が叫ばれる中、エアコンを高めの温度設定でオンにして行くしかないのだろうか・・・。先日ミクシイの『犬の豆知識』のコミュで聞いてみた。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63256556&comment_count=24&comm_id=29658

犬と言えども、30度を越す閉めきりの室内では熱中症が心配だ。解決策として、冷気を保つ為に凍らせたペットボトルやアイスパット等の使用や扇風機の活用が挙げられたが、やはりエアコンは必要不可欠との意見がほとんどであった。しかし今日の電力使用は供給電力の90%を越し、今後計画停電に突入してしまう恐れもある。エアコンを使用せずに何とか乗り切れる方法はないだろうか・・・。

最高気温を記録した今日、テディーは3時間ほどお留守番をした。初めてのクーラー使用だった。窓やドアを閉めたのはもちろん、効率を考えリビングとダイニングの間にパーティションを置いた。厚手のカーテンもしっかり閉めた。エアコンは28度に設定し飲み水はたっぷり用意し凍ったペットボトルを片隅に置いた。

帰ってくるまでドキドキだった。何かの理由でエアコンが止まっていたら?パーティションが倒れてないだろうか。まったく親ばかも甚だしいと自分でも思う。
幸い、テディーは元気そのものだった。快適室内でゆっくりくつろいでいたのだろう。

私がいる時は全ての部屋の窓を開け扇風機を回すことで何とかしのげそうだが、留守番時にはエアコンはどうしても必要。停電はなんとしても避けてもらいたい。

3月末、太陽光発電工事をした。工事の注文は震災前にしていた。日当たりの良い我が家、さんさんと当たる太陽の光がひたすらもったいないと思ったからだ。工事代は高いけれど国や町から補助金は出るし、東京電力の電気の買取もある。モニターで電気の発電及び使用状況もわかるので節電にもなると思った。停電の時でも使えるかどうかなんて、注文の際は気にもならなかった。
そして3月11日の地震、そして計画停電。
停電でも太陽光発電をしている我が家は電気が使える。が、使用可能の電力は僅かで、コンセントも1箇所だけで、実際使えるのは扇風機やPC、携帯の充電程度らしくとてもエアコンは使えない。たとえ晴天で我が家の発電機がたくさんの発電をしていても、停電になったら頼みのエアコンは使えないとはなんとも皮肉な話である。
とまあ、地震・原発事故・停電があって、太陽光発電の弱点に気づかされたわけだけど、太陽光他原子力に頼らない発電が見直されている今、少しはエコに協力できたかもなんて、ちょっと自己満足している所もある。


初夏の花

2011年06月27日15:59
梅雨だな~、日本だな~って感じさせてくれる初夏の花たち。
田舎住まいの私の家の周りにたくさん咲いてる可憐な花たち。
アメリカ西海岸では決して見ることのなかった花たち。何故か愛おしい。

写真1>ツユクサの青が梅雨空に映える。
写真2>雑草取りの薬剤に<ドクダミにも効く>との文字。そんなに強い雑草なの?
写真3>ねじ花
・・右巻き・左巻き・早巻き・遅巻きがあるとか・・群生はちょっと見事だ

BOMKAME2011年06月27日 19:46
こんな発見と楽しみを知っていたら庭の雑草は抜けませんね。
人間受け取り方で人生まったく変わるんですね。
感受性高く今後も驚き発信してください

kame32011年06月27日 22:08
BOMKAMEさん

可愛い野草って身近にいっぱいありますよね。
だけど、図鑑を見てると<どこにでもあるただの雑草です>という一文もあったりで、確かに見過ごしてしまうものばかり。でもよ~く見ると、それが実に精巧にできているのに驚かされます。やっぱ、周りに自然があるって良いですね指でOK


世界遺産

2011年06月30日19:57
『世界遺産を巡る旅』という言葉には、何も興味がなかった。
というより、世界遺産という言葉に踊らされて観光に走る事に抵抗を感じていた。
が、やはり世界遺産ってすごいって思い始めていた。自然遺産・文化遺産・・知らない土地知らない世界にアンテナを延ばす指針になると感じ始めていた。

帰国後、『車で巡る日本の世界遺産』という本を古本屋で手に入れた。いつか旅する日を夢見てページをめくるのが楽しかった。

そんな中、小笠原諸島が自然遺産として、平泉が文化遺産として登録された。
小笠原諸島は東京(父島)から船で26時間。海洋島として独自の進化を遂げた固有の動植物が多く生息している自然の宝庫だ。
25年程前小笠原に行った。夫はその数年前にも訪れており小笠原の自然に魅せられていた。
長時間の船旅だったが、さほど船酔いもせず気分は最高で父島の地を踏んだ。父島2日目、絶対外せないスポット<南島>に行く船に乗った。観光船ではなく地元のおやじさんの船。その日の海はひどく荒れていた。南島はもうすぐそこだったが、岩場でさらに波は高くなり湾内に入るには高度の技術が必要となった。この海に落ちたら死ぬねぇーなんて夫と言いながらも、あまりの絶景に大騒ぎして、大波で揺れる小船を面白がっていた。と、数分後本当に海に落ちてしまった。落ちた時は<あちゃ、落ちちゃった!>というふざけた感情が起こった。しかしお笑いはここまで。上がろうと思った船に上がれない。それじゃ岸壁にと試みたが、引き潮で一気に体が引き戻され、とても自由に体を操れない。まずいと思った時にはもう遅い。船は岸壁にモーターをぶつけ操縦不能となっていた。私は泳ごうにも三角波の中、息継ぎが全くできない。こりゃダメだ。ああ死ぬのかーと思って、ふーっと気を失ってしまった(いい気なもんである)。
その後夫が身を挺して助けてくれ、最終的にはたまたま通りがかった船に拾われて、あと数分遅かったらおさらばとなっていたこの身を救ってくれた。しかし結局南島には行けなかった。
世界遺産に決まって、南島の画像がテレビでしばしば取り上げられてる。行きたかったな、南島。これから小笠原に行くチャンスはあるのだろうか。早々に事故にあってしまい、怪我もしていたので全く海に入ることもできず、何をしに行ったのかわからない小笠原。一躍有名人になってしまった私達に村の人々はとても優しくしてくれたのは鮮明に覚えてる。
日本の世界遺産の旅、最初のターゲットは小笠原かな?

そんなこんなを考えていたら、夢を見た。単純な私である。でも見たのは小笠原ではなくて、平泉の中尊寺。清々とした心洗われるようなたたずまい。木の香りまでしたような気がする。何でだ~?平泉の知識は全くないのに・・。

いろんな土地を旅したい。

anton2011年07月01日 02:23
小笠原に行くと言ってたけどその後連絡無いね~なんて噂していて、
後から事の顛末を聞いて愕然としたもんです。
え!もう25年前?
そうか、そうだよね~

中尊寺は確か行ったことがあるはずなんだけど、えらくひなびた場所だったという記憶しかなくて。誰と行ったんだったか・・・

kame32011年07月01日 08:00
事故にあった年齢のほぼ倍の年となります。うそでしょ~っていう月日の流れですよね。
今頃になってあの時助けられたんだ、生かされてるんだって感覚が出てきてるけど、当時はたいへんな事故だったにも関わらず、相変わらずヘラヘラしてた。若さって恐ろしい。。
もう一度小笠原行ってみたいなあ~。自分が何を思うのか、見てみたいよ。

中尊寺、行っていたんだ~!だけど誰と行ったかも覚えていないとは、、、、悲しいです。

JettaZ332011年07月02日 13:44
中尊寺も良いですよぉ。
藤原3代について、基礎知識を学んでから行くと、とても感動すると思います。
「夏草やつわものどもが、夢のあと」

kame32011年07月02日 16:59
JettaZ33さんも行かれていたんですね!
さらっと芭蕉の句が出てくるなんて、素敵~~~!←私は検索してしまいました(笑)。

そうですねー。日本の侘びさびを感じるのも、歴史を学んでいくと尚一層深いものになりますね。

2011年5月1日日曜日

2011/5

白いものを見つけて

2011年05月01日12:24
昨晩からまた余震が頻繁に起きている。良いのだか悪いのだか、揺れに慣れてきて多少の揺れではあまり動揺もしなくなった。

しかし揺れに敏感なテディーは少しの揺れにも落ち着きをなくす。地震を察知するとすぐにウロウロ始まり揺れが強いと急いで2階に駆け上がって行く。外にいる時は慌てて家の裏側へと走る。巨大地震の際はほとんどパニック状態で私のコマンドも容易に聞こうとしなかった。匂いには疎いテディーもドド~ッと感じる地鳴りは人間より強く感じるのだろう。

短時間ではあるけれど私は仕事を始めたので、テディーは留守番をする機会が増えた。大地震の時に一番被害の大きかった本棚のある部屋は、外出の際には必ずドアを閉めて、いつも何事も起こりませんようにと祈るような気持ちで出かけている。
3月11日は、いつまでも続く強い揺れ・停電、夫とも連絡が取れず本当に不安な時を過ごした。今何をするべきなのか。避難の準備?まず私がしたのは、携帯電話の充電の確認だった。メールも電話も繋がらない状態の時に、何度も連絡を取ろうとしていてはどんどんバッテリーがなくなってしまう。電気の回復はすぐに望めそうもない。その後車から充電できる事を思い出しケーブルも見つけほっとしたのだが、連絡の手立てがなくなってしまうかも・・という恐怖は想像以上だった。
次に、テディーのお薬をバッグに入れた。もちろんリーシュも一緒にだ。逃げる時はいつも一緒、しかし欠かすことの出来ない癲癇薬がないと、一大事を乗り切れない。テディーに何かあれば私は冷静でいられなくなる。
そうこうする内にどんどん日が翳っていく。キャンプ用のランタンとろうそくを用意した。寒さ対策にしっかり厚着して布団もすぐ使えるようにした。石油ファンヒーターも使えない。電気がなければ暖を取る方法が何もないと知った。

今回の巨大地震が日中だったので、停電はしていても夜に向かうこれらの準備が簡単に出来たのは幸いだった。

帰国して5ヶ月足らず。これからゆっくり日本を楽しもうと思っていた矢先の地震だった。
地震後夫は水戸に出張に行き休みなく復旧作業に携わっている。睡眠時間も極端に少なく土日も休暇もなしに働いている。そんな状況に体は大丈夫なのかと心配になる。が、原発で働いていらっしゃる方々のご苦労・そのご家族の心労を思うと、申しわけない気持ちでいっぱいになる。

これからどうなるんだろう。先の事は全くわからない。

最近テディーの眉毛やひげに白い物を発見した。テディーは7歳9ヶ月。人間で言えば47歳くらいかな。生後2ヶ月から我が家の一員になったテディー。その彼も今じゃしっかり中年犬だ。人間より早く年をとってしまう犬。なんだか自分自身の白髪を見つけた時より、妙に悲しくなってしまった。

テディーの白髪を見つけて、時の流れを感じた。一日一日を大切にしなくては。

JettaZ332011年05月03日 20:30
ご無沙汰しております。

ご主人も大変そうですね。
私も異国の地で、休みも無く働き尽くめです。

一期一会、年を取るとこの言葉の重みを益々強く感じます。

前向きに、後で後悔しないような日々を是非送りたいですね。

kame32011年05月04日 19:50
<一期一会>本当にそうですね。
何という事もなく見過ごしてきた事が、妙にいとおしく大切に思えて来るこの頃です。

だけど、慣れない土地で働きづめとは、お体が心配です。人生を前向きに楽しむのも、まずは体調管理は大事。ご自愛くださいね!


子供達は今

2011年05月05日08:29
帰国して半年が過ぎた。
子供達はそれぞれの大学生活を楽しんでいるようだ。

次男は日本太鼓のクラブで活動してる。

練習はとても厳しいようで、授業はそっちのけで(?!)特訓らしい。運動量も多く始めた当初は筋肉痛にも見舞われたとか・・。
サックスを全く吹いていないのは、寂しい限り。。。

長男は今も写真を撮っている。最近サーフィンも始めた様子だが、スキムボードでは飽き足らなくなったのかな。おまけにバンド(ベース演奏)にも参加して、ミニコンサートもあったとか。。。

娘はバイトにボランティアにと忙しいらしい。大学院の勉強はひたすら本読みだとか言っていた。クラスでは娘が最年少だそうで、学ぶことは多い半面プレッシャーもあったりで苦労も多いのかな。最近メール来ないなあ~。

昨年9月に始まったそれぞれの大学生活も、もうすぐ最初の1年が終わる。単位の修得が難しいと言われるアメリカの大学できちんと学べているのだろうかなどと、気になるところではあるけれど、皆元気で楽しく学生生活が送れていればそれだけで素晴らしいことだよね。


難しいカタカナ語

2011年05月10日20:45
公文でバイトを始めて早2ヶ月半。少しずつ慣れて来たところではあるけれど、まだまだ戸惑いの日々だ。

私の話す言葉が簡単に子供達に伝わらない。
誤「フォールダーを見せて」
正「ファイルを見せて」

誤「これはクラスでやったのかな?こっちはホームワークね。」
正「これはお教室でやったのかな?こっちは宿題ね。」などその例は山ほど。

これってめげるのよね~。
出来るだけカタカナ語を使わないようにと心がけているのだけど、どうしても使ってしまう。
実際日本で浸透しているカタカナ語(英語や和製英語)をわかってないから、毎日迷いの連続なのです。
神経質になってくると、突然頭が空白になる。何を言ったらいいのかわからなくなってしまうんだ。

根っからの日本人。日本語しかまともに話せないのに、その日本語もおぼつかないなんて。
そして言葉の問題だけでなく、文化も習慣も16年間のブランクはやはり大きいなって感じるよ。
まだまだ逆カルチャーショックは続きそう。試練は続くって感じだわあ~。

anton2011年05月11日 02:46
ご苦労お察しいたします。
テンポの早い教室内での会話だと余計、焦るよね。
公文独特の用語もあるだろうし。

日本しか知らなくても、子ども(幼稚園児や小学生)との会話には苦労しそう。
ズックなんて言っても通じないもの。

私の場合、カタカナ語以前に、あ~あれなんだっけ、あれあれ、という状態が日常化しつつあるので困りますが、それは問題が別か・・

kame32011年05月11日 10:46
家庭内や友達間の会話は、何も考えずに話しているのですが、外に出るとやたらに緊張します。
教室以外でもこんな時はなんていうの?っていう場面も多く、アメリカで英語が通じなくて困ったのとは違う焦燥感に苛まれている状態です。

日本での生活に慣れるのに、バイトを始めたのは良かったと思っていますが、めちゃくちゃ疲れる~~。
完全にアジャストするのはいつになったら・・・。(こんな時もアジャストという言葉が出てきてしまう。適合というのかな?でも適合というと、とても固いイメージ。単に慣れるといえばいいのかしら?)

英語もしっかり話せないのに、英単語が浮かんでくるなんて最低!自己嫌悪です。


憂いの年頃

2011年05月28日21:46
夫が復旧作業で出張に行って1ヵ月半が過ぎた。1週間か2週間に一日洗濯物を抱えて家に戻って来たものの、ずっとテディーと二人(?)の生活だった。
最初は一人ご飯を作るのも面倒で、スーパーのお弁当やインスタントや冷凍食品だった。食事の支度をしないから、買い物にも行かず洗濯は3日に1回、掃除もほとんどしなかった(笑)。しかしそんな食生活にも飽きて、ちゃちゃっとできる簡単な食事は作るようになった。それでも一人暮らしはやらなくてはならない主婦業はない(単に怠け者なだけだけど・・)。
テディーがいてくれて良かった。テディーがいるから散歩はするし、彼のご飯や薬の時間は常に気にしてる。
一人の生活、いろんな事を考えた。帰国して半年。逆カルチャーショックはさらに大きくなっていくばかり。今まで子供たちがいて、ただただ何も考えず子育てをしてきた。帰国しひたすら生活を落ち着かせようとしてた。少し生活基盤ができてきたと思った所で地震、そして夫の出張。与えられた莫大な一人の時間。
テディーと二人きりの暮らしは寂しい。ましてや一人ではとても生きていけない。生かされているんだなあって思う。でも私の役割って何?

などと、3.11の地震、津波、原発・・・とも相まって悶々と思う日々。夫との別居生活ももうすぐ終わるはずだけど・・。

葛桜れい2011年05月29日 13:15
やっと、風邪が治ってきたので遊びに来ました~

旦那様の出張、随分と長いのですね。本当にご苦労様です。

息子たちも、子供と呼びづらい年になっても心配は続くけど、もう、自分のことを考えなければと、思っています。

やっぱり、地震以降でしょうか***
ヅルヅル過ごしている事に、罪悪感を感じます。

自分探しの旅には出れないけど、生きがい探しに、ウロウロしようかなー

kame32011年05月29日 17:53
れいさん

風邪が少し良くなってきて良かったですねー。寝ることもできなかったのではさぞおつらかったと思います。このまま一気に治してくださいね。

そうですね。私達の年齢は第2の人生がスタートする時期なんですよね。そしてこの震災・・我々は何を思い何をするべきなのか・・。柄にもなく考えてしまいます。
夫婦二人の生活から子供が一人ずつ増えて行って、気がついたらまた夫婦二人の生活になってる。ホントあっという間の事でした。でも基本は夫婦と思っている。それならできるだけ夫に優しくしなくちゃかしらね(笑)←反省。
夫ももうすぐ戻るので、よろしかったら遊びにいらっしゃいませんか?

葛桜れい2011年06月01日 14:50
ありがとうございます。
kame3さんに、会えるのを楽しみにしています。

2011年4月6日水曜日

2011/4

芽が出た!

2011年04月06日17:50

もうダメと思い、抜いてしまおうと思っていた庭木に新芽が出てきた。枝はからからに乾きずいぶん前に芽吹いた葉も茶色く変色していたのに、すごい生命力。
何の木だかわからないのだけど、非常に勇気付けられる。
抜かないで良かった~!

anton2011年04月10日 16:16
私も鉢植えの木で、同じような経験をしたことがあります。
人間も、そうありたいですね。

kame32011年04月10日 18:10
こんな小さな芽に、とても感動しました。
自然界に、教えられる事ってたくさんありますね。今はどこも前途多難な状況だけど、春にむかって、新芽が出て花が咲き鳥のさえずりが聞こえるのは、ありがたいなあ~。


頑張るって

2011年04月22日12:10
『頑張る』最近とても気になっている言葉だ。

震災後、「頑張ってください」「頑張りましょう」と言う言葉を多く耳にする。そのたびに私は違和感を覚える。頑張るって何だろう。

頑張る・・・それは決して悪い言葉ではなく、非難される言葉でもない。寧ろ日本はその頑張りで戦後の復興をし、阪神大震災他も乗り越えてきた。
日本人の粘り強さ、頑張り。私は自分が日本人である事を心から誇りに思う。
しかし私は何か違うぞって感じている。

1ヶ月前から少し塾の仕事をするようになった。そしてそこでもよく言われるのが、「頑張りましょう」子供への声かけは「頑張って」・・私はどうしても言えない。

英語では頑張るに当たる言葉は何だろうか?
<Do my best> < try> < work hard>そんな言葉が浮かぶけれど、頑張るとは少し違うような気がする。
長い間日本を離れて、私は頑張るという事が理解できなくなってしまったのか。

もう充分頑張っている被災地の人たち、もうアップアップの状態の子供達・・・その人たちに対して、これ以上頑張ってって言えない。
塾では<よく出来たね。少し休んで遊ぼうか>って言いたくなる。
被災者の人たちには何と声をかけたらいいんだろう。

とは言っても、私は少し頑張らないといけないな。
私は何も努力していないから。

なんだか悶々としてこんな日記を書いている。

eri2011年04月25日 07:55
日本語の「頑張ってね」は、英語の "good luck"と同じnuanceじゃないのですか?

"Good luck on your test!" と良く言われるけど、日本では「テスト頑張ってね!」・・・

正直、"Good luck"と言われてもあんまり嬉しくないけれど(Luckでうまく行くことなの?って思ってします)、ある意味"I'm thinking about you"って意味でもあると思うから感謝するべきだとも思います。同じように、日本語でも「頑張れ!」は「支えになりたいと思ってるよ」なのでは?

私にとって「頑張る」以上に分かりにくいのは「○○さんによろしく!」といわれた時です。
どう「よろしく」を伝えればいいのですか?私の役目は何ですか?
「△さん、よろしくだって」・・・????

kame32011年04月25日 09:02
なるほど、そういう見方も確かにあるなあ~。
で、そこから発するに、<頑張って>も、<Good luck>も極端に言えば突き放したような感覚がぬぐいきれないと感じるんだ。

これは友人の話なんだけど、介護で疲れきっている彼女がある日知人と会った。その時知人はテニスの練習の後で、「年だから練習がきつくて・・。」と話した後「じゃあ、介護頑張ってね。」と別れた。知人は彼女を元気付ける意味で言ったのは確かだし、その言葉に何の罪もないのはわかるのだけど、その時彼女はひどく傷ついたそうだ。
どうしようもないどん底にある人に贈られる<頑張って>という言葉が、その人をさらに傷つけてしまう。

私はあなたの事を想ってるよというメッセージが<頑張って>と言う言葉では伝わらない。
人と人との繋がりの第一歩は、共感・同調といった所からスタートするべきなのでは?日常生活の中でのテストとか新しい出発とか、夢や未来に向かっていく人に対しておくるエールと極限下にいる人に対しておくる言葉とは自ずと変わってくるのではないかなあ~?
とまあ、考えるわけだけど、正直私にはよくわからない。

確かに<よろしく>も、日本の典型的なあいまいな表現で、実に便利な言葉だよね。
Eriは、どう伝えているのかわからないけれど、英語にしたら"Say hello to ○○ for me"って言うのかな?これも私はあなたの事を想っていますよっていうメッセージなのでは?
私には初対面の挨拶などでしばしば使われる<どうぞよろしくお願いします>って言うのが、英語ではどうなるのかなって気になるところ。
このどうぞよろしくは、日本語の時は頻繁に自然に出てくるんだけど・・。

eri2011年04月25日 13:46
うーん・・・・
確かに「あなたの事を想ってるよ」と毎回聞こえるとは想わない。
でも、シチュエーションにより、言い方により、人にもよるとは思います。

ちなみに中国語では「加油」と言うのを知っていますか?
油を足す。気合を入れる。元気を出す。このようなイメージが浮かんできませんか?

友達が傷ついたのは、本当に今どれだけ頑張ってるか理解しないで気楽に「頑張れ」と言われてイラッとしたのではないでしょうか?理解してもらって上で「辛いだろうけど、頑張ってね」って言われてたら少しはやる気出るのではないでしょうか?・・・

よろしくは・・・・そうですね、"Tell him I said 'hi"" だと思います。
そしたら、"She says 'hi'" "Ok. Tell her I said hi too" で物事は終りますね。
日本語では「私もよろしくと伝えて」と返しますか?

「どうぞよろしくお願いします」は直訳ないと思います。
言うとしたらIt's really nice to meet you. I look forward to working with you. とかですかね?

kame32011年04月25日 19:51
そうですね、その状況、その人との関係、言い方によって、ずいぶん印象が変わってくるのだろうな。

<加油>・・今回の震災で、世界中の国々からのいっぱいの声援を聞き、その言葉を知りました。まさに頑張れという言葉ですね。

間接的によろしくと言われた時どう答えるか・・・フム、「ありがとう、こちらこそよろしく伝えて」と言うかな。これも時と場合によるような気がするけど。

やはり日本語の「よろしくお願いします」に該当する英語は見当たらないよね。
それにしても言葉って面白いね。言葉からその国の文化が見えてくる。帰国して改めて知りました。

Hans2011年04月25日 23:16
日本人に、How are you? と尋ねなくていいように、アメリカ人に「がんばって」と言う必要はないので、どちらも訳語はこじつけであって、本来は意味を持たない会話になると思います。
それぞれ、訳しようのない言葉が、その国の言葉の文化といえるのではないでしょうか?
そして、日本人の間の「よろしく伝えて」は、何も伝えなくて良いという意味だと私は考えますが、どうなんでしょうか。

kame32011年04月26日 13:05
Hansさん

アメリカでのHow are you?は、完全に儀礼的なもので、Helloと何ら変わらないように思います。で、多少具合が悪くてもFineって答えてる。
でも日本の頑張ってはもっと深い意味があるのではないかな?ま、それもシチュエーションでずいぶん違う。
よろしく伝えても、本当に気にかかり、会いたいよぉーっていう、メッセージの時もあるから、一概に伝えんで良いと切り捨ててしまうのはどうかと・・。

いずれにしても、日本語はその場を読むって事がとても重要な言語のような気がします。これがとっても私には難しく・・。


2011年3月1日火曜日

2011/3

チェットとテディー

2011年03月01日15:38
マイミクのantonさんから「テディーみたいよ」っていただいた本 スペンサー・クイン著『ぼくの名はチェット』を読んだ。

私立探偵バーニーと相棒の大型犬チェットのお話。
犬のチェットが語り手となって話は展開するが、チェットの語る行動も彼が表す気持ちもまさにテディーの日常そのものだった。

どこにでもいそうな大型雑種犬チェット。特別な事は何もないのが最大の魅力と言えるかな。

以下の部分、まるでテディーそのものだった。

・目がよく見えずフェンスに激突してしまう。
・何か注意されてても、近くに食べ物があれば気になって気もそぞろになる。<聞かなくっちゃぁ、ああでもあそこに肉が・・>みたいな葛藤のさま。
・吠えるのはいけないと知っている、だけど知らないうちに吠えてしまったりうなったり。怒られて、無意識に吠えてる/うなってる自分に気づきちょっと慌てる。
・背中の部分をカキカキしてもらうと恍惚とした気分になり、目がうつろになる。
・難しい話は眠くなってしまう。
・行動はいつも主人と一緒。車のドアを開けたらさっと乗り込む。自分の場所を人に譲る気はあまりない。
などなどたくさん。

とは言っても、チェットは警察犬訓練所にもいた優秀な犬で自慢のジャンプ力がある。臭覚は天下一品で事件解決に大きく貢献してる。
かたや、うちのテディーはあまり運動能力が高いとは言えず、犬であるのに鼻も利かないようだ。私がたとえ強盗に襲われてもクンクン言うだけだろう、ただのお惚け犬だわねぇ(涙)。

名犬チェットと探偵バーニーの物語は全4冊のシリーズとして発売されるらしい。次作が大いに楽しみだ。

PS.テディーを見ていると何も話さないテディーの体から時々漫画のふきだしのようにテディーの言葉(思い)が見えるような気がするのだけど、それって変?たぶん著者もそんな感覚で犬と接しているのではないかなあー。それが小説になってる。ステキ!
犬好きにはたまらないよ。
antonさん、ありがとう!

anton2011年03月01日 21:33
いつも押し付けがましくて、すみません(笑)
でも気に入ってもらえてよかった~

動物の一人称って、下手すると読んでいるこっちが恥ずかしくなってしまうけれど、これは最初から最後まで楽しかったね。
テディーを思い浮かべながら読んでいました。
飼い主が大好きで、一緒にいるだけで嬉しくてたまらない(と見える)ところは同じだわね。

印象としてはチェットの陰に隠れてしまいがちだけれど、アロハシャツフェチでウクレレ弾きのバーニーも、なかなかイカしてる。

アメリカではもう3作目が出版されていて、この秋には4作目が出るらしい。

テディーの思いが見えるって、「動物のお医者さん」でチョビやピヨちゃんやミケのまわりにぼそぼそって書いてある、あの感じかな。

kame32011年03月01日 22:32
antonさん

今回もめちゃくちゃ楽しませていただきました!
私にはチェットの語りが、テディーの語りのように聞こえてきたので、たぶん倍以上も楽しめたのではないでしょうか。ありがとねー。

私もバーニーに惹かれちゃうよ。腕っぷしは強く頭もいいのに、とってもナイーブ。アロハ着ておんぼろポルシェ乗ってる姿、画像も自然に浮かんで来てる。。。Coolだわ~。

翻訳も良かったのでしょうね。とてもスムーズにチェットの語りからお話に入っていくことができました。だけど原文はさらに面白いかな?時々言葉の遊びも入っていたから。アメリカでは3作目も出ているなんて、ちょっと先がけて原文で読んでみてもいいかもね。

そうだねぇ、動物のお医者さんにそういうのがあったね。まさにあんな感じ。あの漫画を読んだ頃は犬を飼っていなかったから、単に面白おかしく読んでたけど、今読んだら違った見方をするのかな?読み返してみたいな。


ピピッ、どれだ?

2011年03月09日08:50
帰国して、次々と電気製品を買い揃えなければならなかった。
冷蔵庫・洗濯機・エアコン・テレビ・掃除機はもとより、キッチン用品もほとんど持ち帰る事ができなかったので、基本的な品だけと思っても、揃えるには多くの時間と資金を要した。

帰国して4ヶ月が過ぎ、ほぼ全ての調度品が揃い不自由なく生活ができるようになった。
が、未だに新しい電気製品に戸惑っている。
使い方もさることながら、キッチンやダイニングで鳴るピーッという電子音に、である。

キッチン&ダイニングの目新しい品は、冷蔵庫・オーブンレンジ・ガスコンロ・タイマー・湯沸しポット・炊飯器・トースター・電話機・エアコン・石油ファンヒーターだが、その中で単音の電子音を発しないのはポットとトースター、石油ヒーター(電子メロディーを奏でる)のみで、それ以外はすべてピーとかピピッとかの電子音が出る。アメリカでは電子音が出るのはレンジと炊飯器だけだったのに。

<ピピッピピッピピッ>~ご飯が炊けました~
<ピーッピーッピーッ>~冷蔵庫をもう閉めてくださいな~
<ピー>~レンジ終了しました~
これくらいは私にもわかってた。

が、1月にオーブンレンジ・2月にガスコンロを手に入れて、途端にどれもわからなくなってしまったのだ。

日本の家電は、なんて消費者のニーズにあった形で優れた製品となって生み出されていることでしょうか。大雑把なアメリカの製品に慣れている私には、日本製家電は感動の極みではある。

オーブンレンジはシャープ『ヘルシオ』を購入した。このレンジは従来のマイクロ波ではなく、300度以上の加熱水蒸気で調理する。スチームオーブンレンジ使用に関しては、プラスもマイナスもあってたくさん書きたいのだけれど、今回は見送ろう。ま、一口で言えば<すごい!>ですね。
ガスコンロはリンナイ『グリル付クックトップ』を購入。コンロは煮こぼれなどで火が消えると自動的にガスが止まったり、消し忘れや異常加熱も防止する。グリルも立消え安全装置、過熱防止センサー等がついている。水の要らない両面グリルは使いやすく出来栄えも見事で魚だけでなく、野菜や肉料理にも実に重宝している。
こうして非常に良くできたこれらの機器であるが、何かあるとすぐにピーあるいはピピッと音を発するのには参った。

夕食の準備の際は、どこのお宅でも一気にこれらの家電が動き出すであろう。
冷蔵庫開けて料理開始。オーブンレンジ、グリルやコンロを使いキッチンタイマーかけて調理、同時にご飯も炊いてる。それにエアコンあるいはファンヒーターつけてといった感じかな。これらが次々と何かを知らせてくれるのは、ありがたいと言うかうるさいと言うか・・。我が家はダイニングルームにフォト入り電話機、携帯やパソコンも置いてあるので、それらも時に音を奏でる。
こうなると私にはもうお手上げだ。次々と買い揃えたもの(言い訳ですが)で、何の音だかまだしっかり把握できてない。いや、そもそもほとんど皆似たような音なのですよ。なので私はいつもどれだどれだと、発信源を探してしまう。だけど結局源が見つからない事もあったりで・・。
お知らせ電子音は時に便利ではあるけれど、何でも知らせりゃいいってものでない。消し忘れなどの危険を知らせる音は<コンロ注意>とか<危ないよグリル>とか、もっとしっかり主張してくれないかななんて聞き分けられない自分はさておき、思ってしまうのであります。

anton2011年03月09日 22:28
なんとも賑やかなキッチンだことwww

私の母はいちいちそういうのに、「はいはい、今閉めますよ~」「はいはい、今行きますよ~」と返事をしてるなぁ。
でも父曰く、年をとるとピピ音が聞き取り難くなるそうだから、うるさいうちは、まだまだ若い証拠かも。

ガスコンロ、ウチと一緒だ!魚をひっくり返さなくていいのが、グッドですよね。

それにしても、ヘルシア、羨ましすぐる!

kame32011年03月10日 09:55
antonさん

そうそう、私も電子レンジや冷蔵庫に返事してる事が多いよ。
でも冷蔵庫には、「わかってる~!」っていう事が多いような・・。性格悪いねー。

アメリカでは魚焼きはロースターを使っていたんだ。臭いが充満してしまうし片面だった。日本に帰ってグリルはあったけど、片面で掃除もたいへんだった。そして今回このグリルを手に入れて、大満足してます。上下の火力まで調節できるので、焼き具合もばっちり!ホントよく考えられて作られていると思います。だけどうちのは、ベーシックなクックトップなんですよ。お高いのになると、鍋の温度もわかって、揚げ物の時には油の温度もわかっちゃう至れり尽くせりの品になってた。主婦はどんどん楽になっていますね。

『ヘルシオ』・・電子レンジ使用と揚げ物の温め、ついてきた料理本のレシピーメニューは、確かになるほどという出来映えになりました。が、まだ使いこなせていないんだ。もっと自由自在に使えるようになるといいのだけど、ちょっと時間が必要のようです。