2010年10月23日土曜日

搭乗

10月23日
帰国便に乗る日がやってきた。

トラックにケージを載せた。トイレを済ませたテディーは一緒にお出かけに連れて行ってもらえると無邪気にはしゃいでいた。LAまでは長男が連れて行ってくれる。彼はその後サンノゼに向かいインラインホッケー・トーナメントに出場するので、大きなホッケーバッグ・娘の荷物・スーツケース2個、ケージとトラックの荷台はいっぱいだ。

大型犬がチェックインの為、チェックインはフライトの3時間前と言われている。ロサンジェルス空港まではおよそ2時間の道のり。乗るまでに5時間。先は長いぞ。なんせ長時間の旅なので、空港まではできるだけストレスフリーにしたくてテディーも車内に乗せた。テディーが長旅に耐えられるだろうか、だんだん緊張してきた。

1時間ほどドライブしてハイウェー405号線に入った所で、渋滞に巻き込まれた。極端なのろのろ運転から全く動かない状態。事故に違いない。
チェックインの時間にはとても間に合いそうにない。娘からすでに空港で待っていると電話があった。
車は全く動かない。事故はどこだ?どこまで続くの、この渋滞。ハイウェーを下りて一般道を走っても意味がない。ここはLA渋滞タウンだ。そもそもハイウェーを降りたくても車線変更もままならない。
娘にチェックインに遅れるとANAカウンターに知らせるように頼んだ。もしかしたら飛行機に間に合わない?あせる。。。だけどあせっても仕方がない。。。。乗れなかったら乗れなかっただ。その時はその時と開き直った。そんな中、抗癲癇薬だけは忘れず飲ませた。

事故現場を通過した。大型トレーラーとSUV, 小型乗用車の大事故だった。トレーラーはひん曲がり、SUVは二人乗りのスマートだったのかと思ったほどの大破だった。一瞬にしてあんな姿になってしまう。数十分前には何も変わらず走行していただろうに・・。

1時間半ほど遅れて空港到着。待機していた娘と再会。大荷物をカートに載せ、テディーを引いて(後から、空港ではペットはケージに入れる必要があると知った)チェックインカウンターへ。バタバタと私のチェックインと共にテディーのチェックインをする。テディーのフライトが220ドルとは安い。しかし荷物扱いで真っ暗な荷物室(Cargo)に入れられる。空調があるそうなので文句は言えまい。
水分補給用のボトルタイプの水がケージにしっかりついているのを確認し、スナックの入ったコング、大好きなトリートをケージに入れた。時間が迫ってる。準備完了。テディーをケージに入れた。今後、日本到着までケージには決して触ってはいけないとの注意を受けつつ、ペット預けカウンターに向かう。

きちんとした別れもできないままに、テディーのケージは係員にテープされ奥に連れて行かれてしまった。あの時テディーは吠えていたのだろうか?記憶にない。テディー自身はもちろん、私達3人もあれよあれよという間に連れて行かれちゃったという感じだった。

テディーを預けてしまったら、手持ち無沙汰になった。子供達に別れを告げた。淡々としたものだった。
一人になって、ふいに12時間のフライトが不安になった。

10月23日(土)12時45分 LA発 ANA0005便は予定通り離陸した。


10月24日帰国

ANA0005便は満席だった。
そして流されるまま機中の人となった私は、テディーの事が気になって仕方がない。本や映画を見たり眠ろうとしたり、とにかく考えないように心がけたが心はどうにも落ち着かない。

ペットの輸送で評判が良いのはコンチネンタル航空だ。しかしコンチネンタルはロサンジェルスー成田の便がないので、日系の航空会社にした。JALとANAではどちらが良いかわからなかったので、僅かに安いANAを選んだ。荷物室なのでかなりの騒音ではあるが、空調も行き届き心配はないはず。
思いは通ず?!<同じ飛行機に乗ってるから大丈夫よ。あと○○時間だよ。>機内ではずっとメッセージを送っていた。

24日4時、予定より早く成田到着した。
入国手続きを終えターンテーブルへ。<ペットをお預けの方へ>と私の名前も書かれた案内板が荷物と一緒にターンテーブルで回ってる。係りの人にペットの引き取り方法を聞いた。ペットももう出てきているので、すぐに連れてくると言ってくれた。
ドキ ドキ ドキ ドキドキドキ・・・・・・。
大きなカートに載せられたテディーの入ったケージが運ばれてきた。おおお、生きてる~~~。体の力が抜けていくような深い安心感に包まれた。
その後、だらしなく頭を下にぺたりとへたりこんでいる間抜け顔のテディーが、おかしくて笑いが出てきた。ああ、なんて鈍い子なんでしょ。私がいるのに全く気づいてない(テディーは鼻も目も悪い)なんて。
数分してやっと私の存在に気づいたテディーは、狂ったようにケージ内で吠えまくった。大型犬だからその声の大きい事、とんでもない音量だ。吠えながらケージの中で飛び跳ねようとするテディー。興奮のあまり発作を起こすのではないかと思った。
テディーの吠え声、それを制する私の<NO!TEDDY, QUIET!>という怒鳴り声は、空港中に響き渡った。

吠え続けるテディーのカートをおしてくれる係りの人と共に、検疫所へ。大型犬カートのお通りは空港内の人々の注目の的となってしまった。検疫所の話では大型犬の輸送はほとんどなく、成田空港で大型犬を見る事はないらしい。
余談だが、日本で生活して感じたのは日本ではテディーはかなり大きい犬に見えるようだ。道行く人はまず<うわ~、おっきいー>と言う。そして大きいには二つのタイプがあって、大きくて凛々しいという肯定的なものと、かたや大きくて恐いと身を固くする人たちがいる。犬を通しての会話は日本とアメリカほとんど変わらないが、犬の大きさに対する反応はずいぶん違うように感じる。

検疫所で娘に持ってきてもらったUSDAの判の押された書類のチェックをした。それと同時に事前届出書の確認をした。あいにく事前届出書の申請方法に誤りがあり(テディーは機内持ち込みではなく、Cargo(荷物室)だったので、輸送にCargoと書いていたが、Cargoは別送Cargo扱いになるようで、成田の別の検疫所管轄となり、届出書はそちらの検疫所に送られてしまったらしい。ううう、また失敗。だけどCargoという言い回しだけでは説明がなければわからないよ。
アメリカからの書類は問題なく受理されたが、届出書の確認に手間取り待ちとなった。しかしケージに入ったままとは言え、姿が見られるところで処理をしてくれるのはありがたい。でも早く薬を飲ませたいよぉ~。

検疫所のOKができるまで待つしかない。
しばらくして検疫所の個室を提供してもらえ、そこでケージから出す事も薬を飲ませる事も許可された。

ようやく検疫所から開放された。
ゲートの出口に夫が待っていてくれた。検疫所の係りの人は駐車場までテディーカートを運んできてくれた。親切な検疫所!
外は雨だったが、テディーをケージから出し夫と対面した。狂喜乱舞のおたけびが出た。
夫の用意してあったえさやスナックを与える。姉夫婦が貸してくれたミニバンに荷物とケージを積み込み、栃木の家に向かった。

夜9時半頃、家に着いた。
16年前に建てた家に入った。とても不思議な感じがした。自分達の家になるよう頑張って立ち上げてくれていた夫の働きがそこここに見えた。引越し荷物もすでにだいぶ片付けられていた。

サンディエゴの家を出て22時間。テディーが庭で思い切りおしっこもウンチもした。
何の苦労もせずに思いっきりしてた。普段慣れない場所では決して出ないテディーだったけど、よほど溜まっていたのでしょうね。テディーの新しい住まいのトイレ場所が簡単に決まった。

退会したユーザー2010年12月01日 22:59
搭乗編と共に一気に読ませて頂きました!
空港に向かう道のりでの渋滞、ハラハラしましたあせあせ(飛び散る汗)

そして、無事成田に到着して、kameさんとテディーの再会。
狂ったように吠えるテディーと、ほっとしたkameさんが目に浮かびました。
トイレ場所もあっさり決まったし、順応性は人間以上にありそうわーい(嬉しい顔)

kame32010年12月02日 07:05
holoholoさん

テディーの輸送には時間も手間もずいぶんかかりましたが、過ぎてしまえばどうと言う事はないように思えます。帰国時の思いを少しでも記録に残そうと日記に書きましたが、読んでいただけて光栄です。

テディーはすっかり日本の犬になりました。知らない人に対する警戒心もどんどんなくなっているのは、どうしてかしら?やはり日本人が好きなのかな~?

2010年10月10日日曜日

帰国前の話

その1

帰国前のあれこれを少し書き留めておこう。

9月中旬子供達がそれぞれ新地に居を移した頃、私は風邪を引いた。最初喉が痛い程度だったので、その内治るとたかをくくっていた。しかし回復する様子はなく、咳が出始め体の節々が痛くなった。降圧剤を飲んでいるので市販の薬は使えなかった。
コブラの保険契約を9月いっぱいで打ち切り、新規で安価の保険には入れなかった(拒否された)ので、10月は健康保険のない状態となる。これは早く治さなくてはと、日本人医師の診察を受けた。引越してかかりつけの医者も持っていなかった。その中であえて日本人医師を選んだのは漢方薬の知識を持っているのではと期待したから(私は漢方薬を常用していた)。しかし受診した日本人医師は親切な方だったが、漢方の知識はなく処方してくれた薬も効かなかった。

いよいよ保険が切れてしまう。この状態のままでは、帰国できない。
9月30日、ネットの口コミ情報で評判の良いアメリカ人医師Dr. Dに診察してもらった。診断は肺炎。レントゲンを撮りマクロイド系の抗生物質とコデイン入りの咳止めが処方された。保険で診察・検査・薬の処方と全額処理できた。風邪を引いてしまった自分が情けなかったけど、ぎりぎりセーフに思わずほくそ笑んだ。
しかし肺炎???!!!熱もないし普通に生活できているのに~?検索したところ、アメリカではWalking Pneumoniaと言われるらしい。日本だとマイコプラズマ肺炎かな?

その後電話で医師と話した。肺炎という診断が納得行かない私はやはり肺炎ですか?ともう一度聞いた。「肺炎と言うか気管支炎と言うか・・。」肺炎と聞くと何故か重く、気管支炎と聞き少しほっとした←意味ないけど。

10日間の抗生物質を飲みきった(アメリカでは通常の抗生物質は10日間の処方)が、多少症状は緩和したものの、咳が止まらない。時はすでに10月中旬になろうとしてる。帰国まであと少し。。。このままじゃ、飛行機に乗れないよ。保険がないので医者に行くとお金がかかる。。。どうしよう。。。。

1週間後に帰国となったある日、やはりもう一度Dr. Dの診察を受ける事にした。抗生物質の効果が出てくるのは普通1週間くらいかかるので、薬を飲み始めなくてはと思ったのだ。出された抗生物質はセフェム系。Dr. Dは保険のない私の自腹支払いを考慮して、診察請求は低価格、薬も安価な物を処方してくれた。さらに飛行機に乗る時の咳止め薬の持込方法や処方法も教授してくれた。Nice Doctor!! 口コミ情報を信じて診てもらって良かった~。

数日後薬が効き出したのか、咳が治まって来た。これなら帰れる、飛行機に乗れる~~!

ちなみに、昨年10月から1年間払った保険料は約21,000ドル。今年2月~4月に乳がん騒ぎがあったので、その際の検査や手術費用を考えれば保険に入っていて良かったという事になる(と思いたい)が、あまりに高額で全ては過去になった今も目が回る。

僅かな期間ではあったが保険無しで暮らし、保険がないという生活がどんなに心を乱すかを身を持って知った。私の場合、期間が決まっていて今を乗り切ればって思えたけれど、アメリカの470万人と言われる保険のない人々の期限のない不安や心配は想像を絶する物であろう。
オバマ大統領の人気が急落しているが、私は今もオバマ大統領に期待している。誰でも医者にかかれる、薬がもらえる・・・そんな単純な事がアメリカではできないなんてあまりに悲しいよ。


その2

年初から始めていたテディーの日本入国準備であったが、9月に入り最終局面を迎えた。

まずは、動物検疫所に入国の届出書を提出した(40日以上前に到着空港に届けなければならない)。
次にUSDA (United State Department Agriculture)で裏書きをもらう為の準備を始めた。USDA内、APHIS (Animal and Plant Health Inspection Service)のオフィスは各州の州都だけ(カリフォルニアはサクラメント)と思っていたが、APHISに問い合わせた所、幸運にもロサンジェルスにもあるとわかった。
しかし実際裏書きをもらうためには、入念な準備が必要となる。主治医のサインが必要であるのはもちろんだが、その主治医もUSDA認定の医師である必要があった。テディーの場合、主治医がサンノゼからサンディエゴに変わり狂犬病予防接種・抗体検査はサンノゼ、最終検診はサンディエゴとなり、裏書きをもらえるかどうかはAPHISロサンジェルス事務所の担当者によって変わってくる(信じられない話だが、どうやら裏書きを取れるかどうかの最終判断は各オフィスによってだいぶ違う)。さらにたとえ裏書きがもらえても、日本の検疫所が書き直し訂正にも異常な程の厳しいルールがあり、ルールを少しでも間違えば入国が認められない。
検疫所に日程との確認・APHISに持ち込む書類の確認をした。書類はOKとなり、あとは主治医のサインをもらい、APHISの裏書きをもらうだけ(のはずだった)。

帰国10日前、主治医の最終検診に行った。
テディーの健康状態は良好。癲癇の発作も3年間起こしていない。この病院のドクターも機内で睡眠薬や安定剤を飲ませる事に反対だった。ドクターからは空港でチェックインぎりぎりに抗癲癇薬を飲ませるように言われた。すでに薬の時間も、帰国時のフライトに合わせ少しずつずらしている。後はテディーに頑張ってもらうしかない。念のため、ドクターに癲癇の持病があるので薬を12時間ごとに飲ませる必要があり、できるだけ早く検疫所から開放してくれるようにと手紙も書いてもらった。サンノゼのDr. Mも本当に良い先生だったけれど、まだ会って日も浅いサンディエゴのDr. Cも、なんて親切なドクターなんでしょう。問題があれば電話でもEメールでもしてくれと、彼女の個人的な連絡先まで教えてくれた。
こうしてドクターのサイン入りの書類ができたので、再び動物検疫所に書類に不備がないかチェックしてもらった。

書類にOKが出たので、いよいよAPHISの裏書きとなった。APHISにはロサンジェルスにいる娘に取って来てもらおうとあらかじめ決めていたので、Fedexで娘の元に送付した。

帰国5日前、娘がAPHISのオフィスに行った。書類不備!!
あれほど電話で持ち込む書類の確認をしたにも関わらず、2点ほど追加の書類が必要と言われ、裏書きがもらえなかった。
私が問い合わせした時電話に出たロサンジェルス事務所の男性は、非常に感じが悪く不親切だった。あまりに感じが悪いので、私の英語力のなさやへんな発音が気に入らないのかと思い、2度目の電話は息子にしてもらったほどだ。結局息子の時もひどい態度で私達二人は共に不愉快な思いをしたのだけど、どうやら娘に対応した男性は同一人物だったみたい。娘もひどく憤慨していた。
<何で電話の時に言ってくれないよ!意地悪としか思えない。>と腹が立ったが、<やっぱりねぇ、簡単には裏書きはもらえない>という妙に納得もしてしまった。<いやいや、納得しててもしょうがない。早く書類を捜さなくちゃ。>

テディーの病歴他全ての書類はサンノゼからサンディエゴに持ってきていた(病院通いの続いたテディーの書類はかなりの量の書類がある)。もしかしたらその中にAPHISで求めている書類があるかも。が、しかし、、、
娘からの連絡の前日、日本に送る荷物の中に、テディーの書類は全部入れてしまった。そしてその箱はすでにOCSに持ち込んでいる。ガ~~~ン!!<何で入れちゃったんだろう><昨日だよ、昨日>と我を恨んでもどうしようもない。すぐにOCSに電話を入れた。ラッキーな事に荷物はまだOCSオフィスにあった。荷物室に入れてもらって、箱を開けテディー書類を引っ張り出した。
早速車の中で書類を探した所、それらしき書類があった。

娘に見つけ出した書類を持って再びAPHISに行ってもらった。箱から引っ張り出した書類にも主治医のサインが必要だったそうだけど、まあいいでしょって、ついAPHISの裏書きがもらえた!?裏書きがもらえて、まあ良い人だったと評価が変わった(笑)。

これらの書類は娘が当日ロサンジェルス空港に持ってきてくれる事になった。
帰国3日前、ようやくテディーの検疫に関する入国準備が整った。

葛桜れい2010年11月26日 13:10
遅くなりましたが、おかえりなさい!!
テディーちゃんを大変な思いをして、連れてきたのですねー
こんなに愛されて本当に幸せなワンちゃんです。

ドキドキしながら、ブログを読んでしまいました。
どんな困難にも負けないkame3さんは偉いです。

kame32010年11月26日 15:18
葛桜れいさん

ただ今~、戻ってきました。

お褒めの言葉をいただき、恐縮です。
単に<テディー 命>なんだと思います。
テディーと一緒に日本へというのが、私の最大のポイントでした。夫はテディー次第でフライトのキャンセルもあると覚悟していたらしいです。

益子に時々お出かけになるのですね。益子は家から40分位の所にあります。今度いらっしゃる時は寄っていただけたらうれしいです。


その3

帰国を前にして、テディーの入国手続きと共に手間がかかったのが、銀行管理他全ての事務処理の引継ぎだった。

家のローン・HOA・水道光熱費・税金・クレジットカードの支払い・・・できるだけオンラインで処理できるように手続きを取ったが、日本と同様、実際のチェック(小切手)の支払いや振替、契約の変更は(契約者)本人でないと手続きができない。
急な支払いや口座振替等が発生した時、日本から飛んでくるわけには行かないので、主要な銀行口座に息子の名前を追加した。

アメリカの銀行では共有名義の口座を作る事ができる。日本に共有名義の口座が作れないとは私には非常に不便に感じる。
我が家ではアメリカの口座のほとんどを夫婦共有名義で持っていたのだが、今回それらの口座に息子の名前を追加したので、息子のサイン一つでチェック(小切手)が切れ、お金を引き出せるようになった。

手続きは銀行の窓口で行ったのだが、その後も細かい証明書や書類の提出を求められ、事は簡単ではなかった。
最終的に手続きが完了して、銀行員がにやっと笑って「これで車を買うのかな?それとも何?」と息子に言った。大金は入ってないけど、そんなの勘弁してくれ~~。
思わず"I trust you(信じてるよ)"と真顔で息子に言ってしまった(笑)。

帰国してから息子からのメールはもっぱらこれらの事務処理の質問ばかりだ。
かなりズボラな息子だから、作業はとんでもなく面倒なのだろうと想像するが、サンディエゴに一人となった彼に頼むしかない。
次々と来る請求書・銀行からの連絡通知他。スキャンして送ってって言ったら、スキャンは面倒と言って写真に撮って送ってきた。
事務的な事が落ち着くまでまだ少し時間がかかりそうだが、きっと息子にも良い経験になってるよね?


その4

帰国日が近づき、日本への荷物の発送をする日になった。
発送は日通とOCSの2社から航空便で送る事にしていた。予算内いっぱいに荷物を送ろうと、お買い物に行った。スーパーでいつも買っていたアメリカの食品や雑貨が急に貴重な物に思われて、あれもこれも欲しくなった。だんだん帰国という実感が沸いてきた。
重い書類は送ってしまおうと箱に詰めてしまったのは、浅はかだった(前述日記の通り)。

帰国前日、日本から船便が届いた。船便には娘の冬着が入っていた。と言うのは、2ヶ月前夫が1年間の留学を終えた娘の荷物を送っていたのだ。おお、なんというタイミング!冬着到着を待ち望んでいた娘に明日空港で渡す事ができる。だけど彼女が必要な物だけ持って行けば良い。こんな時はスカイプが大活躍する。早速娘とスカイプトーク。画像を通して洋服の一枚一枚を見せ識別した。インターネットは我が家の生活には欠かす事の代物だ。

それにしても荷物をサンノゼ・サンディエゴ・ロサンジェルス・アーバイン、海を渡って栃木・千葉・東京とあっちへこっちへ・・・。一体我々は何をやってんだ~。

数日後には帰国だ。少しでも家をきれいにしなくちゃと思った。洗面所もトイレもキッチンも小さな庭もどこもかしこも急に汚れが目に付いた。何でもぎりぎりにならないと動かない私のLast minuteな性格は変わらない。ああ、何でいつもこうなんだ、少しは学べと我を叱る。息子の一人住まい、すぐに汚くなるのは見えているけど、お母さんがいた時はきれいだったと今更ながらに思わせたい(笑)。

家庭の味が食べられなくなる息子にあれもこれも食べさせようと多くの食材を買っていた。だが買い物に掃除にと雑用に忙しく、思ったより捌けてない。冷蔵庫の中はまだ調理を要する食材でいっぱいだ。このまま置いておいたら腐らせるだけ。ああああ、まとめて作って冷凍にしなくちゃ。。。。。

というわけで、帰国前日は夜中の2時頃までバタバタと動き回っていた。明日は5時起き、睡眠不足で機内ではぐっすり寝ていこうという作戦だった。

PS、日本での生活を始めて2週間、息子から冷凍冷蔵庫の中がほとんど空になったとメールが来た。そしてあまり健康的でないインスタント食品やファーストフードの食生活で少し痩せたと。日本で日々おいしい物に囲まれて生活し、感動のお味に出会うたびに子供達に食べさせてあげたいといつも思う。彼らは彼らのアメリカンな若者食に、さほど不満は感じてないとも思うけど・・。

先週はサンクスギビングだった。家族で集まる習慣のあるホリデーだ。我が家の子供達3人もサンディエゴに集合した。木曜日のサンクスギビングディナーには彼らのそれぞれの友達も参加したようで、にぎやかなサンクスギビングデーになったらしい。送られて来た食事の写真はいかにも楽しそうで、皆でワイワイ当番を決めて食事を作っている姿が目に浮かんだ。

anton2010年11月30日 01:19
出発間際まで、やっぱりバタバタしてたのね(笑)
でも、その母心わかります~

姉弟仲良くて、心強いですね。
皆が日本に来るの待ち遠しいでしょう。またバタバタしちゃうね。

kame32010年11月30日 07:13
antonさん

私、いつもバタバタしてるね(苦笑)。でも出国間際はとにかく忙しくバタバタしていたので、テディーの輸送に過剰な心配をせずに当日を迎える事ができたのは良かったです(笑)。

うちの子供達に仲が良いという印象はないなあ~。でも寮から家に戻るホリデーシーズンに、帰れる家があって良かった、集まれる兄弟がいて良かったと思っています。

2010年10月3日日曜日

2010/10

UCSD

『University of California San Diego』

10あるカリフォルニア州立大学の一つで、1959年に創立された。
2,040エーカー (8 km²)の広いキャンパス。と言ってもあまりピンと来ない数字だが、どうやらこの広さは東京ドームの約171倍、東京ディズニーランドの約15倍になるようだ。。。ホントかな?
キャンパスの駐車場はいつもどこもいっぱいだ。キャンパス内を移動するには車は不便な代物らしく、学生達はキャンパス内を走るバスを利用するようになる。
しかし息子はキャンパスではほとんどバスに乗っていないらしい。とんでもなく楽しいらしい(中には適応せずに学校を辞める子もいるが)寮生活が経験できなかった息子は毎日、移動手段であるロングボードを片手に家のそばのバス停から満員の学生バスに乗りこみ学校に行っている。

UCSDでは専門に入る前の学部課程で6つのカレッジを選び、それぞれのカレッジが持つ独自の一般教養課程を取得しなければならない。
彼の専門はBio(生物学)。医療関係を目指す学生が多く、クラスはかなり厳しいようだ。医者になるつもりのない単に理科が好きなだけの息子が、厳しい大学のカリキュラムに果たしてついていけるのだろうか。。。。などと、私が気にしても仕方がない。
とりあえず、楽しく元気に過ごして欲しいものだと、思うのみ。

写真1>UCSDキャンパス
写真2>目玉になっているGeisel Library(ガイゼル図書館)
写真3>学生がFreeで乗れるバス。校内と大学近隣を走る

BOMKAME2010年10月05日 19:22
どの写真も空が青いし彩度が高くていい環境ですね。
きっと息子さんはとんでもない成長をしますよ。
南半球にも春がやってきました

kame32010年10月06日 00:38
ありがとうございます。
遊ぶには最高の環境と思います。
スキー場はちょっと遠いですが、遊びもバラエティーに富んでいます。
その中で楽しみながら、目的意識を持って学んで行ってくれたらと思います。全ては本人次第ですね。

そちらは春ですかー。良い季節の到来ですね。


突然の滞在者

姉を空港に送ってすぐ娘から電話があった。
「友達のアパートにゴキブリが出て困ってる。助けてあげて!」
私「??何をすればいいのかわからないから、とりあえずうちに来るように言って。」

1時間後、娘の友人が2人来て興奮状態で語った。聞けば彼女達のアパートに夜中からゴキブリが大量発生し、とてもいられる状態でなくなったらしい。急遽荷物を移動し彼女達が待機できる場所を探しているとの事だった。

なんと言うタイミング。ちょうど姉が帰国してしまって寂しくなった次男の部屋が空いてる。とりあえず荷物をまとめていらっしゃいという話になった。
その夜、へとへとに疲れた様子の2人は荷物を抱えて家に来た。

あれから1週間。ゴキブリ駆除の業者が入り大方のゴキは退散したらしく、今日彼女達は自分のアパートに戻る。
彼らのアパートは5人住まい。新しいルームメートがよく料理をするのだが、片付けは一切しない子だったようで、荒れて汚いキッチンから多種に渡るゴキブリが大量発生したらしい。彼女達は今後ルームシェアーのルールを明確にして、いつも注意すると固く決心したようだ(今までは見て見ぬ振りをしていたそう)。

私は部屋を貸しただけで食事も出さず、彼女達はひたすら恐縮して息を潜めて部屋にいた。リビングに来る事もなくあまりに静かでどうしたのかと心配するほどだった。

彼女たちが1週間家に滞在したにもかかわらず、テディーは彼女達の姿を見るたびに吼えた。威嚇しているのではなく吼えた後ぺろぺろ舐めて愛想を振りまくのだが、毎回の事で参った。

姉が来た時には、会ったその時から家族が帰ってきたように尾を振り大喜びで歓迎し、これでもかというほど姉にくっついて歩いていたのは何だったのか?
姉と会ったのは2年前、それだってほんの1週間の事だったではないか。これってDNA??テディーが何を感じて、こんなにも違う行動をとるのか、全く理解できない。

帰国まで残り3週間を切ったが、我が家はあいかわらず簡易宿舎のようだ。

anton2010年10月06日 23:29
嫌だなぁ、ジローさんたち。

ちょっと前にYou tubeで関西の方の駅ビルだか何だかのマンホールから
アレらが噴水のように湧き出てくる映像を見たばかりで。
多種にわたるって・・・すごすぎる。
だいたい、新ルームメート以外はまったくキッチンを使わなかった
ということなのかしら。

テディーも落ち着かない一週間だったのかな。
やっぱり身内とそれ以外では反応が違うのね。
kame3さんの微妙な気の張り具合いを感知していたりして。

kame32010年10月07日 01:47
antonさん

You tubeの映像、見たくないなあ。
彼女達のゴキ話も、耳をふさぎたくなるようなものでした。ゴキ君は簡単に繁殖してしまうんですね。アメリカに来てゴキブリを見た覚えがなかったもので、今回の一件は非常に驚きました。コオロギの大量発生はあったなあ。。そう言えばクモをやっつけたら子供が大量に飛び出した事もあった。
うわ~~、何だか気持ち悪くなってきたよ。

彼女達は料理をしないそうで、新しくきた同居人が料理魔だったと。料理魔は良いけど片付けをしないとはかなり問題だけど、『ルームシェアー』っていろいろたいへんそう。

私の心も反映してる・・・ありそう!
ただただ散歩で出会う人たちにも、寄り添ってペットしてもらう場合とひたすら逃げ回る場合があって、どこで分けてるのか知りたいです。


どんなビールがお好き?

息子が時々ビールを飲んでいると知ったのは、最近の事だった。

アメリカでは法的には21歳で飲酒OKとなる。しかしその以前に飲んでいる子は多いと聞いていたけど、我が子が飲んでいたとは知らなかった。。。。
日本では未成年の飲酒は禁止されていても、大学に入るとやたらと飲み会が多くなり18.9歳でお酒を飲むのは当たり前になってる。それに比べてアメリカの学生は何とお堅いんでしょと思っていた矢先の事で、これには本当にびっくりした。

確かに「そのビールはスクリューで栓抜きが要らない」とか「・・・Lightは昔からある」とか、やけにビールに詳しかった。
そんな折、来客続きだったのでビールを飲む機会が多くなり、息子がずいぶん前から飲んでいたと知ったのだ。
いつから飲んでいた?別に飲むのを非難する気はないけれど、全く知らなかったとはショックである。
しかし絶対飲酒運転はしないでよ!

若い頃は私も連日連夜ずいぶん飲んだものだけど、元来強くなった上にここの所の体調不良でお酒はほとんど飲めなくなっていた。
しかし、、、最近夕食時に息子とビールを飲んでる。昨日はそのビールの買出しまでしてしまった。

息子にとってビールは味わうものらしく、こっくりしたタイプのビールが好きらしい。
私はあまり味の濃厚なものは好まず、ごくごく飲める軽いビールが好みだ。
昨日は息子お奨めの『Blue Moon』なるコロラド産のベルギーホワイトビールを試した。
苦味はなくフルーティーな味わい。のどごしさわやかと言った感じではなく私には△かな。私の好むビールは、味がなくておいしくはないと息子は言う。ビールも奥が深く人の好みも様々だ。

さて皆さんはどんなタイプのビールがお好きですか?

ととると(*´ω`*)♪2010年10月08日 07:07
コロナ\^o^/ビール

私もあっさりしたビールが好きハート
コクのあるのはあんまり好きじゃないかなあせあせ(飛び散る汗)

kame32010年10月08日 09:00
アロハさんもコクのあるビールは今一つなんだね。
コクよりキレを求めると言うか・・・。

『コロナ』は、私も好き~!最近コロナライトが気に入ってる。
ライムを瓶の口に差して、瓶のままゴックンゴックンと一気に・・・。気分はもうメキシカンですな。

ととると(*´ω`*)♪2010年10月08日 09:23
>kame3さん
コロナ、夏は水のように飲んでましたあっかんべー

シーで飲めるハート
メキシコ料理の店があるのわーい(嬉しい顔)
確かにライム刺さって出てくる電球

あとは日本の銘柄アサヒビールかなぁわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

kame32010年10月08日 13:19
シーはメキシコ料理も楽しめる所があるんだね。

日本のビールも久しく飲んでいない。。。。
アサヒもキリンも、サントリーもわからないと思う。う?発泡酒との違いはわかるかなー。全く自信がないや(泣)。

anton2010年10月08日 15:11
ビールなら何でも好き~
というより、お酒なら何でも好き~

強いて言うならスタウトかな。
家では発泡酒なんだけどさ。

飲酒は20歳からなんて言っていても、結局大学生になったら飲む、という感じでしたよね。
娘も、今日は友人と飲み会なんていうことが多くなりましたが、○○サワーみたいなものばかりで、可愛いもんよぉ。

kame32010年10月08日 23:48
antonさん

ふふ、antonさんならではのお言葉です。
『スタウト』って麦芽のしっかりした濃いビールですよね。一般的に酒好きはコクがあるビールをより好むのかなあ~。

お嬢さんも飲み会に行ってるんですね。○○サワーいいですねー。若者はとかく愚かな飲み方をしてしまうもの。徐々に酒を知るのが良いかと・・。


4人で過ごした週末

この週末、娘と次男が家に戻って来ていた。

彼らの新しい生活の様子を聞いた。娘は彼女の院の仲間が全員年上で、彼らは大学を卒業後就職も経験し賢く語彙も豊富で、その中で娘は自分が実に幼く未熟であると感じたとか。莫大な読書量を求められ読書とレポートをまとめる毎日で、今は課題を消化するのに手一杯の様子だ。

次男は<楽しい~~>の一言に尽きる大学生活がスタートしたようだ。クラスの話はほとんどなく、Japanese-Americanや日本太鼓、ボート等諸々のサークルに入る事も検討中だとかで、すでに新しい良い仲間もできたらしい。勉強が過度の負担にならなければ(これが問題だ)、明るく楽しい学生生活が送れるだろう。

Costcoで仕入れた大量のスナックを3人に分配した。カップラーメン・シリアルバー・ビスコッティー・スープ缶・・・彼らのディナーにもなる貧素な食生活だが、これぞ大学生活とも言えるのかも。

私はあと2週間で帰国。次に二人に会うのは日本となる。

狭い狭いと思っていたこのサンディエゴの家だが、最近広いと感じてる。テディーと私が帰国したら、その広さを息子は実感する事だろう。息子はインラインホッケークラブに入った。そしてハイキングや写真のサークルにも参加を考えているそうだが、一日も早く心許せる友達ができるといい。

この週末、日本の家に船便の荷物が入った。夫一人で210個の荷物の受け入れに孤軍奮闘したようだが、運送屋が帰った後、夫はサンノゼから送った荷物をどんな思いで開けていたのだろう。彼から送られた写真で日本の家に少しずつ収まっていく見慣れた備品を見るに、私達夫婦の新しい生活もすでに始まっているんだと強く感じた。

コンドー内のプール Palm Treeが南国を思わせる
鮮やかなブーゲンビリアがあちこちに咲く。
10月になってゆりが咲き始めた。季節は確実に変わっている。
家の前で記念撮影。幸多かれと願う。