2018年6月27日水曜日

伊藤比呂美さま!(◎_◎;)



20代の頃、同世代の詩人 伊藤比呂美を知った。刺激的な数々の言葉や表現にいいのいいの?って思いながら読んだ『良いおっぱい 悪いおっぱい』

ブックオフで伊藤比呂美の『閉経記』を見つけた。久々の伊藤さん こんにちは。あれから30年以上経ちました。

閉経記初版は5年前 伊藤比呂美さん50代後半の時ですね。いやいやーこれまたまさに伊藤さま、直剛速球でございます。私は今この時何を思いどう乗り切るか考える闘いの日々を過ごしております:( ←嘘 漠然と思ってるだけ(^_^;)
そして、60代を過ぎて書かれた文庫版あとがき、、重いです。

伊藤比呂美さんの言葉は、そうそう、それそれ、うんうん、、と頷く事の連続である。彼女の環境と私の歩いて来た道には、共通点が多いからかもしれない。
伊藤比呂美 子供3人,LA在住 親の介護でひと月に一回帰国,庭弄りにハマる,愛犬にどっぷり,エクササイズのあれこれ、、、
時を同じくして読んだ伊藤比呂美の『木霊草霊』は、彼女が日本とアメリカを往復する中で生まれた美しい本だと思う。

伊藤比呂美を追っかけよう。私の次のターゲットである(^^)

2018年6月19日火曜日

ベトナム再考



帰国して1週間経った。日本は寒くてヒーターが欲しくなった。庭は雑草が大喜びで、彼らの楽園になっていた。テディは第2の家となってるペットホテルで幸せな時を過ごし、友人に預かってもらっていた花鉢も皆元気で帰宅した。
当たり前になってる栃木の田園風景。何故だか胸がキュンとする。雨の合間に雑草取りして、梅の買い出し。大慌てで梅酒を漬けた。今年は梅干しも挑戦しよう。

ベトナムの小物は楽しい。あれもこれも欲しくなった。日本からの大荷物でスーツケースはいっぱい。夫は小さなバッグ一つで思ったようには買えなかったが、並べて写真を撮ってみた。
これに夫の民族楽器が加わる。

ベトナムの街並みを描いたバッグはハンドメイド。温かな風合いが気に入った。店の女性は「夫は日本の企業に勤めてます。日本にいるんですよ」と誇らしげに片言の英語で話してくれた。
ハノイではSPAにも行った。受付の女性が興奮気味に日本で暮らす姉の話をしてくれた。日本語の勉強をしているらしい。こちらも片言の英語。一生懸命彼女の話をする姿に心打たれた。彼女は日本人である私たちにスマホでお姉さんの写真もたくさん見せてくれた。日本での姉の姿を事細かに話そうとする彼女はキラキラして、日本への憧れが感じられた。

ベトナムを立つ日 ハノイ空港では、親子の別れを惜しむ姿があった。娘は10代後半?何処に旅立つのだろうか?父親が娘を抱きしめ号泣、絞り出すように何か言っていた。「元気で暮らすんだよ。こっちの事は心配しないで……」と聞こえた(^_^;)
日本やアメリカ、シンガポールではもう見られなくなった光景である。

ベトナムの人にとって、世界はまだまだ大きくて遠くて、、、なのかもしれない。
あのキラキラした日本を夢見る瞳が忘れられない。

2018年6月12日火曜日

2018年6月8日金曜日

YOGA@Singapore



6月6日 関東地方も梅雨入り。
シンガポールは連日30度越えだが、来星以来全くスコールや雷雨はない。天気サイトではfeel like39度と出てる。めちゃくちゃ暑い(>_<)

ヨガスタジオYOGA Movement でヨガのクラスを受けた。
クラス1時間。スタジオではBasics,Core, Power, Zen などいくつものクラスが用意されている。お試しの今日はBasicsを選択、ドキドキしながらレッスンを受けた。

お洒落な空間、清潔なスタジオだが、決して広くないスタジオに30人ぐらい入り、すし詰め状態だ。Basicsと言っても全くの初心者には厳しいプログラムかもしれない。なんせ参加者は20-30代の女性が大半である。栃木で通うジムとの違いに思わず腰が引けた。さらに参加者の半数以上が欧米人。シンガポールならではの構成であろう。



私が初めてヨガに出会ったのはバージニア。インストラクターの女性のスリムなボディ、優しげな物腰に惹きつけられた。その後サンノゼのコミュニティーセンターでクラスを取った。今は地元で週3-4回通ってる。
私の見てきた世界だけであるが、ヨガする尤も多い年齢層はシンガポール30代 アメリカ40代 日本60代、、、とみた(笑)

YOGAはずっと続けたい。そしていろんなクラスを取ってみたい。インドのYOGAは凄そうである。
シンガポールでYOGA、、もう少し早く気付けば良かった。

2018年6月5日火曜日

ベトナムからシンガポールへ

ベトナムのハノイに3泊した。
初めて東南アジアに触れたように思う。ハノイの街を歩き感じた何もかもが、想像の域をはるかに超えていた。写真やネットで知っている気になっていたのが恥ずかしい。子どもの頃の上野の街を思い出した。現在の人形町辺りの問屋街も浮かんで来た。終戦後の復興に向かっての街づくりをしていた日本の姿に似てるのだろうか?当時の日本の喧騒はエンジン音やクラクションがなく何が聴こえていたんだろ?



















































シンガポールに戻り、この空間は何年の月日を経てどうやってできて行ったのだろうか?以前にも増して不思議に思う。同じ東南アジアにあり、あまりに違う世界が広がる。
シンガポールはピカピカに綺麗で衛生的で、交通網も充実、英語も通じる。食べたい物欲しい物は、お金を出せば何でも手に入る。

『民度』とは何だろうか?
教育や豊かさ、衛生や安全面が民度とすれば、確かにベトナムは民度が低いと言えるのかもしれない。あれ?そもそも豊かさって何?
最近の日本に民度の急降下を感じるのは私だけではないだろう。
世界中にはいろんな民族がいていろんな生活スタイルがあって、何が正しいなんてわからないけれど、自分を取り巻く世界はほんの一部分で見えてない世界はとんでもなく大きいって事を常に意識し、少しでも分かろうとする事は大切なんだろうな 、たぶん。

2018年6月1日金曜日

ハノイで逢瀬



なんちゃって(・・;)無事会えるか?
米朝会談はどうなる?
色々気になるけど、もうすぐ出発(^^)