2010年9月20日月曜日

私の訪問客

サンディエゴに引越してから、何とお客さんの多かった事か。全て子供の友達なのだが、狭い家にひきめきながらの食事のみのお客さんや連泊のお客さん。まるで簡易宿のようだったが、娘と次男が入寮した今すでに思い出の一頁になっている。

今日から1週間、姉が遊びに来てくれる。
たった今サンフランシスコの空港から着いたと電話をもらった。
2年前サンノゼに姉夫婦が遊びに来てくれた。その時はNapaやCarmelを巡りワイン三昧の実に楽しい時を持ったが、今回は姉一人の訪米。旦那連には申しわけないけど、パーフェクトの気候(?)と言われているサンディエゴの街を散策して、ゆっくりした時を過ごせればと思ってる。

昔は英語も多少話した姉が初めての一人旅に緊張しているのが、妙に可笑しい。
さて、そろそろお迎えの準備をしましょうか。

ととると(*´ω`*)♪2010年09月21日 13:28
私の度胸を少し分けてあげたいと思ったよ(笑)

乗り継ぎをやたら心配していたので、『いざとなったらチケット見せてWhere?と聞きゃなんとかなるexclamation』といい加減なアドバイスしてみました(笑)

無事着いて良かったわわーい(嬉しい顔)

kame32010年09月21日 14:37
空港では呼び出しをかけられたりいろいろたいへんだったようですが、無事に元気に来てくれました。
日本からサンディエゴまでの直行便がないのは、つらいな。LAまでお迎えに出られれば良かったのだけど、初めての乗り継ぎ一人旅はやっぱりドキドキものなのかな?!

エビちゃん2010年09月21日 21:25
1人でも何とかなるexclamation全く話せない俺が何とかなったから電球

kame32010年09月22日 08:05
すっかり元気になって、今日はショッピングを楽しみました。
帰りも乗り換えになるけど、もうドキドキそわそわもないでしょう。

エビちゃんがどこを回ったのか、詳しく聞いておけば良かった。


Carlsbadのアウトレット

姉の滞在中、サンディエゴは最高のお天気だった。
毎日青空が広がり、サンディエゴの街が一層美しく感じられた。彼女が帰った日は気温が39度まで上がった。カリフォルニア全域で記録的な猛暑だったようだけど、夏の間一度も使わなかったファンが回りっぱなしの一日となった。

さて、姉と行ったサンディエゴの街を少しアップしよう。

この日は家から30分ほどの所にあるCarlsbadのアウトレットに行った。
清々とした新しいアウトレットで整然としてきれいなアウトレットだ。サンディエゴにはもう一つメキシコとの境界線に大きなアウトレットがあるが、そちらはいかにもメキシコを感じさせ、アウトレットも土地柄が出るのが面白い。

写真1>Carlsbad Premium Outlets
写真2>ここで昼食。いかにもアメリカンダイナー。
大きすぎるハンバーガーがいろいろ楽しめる。アメリカ生活も長くなり、たまに馬鹿でかいハンバーガーが食べたくなる。
姉はがぶっとかぶりつくことができず、パンばかり先になくなっていたのは、愉快だった。
写真3>行きは5号線を北上したが、帰りは海岸線を走った。
車内からの撮影で今一つ雰囲気が出てないかな?天気の良い日の101号線のドライブは最高の気分。

退会したユーザー2010年10月02日 19:06
写真3見たら、ドライブに行きたくなりましたexclamation ×2
海岸線をドライブ・・・気分最高ですね揺れるハート

kame32010年10月03日 01:56
holoholoさん

好天気のドライブは本当に気持ちが良いですね。

サンディエゴの街は坂やカーブが多く、スピードも北カリフォルニアに比べて早く運転しやすいとは言いがたいのですが、この海岸線の道は走りやすく、私もドライブを楽しむことができました。


La Jolla(ラ・ホヤ)

サンディエゴの高級リゾート地として知られているLa Jollaのダウンタウン・ビーチに行った。
家から15分の場所にいかにもリゾートと言った場所があるのが、なんとも妙な感じがする。

この日も天気は最高で、どこもかしこもキラキラと輝いて見える。
La Jollaはラホイヤと発音するのだが、何故か日本語だとラホヤになるらしい。
そのLa Jollaは旧スペイン語で宝石という意味だとか・・納得の街である。

写真1>La Jollaのダウンタウン。
おしゃれな高級ブティック・レストラン・ギャラリーが立ち並ぶ。
写真2>輝くばかりの海岸線の美しさは格別。

写真3>La Jolla Cove
海岸線の遊歩道をぐるっと歩けば、アザラシやペリカンがすぐそこに。アザラシと一緒にシュノーケリングもできるそう。
ペリカンはあまりの多さに感動したものの、近づけばかなりの臭い。。。撮影後は足早に退散した。

La Jollaは足繁く通っても飽きない魅力がいっぱいの街だ。しかし週末はかなりの賑わいで、駐車スペースを見つけるのはたいへんになる。
週末に行くのはできれば避けたい。

JettaZ332010年10月03日 16:27
La Jollaと言えば、晩年のチャンドラーがシシーと暮らした土地。海の見える家だったそうです。
今もこの家は存在し、チャンドラー夫妻が住んだ家と看板が有るそうです。

kame32010年10月04日 01:10
チャンドラーはどの辺りに住んでいたのかと、思わず調べてしまいました。
http://www.houseogroove.com/cuppa/BlogDetail.php?pg=109

チャンドラーとシシーが寄り添い、海を見つめて過ごした姿が目に映るような気がします。

JettaZ332010年10月04日 05:52
RC構造の素敵な家ですね。
デザインもいけてます。

この家で多くの名作が生まれ、チャンドラーとシシーが仲むつまじく暮らしていたと思うと、感慨一塩です。

kame32010年10月04日 06:24
チャンドラーファンのtatsuo1さんには、この家はさらに奥深いものなのでしょうね。

帰国後は好きな作家や歴史上の人物ゆかりの地を旅したいななんて考えてます。
時代を超えて我々に感動を与えてくれる作品を残した人々や、歴史上の人物。それらをずっと見守っている山や海などの自然。
ゆったりした気分で存分にタイムスリップしたいなあー。


Old Town

サンディエゴの街は北と南ではかなり装いが異なる。
南はメキシコの文化が投影され、北とは一風違った趣がある。

家から5号線を南に15分、SDのダウンタウンからは北西5kmの所にサンディエゴ発祥の地『Old Town』。現在は州立歴史公園となり、町並みは1800年代のままに保存されている。
私達が訪れたのは土曜日とあって、街は午前中から賑わいを見せていた。
メキシカンレストランや土産物屋が立ち並んでいる通りを抜け、園内に入るとそこはタイムスリップしたような世界が広がる。
サンディエゴ最初の学校や当時の店・裁判所・農園・鍛冶屋・・・当時の衣装を身に着けた人々もいる。
ここでは各種のフェスティバルも開催されるようで、年齢を問わず楽しめる所となっている。
昼食は園内でメキシカンダンスのショーを見ながらメキシカン料理。
期待した程の味ではなかったが満足の食事。

この辺りのメキシコ料理はレベルが非常に高く、こちらの期待度もどんどん上がっていく。そもそも私は高級レストランでなく、町の食堂と言った手合いのメキシカンが好きなのかもしれない。

焼け付くような太陽と真っ青な空。この日もこの地を訪れるのに最高のお天気だった。




2010年9月5日日曜日

2010/9

新しい生活の準備

2010年が過酷な年になるであろう事は承知していたし、実際もう勘弁と思う事も続いたけれど、気がつけば早や九月。
一日一日を意識しながら生活してきたつもりだったが、この半年何をどう過ごしてきたのか正直わけがわからなくなっている。
この綱渡りのような日々も最終ステージに入った(と、思いたい)。

先週長男がサンノゼで2週間あまりを過ごし、愛車で帰宅した。そして長男の帰宅と時を同じくして娘の日本で仲良くなった韓国人のお友達Zちゃんが遊びに来た。Zちゃんは我が家に1週間ほど滞在した後、二人はロサンジェルス・サンフランシスコとドライブ旅行に出かける。

娘は旅行を終えた数日後ロサンジェルスの大学寮に入り、次男もアーバインに入寮の予定だ。
ここ1,2週間は、2人の入寮準備の買い物に追われているが、娘は寮と言っても家具付のアパートに入るのでそれなりに必要なものもあるとしても、車を持っていくから入寮後に自分で買出しは可能だ。しかし次男はしばらく車無しの生活をさせるので、ある程度の生活用品は持たせてあげたい。

家族ばらばらの生活へのカウントダウンが始まり、子供達は3人それぞれ新しい生活に期待を膨らませている。
それと同時に私達夫婦の第2の人生(?)の幕開けも近い。

8月末、貸していた日本の家が私達の手に戻ってきた。夫はこの週末入居準備で掃除やら買出し、ガス水道等の引き込みにと大忙しで駆け回っていたようだ。まだまだ異常な暑さの続く中、さぞたいへんな重労働だったと想像するが、今の私には何もできる事がない。それにしても16年前に建てた家にこの度初の入居となるわけだが、家の掃除からのスタートとはなんとも現実は厳しく悲しいものだろうか。

今月後半にはサンノゼから送った船便も着く予定だ。サンディエゴの家に運んだ荷物は内容的にも量的にもほぼ完璧と自己満足しているが、日本への荷はどうだろう。無事収まると良いのだけれど・・。荷受作業は夫一人でする事になりこれまたたいへんと思うが、今年はお互い踏ん張りどころと頑張ってもらうしかない。

退会したユーザー2010年09月06日 11:09
ご自愛くださいませ!

kame32010年09月06日 12:21
umibouzさん

ありがとうございます。
新しい出発って期待と不安がいっぱいですが、少なくとも子供達は明日を見てるのをうれしく思います。

退会したユーザー2010年09月06日 12:52
本当に最終ステージですねexclamation ×2
今年のお正月は日本ですねわーい(嬉しい顔)
その頃にはすっかり、落ち着かれているのでしょうコーヒー

kame32010年09月07日 00:06
holoholoさん

そうですね。お正月も近い。
いろいろと不安で押しつぶされそうな毎日ですが、数ヵ月後のゆっくりとした生活を夢見てもう少し頑張ります。ありがとう!

anton2010年09月07日 00:56
しばらくは、テディーと二人きりの生活になるのかしら。
もしかして初めて?

Hansさん、頑張って台所、きれいにしてくれてましたね。
土・日を使っての受け入れ準備も大変そう。まだまだ暑いしね。
kame3さんもいろいろ慌ただしくなりますね。
体調には気をつけてね。

kame32010年09月07日 02:16
antonさん

ありがとう!

娘と次男が寮に入った後は、しばらく長男とテディーとの3人暮らしになります。
寮住まいを経験できない長男は多少不満のような・・。

先住者も一応きれいにして出て行ってくれたようですが、やはりキッチンの汚れは気になったみたいですね。夫がマメな人でよく動いてくれるので、助かります。日常の家事はほとんどしない人ですが・・。



いつから大人?

もうすぐ生活が一変するのに際し、大きな問題となるのが収支勘定だ。

今後子供達のアメリカでの生活費用は全て、日本からの送金となる。円をドルに換えるには今が最適と言えそうだが、持ち金が少ない上に日本での新生活の準備費用がどの位かかるのかもわからず、ほとんど送金できないのがつらいところだ。

さて、ここに来て気になってきたのが、<子供達の教育費・生活費他はいつまで親が負担するべきなのか>という事。

日本とアメリカでは、成人に対する考え方・親子関係は大きく異なるように思う。
日本では高校卒業時にどの位の割合で、親元を離れ大学や勤め先に通うのであろうか?日本でも都会と地方に住む人とでは条件が違い、東京近郊に住んでいた私には日本とは言え、その実態はよくわからない。
アメリカ(カリフォルニア?)では18歳を超えると親元を離れ生活する事が多いように思う。アメリカでは18歳から成人扱い(18歳以上はMajor,未満はMinor)とする州が大半(飲酒・タバコ・運転免許等は州によってさまざま)であるからなのかもしれない。

経済的に恵まれた環境下にいる子供たちは、18歳を過ぎても何の疑問も問題もなく親に大学費用を出してもらって大学に行く。経済的に厳しい場合はFinancial Aids(奨学金)から補助をもらったり学生ローンを借りたりする。Financial Aidsの契約は18歳以上の子どもである場合は本人契約となり、ローンを借りれば卒業後すぐに返済が始まる。
アメリカにおいては景気が良かった頃は大学の費用も非常に安かった。さらに学ぶ為に学生ローンを借り、その学んだ事で良い就職ができたので、返済も可能だった。輝かしい時代だ。しかしここ数年のアメリカ経済の崩壊・深刻な就職難で、莫大な大学費用をかけ教育を受けても就職できない有名大学出の若者達はあまりにも多く、彼らは借金をして学んだのにキャリアを生かして働けないという残酷な状況にある。

さて、我が家の家計の話である。
できれば大学卒業までは、お金の事を気にせずゆっくりしっかり学ばせたい。しかし卒業まで何年かかるかわからない中(クラス・職員の削減で必要単位が取りにくい)で、「費用は出してあげるからゆっくり学べばいい」なんてとても言えない。
さらにこの秋から大学院に行く娘の費用はどうしよう。学びたいんだもの、とことん学べばいいなんて軽く言っていたけれど、こっちの財布は悲鳴をあげてる。娘23歳。充分大人と言える年齢だから、一人で全部を背負い込むべきなのか。幸い娘は今年は大学からScholarship(奨学金)がいただける事になったので、親の懐からは生活費だけで何とかなりそうだとか・・。来年も引き続きもらえるよう、相当の努力は必要だろう。

同時に始まる5人それぞれの新しい生活に果たしていくらかかるのだろう。不安いっぱいの私に、アメリカ生活の長いTさんは言う。
「子供が18歳になればいっぱしの大人。そんなに負担に思わなくていいのよ。子供は子供で何とかやっていくわよ!」

退会したユーザー2010年09月11日 14:06
教育費の問題は頭が痛いですね。子供の就職も気がかりです。が、心配してもどうにもならないこともありますよね。親として出来ることをしてあげるだけで、それ以上のことは出来ないのだと思います。

kame32010年09月11日 16:31
umibouzさん

そうなんですよね。先を憂いても何も良い事はない。
自分では楽天的な性格と思ってきたのに、悲しい哉、年を重ねるごとに母親譲りの心配性の幅を利かせるようになってしまって・・。
「できる事をする」・・これに徹するのみですね。

anton2010年09月11日 20:16
子供は子供で何とかやっていく・・・
そうふっきれたらいいですよねぇ。

同僚は、4,5年のことだから、(こちらが出しても)なんとかなるものよと言いますが、そりゃあ、あるものあればなんとかなるでしょうが、無い袖は振れぬ。

日本の場合、就職しても親と同居、というのも多そう。
パラサイトと呼ばれています。
独立すると生活がかつかつという事情もあるでしょうけれど、楽だし
お金貯められるし、ということでしょうか。

学食に来る学生では、学費は親が出してくれるけれど、家賃・その他の生活費は自分で、という人が多いかな。

kame32010年09月12日 01:23
antonさん

いろいろと厳しい現実に直面し、自分がつくづく小さい人間だと感じさせられてます。
日本でもまるまる親が負担という事ではないんですね。

『パラサイト』アメリカでは『Twixster』という言葉があるようですが、子供に自立を求め事が親の経済的事情からではなく、子ども自身を育てる意味から出発できたらいいですね。

親の加護の元 完全に守られた状況下で学ぶのではなく、厳しい状況下で生活する経験が、後々財産になってくれたらと思います。



弱者に冷たいアメリカ

またまた厳しい現実、お金の話で恐縮ですが、やっぱり書きたい。

以前アメリカの健康保険について書いた事があったが、今回改めて弱者に冷たいアメリカを感じた。

昨年10月から駐在員家族でなくなった我が家は、月々の健康保険の支払いも自腹となっり、会社の入っていた保険をそのまま引き継げるコブラの保険(団体割引がある)に入っていた。
10月の時点での月々の保険料は1500ドルだったが、今年1月から1850ドルに値上がりした。この金額は払いきれないとコブラをやめて個人で保険に入ろう、その前にチェックアップと思って健康診断をした。そこで乳がんの疑いとの診断を受け、検査が続き手術をした。莫大な費用のかかる検査や手術を受けていたので、保険を変更するきっかけを失ってしまった。
そうこうする内に、オーナーからの急な退出要請を受け、すぐに引越し先を決めなければならなくなった。バタバタと家を購入・引越し、今に至る。その間子供達の大学決定・娘の帰国他、ただただ目の前にあるハードルを越える作業に追われていた。

月々1850ドルとはべらぼうな保険料なのだが、この金額は3人も5人も同じ金額だった。なので家族全員保険をキープしたのだけど、今年5月23歳になった娘はコブラの保険の対象外となった。
娘が対象外となったのを期に保険の変更も考えたが、やはり引越しで落ち着かない日々を過ごし、健康上も自信がなかった事もあって、結局毎月1850ドルを払い続けコブラの保険を今までキープしてしまった。

今後の子供達の健康保険をどうするか。
娘はアメリカに戻ってすぐから、個人でAetnaの保険に入っている。特に病歴もなく医者にかかる事もなかった娘は、帰国前に私がエージェントに来てもらって手続きした後、電話での本人確認だけで加入する事ができた。保険料は120㌦。今までの至れり尽くせりの保険とは大違いの保険ではあるが、内容的には大丈夫と思う(実際の所は保険の内訳は複雑でよくわからない)。

9月中旬から大学が始まるが、UCの大学生はキャンセルの手続きを取らなければ自動的に大学のShipと呼ばれる健康保険に入る。この保険は病歴などのチェックは一切なしで契約期間はクォーターごとの月々およそ60ドルの保険料である。安い!2人の息子はこのShipに入る事にした。

問題は10月の私の健康保険である。
子供達が3人共、それぞれの健康保険に加入する今、1ヶ月と言えどもコブラの保険1850ドルを払うのは不合理だ。私は1ヶ月間だけ個人の保険に入ろう。エージェントに早速来てもらった。1ヶ月間だけである事、今まで病歴・現在飲んでいる薬等全て話した。彼は降圧剤を飲んでいるので多少保険料が上がるかもしれないが、その他は問題ないだろうと言った。彼の出したプランの保険料はおよそ300ドル。子供達に比べたら高いけど激安価格だ。このプランだったら家族5人でも月額1000ドル以内の保険料だったと悔しくなった。
数日後、アカウントができましたというEメールが届いた。
これでほっと安心したのもつかの間、数日後にAetnaから郵便が届いた。
<以下の病歴ゆえに、お申し込みの健康保険プランには加入できません。他のプランをご検討下さい。>
昨年12月からの鍼灸医通い・漢方薬・乳がん検査・手術・予後・・。却下の理由リストが、ずらっと並んでる。

癌になったら健康保険の新規加入はできないとは聞いていたけれど、実際自分が却下されるとは思わなかった。漢方・鍼灸医は、たまたまカバー率の良い保険に入っていたから記録となって現われただけで、そもそも対象外なはず。また乳がんの疑いにしても今は問題なしで経過観察のみなのに、である。気になっていた高血圧は取り上げておらず、エージェントが言うように慢性疾患は保険料のアップで簡単に処理できると言う事なのか。

アメリカでは病気になったら、新規に個人で保険に入るのは難しい。知ってるつもりだったけど、実際にはわかっていなかった。今回自分が拒否されて、アメリカの底知れぬ冷たさを見たような気がする。

今年は2週間後の住まいがわからないという貴重な経験をした。あの時は決まらなかったらホテルでも賃貸でも・・なるようになるさって思おうとした。失業し家のローンが支払えず家を抵当に持っていかれた人たち、彼らはどんな思いでどんな生活をしているんだろう。人の不幸を糧に自分を励ますというのは、下劣な手段だ。しかしあの時少しだけだけど、彼らのつらさがわかったような気がした。
今回保険を却下され、また見えない彼ら(私の周りには保険未加入の人はいない。しかし現在のアメリカの保険加入率は80%程か?)の日々を思った。家を失くし、保険にも入れず苦しんでいる人たちがいる。

アメリカ社会・・勝ち組でなくては生きていけないのか?
なんだか、無性に腹が立つ。

退会したユーザー2010年09月13日 14:34
Pre-existing conditionというやつですね。新規加入では常に問題になります。今思い出しましたが、僕もコブラの時代がありました。コブラと聞くと、僕は毒蛇のかまれたような悪夢を思い出します。事務手続きのトラブルに遭遇し、官僚的な組織の狭間に置き去りにされ、酷い目に合いましたよ。現在我が家はBlue Shieldに加入していて、月に1900ドル近く払っています。長男はキャンパス内の医院を使える利便性からSHIPにも加入させています。しかし医療保険には苦労させられますね。オバマの医療保険改革で既存の保険加入者には負担が重くなり、保険制度も複雑化し、医療の質も低下しています。酷いものです。

kame32010年09月14日 01:21
umibouzさんのお宅もたいへんな保険料を払ってらしゃるんですね。
一般家庭が個人の懐から永続的に払う金額とは、とても考えられない金額だと思います。

Pre-existing condition<既往症>の問題は、実際に病気の人たちには命に関わる深刻な問題です。
病気で会社にいけなくなる→会社の保険がなくなる→個人で保険に入れない→医療費がバカ高く治療が受けられない→収入もなく治療もなし→死
こんなしくみがまかり通っているとは、信じがたいです。

私は基本的にはオバマ大統領の保険改革を支持しているのですが、ますます制度が複雑になり、確かに問題も多いですね。
失業率は未だ10%、景気は回復せず、財政赤字も膨らむばかり・・・。
ああ、これからどうなっていくのでしょう。



ひどいファーマシーだ!

この3年間癲癇の発作を起こしていないテディーだが、抗癲癇薬のPhenobarbital(朝1錠、夜1.5錠)とBromide(3ml)は引き続き与えてる。
Bromideは調合薬で、限られたファーマシーでしか手に入れる事ができない。

話は、6月のSJからSDへの引越しの時に遡る。
引越しを数日後に控えたある日、毎日与えているBromideの残量が少ない事に気がついた(遅い!)。すぐにいつものL薬局にリフィルのオーダーをした。が、いつも簡単に手に入れる事のできるこの薬が在庫切れで入荷が翌週になるとの返事。来週では間に合わない。別のS薬局を紹介してもらい急遽、そちらから入手の手続きを取った。引越し真っ盛りのドタバタの中、ダウンタウンに薬のピックアップなど・・これはこれで面倒な作業ではあったが、手に入ったのでほっと安心したものだった。

その薬が少なくなり、リフィルをする時期が来た。
抗癲癇薬は決して安くなく調合薬Bromideはさらに高価な薬である。前回のSファーマシーは割高だったので、もう一度L薬局にオーダーを入れる事にした。オーダーはドクターからの処方箋がなくては入れられない。その都度処方箋が薬局から薬局に転送になって、初めてオーダーが入れられる。

依頼したリフィルのBromideが今日航空便で配達になった(要冷蔵のBromideはアイスパック入り航空便の配達となる)。
貼られたラベルを確認して気がついた。前回もらったものと、濃度が違う!
前回のボトルはBromide250mlで、今回は200ml。早速L薬局に問い合わせの電話を入れた。
今までの処方はずっと200mlで間違いなし。ドクターの処方箋にも200mlと記載されている。
となると、前回の一時しのぎで取り寄せたS薬局が間違っていた!

L薬局の勧めもあって、ドクターに連絡して今後の処方の指示を仰いだ。
正しい処方にすぐに戻すようにとの事だった。
最近よく寝てる、足がふらついてるは年のせいかと思っていたが、もしかしたら薬の副作用かも・・。

それにしてもひどい話。私が前回薬をもらった時に気づかなかったのもいけないけれど、薬屋さんが濃度を間違えてどうすんのよ!
日本行きまであと1ヶ月と少し。万全な体制で飛びたいのに~~~!

ととると(*´ω`*)♪2010年09月17日 08:25
お薬の量は間違えちゃいけない泣き顔 おかしいなぁのレベルじゃなく最悪の場合命にかかわるよがまん顔あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

テディ大丈夫がまん顔

kame32010年09月17日 10:00
アロハさん

ありがとう。お陰様でテディーは眠そうにしているものの、今のところ大丈夫です。

そうですよね。決して間違えてはいけない部分だと思うのに、こんな事ってあるんですね。
テディーの場合、薬の濃度をコントロールして癲癇を抑えているので、急激な薬の増量や減量が発作を誘発しないかと心配です。ああ、もうすぐ大イベントがあるのに・・。
人間・犬ともに出された薬はその都度自分でしっかりチェックする必要がありそうですね。

ふ~~、いろんな経験させられるわ~。


入寮

次々とこまは進み(どうもすごろくゲームをやっているような感覚が・・)、9月15日(水)に娘はLAの大学寮に入った。4箇所の寮やアパートでの生活を経験している娘は、荷造りも早く一人で入寮をした。そして今日9月19日は次男の入寮日だった。
冷蔵庫・自転車・洋服・布団・PC・洗剤・スナック・スタンド・・・トラックいっぱいに荷物を積み込み出かけた。少し長めのクレイトトレーニングもかねてテディーも連れて行くつもりだったけれど、とても積めるスペースはないほど荷物は多かった。

11時過ぎに家をでて12時半にアーバイン到着。駐車場から寮までせっせと荷物を運ぶ。幸いカートが借りられたし、息子の寮は駐車場の目の前だったので、スムーズに部屋に荷物を運び込む事ができた。
狭い寮の部屋で1年間一緒に過ごす人がどんな人かは、とても重要な要項だと思われるが、息子のルームメートは同じ高校出身の友人だ。幸運にもリクエストが通って友人との二人部屋に入る事ができたのだ。
ふと気がついた。寮で相部屋に入らない限り(一人部屋もリクエストできる)、他人との相部屋という経験は一生しないで終わるのかもしれないな。ふむふむ、この1年はなかなか貴重な一年になる事だろう。

狭い部屋ながら机の位置を動かしたり、荷物整理・買い物まで付き合ってしまった。
我が家の末っ子の旅立ち・・こっちは結構感傷的になっているのに、当の息子は「バイバイ」でおしまいとは、これいかに。娘の時はセレモニーがあったのにな。

土日ボーイフレンドと帰ってきていた娘も先ほどまたLAに帰っていった。
次男は今頃寮での初めての夜をどんな風に過ごしているんだろ?歓迎イベントに参加してるのかな?

この家、何だかとっても静かになった。

anton2010年09月20日 16:35
お手伝い、お疲れ様でした。男の子って、あっさりしたもんですね。
でも、あっさりしてなかったら、もっと心配になりますね。

いざ静かになってみると、静かな日々にあこがれていた、あの喧騒の時期を懐かしく思い出したりして・・・

kame32010年09月21日 01:14
環境が大きく変わる事になってから、子供達はしばしば昔話をしていました。
子供達もちょっとセンシティブになってるのかなと思っていましたが、どうやら勘違いだったみたい。学校に送り迎えをしていた頃と全く変わらず「バイバイ」と言われ、ちょっと救われたような気もしています。


あれから1年

昨年の9月29日、夫が帰国した。あれから1年。
お互いよく頑張ったと思う。そしてもう少し頑張らなくてはいけない。
去年も書いたけれど、9月29日は結婚記念日。26周年とは恐ろしいほどに月日が流れたものだ。

引越しばかりの落ち着かない生活だったが、それなりに苦労した分、面白く愉快な経験もたくさんさせてもらった。
そんな波乱に富んだ人生を提供してくれた私のパートナーにありがとうの言葉を贈りたい。これからもよろしく!

娘から結婚記念日のお祝いにこんな可愛いプレゼントをもらった。
チャウチャウの塩・胡椒入れ!?マグネットでチュッしてるハート
姉との1週間はあっという間に終わってしまった。楽しい時間はどうしてこんなにも早く過ぎてしまうんだろ。

そろそろ、最後の引越し準備に入らなくては。
まだまだ郷愁に浸りたいけど・・・。

anton2010年09月29日 14:10
あ~いかん!そうだった。

記念日、おめでとうございます。
もう、そんなになるんだね~
って毎年感嘆しているな。

お嬢さまからのプレゼントも可愛い。

来年は、夫婦揃ってお祝いできるから楽しみだね!

日本のおうちは、着々と受け入れ態勢が整っているようですね。

kame32010年09月29日 15:21
antonさん

ありがとう!
antonさんご夫婦はもうすぐ27年だよね?いやいやホント驚異的な数字ですな。

結婚記念日を話題にする日記なんて気恥ずかしいのですが、いろいろとしみじみしてしまうこの頃で、結婚記念日そのものにはあまり意味はないようにも思うけど、節目としては大事だと感じてます。

今週末には6月にサンノゼから出した荷物が日本の家に入ります。
荷出しは私、受け取りは夫。夫婦の連携がうまくいくか・・。夫にもう一頑張りしてもらわなくちゃ。

退会したユーザー2010年09月30日 22:37
26周年、おめでとうございますexclamation ×2
そして、記念日のお祝で、娘ちゃんからプレゼントですか電球
いいなぁハート達(複数ハート)
家の娘は、私たちの結婚記念日なんて知らないに決まってる・・
当の本人達すら、忘れてる~~ダッシュ(走り出す様)

kame32010年10月01日 04:40
holoholoさん

ありがとうございます。

日本ではあまり結婚記念日って気にしませんよね。
こちらではanniversaryって、結構お祝いのパーティーをするんです。
子供達は、付き合い始めて1ヶ月・半年・1年・・・と事あるごとに、祝ってます。

そう言えば、誕生日のパーティーも多いかも。
50歳で盛大なパーティーをする人は多く、日にちを気にする民族なのかな?
いやいや、単にパーティー好きか?