2005年1月31日月曜日

2005/1

1/1(土)くもり

明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いします。
2005年の幕開け。 昨年は本当にいろんな事があった。これでもかと次々いろんな事が起こり、苦しくつらい年だったような気がする。
その反省を年内に日記にしたためようと思っていたのに、いつもながらの計画倒れ。 気持ちを新たに新しい年を迎えたいと思う。
今年は昨年にも増して試練の年となる事だろう。全ては運を天に任せ、一日一日を大切に過ごしていきたい。

研人は、抗生剤とコデイン入りの強い咳止めを飲み始めたが、まだ効いてきているようにはみえない。夜中もしばしば咳で起き4時間おきの咳止めで数時間眠れるような状態。解熱剤も止められない。 ゆっくりと新年の朝を迎える。
Teddyも昨晩は自分のベッドでゆっくり休めたと思う。

昨日買ってきたほんの少しのおせち料理と母の伝授のお雑煮(鳥だし、ほうれん草、なると)で元旦を祝う。 一年に1度しか食べないおせち料理。その食品の名前を子供達に言わせてみる。かまぼこだけは出てきたが、伊達巻、昆布巻き、なると、きんとんは出てこない。彼らの時代にはおせち料理も姿を消しているかもしれないと思う。

毎年子供達には一年の抱負を語らせていたが、全くその事に努力しているようには見えず、今年は何の目標もなし。 それでも気持ちばかりのお年玉(絵里17ドル、宏人15ドル、研人12ドル)は、旦那様から渡される。

Teddyの下痢は少し快方に向かっているが、簡単にお尻は治らない。鳥を入れたおかゆを喜んで食べる姿が可愛い。Teddyにご飯を作ることに喜びを感じる。
子供と旦那はこのまま毎日Teddyのご飯を作るようになるのではとあざ笑う。それほど私はいそいそとTeddyのご飯作りを喜んでいるように見えるのか。。。

 

 

1/2(日)雨

明日から学校も会社も始まる。しかし研人はとても学校に行けそうもない。 薬が効いていないようなので、医者に電話するが休日でお休み。明日まで待つしかなさそうだ。
私はせっせとお洗濯。天気も悪いので外には干せず、乾燥機がフル回転だ。
旦那はコンピューターのクリーニングでほとんど一日中PCとにらめっこ。
VetからTeddyの具合を尋ねる電話が入る。下痢もだいぶ治まり普通のドッグフードを食べるようになった。おどおどしていた態度も次第に落ち着きを取り戻し、いつものTeddyに戻りつつある。
ダイニングに広げてあったクリスマスの家並みの飾り付けを片付け始める。クリスマスが終わり新年を迎えてクリスマスの飾りつけはどうも気分的に落ち着かない。
研人はまだ熱・咳あり。 明日から学校・会社と3人は暗い面持ち。

 

 

1/3(月)雨

絵里と宏人は学校へ、旦那は会社へいつものように出かけた。
10時、宏人を学校まで迎えに行き、矯正歯科に連れて行く。宏人の矯正も仕上げを残すばかりで、もうすっかりきれいな歯並びになった。
1時半、研人を医者に連れて行く。予約は前回と同じDr. Ettingerに入れていたのに、出てきたのはDr.Griffith。今日はPCがダウンしていると言うから、オフィスがしっかりしていないここの病院のこと、きちんと予約が入っていなかったらしい。 再び今までの病状説明をし、金曜日にもらった薬が効かない旨を付け加える。 するとDr. Griffthが自信を持って言う「あなたがもらったのは3ヶ月前でしょ。この記録にそう書いてありますよ。」
私「???確かに12月31日の金曜日です。」
Dr. Griffth「??????」「あ~あ、確かにそう書いてあります。私のミスです。」 そこに見習いの医者も入ってくる。
Dr. G「研修をさせるので、彼女も同席します。」 胸に聴診器を当て真剣な様子。見習い医にも胸の音を聞くように促す。
Dr. G「気管支炎のための抗生剤は非常にいい物が出ています。あの薬は肺炎や中耳炎にも効き、5日間服用で10日間の効果が出る薬です。喘息用の吸入(Metaproterenol)を出します。その他咳止めとしてはDelsym(薬屋さんで購入できる)を飲ませてください。」
私「鼻水が出てきているので、それが咳になるかと思います。鼻スプレー(Nasonex)が使いやすいので処方箋をいただけますか?」
Dr.G「OK」・・・ところが薬屋に行ってからわかったのだが、実際に出された薬は”Nasacort AQ”だった。
私「すると研人はいくつ薬を処方する事になるんですか?Dr. EttingerからのCodeineは止めたほうがいいですね。」
Dr. G「Zpak(抗生剤)・Delsym(咳止め)・Codeine(咳止め)・Metaproternol(吸入)・Nasacort(鼻スプレー)・Motrin(解熱)ですね。」
私「そんなに飲んで大丈夫ですか?????」
Dr. G「これで薬が切れる事無く体に入っていいんじゃないですか。ま、木曜日ぐらいに予約を入れておいて下さい。」
私「はぁー。ありがとうございました。」
オフィスに寄って木曜日の予約を頼む。PCがまだ動きませんので明日お昼ぐらいにでも電話してみてください。・・相変わらず使えないオフィス。 こんなに薬漬けでいいはずがない。診てもらってかえって気分が暗くなった。
今日は私の判断で薬を与える事にしよう。 先ずはスキーに行っていた間ずっと飲んでいたDelsymは飲ませない事にした。吸入は咳が止らず眠れない時だけにする。 今日一日様子をみてこれからどうするか考えよう。
私の首の調子がさらに悪い。このままでは医者に行かないとどうしようもないかもしれない。幸い頭痛になってこないのが救われる。

 

 

1/4(火)雨

研人は相変わらず快方に向かわない。夜中も咳でしばしば起きるし、食欲も全くない。それでも熱が幾分下がってきたのは抗生剤が効いてきたのか? 病院に予約なしで出かける。
電話での予約が信用できないので、11時過ぎ直接研人を連れ病院に行く。窓口でDr. Ettingerに診てもらえるか聞く。1時間待てば空きがあるというので、Dr. Ettingerに間違いがないかを確認して待合室で待つことにした。
看護婦に呼ばれ中に入る。Dr. Ettingerの看護婦さんに昨日飲むように言われた薬の事を話す。看護婦さんは薬の多さに首をかしげるだけ。私が差し出した薬局からもらった薬の説明書(アメリカでは一つ一つの薬に細かい薬の効能・副作用・使用方法がついてくる)一式をDr. Ettingerに見せるように言う。以前から思っていたが、この看護婦さんは信頼できる。 Dr. Ettingerの診察。
昨日何故かDr. Griffthに診てもらうはめになった言い訳をして、薬の話。研人の咳が一向に治まらないことを訴える。胸部の音を聞いた後しばし考え込んだDr. Ettinger。
「胸の音は悪くありません。このまま抗生物質は替える必要ないと思います。咳がひどいようなのでちょっと薬を変えてみましょう(Pseudoephedrine・Codeine・Guaifenesin配合。さらに強い薬が出たよう)。喘息を起こしているとは思えませんが、少し楽になるようなので吸入は時に応じて使ってください。Delsymは必要ないでしょう。とにかく水分は多めにとってください。金曜日にまた来てください。」
Dr. EttingerもDr. Griffthを批判するような事は一切言わない。医者というのも見解の違いでぶつかる事もあるだろうに、たいへんだなとふと思う。
今日の診察はすっきりした。昨日は診察後ストレスいっぱいでつぶれそうな感じだったけれど、今日はとにかく様子をみましょ、という気分にさせてくれた。

絵里、宏人は交代でアートのボランティアに行く。 私の首の調子がさらに悪いので、長距離ドライブの自信がなく、宏人をホッケープラクティスに連れて行くことができなかった。
葉子姉誕生日。レオンが逝って1年。柏爺は入院していた。

 

 

1/5(水)くもり時々雨

研人はそれでも少しは良くなっているように思える。熱さましのお薬は感覚がずいぶんあけられるようになったし、咳もほんの少しだが落ち着いてきているように思える。ただ食欲が全くないのに参る。研人の喜びそうな食べ物を用意しても興味を示さない。
私の首は相変わらず回らない。何をするにも不自由でいらいらする。髪の毛を洗うのが一苦労なので、今日は思い切って美容院に行って髪を切ってもらってきた。美容師さんに「緊張しないで、肩の力を抜いてください。」と、言われてしまう。思わず「首が痛くてこうなっちゃうんです。」と言ったら、親切に丁寧に髪を切ってくれた。いい美容院に来た。
近くのカイロに寄る。予約なしでぼきぼきっとやって欲しくて来たのだが、電気もテレビもついているのに鍵がかかっている。<頼む、診てくれ~>と思いながら、ドア越しからドアに表示された電話番号をかける。女性が出た。半分出ないと思ったのに「Hello」と出られてびっくりする。「今やってますか?」ヘンな質問をする。「2時からの診察になります。」と、素っ気無い。今私はドアの前にいるのよ!と叫びたかったが、「そうですか。失礼しました。」と、すごすごと電話を切る。ここのカイロは二度と来るまい。
研人の食欲がないのがどうしても気になり、医者を替えようかと考える。
評判のいいLos GatosのDr.Woodsに電話。受付もAlmaden の病院とは比べものにならないくらい丁寧親切。しかし予約は一番早いも ので来週月曜日8時半。とりあえず、予約を入れておく事にした。
それまでに良くなっていてくれればいいのだけれど。明後日の金曜日はDr. Ettingerに予約を取ってあるので、しばらくは様子をみることにしよう。

絵里と宏人は元気に学校に行っている。しかし、学校でも風邪がはやっているようで、多くの子が体調を崩している様子。
絵里、バイトそしてアートクラスあり。 藤井さんが治るように祈りを込めてくれたハンカチを下さった。ありがたい。

 

 

1/6(木)くもり

研人は相変わらず。もう少し様子をみる。食欲が全くないのは何故だろう。
いつもうるさいくらいににぎやかな子供達だが、一人調子が悪いと全て暗くなる。
宏人アートクラス。 喜んで行っているようにも見えないが、アートだけは続けさせたい。

 

 

1/7(金)雨

研人はついに年明けから1週間学校を休んでしまった。 幸い少し咳が落ち着いてきた感じで昨晩は1回起きただけでよく眠れたよう。
予約していた時間(10:45)にDr. Ettingerに診てもらう。 熱も下がり咳も少し治まってきている。胸の音は問題なし。喘息を起こしていたとは思えないとの事。食欲が全くないのは咳止めの薬の副作用と思われるので、夜のみCodeineを飲ませ、日中はRobitussin(市販薬)で咳を抑えるようにする。必要があれば吸入をして、アレルギーの薬Zyrtecを一日1錠飲むようにとの事。
午後全くCodeineを飲まなかったせいか、夕食のおいなりさんに「おいしいね。」と言ってうれしそうに食べた。その言葉を私はどれほど待っていたことか・・・。
子供達ががつがつご飯を食べる様子をいつもはうちの子はどうしてこう食い意地が張っているんだろうなどと思っていたが、そんな様子がこの上もなくうれしい。強い咳止めをやめても咳が完全に治まってくれたらと願うばかりだ。

9時、ホッケーExhibisionゲーム。宏人の高校のホッケーリーグがまた始まったのです。 今日の相手はSanta Teresa。わがLelandチームのメンバーは何人かが入れ替わった。 試合は一方的に相手チームに攻められ大差の負けゲームとなってしまった。この冬のシーズンも苦労しそうな様相。
研人はだいぶ調子がいいのか、我々が帰ってくる少し前まで起きていたよう(音を聞いて急いでベッドに入った?)。起きていられるようになったのはいい事だけれど、とにかく早く治してよ。

 

 

1/8(土)くもりのち雨

研人の気管支炎はついに峠を越したようで、夜もぐっすり眠る事ができた。
元気になってくると、暇で手持ち無沙汰の様子でうろうろ家の中を歩き回っている。暇なら日本語の勉強でもさせようと、久しぶりに教材を出す。ここまで回復するなら昨日の内に宿題をもらってくれば良かった。

2時、宏人ホッケーゲーム。vs Hurricanes。 ここの所シュートを決めていない宏人だが、きょうもまたゴールなし。3-0の勝利。
6時、研人が元気になってきてくれたので安心して、北カリフォルニア商工会議所主催の新年会に旦那のお供で出席する。場所はサンフランシスコ空港近くのホテル”Hyatt Regency”。キャノンからは森嶋さん、加藤さん、福田さん、小尾さんと亀山が出席。はっきり言って憂鬱なメンバーで、足は重い。
ホールではすでに鏡割りが始まり、カクテルが渡されている。しかし日本人のパーティーは地味だ。70~80%が黒を基調としたミディーのドレス。着物の人は粋でおしゃれだが、その他はどうも衣装を鑑賞する楽しみはない。男性陣も一様にダークカラーのスーツ。これまた面白みがない。とは言っても日本人社会でとにかくはみ出さないようにと心がける私達夫婦も地味におとなしい装いで出席した。
ワシントンでのパーティーはいかにもアメリカでのクリスマスパーティーといった感じで、参加させてもらっただけで楽しかった。
商工会議所のお偉いさんの挨拶の後、ディナー。サラダ・牛フィレ(えび付き)・パン・ムース・・まあまあのお味。
8時45分、エンターテイメント登場。 先ずは前座のトニーひろた。寅さんを演じながらの物まね、マジック。会場はすでに一つになって盛り上がってきた。
そこへ”コロッケ”の登場。 すごい!!美川憲一のまねで出てきたコロッケはまさに美川憲一。各テーブルを回り、客にしばしサービス(キャノンテーブルは来なかった。残念)。
聞くところによると、今日のこのディナーショーは一般にもチケット販売されていたようで、120~200ドルしていたとか。自腹でお金を出した人たちのところを回っていたのかしら?
会場の左右にはビッグスクリーンが映し出され、細かい表情まで見ることができる。次々と楽しいテンポのあるトークと物まね。淡屋のり子・ディック峰・春日八郎等の亡くなった方達を含め、とにかく面白くてお腹の皮が痛くなるほど笑わせてくれる。
ばっちり2時間、手抜き無しの芸に感動を覚える。さらに最後に45歳、瀧川広志として悲しくてやりきれないを歌う。そして真面目に人生を語る。もうすっかりコロッケのファンになってしまった私。コロッケの芸は本物だよ。
 11時半、家路に着く。外は相変わらずひどい雨。 思い切って来て良かった!!

 

 

1/9(日)くもり

研人がまだ咳はしているものの、ずいぶんと元気になって良かった。安心していたら、DDR(ダンスゲーム)を絵里とやって汗だくになる。少しは自分の体を考えて行動しろ。 案の定、ベッドに入った後咳き込んでいる・・・・いい加減にしてくれ~。
明日は学校に行けますように。 自分の家の事で追われていてこの日記にも記さなかったが、12月27日のスマトラ沖大地震による津波の被害は、あまりに悲惨。史上最高額の義援金が送られているようだが、たくさんの募金はできない我が家としては、スーパーなどに赤十字による(その他の団体はいかがわしい物も多いと聞く)募金箱が設置されていたらいいなと思う。

 

 

1/10(月)小雨

研人とりあえず学校に行く。
Dr. Woodsには朝キャンセルの電話を入れる。
受付の女性「それではよくなったのですね?」
私「咳がだいぶ治まり、食欲も出てきたので学校に行かせました。」
女性「それでは様子をみるという事ですね。何かあったらすぐ予約を入れてください。」そう、様子見で学校に行かせた感じ。元気に帰って来るまでは私も気が気ではない。

2時半、私の心配をよそに元気で帰宅。ほっと胸をなでおろす。研人は山のような宿題と1週間分のクラスワークで、頭がいっぱいのよう。もうあんなに具合が悪かった事も気にしていない。 グリーンカード申請の為の費用の支払いをまたする。今回は移民局への支払い$1675($335x5人分)。銀行でオフィシャルチェックを作ってもらう。
その他、Form DS-230 Part1のドキュメントにサインし、荒木弁護士の元に送ることになる。
グリーンカード取得の為の準備が着々と進んでいる。このまま順調にグリーンカードが取れるのだろうか?また取れた後の生活は?不安がいっぱいのこの頃である。

 

 

1/11(火)くもり時々雨

研人も学校へ行く。3人揃って学校に行ける事に喜びを感じる。
10時、私は歯医者へ行く。今日はディープクリーニング(日本では歯垢とりかな?)と簡単な虫歯の治療。ステイタスが変わり、駐在員の立場から現地人の立場になると保険のカバーもずっと少なくなると思われる。できる治療はできるだけ駐在員の時になってしまわねばならぬ。

研人の咳が完全に止まったというわけではないので、サッカーはお休みする。彼には宿題もたくさんで、しばらくは宿題やワークに悪戦苦闘の日々となりそう。そして今日は早速図書館にプロジェクトの課題の本を借りに行く。彼の選んだ題材は研人と同じ誕生日のエジソン。「2月11日生まれの人は偉大な人が多いね。エジソンとかおじいちゃんとか・・・。」と言ったら何故か皆笑った。
絵里(3時~4時半)バイト。
宏人(3時半~5時)アートボランティア。
絵里(6時~)CPR(赤十字が主催する救急医療の必須の講習)。高校1年で本来受講しているコースだが、バージニアにはこのクラスがなかったので、今回取る事になった。 時間的に無理なので、絵里のアートボランティアと宏人のホッケープラクティスはお休みした。

 

 

1/12(水)くもり

旦那様は南カリフォルニア(オレンジカウンティー)出張。お帰りは明日の予定。
旦那に送ってもらって学校に行った研人から、電話を受けたのは8時前。「サックスを忘れたので持って来て!」 急いで届けようと思ったが車は真っ白霜だらけ。ガラスが曇ってよく見えない。
今日の冷え込みは特別で、零下になっているのではないかしら。 私が来るのが遅かったのだろう、待ち合わせの場所に研人がいない。もう1時間目のベルが鳴ったのか?1時間目の体育の方に行ってみる。そして呆れた。病み上がりの研人は体操服の半袖短パンでうろうろしている。まだ気温は0度を少し超えたばかり。ばっかじゃないの!私の姿に気がついて走ってくる研人は無邪気そのもの。全く屈託がない。よくみれば周りの子供達もほとんど半袖短パン。全く子供って信じられないよ。”虚弱体質”の研人は自分で自分の事面倒みてもらわなくては困るよ。
宏人がのどが痛いと言っている。宏人も半袖短パンの体操服姿でいるのだろう。風邪がはやっているようだし、悪くならない内に治さないと。
絵里、バイトそしてアートクラス。
柏爺の調子が悪いようだ。 土曜日に受けた抗がん剤の副作用なのか?一人で頑張って病院に行った様子。

 

 

1/13(木)くもり

やっと研人も本調子になり、安心して学校に行かせることができる。が、まだまだ宿題や受けていないテストを受けたり、お休みした1週間分の作業はまだ終わっていない。
準子さんに絵里のGraceのお迎えと宏人のをアートクラスへ連れて行くのをお願いして、私はJamesとEricと研人を乗せ、三ツ和近くのBlackford Highでのサッカープラクティスに30分間のドライブをして連れて行く。
State Cupの最終戦も近いRucksの練習はさらに激しさも増し、ナイター設備もあるこの学校までほとんど毎日練習に来ているのだからすごい。とても研人はついていけそうもない。

三ツ和で寿司の盛り合わせ弁当を買って帰る。
絵里は今日もCPRのクラス(6時~)。免許取立てのMunaに迎えに来てもらって学校に向かう。ちょうど三ツ和から帰った私がその姿を見て不安になる。少しばかり車を出しにくい位置にある我が家から車を出すのに苦労しているMuna。乗せてもらって大丈夫かなと大いに不安になる。
2日間のCPRのクラスを終え、テストをパスした。学校で長時間クラスを取るより効率的に学ぶ事ができた様子。1年間の応急処置(CPR、First Aid)の資格を有した事になる。
旦那様は出張が1日延びて明日のお帰り予定となった。

 

 

1/14(金)

昨日岡田病院に入院した柏爺だが、まだ痛みが取れず苦しい時を過ごしているようだ。必死で自分で病院に行き、入院準備をした模様。
昨日の電話「今から病院に入るから。葉子たちが来てくれるから大丈夫。」耳に残る。 また一過性のイレウス(閉塞)を起こしているようだが、一日も早く痛みが取れる事を祈る。
8時半、旦那様が出張から帰ってきた。顔を見るとほっとする。
私は宏人を高校のホッケーゲームに連れて行く。 今日の相手はLincoln。最初から最後まで大接戦のシーソーゲームとなり、観戦も大いに盛り上がる。が、4-7の負け。ツキがなかったと思う。
研人は本調子になり、またいつまでも起きてようとする。懲りない奴だ。

 

 

1/15(土)くもり

2時、絵里、アートのインターンシップミーティング。この頃のミーティングはテクニックの講義も受けてきているようで、宏人も毎回休んでいるわけにはいかなくなった。次回のミーティングには出すようにしよう。
2時、宏人ホッケーゲームvs Hurricans。断トツで強かったCoyotesだったが、最近のゲームはHurricansも頑張っている。今日は最初かなり攻め込まれる。が、名ゴーリーの好セーブで得点を許さず。3-0の勝利。
3時、研人はLelandへ自転車で出かける。今日は仲良しの仲間とフットボールをするらしい。
5時、研人、泥だらけで帰宅。さぞ楽しんできたのだろう、ご機嫌。自分で洗濯する様に言う。

 

 

1/16(日)晴れ

絵里をMLKの図書館に連れて行く。 今日の絵里の目的はAndrewとの打ち合わせ(?)Andrewのお母さんは女の子と付き合うことは絶対反対でデートもすべて親にうそをついてしている状態。うそがいつばれ大問題になるか気が気ではない。再三再四お母さんと良く話し合うように言っているのだが、日常生活全てに制限がありいいカレッジに入ることだけが要求されている彼の生活で、話し合う余地はないらしい。今日は二人で何を話し合うんだか、外出の許されている人に邪魔されない場所ということで図書館での密会(?)になったらしい。3時間スターディールームでの話し合いはどういう展開になったのか、絵里の半紙は要領得ない。
旦那と私は絵里を図書館で降ろし、三ツ和でお買い物。その後図書館で日本語の本をたくさん借りてきた。最近また私の読書熱が再燃化し、読みたい本がいっぱい。中でも以前よく読んでいた遠藤周作の本にはまた大いに興味がある。図書館にはたくさんの遠藤周作の本があって、とりあえず全部借りてきた。彼のエッセーの中で私も読んだと思う本もたくさん出てくるのだがどれもこれもうる覚え。自分でも情けなくなる。

 

 

1/17(月)晴れ

Martin Luther King Jr.'s dayで学校も会社もお休み。
亡くなった母の誕生日。母は天界から私達も生き様を見守ってくれているのだろうか?おばあちゃんとは会えたかあ。
姉が風邪を引いて調子が悪いよう。柏爺のことを一切任せてしまって本当に申しわけない。
研人はまたLeland にフットボールをしに行った。元気でお友達と遊べるのは本当にいいことだ。
最近コンピューター裏や冷蔵庫の下でごそごそと音がしていた。パントリーのスナックはかじった後がしばしば見られ、ついにはプレールームで動き回る小さいな姿を見た。
そこでネズミの毒としかけのネズミ捕り(Tomcat)を仕掛ける。PC裏とか食器棚の後ろなど絶対にTeddyが口にすることができない所に6箇所毒えさを置いた。 寝る段になって、もし毒を口にしたネズミがふらふらと台所で寝ているTeddyの元にきたら、たぶんTeddyは瀕死のネズミ喰らいついてしまうのでは?Teddyにも毒がまわる?と心配になって、急きょ私達のベッドルームにTeddyを寝かせる事にした。もう家具の後ろに投げ入れた毒えさは手が届かず取り出せないというから、仕方がない。 不安の種がまた増えた。どうして最初から考えなかったのかと、自分に腹が立つ。

 

 

1/18(火)くもり

来週中学高校ともファイナル(学期末試験)があるので、絵里は憂鬱気味。彼女が作っているサイトの日記にもテストの事や成績の事がたくさん書いてあり、単純に楽しい高校生活とは言えないようだ。 それでも絵里は毎日Graceにバイトに行く。お金の為にやっているのか、それともやめられなくてやめないのか、楽しい時を持っているのならいいのだけど・・・。
研人、サッカープラクティス(5時~7時)片道30分以上かかるので実質3時間以上。サッカーをやるのもたいへんだ。今日はRitaとJeniffyに送り迎えを頼む。
宏人、アートボランティア+ホッケープラクティス。
絵里、アートボランティア。私と二人の時はできるだけ絵里にドライブさせようとしているが、未だにAdvantageで次のレッスンが受けられない(次は高速道路の講習)。よって一人でドライブできる日は遠く、宏人のプラクティスがあるときは私のお迎えを待って、アートスタジオに7時までいなくてはならない。30分の時間も惜しいこの頃なのに・・・。早くにドライビングレッスンを始めればよかったと反省する。

 

 

1/19(水)くもり

絵里アートクラス。
柏爺は痛みも引かず、発熱している様子。明日久保医師との面談があるとの連絡があった。昨年のちょうど今の時期に大手術をした柏爺。1年たった今また苦しい思いをしている。とにかく痛みを取ってあげてください。それだけが私の切なる願いである。

 

 

1/20(木)くもり

朝5時半、Teddyがまた発作を起こした。
ネズミ捕りを仕掛けて以来私達のベッドルームで寝ていたTeddy。夜中に何となく様子が変だなと思った矢先、またカタカタと震えだす。発作の時間は1分程度。しかしその後前回同様私の事もわからないようで、ベッドに登ろうとしたり(私のベッドはかなり高い)、入り込めない隙間に頭を突っ込んだり、足元はふらふらでおぼつかず、とても見ていられない。薬を毎日欠かさず飲んでいるのに、起こすなんて・・・・ショック。
宏人、アートクラス(5時~6時半)
研人サッカープラクティス。今日は私が運転手。帰りは旦那が行ってくれる事になった。助かり!
久保医師との面談の内容を葉子姉・敦夫兄から聞く。 現在は絶食で全身に管の入っている状態だそう。バイパス手術を受け、消化物の通りを良くすることも考えられるようだ。今後の状態を注意深く見守っていく事になる。

 

 

1/21(金)晴れ時々くもり

準子さん、鍵さんを呼んでうちで昼食。
Leland(高校)で日本語の代用教員をしている鍵さんは、”A"をとりたくて毎日のように交渉に来る子供達に、悩まされている。彼らにとって生きるという事は、唯一つ、いいカレッジに入ること。その為には少しでもハイスコアーをあげる事が必要と先生に折衝に来る。泣き出す子、親も連れて来てあげてくれと訴えに来る者もあると言う。彼らに「人生は成績や点数だけじゃないよ。」と言ったりするのは教師の仕事ではない。彼らは家でずっとそういう教育を受けているのだから。どうやって子供たちに接したらいいのか、答えは簡単ではない。
絵里、Muna ・Michelとグループスタディー。絵里の部屋でばっちり2時間お勉強。US.Historyの問題を出し合って学んでいるよう。Muna、Michelとも、とてもいい子達でお母さんもとても親しみやすい。絵里はお友達によく恵まれている。
宏人、ホッケーゲームvs Fremont。先週にも増して大接戦のゲーム。最後の最後までシーソーゲームが続き、Lelandもよく頑張ったが、8-10の負け。途中ファールにより退場一人足りない中でも踏ん張り先行していたが、ラスト数分というところで点を取られてしまった。コーチの采配は難しい。

 

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