2003年7月31日木曜日

2003/7

7/1(火)晴れ

ついに7月。 引越しやとの話が未だに出来ず。
いったいいつになったら引越しできるのか?
ダンボールもまだないのでパッキングも 始められない。
いらいらは募る。つい旦那に文句を言う。
旦那は「待て。」の一点張り。

子供達は時間をもてあまし気味。予定も入れられず不便な事この上ない。
絵里の来週3日間のバレーボールキャンプの申し込みをする。
男達をサッカーキャンプに入れようか?

昨日旦那はTown &Countryの40,000マイル点検に出した。
しっかりチェックしてくれたのか?
それにしてももう40,000マイルとはずいぶん走ったなあ。

 

7/2(水)曇りのち雨

ひたすら待つ毎日。やれる事を探す。
現在ベースメントにおいてある本棚が4つ。
CAでのこの本棚の行き場は各子供達の部屋に入れる予定。
それにしてもうまく収まるかわからない状況。本の整理をする。
すべにかなりの量の本をトレードできる古本屋に出したつもりだったが、まだまだ。

3人の子供達とそれぞれの本の思い出を語りながらの整理は楽しい ものだった。
「~先生が良いって言うから買ったんだよね。」とか、
「このシリーズ の本ばかり読んでたよね。」
「こんな本のどこがいいの?でも~が好きなんだよねえ。」とか・・・。

思い出の本はまた本棚に戻し、処分できる子供の英語本はダンボール1箱。ざっと60冊ぐらいか。
雨の中、その1箱のダンボールと処分用ビデオを持って、今日は、マナサスの古本屋へ。
ここではトレードではなく現金での買い取りもOKと聞いたから。
しかし、行ってがっかり。子供用の本はトレードのみ可能で買い取りはしてくれないとの事。
今の私達にはトレードチケットは必要ない。
数冊引き取ってもらっただけでそのままダンボールは持ち帰り。
ビデオはCD2枚と交換となった。
このダンボール1箱も後のガレージセール用?

 

7/3(木)雨のちくもり

午後から宏人の友達Eric,研人の友達Nealが来る。
あいにくの雨で外では遊べない。
ゲームをしたりDVD”Rush Hour 2”を見たりご機嫌に仲良く4人遊ぶ。

その4人を連れ”Laser Quest”へ。
与えれたレーザーガンと防具で、基地のような室内を駆け回り、
受けたショットと当たったショットの数が20分間のゲーム後、記録となって表わされる。
1回のゲームでの参加数はおよそ20名。
今まで来るチャンスのなかった研人のリクエストで、あまり良い遊びとは思われないが、
宏人と研人の招待客1名づつを連れ、今日は来る事になった。
初めての研人はやはり要領を得なかった様子で本人納得がいかないよう。
宏人は今日が3回目、二人の 友達は数え切れないほど来ているのでうまいもの。
2回のゲームを楽しんで時間は6時半を回っていた。
そのまま二人を家まで送って帰す。

葉子姉から電話。柏爺の具合が悪いとの電話を受ける。
”尿道結石” 昨晩はほとんど眠れなかったそう。
入院を勧められたが、ゆうきが丘からの荷物の搬入(7月8日)を気にしていると言う。
私達の為に座薬で痛いのを我慢し、事を運ぼうとしているそう。
7/8は葉子姉・敦夫兄に頼んで一日も早く入院するしてくれるよ うにとのメールを書く。

このゆうきが丘の荷物、皆様にたいへん迷惑をかけている。
多大な荷物の為に江戸川台でも場所作りにたいへんな様子。
本当に申しわけありません。

まだ引越し屋との接触はない。
日にちばかりがどんどん過ぎていく。
8月の一時帰国 が可能だといいのだけれど・・・。
明日から3連休。もう1週間終わってしまった。

 

7/4(金)晴れ

Independence Day(独立記念日)

午後からOccuquanへ。
家からほんの15分のここOccuquanは昨年柏爺や智ちゃんとも来た所、
クリスマスの飾 り付けの為に下見に来た所でもある。
休日とあって閉めている店舗もあり、観光客も少なめ。
私がコレクションにしているCardinal(カーディナル、ショウジョウコウカ ンチョウ、VAの鳥。CAにはいない)
のグッズを探すのとCAの友達にVA土産を探すのが目的。
客の中には私達と同じように引越しに際しVA土産を探している人がいる事は、
彼らの会話から容易に察しがつく。
子供達がいくつものCardinal品を見つけてきてくれるが今ひとつ良いものがなく、
CAへのお土産もこれといって・・・。
しかし、初めて行ったヨーロッパからの輸入品を扱うお店は私を魅了した。
主にドイツからの手作りの飾り物はまさに15年前にドイツの小店で見た品々そのもの。
気さくな女主人との会話も弾み、今年の最初の大雪で店が水浸しになった事も知る(現在店は2階に移転)。

夜7時半、マナサスに花火を見に出かける。
場所は”Signal Hill Park”。
”Manassas Fest”として、昼間からいくつかのエンターテイメントが企画され、
私達が出かけた時にはもう駐車スペースはなし。
交通整理も忙しく、思うように走る事も出来ない。
旦那のひらめきでキヤノンへ向かう。
高台になったキヤノン隣の駐車場には子供連れの家族が一組だけ。
「本当にここから見えると良いね~。」と、あまり期待もせずに
トラックの荷台から花火が打ち上げられるであろう方向を見る。
旦那と宏人と研人はキャッチボールを始め、絵里と私は荷台で読書と、平和な時間。

待つ事1時間、森の向こうで花火が上がる。
トラックの荷台からの眺めは最高。混雑 もなく家族全員椅子に腰掛け良い眺め。
ふと気がつけばこの駐車場にも7~8台の車がある。
この場所に気がついたのは旦那だけではないのね~。

花火開始から15分、90 度向きを変えた方向からも花火が上がる。
首(?)を回すのが忙しい。<うわ~!す ごい。こりゃ花火競争だ。>
どうやらマナサス空港の方でも(実際には Oldtown Manassasだった)花火大会をやっているよう。
2つの花火大会が終わったのが 10時近く。
一つの場所で2つをフルに鑑賞できるとは・・。旦那様のお手柄でした。
さらにマナサスからの帰路には、Prince William PKWY沿い、Cannon Stadiumでの
野球のゲーム後の花火を見ようと集まった人々が、まだまだたくさんいる。
どうやらまだ花火は打ち上げられていないらしい。
Chinn近くに駐車、しばし遠くの花火を見る。
やけに短い。本当にあれだけ?というような量。
しかしながら結局、近隣の3つの花火大会を制覇(?)し、満足の内に帰宅。

10時半。自宅前ドライブウエーで、昨年の残りの小さな花火をする。
ちょっと湿っている。
子供達シャワー後11時就寝。
まだまだ外ではあちこちから花火の音が鳴り響く。
心配されていたテロもなく、各地で建国記念日のお祝いが無事に終わった。

 

7/5(土)晴れ

朝寝坊して、ゆっくりスタート。
午前中の勉強での事。宏人に日本の宗教”神道”や”仏教”について話していた。
日本の寺院や神棚の事・・・、 すると突然「ゆうきが丘の家を建てた時、何かやったよねえ。
神様が守ってくれるよ うにって・・・。」宏人の突然さかのぼる記憶、さらにその確かさにはいつも驚かされる。
当時彼は4歳。その時の光景が画像のように残っているそうで描写も的確。
今日もまた、よくまあこんなにも覚えないと、漢字に関しては逆の意味で感心したものだったが、
彼が時々語る昔の断片的な記憶には、一種の恐れすら感じる。

へばりつくような暑さの中、旦那はトラックのタイヤローテーションで汗をかく。
サービスを受けずに、自分でやってしまうんだからすごい。
私は花壇の手入れ。プールに飛び込みたいよお。

クーラーの効いた部屋で、絵里は昨日買ってきたパッチワークの生地でクッションを作っている。
宏人と研人はマンガ本。
3人とも決して外に出ようとしないし、家の手伝いをするわけでもない。
洗い物と片づけを命じたら、全員買い物に付いてきた。
センタービルのオリエンタルストアーまで足を伸ばす。

夕飯は新鮮野菜たっぷりの冷やし中華!食材が揃うと食事も楽しい。

 

7/6(日)晴れ夜雨

6時起床 7時15分出発、Williamsburgに向かう。
9時45分到着。先ずはPottery Factoryへ。
この地の陶器工場を想像してきたものの、オリジナルの陶器らしい陶器はなく、倉庫のようなアウトレット。
一応くまなく散策 したが、がっかり。
11時、Colonial Williamsburg Historic Areaに入る。
ビジターセンターに車を停め、歩いてエリアに入る。
江戸川台一行と来た11月とはうって変わって夏真っ盛り。
前回行きそびれた箇所を中心に回る。

Governor's Palace(壁に飾られた合計774丁の銃剣は見事),
Public Hospital of 1773(当時の精神病院,悲惨で目を覆いたくなる),
De Witt Wallace Decorative Arts(イギリス・オランダからの陶器デルフト他各種の陶器は素敵、
ワ シントンの肖像画は必見)などを回り、Merchans Squareで昼食。
レストランは”Trellis Restraurant and Cafe”。
ここはアメリカとは思えないシンプルだけど一味工夫されたサンドイッチは美味。カナダを思い出す。
そして少しショッピング。

3時を過ぎ、思い残す事はないと、歴史保護区をあとに、ビジターセンターまでのバスに乗る。
全体的に、前回の初冬のほうが、Colonial Historic Areaとしての風情は大。
区内の 18世紀の装いの人々はあまりにも暑そうでお気の毒だし、
観光に訪れた人々は少しでも建物の中で涼みたい様子。
ゴミ箱には水のボトルが散乱する。湿気たっぷりのVAの夏は決して楽でない。

Williamsburgには数多くのアウトレットのモールがあるが、その中の一つ”Prime Outlets”に、立ち寄る。
店舗はざっと80店ほどか。特に買うものがない時のアウ トレットは、ちょっとつまらない。
めぼしいお好みの店 (Nike, Bose, Nautica, Vans, Hush Pappies, etc.)だけひやかしに寄るだけだったが、
とりあえず一通りぐるっと歩いて回る。
観光客を期待して、たくさんのアウト レットがこの地にあるのだろうか。
けれど、今日は停めるのに何の苦労もなく停めら れる程度の込み方
(普通アウトレットの駐車場は停めるのが一苦労)だった。
今日のお買い上げ・・・Wilsons Leather本皮ジャケット25ドル
(定価149.99ドル,The Fourth of July特別セール)だけ。

雲行きがあやしくなってきた。 6時、帰路に向かう。
I-64に入るやすぐに雨が降り出す。そして車の量も増えのろのろ運転状態。
これでは3時間では帰れまい。 完全渋滞とはならないものの高速道路とは思えない速度。

8時半Fredericksburg到着。
東海岸中心のカントリースタイルのチェーンレストラン”Cracker Barrel”で、夕食。
気にはなっていたが入った事の無かったこのレストラン。
いかにもアメリカン、でもいつも込んでいるだけあってなかなかいける。
待っている間に隣接のOld Country Storeで時間を潰せるのも悪くない。
9時半レストランを出る。 到着目標は10時過ぎ。
I-95はまだまだ渋滞の為、国道1号線で北上する。こちら も途中から渋滞。

10時50分、やっと家に到着。
三連休の最終日とあって、先週末のような快適ドライブならず。
しかし、日帰りでも充分に堪能できた旅でした。
CAのアメリカ人がWilliamsburgはいいよと心を込めて言っていた意味が、
いざCAに戻る事になって、なんとなくわかったような気が・・。
CAにはアメリカの誕生を語るよ うな史跡(?)は無いものねえ。
思い浮かぶのはゴールドラッシュに関わるものばか りだもの。
そしてこっちに来て私自身アメリカの歴史に少しばかり興味を覚えたのも事実。

引越しも悪くないよ、時には。

 

7/7(月)晴れのち雨

旦那はボストン出張で、お帰りは明日。
その旦那から電話。Relocationの会社”Cendant Mobility”と話したそう、
引越し希望は7月21日の週で、その前にダンボールを持って来てもらうよう依頼したとの事。
引越しやさんが決まり次第、電話をもらう事になる。一歩前進。

柏爺からのE-mailで、入院の必要がなくなったとの事。早速電話を入れる。
数日前よ りずいぶん元気な声になっている。石が出てしまって楽になったのか?そこの所は不明。
いつも楽観的な柏爺だから医者にちゃんと聞いてきているのか少々気になる。
で も元気そうで良かった。

3時、絵里と研人を矯正歯科に連れて行く。これが最後の予約。
絵里は上前歯(右)を少し削る。研人はブレイシスを締め直した。
3人分のレントゲン写真や記録をもらう。返金は$854。
CAでは今後いくらかかるのだろうか?ま、得はしないよね。

また、雷が鳴り雨が降りだす。
今日は七夕だったのにー。
今年こそは皆で短冊に願いを書いて吊るそうと思っていたのに~。
またやり損なってしまった(雨のせいではない)。

昨晩遅かったから今日の朝寝坊は仕方が無いにしても、
自分から何も手伝おうとしない子供達には、いらいらさせられる。
3人にそれぞれ夕飯のおかずを作らせる。
全部一人で<洗う・切る・調理する>をやらせた。

絵里 サラダ・味噌汁
宏人 パッドタイ(Pad Thai)
研人 ハンバーグ
この中で一番説明が必要だったのは絵里。
ブロッコリーを水から茹でようとしたり、味噌汁すら要領得ない。
こんなに出来なかったの?と唖然。これからはもっとやらせ ないと・・・。
長い夏休み、生かすも殺すも本人次第。
ただただ漠然と時が過ぎていくのはもったいない。

 

7/8(火)雨のち晴れ

ゆうきが丘から江戸川台・柏・運河に振り分けられた家具やダンボール類が、あいにくの小雨模様の中、引越しされたと聞く。
どこの家も、とんでもない状態になっているのではと想像する。
本当にご迷惑をかけています。
ゆうきが丘のがらんとした室内を想像し、3件(特に江戸川台と柏)で幅を利かせている私達の荷物に胸が痛む。
こんなに大変な思いを皆さんにさせてしまっているのだもの、一日も早く家賃収入が出ることを祈る。
本当にお世話様です。ありがとうございました。

日本語の勉強をちょこっとしただけで、その後ベースメントに入りきりの子供達に喝を入れる。

絵里はChinnでのバレーボールキャンプ(3時間・3日間)に参加。
僅か1時間で腰を痛めたそうで、私が迎えに行った時は痛くて座る事も動く事も出来ずで、立ちんぼうの状態。
本人の希望でまたカイロへ。私は行かせたくなかったが、
あまりの痛さに耐えられ無い様子で何らかの処置が必要かと、連れて行く。
Dr.Fayが丁寧に診察してくれたが、・・・?
あまり納得のいく説明はなく、果たしてカイロが良いのか??とは思いながらも、明日の予約を入れる。

いつも少しのブランクの後、スポーツを始めると必ずどこかを痛める。
普段コンピュターばかりでグタグタ生活が良いはずも無く、懲りない絵里に腹が立つ。
痛みをわかってあげない私に絵里はいらだつ。

帰宅すると、研人は芝刈り、宏人は外でホッケーの練習。
自転車で公園も走ってきたそうで、少しは体を動かす努力をしているようだ。
日本でのラジオ体操・クーラーのない暑~い夏・どこに行くのも自分の足や自転車での生活。
そういう毎日がいつの間にか私達を鍛えてくれていたのは間違えなさそう。
それに引き換え、うちの子供たちはえらーく軟弱!しっかりしろよ!!

旦那が出張から帰る。
ボストンの空港では天候不良の為、4時間待たされたそうで、ご機嫌が悪い。
来週はまたCA出張。引越し屋からの返事が待たれる。

 

7/9(水)晴れのち雷雨

絵里の腰はまだだいぶ痛む様子でとても動き回れない。
ベッドから起き上がるのもやっと。どうしたものか?
市販の痛み止めでは効かないので、私が以前医者からもらった鎮痛剤を飲ませる。
ホームドクターに行くべきか?行ってもたぶん、痛み止めのくれるだけ。
どうしたらいいの?カイロにやはり行く。

バックヤードの水鉄砲等の入ったおもちゃ箱の整理。
VAに来てプールのあったCA時代と遊びも変わり、ほとんど開けないで置きっぱなしの状態だった品々。
足ひれのゴムは朽ちてぼろぼろ、使えなくなった物が次々と。
月日の流れをまた感じる。
デッキの椅子もお掃除。雨風にさらされてこちらもかなりひどい状態。
宏人と研人が水遊び感覚で頑張ってくれる。

キャンプにも行けず暇を持て余している絵里の勉強を、今日は私も気を入れてみる。
簡単な算数の問題が間違いだらけ。こんなんで大丈夫かと思われるようなミスばかり。
学校ではずっと算数でずっと”A”を取ってきている絵里だが、何をわかってやっているのだか??
要領のいい絵里は基本的には何もわかってないのでは・・・?
ちなみに先週送られてきたレポートカード(通知表)で、絵里はストレートAならず。
ScienceとLanguage ArtでB+。あと1点づつでAだったというから、いかにも絵里らしい。
なかなかストレートAは取れないものだ。

宏人は、絵里にワンポイント劣る (いい言葉ではないね)ものの、よく頑張った。
今年の1学期の成績と比較すると、 雲泥の差。
彼の努力に乾杯!ただ先生のコメントが気になる。
”Need More Self Control in Class(要自制)”サイエンスの先生に書かれている。
宏人は絶対何かの間違いだと言う。
確かに欠席日数などの表記は間違いだらけだし、さらにその下に
” Studens Courteous/Cooperative(礼儀正しく/協力的)”とあるのは、いかにも矛盾している。
でも、ちょっと気になる。

Centantm MobilityのDonから電話がある。
引越し業者が決まった。”Reads Moving and Strage”
早速教えてもらった電話番号に掛ける。
明日中には下見の担当者から電話が入ると言う。
しばらくして、担当者Davidから電話、明日の下見の予約を取り付けた。
少し順調に事が動き出した。

このまま無事に引越しできますように!

 

 

7/10(木)くもり夜激しい雷・雨

11時、Reads Moving のDavidが下見に来た。
愛想はいいものの何となく頼りない感じの担当者で、
家に来るのにも迷いに迷ったそうで、彼の見積もりで大丈夫かと多少心配になる。
私達は4度目の引越しで引越しの達人?
過去にトラックが小さすぎて別のトレーラー手配になった事や
隣家の引越しは夜中過ぎまでかかった事など話し、そのような事の無いように念を押す。

会社からいったん戻って下見に付き合った旦那は、CAまでのかかる日数をしつこく確認。
5日から10日と言われる。大陸横断を考えている私達は5日間で荷物が着いてしまっては困る。
しかしDavidは、「3日でも行ける!」と、断言。
最長の10日は、ほとんど考えられないと言う。
これでは大陸横断はできまい。別の遊びを考えよう。

引越し日程の概要ができた(確定ではない)。改めて確認の電話が入る予定。

7/21(月)22(火) パッキング
7/23(水) 積み込み+トラック出発、ホテル泊
7/24(木) ハウスクリーニング、出発
7/28~30 トラック到着

ここでの生活も残りちょうど2週間。何だか気ぜわしくなってきた。
上記のスケジュール通りに事が進めば下記のような一時帰国も可能になる。

8/8(金)San Francisco 1:00PM 発<JL0001便>
8/9(土)Tokyo Narita 3:40PM 着
8/16(土)Tokyo Narita 5:55PM 発<JL0002便> San Francisco 11:10AM 着・・・・・・・・・・・・・・・旦那・絵里
8/23(土)Tokyo Narita 4:50PM 発<JL0066便> Los Angeles 10:45AM 着、
Los Angeles 4:05 PM 発<JL5854便> San Francisco 5:13PM 着・・・・・・・・・・・・宏人・研人・私

旦那の話では、一時帰国のチケット手配をした時には、すでにサンノゼから直行便はいっぱい。
このチケットもぎりぎり抑えたそうで、乗客減で苦しい事情の航空業界も、夏休みとなれば少しは書入れ時という事か。

絵里は高校で8月の中旬からクラブの申し込み等が始まるので、お父さんと一緒にCAに戻る。
1週間2人でどんな生活をするかちょっと見もの。
日本の皆様、お邪魔します。よろしくお願いします。
Davidが持ってきた10箱のダンボールで、子供達がそれぞれ忙しく自分の部屋の荷物整理を始める。
早々に箱を使い切り、また持ってきてくれるように電話をする。
絵里の腰は日に日によくなっているようだが、まだ薬は手放せない。

 

7/11(金)くもり

どんどん仕分けして箱に詰めていってしまいたいのに、ダンボールが如何せん足りない。
追加注文はしたものの、持って来てくれるか?と不安。
旦那の会社の引越し間近の日本人は、ダンボールとテープを持って来てくれと言ったら、
HomeDept(ホームセンター)で売っていると言われたそう。
どんな対応が返ってくるかわからないのがアメリカ。

ネイティブスピーカーでない人々に対する偏見もまだまだあり、
どうしてもハンデーのある私達はいかに逞しく渡っていくかが要求される。

整理していたクラフトの材料で、絵里は夏用のリースを製作。
ひまわりの花をあしらった簡単なものだが、夏らしくてさわやか。
早速玄関に飾る。

時間が沢山ある絵里はここ1週間で初めてのクッションも完成。
引っ張り出してきた生地で次のものを思案中。彼女は手先の事が好きだ。

アルバムの整理も滞っているので(かれこれ5年近くなってしまうかも!!)、
写真の量も膨大化してどうしようもない状態。
引越しのたびにわが身のだらしなさに唖然とする。

だいぶ良くなったものの、絵里をカイロへ連れて行く。
基本的に今日で終わりにし、来週また我慢できないようだったら診せることにして、予約は取らず。
子供達はここでの生活をカウントダウンし始めた。

残り12日(7月23日まで)予定通りいきますように。

 

7/12(土)晴れのち雷雨

引越し日程が大方決まり、日本にも一時帰国できそう。
旦那と私ともに日本でも運転ができるように国際免許を取りに行く。

10時半、Fair FaxのAAAで順調に取得できる。
これで私も運転できる!考えただけでも、どきどきだけどね・・。
少し遅くなってしまったが、ワシントンDCに向かう。
まだまだ行き残している博物館回り<懲りない奴だの声が聞こえる>。

到着が11時になってしまったので、駐車できる所を探してぐるぐると20分ほど走る。
ようやくCapital(国会議事堂)裏手に路肩に停める事ができた。

National Museum of American History(国立アメリカ歴史博物館)へ。
スミソニアンで入場無料。
この博物館の目玉は、アメリカ最初の星条旗。
1814年に掲げられたこの旗を見て作られたアメリカ国歌”The Star Spangled Banner”の詩は有名。
只今修復中で、フラッシュ撮影は禁止され厳重に管理されている。
この時の星の数が15個(states)なのが印象的。
その他に目を留めたのは、ファーストレディーのドレスの展示や生活様式の紹介、
第2次世界大戦中強制収容された日系人の記録。
さらに科学の進歩のコーナーでは扱われた原子力そして原爆。
この中では科学の発展に寄与したような事が書かれてあり、不愉快になる(英語の読み取りが悪いのか?)。

宏人が遠足で来てお勧めだったこの博物館だが、皆の評価は今ひとつ。
テーマが絞られていないためか、ただただ疲れを感じる(まためちゃくちゃ広かったのです)。
混んでいたせいもあったかと思うが・・。

時間は4時45分。絵里が行きたがっていたUnited States Holocaust Memorial Museum(ユダヤ人大量虐殺記念博物館)へ駆け込む。
閉館まで30分ほどしかない。博物館の概要がよくわからないままにRemember the Children: Daniel's Storyに入る。

ナチスの迫害を受けたユダヤ人Danielの日記でわかり易く説明されている。
この部屋でビデオを鑑賞し、彼の生活ぶりをモデルルームで見て回る。
この部屋を出たところでタイムオーバー。閉館の時間になってしまった。
絵里はじっくりこの博物館を見て回りたかったと不満顔。来週また来る事になるかも?
<おいおい、その時は数日後には引越しだよ。>

さあ、もう帰りましょうと思ったものの、何だか急に名残り惜しい。
Washington Monument(ワシントン記念塔)まで歩く。
周りの星条旗が風に棚引き美しい。ポトマックリバーを見下ろす風景は映画”Forest Gump”を思い出す。
すると我々と同じような事を話している一団が・・・。
見知らぬ人とも分かり合えるとうれしくなる。

できれば塔の上まで上りたい。しかし今日はもうおしまいとの事。
展望台には無料ながら朝早くから並ぶ必要があるそう。断念。

フルに歩き回って、車に戻ったのは6時半近く。
幸い絵里の腰もよくなってきた様で 問題なく歩く事ができた。感謝。
ライトアップしたらさぞCapitalは素敵だろうと想像しながら、それを待つ事もできず(8時過ぎまで日が高い)、DCを後にする。

7月4日の独立記念日にホワイトハウス ・国会議事堂を背景に打ち上げられる花火は
写真を見る限りとても絵になる図。
引越し間際になって私達がアメリカの心臓部に程近い所に住んでいた事を認識するとはいかにも遅い。
週末のたびにサッカーだ、ホッケーだと言っていて今になって忙しく観光している私達って・・・。

一度は行きたいと思っていたArlington National Cemetery(アーリントン国立墓地)へ立ち寄る。
墓地閉門は8時。まだ間に合う。
アメリカ建国以来戦争で亡くなった20万人以上もの人が埋葬されているというこの地は、250万㎡の広大な墓地。
といってもぴんと来ないが、とにかくとてつもなく広い。
升目で計ったように立てられている墓石は、どの角度から見ても一直線に見えるように並べられているという。

先ずは第35代大統領John F. Kennedyの墓へ。
後方には永遠の炎が点されているのが彼の墓。
不覚にも私はそこがケネディーの墓と知ったのはアーリントン墓地を離れてからの事。
アーリントンのもっとも高台にある白い大理石が、Tomb of Unknowns(無名戦士の墓)。
ここは陸軍の兵士によって24時間守られている。
4時間ごとに衛兵交代が行われるそうで、私達が着いた7時にはちょうど交代式が行われていた。
すごい精神力。この蒸し暑さの中を、軍服姿(半袖短パンとはいかないだろうが)で、一糸乱れぬ動きは見事。
ロンドンの衛兵交代を思い出す。

VAに越してきてから何故だかずっと気になっていたこの墓地。
来られて本当に良かった。お墓参りをした後のようなすっきりした気分。
ありがとう旦那様!! すっかりお腹もすきました。

「今日は日本食がいいね。」と、話していたら旦那は「硫黄島に行くぞ。」と宣言。
<硫黄島とはへんなレストランだな?!>と一瞬思う。
ワシントン周辺のわかりにくい道をどこをどう走ったのか
<結構めちゃくちゃな事をしている旦那様、おまわりさんがたくさんいるのに~>
見覚えのある星条旗を持って争っている兵士達のモニュメントの所で停車。
「降りる?」と、旦那。
「疲れたからもういいや。ここから見るだけで・・・。」と、私。
これこそが”硫黄島”だったと後から聞かされ、非常に恥ずべき無知であると諭される。
<・・・お恥ずかしい・・・>

この硫黄島の件ではさらにもう一つ。
私「え~、あれが硫黄島だったの~?!」
研人「”いおう(よう)とう”って何?」
絵里「学校の名前だよ。」自信をもって言う。
旦那・私「???」 しばらくして気がつく。
私「それは陽東!話は硫黄島!」
絵里は陽東小に通っていた。

車の中でのおかしな会話番外編
旦那の運転席の左コーナーにカナブンのような虫がいた。
私「コガネムシだ。コガネムシ!」
研人「コガネムシー?」・・・聞いたことの無い虫だった。
続いて絵里「コガネムシー?」・・・同じく聞いたことの無い虫だった。
最後に宏人「お金持ちー?誰がお金持ちなの?」
・・本人いたって真面目に発した言葉。
私達が英語の聞き取りが難しいのと同じように、子供達にとって日本語の聞き取りは、やはり難しいらしい。

レストランを目指す頃にはまた雷雨となる(8時過ぎ)。
なんていいタイミングで降りだすのでしょう。
9時過ぎ日本食レストラン”味覚”到着。
ここは宏人の誕生祝いに皆で馬鹿みたいに食べたところ。
そして今日もまた・・・。いやそれ以上に食べてしまった。
仕事でしばしば来ていた旦那は女将さんとも仲良し。別れの挨拶もして、今日は景気よく食べまくり。
あんまりどれもこれも丼をなめるようにきれいに食べるものだから、女将さんからお礼を言われる始末。
閉店の10時まで食べまくって帰路につく。
お腹も気持ちも、はちきれんばかりの幸福感。

旦那は明日からまたCA出張。フライトは朝6時40分。5時出発は、つらいわねえ~。

引越しまであと11日。

 

7/13(日)晴れ

毎年恒例のセミコンのショーが今週サンフランシスコで行われるため、旦那は4時起きしてCAに行った(お帰りは木曜日)。
その為か今日が日曜日である事を忘れる。

気分はせわしないのに、めぼしい片づけができない。
いろいろな所をチョコチョコと片付けるだけ。目立った成果なし。

絵里は中学時代の友達と映画”Italian Job”へ。いい一日だった様子。
宏人と研人はくっついては喧嘩ばかり、それでもすぐにお互い遊ぼうとするから
良しとするか!?私にはよけい暑さを感じるけれど・・・。

CAの旦那から電話が入る。新しい家を点検したり不動産屋にメールを打ったり大変そう。
ホテルに入ってほんの少しばかりお昼寝したようだが、まだまだ睡眠不足。
そんな時の3時間の時差はきつい。お体大切に!

引越しまであと10日。

 

7/14(月)晴れ

Reads Moving のJoeから確認の電話がないので、こちらから電話する。
まだ車のピックアップをどうするか決まらない。が、引越し日は確定。
荷物が着くのは翌週の29日か30日になりそう。

ひそかに楽しみにしていた大陸横断がなくなって、どこでワンストップして遊んでいこうか。
いろいろ案はあったが、アメリカン航空の直行便がある空港が限られている為、ダラス/テキサスに決める。
CAからVAの引越しのときはオースチンに立ち寄り旧友に挨拶してきたが、
今回は北東に進路をとりArkansas(アーカンソー)の温泉に入ってくるつもり。ホテルを予約する。

ダンボールも再び催促。ダンボールくらい何ですぐにくれないのかなあー?
いくらこちらが忙しくしていても、われ関せずで手伝おうとしない子供達に敵意すら感じる。
彼らに言わせると気がつかないそうだが、それならなんと無関心な事か。
子供ってこんなもんだったかと自分の子供時代を省みる。
・・・覚えていない。

3時絵里の友達Catが来た。
5時Catと子供3人を連れ映画”Charlie's Angels; Full Throttle”を見に行く。
3人の美人諜報員の派手なアクションで有名な作品の第2作。
昔テレビドラマでも一斉風靡した。
たいした筋書きがないので2時間の映画も肩がこらず見ることができた。
しかしところどころの、ちょっとしたジョークが聞き取れない。くやしい。

映画館が異常なまでに冷房が効いていて体の心まで冷えてしまった。
研人は頭痛が始まり口数が少ない。
5人でハンバーグを食べて帰る。 研人はそのままベッドへ。

 

7/15(火)晴れ

昨晩絵里はCatとベースメントに寝る。
こうしてお友達と夜中まで地下で映画を見て過ごすのも、今日が最後。
いい思い出になった事だろう。

子供達の銀行口座を解約しに行く。
江戸川台や柏から頂いたお小遣いをせっせと貯金して、
3人とも彼らの日々のお小遣いでは考えられないような金額が貯まった。
その中で研人は絵里をも抜いて一番の残高。
普段欲しい物がなく、お友達と映画に行く事もまだないので、
研人はちょっとした買い物は本を読んでもらえるチケットだけで充分。
これからもこつこつ貯めるのだろうか?こんな所にも3人の性格の違いが現れる。

ダンボールが来ない。
どんどん詰めて掃除を始めたい所だが、今日の電話の感じではちょっと難しそう。
話しているとどうも相手の話に納得してしまって、電話を切ってからまた強く言えなかったと後悔する。
家のクリーニングサービスはいつ入れようか?
オーナー一家にきれいに大事に使われていたこの家は、オーナーとの直接契約だった事もあって、
掃除は入念にしないといけない気がする
(今までは不動産屋との契約だったので、クリーニングサービスを入れただけで済ませた)。
それにしてもたった2年でどこもかしこも汚いよ。

旦那は朝早くからミーティングそしてずっと立ちっ放し接客業だったそう。
Cendant のDonともまだ話ができないそうで、航空券の手配も滞っている。
車を出した後のレンタルカーの手配もしなくてはならず、まだまだ前途多難。
しなくてはいけない事が山積み。

引越しまであと8日。間に合うの~!

 

7/16(水)晴れ

オーブンは、もう使い収め。
オーブンのセルフクリーニング(汚れを焼き落としてしまう)のタイマーをかける。
ファンが回っている音がするものの一向に熱くならない。
以前これで非常ベルがなってしまった事があるから、セットするものびくびく。
結局クリーニングはできなかった。

セルフクリーニングオーブンが使えないと掃除はたいへんだわい。
今日の所はやめにする。

子供達にやらせる事のリストを作る。
ゴミ箱を洗う、冷蔵庫の掃除など・・・。
以前の引越しでは、私が作業しやすいようにせっせとキャンプに入れるなどして、
できるだ け子供達が家にいないようにしたものだったが、
今はできるだけ子供達にも引越し作業を手伝わそうと躍起になっている私である。
本当にいつの間にか子供達は大きくなっている。

絵里と共にヘアーカットに行く。
さっさっさあっとカットしてこれでおしまいと、濡れたままの髪で終わりを告げられるのにはどうしても慣れない。
高級美容院に行けば、コーヒーを出してくれてマッサージ付き、
至れり尽くせりのナイスヘアーにしてくれるんだろうけれど、もったいなくって行けやしない。
化粧品代もかからないし、ブランド志向もないから、私ってホント安上がりよね。

ブロー&ドライは中途半端ながら、髪がすっきりした私達はKohl'sへお買い物。
50ドル買うごとに10ドルのキャッシュバックがあると思っていたら、そのプロモー ションは14日までだった。失敗。
月日の経つのが早すぎる!
子供達が、Kohl'sで買ったバレーボール・バドミントンネットセットを持って、裏の公園に出かけたのは5時半過ぎ。
後から私も行ってみる。ロープの組み方が難しくて、なかなか立ち上げる事ができない。
それでも絵里と宏人が説明書を解読(研人は一人 ふらふらと・・・。チビ扱いでふくれっ面)。
意外としっかりとネットが出来上がった。

2対2のバレーボール、2対2のバドミントン、1対1のバトミントン。
ぶつかってもネットは倒れることなく、点数をつけるところもあって、こりゃあなかなかいい物を買ったと満足する。
今度のCAの家のバックヤードに取り付けられるかなあ? 土の所でないと駄目なんだけど・・・。

子供達は引越しが非常に待ち遠しい様子。2年前とは大違いだ。
旦那は、7月25日のDC-Dallas、28日Dallas-SanJoseの便を手配。
その旦那様のお帰りは、明日の夕方予定。
ここの家ともあと僅かだね。

引越しまであと7日。

 

7/17(木)晴れ

Donation(寄付)におもちゃや洋服・靴をダンボール(大)2つ出す。
今の駐在員の身では関係はないが、自分でTaxの処理をするようになった時は、
Donationの領収書でいくらかTaxが割引になる。

真理さんがビデオやおもちゃを引き取りに来てくれた。
真理さんは2年半前にアメリカ人のだんなと別居。
今は離婚の調停中で、フロリダに住む元旦那の元へ夏休みを利用して12歳と3歳の子供達を預けに行ってきたばかりだった。
真理さんが語るフロリダまでの元旦那と今の彼女・子供2人に真理さんの15時間の車の旅の様子は、まるで映画のシーンのよう。
仕事を掛け持ちして生計を立てている彼女は逞しくとっても魅力的。
淡々と語る彼女の語り口に暗さはない。
しかし聞きなれない離婚や裁判の話に、何をどう応えていいものやら・・・。
心から彼女の頑張りにエールを贈りたい。

VAに来て絵里のお友達も私の友達も、決して一般的に言うような幸せな家庭にあるわけでなく、
ただただ平凡に贅沢を言わず家族揃って健康で仲良く暮らせる事が、実に難しい事であるのかを思い知った。

まだダンボールが来ない。CendantのDan、Reads Moving のJoeに今日は強く交渉。明朝届くことになる。

車のピックアップの話が進まない。
ShippingのDanaに再三メッセージを残すが、かかって来ない。どうなってんの??
再びCendantのDanに電話。捕まらない。メッセー ジを残す。
6時旦那が帰って来た。 散髪してすっきりさわやかの顔。でもやはりお疲れの様子。
引越しに際し、やらなくてはいけない事を次々と言う。
「今日はもういいよ。明日にすれば・・・。私が明日やっておくよ。」と言ったら、
「なんで今日はそんなに優しいの?」だって!いつもいっぱい優しいのにー!
旦那は10時就寝。 11時CAのオフィスから携帯電話が鳴ったが、取り継がなかった。
CAはまだ8時なのよね~。

引越しまであと6日。 皆元気で引越しを乗り切ろう!!

 

7/18(金)くもり時々雨

もう全くバッカじゃないの~! 頭にきています。

結局午前中どころか5時を過ぎてもダンボールは来ない。
再三Reads MovingのJoeに 電話を入れるが、トラックの運転手からの電話を待っているの一点張り。
かたや来週の車のピックアップの連絡も来ない。

メッセージを残してもかかってこないし、代表電話にかければ次から次へと違う人に回され、
ついにDanaが出たと思ったら、まだ何の書類も来ていないので何もできませんだと・・・!

どうやら諸悪の根源は調子ばかりいいCendant のDonらしい。
(旦那は最初から奴は駄目だと言っていた。先見の明あり。)

Movingの方もShippersの方もDonからの書類が遅くて先に進めなかった様子。
彼に言わせると、マネージャーの所で止まってて・ ・・だってさ。

宏人とOld Navyにズボンを買いに行く。
あんまり大きくなっているようには見えないのに、確実にお腹周りは大きくなっているようでズボンが足りない。
しばらく洗濯ができなくなる事を考え購入。

携帯電話への旦那から要請で、来週荷物が出た後のホテルを予約に行く。
Joeから連絡があったのは6時過ぎ、ドライバーと連絡がつかないから明日自分が持っていくとの事。
「それは、わざわざ申し訳ないわね。」と言ったら、
「何でそんなにダンボールが必要なの?」と、いかにも行きたく無いように聞かれる。
一切申しわけありませんの言葉はない。急に怒りが湧いてくる。

会社の荷物をピックアップしなくてはいけない事、日本にもって行く荷物は別にする必要がある事、
オーナーの荷物も別に・・・さらに頼んだのは2週間前で理不尽な事を頼んではいない事を矢継ぎ早に話す。
話しているうちに興奮してきて、わーわー騒ぎ立てる。
どこまできちんとした英語だったか ?ほとんど信用できない。

7時引越しのトレーラーが、ダンボールを運んできた。<なんなんだ!>
私が「待ってたのよ~。」と言うと、何も事情の知らないドライバーは、「電話して くれれば良かったのに・・・。」

Joeはどこまでドライバーに話をしていたのか。一体全体誰がきちんと仕事をしてんだよ!

車のピックアップの具体的な話ができないまま、旦那はVA・TX・CAでのレンタルカーの予約をする。
家族5人トランク3個の入る車は簡単には借りられず前もって予約をしなければならないそうだ。
気分的にとっても緊迫してきた旦那さん。
あれもしなきゃ、これもしなきゃと落ち着かない。
おそらく出張直後の引越しで、急に引越し気分になってきたんじゃない?
私はもういいよ。と、引越し準備に疲れ、後はLast minutesで事をなそうとしている。

絵里は腰も完治して、最後のバレーボールに行く。

 

 

7/19(土)晴れ

最後の週末。 本来なら引越しにまっしぐらなんだろうけれど、まだちょっと物足りない。

車の保険の書き換えの為、今週もまたAAAに行く。
先週の時点で気がつけば2度手間にならなかったのに・・・。
さらに保険の担当者が今日は病欠で、無駄足となる。ついてない。先週はいたのに~ !
広~いアメリカは、AAAも西と東(VA-CA)とでは同じAAAと言っても会社は別。
住所変更だけの簡単な手続きでは駄目。
同じ事は銀行にも言えて、Bank of Americaと言っても全く違った銀行になってしまって、残高照会もできやしない。
解約もオンラインでできないし、不便な事この上ない。
結局今日のAAAには、担当者の電話番号を聞く為だけに来たようだ。ブー!

再びワシントンDCへ。
数日後の引越しを前に行く所でもなかろうが、再び”Holocaust Memorial Museum ” へ。
どうもここの博物館は、一般的なものとは違うようで要領得ない。
うろうろした挙句、メインの展示館への2時半のチケット(無料)と、
アンネ・フランクの記念館への4時半のチケット(無料)をもらう。
こうして入場者数を制限して、しっかりと心して見させようというのか。
チケットの必要でない所をさっと回り、昼食を取りにAmrican History Museumへ。
これだけスミソニアンの博物館が乱立し、キャピタル等の観光スポットもたくさんあるのに、
ここワシントンDCのモールと呼ばれるエリアにはレストランや駐車場が際立って少ない。

ヒットラーのナチ政権が行ったユダヤ狩りと言われるユダヤ人大虐殺は
ドイツやポーンドを中心に600万人にも及ぶと言われ、その悲惨さは目を覆うばかり。
人間があそこまで非情になれるとは、何の言葉も出てこない。
その中でアメリカはユダヤ人保護の立場をとり、後のイスラエル建国にも加担する事になる。
しかしその後も限りない紛争が続いているのはあまりにも悲しい。

アンネ・フランクの館では、彼女の生い立ちの説明や日記の写しが公開されていた。
オランダで行った彼女の隠れ家がひどく狭かった事しか覚えていないのは、なんとも情けない。
絵里は早速アンネ・フランクの日記を買って読み始める。

さようならワシントンDC。 高級ショッピングモールのTysons Cornerへ行く。
1年ほど前に歌にもなった(ラジオでしばしば耳にした)有名なモール。
行った事がないというので寄ってみる (1回あると思うけど)。
Potomac Millに比べて全部がお高い。
ほとんどウィンドーショッピングで終わる。
どこかで夕食をとりたいところだが、まだ冷蔵庫に食べ物がたくさん。

9時、家で残飯整理をする。これがまたいける(と、思っているのは私だけか?)。
Donに電話。車の確認等をする。
スピーカーフォーンは便利。2人がかりで気になっている事を、彼に確認。
ついに遊びの日は、おしまい。
明日からはせっせと働きましょ。

引越しまであと4日。

 

 

7/20(日)晴れ

子供達は10時半起床(研人は9時)。
ゆっくりできるのも今日が最後。
しばらくできなくなる日本語の勉強をさせる。<よく頑張るよ。子供も私もと、自画自賛>

勉強の後は一気に引越し準備。
旦那は車のラックをはずし、オーナーの持ち物の種分け(これがなかなかたいへん。電気を元に戻したり彼ならではの仕事なのです)、
壁絵をはずしたり、大事な書類の整理など・・・。
私は1週間分の旅行の準備が中心。
子供達も準備完了で、子供部屋もすっきりしてしまった。

夕方になって子供達は公園へバレーボールをしに、出かける、ネットを持って。
少したって研人から電話「簡単にセットできたよ。忙しい?良かったら来ない? 」
旦那と二人公園へ行く。しっかり1時間以上バレーボールとバドミントンを楽しんだ。
それにしても、子供達は軟弱だ。水ばかり飲んで暑い、疲れたばかり言っている。
挙句に宏人はお腹が痛いと一人退散(暑さに負けたとは宏人の弁)。
45歳になる私達の方がずっとタフじゃん。いい汗かいたなあ。

夕食後はやり残した事はないかとチェック。
引越しやさんは、どーっと来てがんがん入れ始めるから、しまわれては困る物は注意しておかなくてはね。

旦那は今も子供のコンピューターのバックアップをしている。
今日はまだまだたいへんだとか・・・。 ご苦労様です。
無事に引っ越し終わらせたいね。

あと、3日。

 

 

7/21(月)晴れ

予定より5分早く(驚異的!)7時55分Packers(荷物を詰める人)が来た。
今までになくバッチリやってくれそうな大柄の若手のアメリカ人(?)3人。
今までの引越しは腰が痛いから薬をくれと言う人や、ゴホゴホ咳をしている人など、
大丈夫という様な人が多かったけど、今回はいけるかも?
<安心するのはまだ早い>

家の中を説明後、早速パッキング開始。さ、どうなりますか?

全く疲れを見せず一気にベースメントと台所を片付ける。
ベースメントではステレオの配線をはずしていなかったと、旦那が大慌て。
台所では使う食器は出した物の 、鍋釜包丁の類は出しておかなかったので、キャンプ生活を余儀なくされる。
あんまり作業が早いので、明日にLoadingしてしまうのかと聞く。
明日もここの家に泊まれるというものの、残っているのは私達の部屋とコンピューターそれに各自のベッドだけ。
いつにない早いペースで事が進んでいる。
このぶんだと夜中までかかる事はなさそうだが、荷物が着いてからが少しばかり心配。
何事もない(めちゃめちゃでない) といいのだけど・・・。

そして5時を過ぎ、Packersは帰って行った。
明日も8時に来ると言う。

やっと、Danaと話ができた。車のピックアップの確認。
旦那は午後から会社へ行く。
会社の荷物整理をした後、空港までレンタカーを借りに行く。
さらに今日は会社の仲間が送別会を開いてくれたので、午後から大忙し。
私はこの家のガス・水道・電気・電話の解約を申し込む。
電話は24日まで、その他は8月1日までとする(Markの依頼で)。
郵便転送の依頼完了。毎月送られてくる雑誌も新住所に変更した。

レンタカーに乗って旦那が帰って来たのは9時半。
明日無事に2台の車のピックアップが終われば、気分的に楽になるね。
明日はこのコンピューターも荷物と化す。
日記は旦那のPCから打つ事になるのかな?

今日の言葉
"We love because it's the only true adventure."
・・・ちょっといいでしょ 。

あと2日で引越し。

 

 

7/22 (火) 曇り(暑い)夜雷雨

昨日と同じ7時55分に現れたpackers。
今日明日と雷雨の予報が出ているというので、積み込みを始めると言う。
大きなトレーラーを家の前に横付けし、引越し作業スタート。

昨日すでに箱詰めされた荷物がどんどんトレーラーに吸い込まれる。
ベースメントの本のいっぱい詰まった箱も、3箱一人で運び込む彼らはいったい何者?
そんな彼らのペースに合わせようと、こちらも躍起になって作業を進める。

旦那のトラックのピックアップが、11時と言うので旦那は会社に出向く。
ピックアップには必ず立会いが必要で、車の状態を細かくチェックされる。

子供たちをアイススケートに連れて行く。
一般のスケートの時間は、12時から2時。
その間、めいっぱい遊んで来いと送り出す。
私はみんなのいないこの時間帯フル操業。
なんてたって、あまりにも早く事が進むもので、家具がどんどん動かされる。
その家具の後ろ側は埃だらけ。

3階建ての家をぐるぐる動き回り、ひたすら家具の拭き掃除。
このまま新居に持ち込まれたらたいへんだよ。
洗濯機と乾燥機の接続をはずすと言う業者が来た。こんな事初めて。
何か特別なことをするのかと思ったら、管をはずしてテープで巻いて帰って行った。
わずか15分ほどの作業。

予報どおり、雷がなり雨も少し降り出した。
旦那も最後のお勤めを終え、帰ってきた。
子供たちも最後のアイススケートを楽しんで帰ってきた。
この時点ですでに子供部屋にはベッドしか残っていない。

4時、ソファーも食卓テーブルも片付き、残っているのはベッド・掃除用具・ほんの少しの食器だけ。
もうすでに家の中はがら~んとしている。
5時、明日また8時に来ますとpackersが帰って行った。

6時までに来ると言う車のピックアップが来ない。
6時35分に催促の電話を入れた矢先大きなカーキャリアで現れる。
これもまた旦那立会いの上、引渡し完了。
車の引き取りは12日後。

近くのアメリカン・レストランに食事に行く。
不思議な店。内装はインド的だし、食事も純アメリカンとはいえない。
他に客の姿は無く、どうやって経営しているのかこれまた不思議。
ずいぶん掃除もできたし、お腹もふくれた。

明日もそう遅くまでかかることはなさそうで、ほっと安心したのもつかの間・・・。
私たちのベッドルームにかかっていたカーテンを引っ張りカーテンレールを落とし、
その際壁をくずしてしまったのだ。
このカーテンは私たちが取り付けたもので今日洗濯したばかりで、すっきり渡すつもりだったのに~!
ごろごろ寝そべっていた宏人に絵里がつまずき、このようになった。
いっぺんに、平和な気持ちが吹き飛ぶ。
こうなったら、もうどこか壊さないうちにはやく引き渡したいよー。

ここうちで寝るのも最後。バスタブの最後のお掃除。
シャワー室もきれいに掃除完了。
子供たちに明日の朝一番でする事を指示。

おやすみなさい。あしたもがんばるぞー。

 

 

7/23 (水) 曇りのち晴れ

8時ちょうどに同じメンバーが到着し、残っていたベット、少々の食器と掃除機等をてきぱきと運び出す。
9:30 積み込み終了。
夜中までかかっていた隣の引越しと比べて、時間は悠々だけれども、
その分空けたときの中身がどうなっているか、心配および楽しみでもある。

あとは掃除だけ。2年間で初めて全ての窓ガラスを磨く。
ひょんな事から今まで気づかなかった窓のあけ方をしる。いまさら遅い。

1時、子供たちは閑だろうと思い、映画でも見てこいとPotomac Millまで”Pirates of Caribbean”を見に行く。
その間、私たちは、DMVで車の登録変更の手続き(実際の手続きはCAで、今日は税金の処理だけ)をし、
ComcastにModemとTunerも返しに行く。

まゆみさんが来てくれた。お別れ。
彼女の旅行の写真など見せてもらって、ひと時のゆっくりした時間を何も無い家で過ごす。
もっと早く友達になりたかった。これからもよろしく。

一通り掃除が完了。子供たちはホテル”Wytestone Suites”に入る。
プールに入って私たちの来るのを待つ。絵里は男どものオブザーバー(16歳以上可能、ずいぶん大きくなったものだ)。

晩餐は今まで行かれなかったイタリアン”Carrabbas”。
いつも混雑していたし、ちょっと高そうなのがネックになっていた。
予想通り味も量も満足じゃ(今日は研人がオーケストラのコンサートに出てもらってきたクーポン券もあったしね)。

トランプゲームのあと就寝。 とりあえずほっとした。

 

 

7/24 (木)晴れ

旦那と二人で掃除の仕上げ。私はトイレと台所の仕上げ、旦那は部屋の隅々を仕上げ。

10時Markが来た。一通り家の中を回り、こちらが気づいたことをひとつづつ確認して回る。
カーペットクリ-ニングだけであとの化粧直しは彼がやるそう。
すぐ後、大きなスナックやフルーツの盛り合わせバスケットを抱えてDorisが来た。

昨晩バハマから戻ったJones家なのに、いろいろ気を使ってくれ、申し訳ない。
大家のJones夫妻から、「もう掃除は良いよ」と開放宣言をもらい、
「あとはショッピングでもしたら」といわれ、お言葉に甘えることに。

旦那と宏人と研人はホテルでトランプ。
プールが掃除のため使用禁止になっていたため。
絵里と私はPotomac Mills Mallでお買い物。
買い物から帰って、子供たちは3人プールに飛び込む(研人がどうしても入りたかった)。

夕食はMarkの家でご馳走になる。すごい家。
Jones家には来年10年生になる娘Leah と、7年生になる息子Willamがいる。
Leahは中耳炎になったのか耳が痛そう。
それにもかかわらず、陽気なMarkとDorisの楽しい会話に、気が付けば10時を回っていた。
家に招かなかったのが悔やまれる。

本当に良い家でした。
2年間は短すぎたけど・・・。

 

 

7/25 (金)

Washington Regan National Airport to Dallas Fortworth Airport

Rental car was too small and took 1 hours to replace a car.

Hans forgot his cell phone in the Hertz car.

Drive to Hot Spring, AR

Stay Arlington Hotel

 

 

7/26 (土)

Hike Hot Spring National Park.

 

 

7/27 (日)

Up the tower

Drive to Dallas

 

 

7/28 (月)

Dallas Fortworth Airport to San Jose.

Stay at Residence Inn Morgan Hill

 

 

7/29 (火)

 

 

7/30 (水)

 

 

7/31 (木)

 

 

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