2010年12月7日火曜日

2010/12

いやいや、たいへんです。
2010年12月07日16:41
帰国した10月24日までを記したが、時はすでに12月。早過ぎですよ!

夫は9月から栃木の家に入居する準備を始めていた。16年の年月を経て初めて入る自分の家。ずーっと貸家住まいで貸家住まいの気楽さはあるものの、リフォームは元より釘一つ打つのも遠慮していた。でもこれからは持ち家、やりたい事ができる~!?

とは言っても・・・。
二つの所帯を持つという事が、こんなに経費のかかる事だと想像していなかった←あまい!

私の帰国前に夫がテレビ・洗濯機・冷凍冷蔵庫という最低限必要な大型家電は購入していたので、生活の第一歩はすぐに踏み出すことができた。しかし帰国後すぐに寒波が押し寄せ、12月下旬の陽気となった。その前の週まで穏やかな気候のサンディエゴにいた身にはこたえる。すぐに暖房機器の購入を考えなくてはならない。寒さの厳しい栃木。暖房機器は何がいい?エアコン、石油ファンヒーター、ガス、電気ストーブ、ホットカーペット・・・一体何を買えばいいんだー?アメリカの住宅は暖房は家について来る物だったので、入居してすぐに購入する家電ではなかった。アメリカ生活16年。こんな基本的なところまでどうした物かと迷ってしまうのです。
とりあえず石油ファンヒーター1個と電気ストーブ、ホットカーペットを購入。リビングダイニングと寝室の暖は確保できた。その後エコポイントが12月から少なくなると言うので、大急ぎでエアコンを発注した。しかし生産が追いつかない状態だそうで設置は12月中旬。1ヶ月待ちとなった。

大型家電に加え、すぐに必要となったのが車。この家はとても車無しには生活できない環境で、夫の実家の車を使わせてもらっていたが、早く返さなくてはと落ち着かない。されど車。車と言う大物買いに、容易に結論が出ない。夫もずいぶん前からいろいろ検討していたが、帯に短したすきに長しで限られた予算内では気に入った車が見つからない。
そんな中、私達二人の気に入ったフォルクスワーゲンのGOLFの中古車を見つけた。これがなかなかかっこいい。そして中古とは思えないほどピカピカなのだ。アメリカではここまで新車のような中古車は見ないような気がするけど、こちらでは自動車丸洗いをして洗浄するとか・・日本ってすごいよ(アメリカでもあるのかなあー?)。

次に問題になったのがカーテン。カーテンもアメリカの賃貸住宅では、一般的に家についているので、自分で買うことがない。家の顔とも言えるカーテン、これも簡単には決められず、インテリアの本を見たりカーテンショップを探し回ったり・・。ほとほと疲れた頃に、えいやと予算を大きくオーバーしたカーテンをオーダーしてしまった。その為2Fは既成のカーテンになってしまった(笑)。

車が納車になり、一応カーテンもついた。エアコンは来週には設置の予定。ぎりぎりセーフだ。
来週の火曜日、早々に冬休みになる子供達が日本に来る。彼らの滞在は約2週間。彼らが住む予定だった家に初めて入るわけだ。彼らが使うはずだった子供部屋。遊ぶはずだった公園。通うはずだった小学校や中学校。彼らはどんな思いでそれらを見るのだろうか?

短期間の滞在とは言え2人住まいから5人へ。少なくとも寝場所の確保だけは、しなくてはならないなあ(布団もSDと分けて来ているのでかなり厳しいのです)。

退会したユーザー2010年12月07日 17:53
新たな生活を始めるとゆうのは何かと経費がかかるものですねあせあせ(飛び散る汗)

今年のkame家のクリスマス、賑やかになりそうですねexclamation ×2

kame32010年12月07日 22:22
holoholoさん

大物買いは最初の頃は楽かったのですが、予算枠を越えた頃から息苦しくなってきましたふらふら
お蔭様でクリスマスはにぎやかに過ごせそうです。娘はすでに予定が入ってるようですが・・。


日記の意義

2010年12月09日08:49
日記をつけ始めて8年になる。
つけようと思ったきっかけは、今は亡き父がパソコンを買ったので、少しでもパソコンを開けるのが楽しみになればと思ったからだった。あいにく父はパソコンを充分に操れるようにはならなかったが、日記は日本の家族にアメリカに住む私達の日々を伝える楽しみを教えてくれた。さらに日記を書くのは私自身の日々を振り返りあるいは備忘録として、時にはストレス解消・ボケ防止(!)にとその意義は想像以上に大きかった。
当時は子供のアクティビティーも多く、ただただ忙しい日々を過ごしていたが、毎日日記を書く事は怠らなかった。その後子供達も大きくなり、サンノゼに越してからは子供が一人ずつ運転するようになった頃、ミクシイに日記をつけるようになった。日記更新も気まぐれとなり、月に数回のペースになっていた。

現在私にとってミクシイ日記は備忘録であると共に、日記は読んでくださる皆さんとのふれあいの場としてたいへん貴重なものである。
今までは主としてアメリカ生活を日本に発信していた日記だったのが、今後日本での生活をアメリカに発信する。アメリカに住む子供達に日本を知らせたい。
帰国後1年は逆カルチャーショックに見舞われると言うが、そのショックを受けている今、感じた事をそのまま書けたらいいと思う。

子供達がミクシイを始めてくれないかなと考える。日本語に不自由のなくなったマイミクでもある娘は日本語でミクシイ日記もたま~に書いている(これが実に興味深い)。息子達もというのは無理だろうな。

帰国後子供達との連絡は全てインターネットを利用してる。帰国してから子供達に国際電話を一度もかけていないというのも、時代を感じさせる。
そんな子供とのコミュニケーションはほとんどEメールなのだが、帰国後すぐに3人宛てに基本的に日本語で(重要な所は英語で)帰国状況を知らせるEメールを送った。文末に<今後も日本語で送るけれど、いいですね?返事下さい。>という一文を入れた。娘からはすぐにOKの快諾と一緒に長い日本語のメールが届いた。その後次男から<お母さんの日本語は問題なく読めるので日本語でいいよ。でもE(娘)の日本語はめちゃくちゃ難しくて読めない~!>という英文の返事が来た。いくら待っても返事のない長男に、英文でメールした。長男の返事は<ああ、あのメール英語の所しか読まなかった。。。。>日本語に対する拒絶はまだ続いてる?!母親からのメールも何とかして読もうとしないのか!とショックを受けた。
真面目で几帳面・気のいい次男はたとえ苦労しても読もうとしてくれるが、大雑把でよく言えば要領のいい(省く事の多い)長男は、努力はしないという事でしょうか。

そんなわけでメールは娘とは往復日本語で、次男とは私からは日本語・彼からは英語、長男とは往復英語で連絡を取っている。

同じように育てたつもりでも、こんなにも三人三様全く違う。子供って面白い。

anton2010年12月10日 01:49
うん、うん本当に子どもって不思議で面白いですよね。

何考えているんだかってわからないことも多いかと思えば、あからさまに本心が見透かせることもあったりで。

日本での生活しか知らない身にとっては、“ショック”の話、とても興味深いです。
楽しみにしてます。

kame32010年12月10日 07:25
antonさん

子供それぞれの性質をそのまま面白いと感じるようになったのは、私はごく最近のような気がします。以前は一つ一つをここは何とかしなければって、自分の事は棚に上げつつ矯正しようとしていたような・・・(汗)。

アメリカに行ってすぐは、いろんな事に驚きました。でも何も書き留めていなかったので、具体的に何に驚いたのかわからない。いつの間にかそれが当たり前になっていたんです。なので今回しっかり記録したいと思っているのですが、できるかな~?

anton2010年12月10日 10:41
できるよ~

と、他人のことなので無責任に。

気が向いたらぼちぼち・・ということで。

kame32010年12月10日 16:30
無責任でもうれしいよ。気の向くままに書きますわ。
でも地方と都会、ずいぶん違うんだろうな。都会もこの目で見てみたいです。


運転できなきゃ、暮らせない

2010年12月10日08:55全体に公開1 view
我が家は駅まで歩いて50分(!)の距離にある。家を買った時には近くに駅もできるといううわさもあったが、その後バブル崩壊でそんな話は雲散霧消してしまった。
でも車社会で過ごしてきた私達には、駅が遠くても特に問題はないはず・・。

夫は電車で会社に行っている。夫は帰国後すぐ駅までの送迎を私ができると思っていた。
帰国した翌日夫は主要道路の説明し、<明日からよろしくね>という感じだった。
しかし私は根っからの方向音痴。来た道を戻るのもおぼつかない。そして何より道がとんでもなく狭い。助手席に乗っていてもハラハラドキドキ、とても運転できるとは思えなかった。さらにカーブミラーのある見通しのきかない交差点が多い。私に運転は不可能と思われた。

帰国後1週間、夫は相変わらず駅まで運転し駅前に停めて会社に行った。

車に乗れないではこの土地では生活できない。意を決して運転した。ドキドキだった。ひたすら左側左側と言いながら走った。気を抜くと右側に入っていってしまいそうだったから。ウインカーをつけたつもりがワイパーが動く。その度おぅっとと、日本である事を意識した。

家の車が納車になった。夫の実家に車を返しに行かなくてはいけない。実家までの2時間弱のドライブをする事にした。夫は走りやすいルートを選んでくれた。それでも緊張で肩がパンパンに張った。途中夫に左に寄りすぎで危ないと何回も注意された。どうしても対面の車と接触しそうで左に寄ってしまう。狭い道路を大型車もスピードを落とさずビゥンと通り過ぎる。めちゃくちゃ恐い。

2時間のドライブを経験し少し自信がついた(まだまだ恐いけど)。近場の買い物も行ってみた。帰国後すぐにプリントした家周辺のマップでは収まりきれない範囲に少しは行けるようになった。
しかし駐車場で車に乗り込む際、左側に行ってしまう。先日は何も考えず助手席に座ってしまい、ハンドルがないのを一瞬不思議に思った。ああ、なんでいつもこうなんだ。昔ながらのお惚けに我ながら呆れる。

本格的な冬到来。栃木の気温は東京と比べておよそ2~3度低い。家を出る6時半頃は、車は霜で覆われてる。アメリカでは温暖の影響を受けないガレージに車を停める生活だったので、霜を落としエンジンを充分温めなくてはいけないのは、つらい(と言っても夫がしてるんですが)。家にはカーポートがない。カーポートがあればだいぶ違うと聞くので、つける事も検討中だが、夫はあまり乗る気でない。近所にはガレージがあるお宅が何軒もある。日本も変わってきたなあと思う。

現在は国際免許で運転している。近い内に日本の運転免許を取らなくてはならない。確か一時帰国の際1回だけ免許更新した事があったけれど、もう完全に切れているはず。筆記と実地の両方の試験を受ける必要があるのかな?ああああ、憂鬱。

ちなみにアメリカで電車に乗ったのは16年間でたったの1~2度。車社会アメリカがよくわかる数字です。

miyuママ2010年12月10日 17:54
ご無沙汰しています。
我が家も車がないと生活出来ませんあせあせ
一人一台車(RV)は当たり前といった感じです。
実家にいた頃は、あまり運転していませんでしたが、結婚してからこの土地に来て、本当に免許取っておいてよかったと思いました(笑)
でもやっぱりあまり運転は好きではないので、何年経っても運転技術が上達しませんわーい(嬉しい顔)あせあせ(飛び散る汗)

kame32010年12月11日 10:40
miyuママさん

お久しぶりです!
ワァイ、同じような環境にお住まいなのですね。なんか、うれしいです。。。
そうそう、私のエリアのご家庭も一家に何台も車がありますね(我が家は1台ですが)。

私も日本では公共の乗り物の充実したエリアしか住んだ事がなかったので、今の環境は逆にアメリカ的かもです。
早く道を覚えて、車両感覚をつかまなくては・・。でも私も運転が好きでないので上達は難しいでしょうねぇ。

JettaZ332010年12月11日 11:33
我が家も日本各地に行きましたが、どこも田舎だったので、車がないと生活できませんでした。
なので車は2台体制です。
カミさんも方向音痴なので、必ずカーナビを付けています。
安いのは3万円ぐらいから在りますよ。

kame32010年12月11日 13:10
tatsuo1さん

おお、tatsuo1さんもお仲間だったんですね指でOK
奥様も方向音痴とはこれまた一緒。
今度の車はナビ付なので、大いに利用しようと思ってます。しかし今は狭い道路幅や見通しのきかない交差点を通る自信がないので、ナビ情報がどこまで有効利用できるか・・・。
それにしても日本のナビっていいですねー。アメリカのナビと全然違う。まあ、値段も全然違うのですが。


美しき洗濯物

2010年12月13日08:57
明日から子供達が来るので、布団を干している。今日は雨の予報も出ているが、昨日まで良い天気だったのは良かった。日をいっぱい浴びたお布団は実に気持ちがいいものだ。
アメリカでは、ベランダに布団が並んでいるという風景は一度も見たことがない。いや、そもそもベランダのある家を見たことがないような・・。我が家も布団干しは布団乾燥機を使っていたが、太陽の日を浴びた布団にはとてもかなわない。

家の周りを散歩していて、まず気付いたのが各家いっぱいにはためく洗濯物だ。どの家もベランダ・軒下いっぱいに洗濯物が干してある。そしてそれらはどの家も実に美しく並べられている。色や種類に分けられ実に整然と正しく(?)干されているのだ。
以前から日本人はこんなに几帳面に洗濯干しをしていただろうか?私が気がつかなかっただけ?

アメリカでは洗濯物を人目につく場所に干す事はない。一般的には全て乾燥機で乾かしてしまう。洗濯を干してはいけない決まりになっていると言っても過言ではないだろう。
その決まりを破るとその地域のHOA(Homeowners Association)から連絡が来る。時には罰金なんて事もあるらしい。干せない理由は、外観が悪くなりその住宅地の価値が下がるため。アメリカでは洗濯物を干してあるのは低所得者の住むエリアという観念があり、プライベートな物(洗濯物)を人前にさらけ出すのを恥とする文化があるのだ。

我が家ではカリフォルニアのさんさんとふり注ぐ太陽を使わないのはもったいないし電気代も気になるので、衣類乾燥機も使いつつ外干しが中心だった。しかし外からは決して見えない場所に干していた。
それにしても日本に戻ってすぐ、はたはたとはためくたくさんの洗濯物には本当にびっくりした。洗濯物の多さにも驚いたが、その整然とした干し方には洗濯干しの美学が感じられた。そう、洗濯干しはすでにそれだけで美学になってる。

新参者しかも夫と二人暮らしの我が家は洗濯量が少ない。さらに私は洗濯干しの技を知らない。日々ご近所の軒下やベランダを見て学び、汚れ物をある程度ためてから洗濯している。そして洗濯グッズには現在ではあまり使われていないらしい蛸足を止めて、最新型(?)の干し具にした。

たかが洗濯、しかしアメリカでは罰金にまでになってしまうという天下干しの問題。洗濯物を乾かすのも、所変われば・・ですね。

退会したユーザー2010年12月13日 22:45
当たり前に毎日干している洗濯物もkameさんにかかれば(笑)趣ある洗濯物になるのですねわーい(嬉しい顔)
そういえば、ハワイも外に干してはいけないようです・・
娘さんをハワイに留学させている方が目隠しにと、ベランダに簾を取りつけたら管理会社から、「その見苦しい物、即刻撤去しなさい」と命じられたそうですあせあせ(飛び散る汗)

ちなみに我家、柔軟剤はダウニー使っています目がハート
香りが好きなんです~ハート

kame32010年12月14日 07:31
holoholoさん

そうなんですよね。アメリカでは地域によってHOAがかなり細かく言って来る所がありますね。洗濯物だけでなく、玄関先に仮に置いた荷物や、外からは見えないはずと置いた品(室内では邪魔な物)まで注意されることもあるとか・・。外観重視もそこまで行くと、勘弁してと言いたくなります。

私も未だにダウニー使ってま~す。
日本の家族は私達の洗濯物を<アメリカの香り>といつも言っていたのですが、柔軟剤の香りだったんですね。一度日本の柔軟剤も試してみようかな。そんなに違いますか?

anton2010年12月14日 16:26
HOAって実在の組織だったんだ~
以前子ども向けの本を読んだ時に出てきたんだけれど、てっきり作者の創作なのかと思ってた。

洗濯一つとってもお国柄がうかがえて面白いですね。
洗濯物の干し方も人それぞれで面白い。
私の母はタオルやシーツを物干し竿にかける時、前を短く後ろを長くしてかける(直接陽に当たる部分をできるだけ多くするという魂胆ですね)のだけど、義母は棹をはさんできっちり二つ折りになるように干してます。見た目はこちらのほうがきれい。
たまに夫がホスト、いや干すと、シャツなどは表のまま肩のところを洗濯バサミで挟むので、乾くとそこだけぴょんと飛び出てしまって子どもたちはぶ~ぶ~言ってます。

kame32010年12月14日 17:52
antonさん

干し方にもそれぞれのやり方があって、本当に面白いですよね。
私は主婦暦26年にもなるのに、未だに干し方が定まらない。タオルやシーツを干す時、いつもどう干そうかなって思っちゃう。antonさんは、お母様義母様どちらのタイプ?
だんな様も洗濯物をほすと~!?仕上がりが多少悪くても、その事実に感動です。

洗濯干しの美学(?)に気づいてから、住宅街を歩く時は干された洗濯物ばかり見ているような・・。洗濯物がピンと張られているのはもちろんですが、色別にきちんとグラデーションになっていたりすると、洗濯干しにこだわりを感じます。

私は洗濯ばさみがたくさんついた干し具を使う時、同じ種類のタオル類を続けて干すと、どうしてもバランスが悪くなってしまう。なのに皆さんのは左右のバランスも取れてる。とても不思議。単に私が未熟なんでしょうか。。。。。

anton2010年12月14日 20:52
いつもは母に倣って前短後長ですが、義母宅では義母のやり方に倣っています。

マンションの狭いベランダでは角ハンガーが必須。
種類をそろえて干せば見た目はきれいなのですが、重ならない方が早く乾きそうな気がして、長短長短と(シャツ、パンツ、シャツ、パンツといった具合に)ジグザグに干してます。

同じ種類のタオルでバランスがとれないとな・・・・
う~ん、なぜだろ。
真ん中から始めて左右に増やしていけば、バランス的にはOKな気がしまする。

kame32010年12月15日 07:33
antonさん

ふふ、さすが場によって変えていらっしゃるのですね。
そうか、見た目と即乾性、どちらを重視するかで干し方もずいぶん変わってくるんですね。
バランスが取れないのは、タオルの厚さがまちまちだからと思います。バランスとりながら干すと、どうも美しくなくて・。

洗濯干し談義に付き合ってくれてありがと。

ついでにもう一つ、
日本の洗濯干しグッズの豊富さにびっくりしてます。シンプルな角ハンガーと思いきや、バスタオルまでかけられる幅に広げられたり、どこでもかけられるフックがとび出してきたり、室内干し用もコンパクトで多機能型だし、日本人の知恵ってすごいですね。

2010年10月23日土曜日

搭乗

10月23日
帰国便に乗る日がやってきた。

トラックにケージを載せた。トイレを済ませたテディーは一緒にお出かけに連れて行ってもらえると無邪気にはしゃいでいた。LAまでは長男が連れて行ってくれる。彼はその後サンノゼに向かいインラインホッケー・トーナメントに出場するので、大きなホッケーバッグ・娘の荷物・スーツケース2個、ケージとトラックの荷台はいっぱいだ。

大型犬がチェックインの為、チェックインはフライトの3時間前と言われている。ロサンジェルス空港まではおよそ2時間の道のり。乗るまでに5時間。先は長いぞ。なんせ長時間の旅なので、空港まではできるだけストレスフリーにしたくてテディーも車内に乗せた。テディーが長旅に耐えられるだろうか、だんだん緊張してきた。

1時間ほどドライブしてハイウェー405号線に入った所で、渋滞に巻き込まれた。極端なのろのろ運転から全く動かない状態。事故に違いない。
チェックインの時間にはとても間に合いそうにない。娘からすでに空港で待っていると電話があった。
車は全く動かない。事故はどこだ?どこまで続くの、この渋滞。ハイウェーを下りて一般道を走っても意味がない。ここはLA渋滞タウンだ。そもそもハイウェーを降りたくても車線変更もままならない。
娘にチェックインに遅れるとANAカウンターに知らせるように頼んだ。もしかしたら飛行機に間に合わない?あせる。。。だけどあせっても仕方がない。。。。乗れなかったら乗れなかっただ。その時はその時と開き直った。そんな中、抗癲癇薬だけは忘れず飲ませた。

事故現場を通過した。大型トレーラーとSUV, 小型乗用車の大事故だった。トレーラーはひん曲がり、SUVは二人乗りのスマートだったのかと思ったほどの大破だった。一瞬にしてあんな姿になってしまう。数十分前には何も変わらず走行していただろうに・・。

1時間半ほど遅れて空港到着。待機していた娘と再会。大荷物をカートに載せ、テディーを引いて(後から、空港ではペットはケージに入れる必要があると知った)チェックインカウンターへ。バタバタと私のチェックインと共にテディーのチェックインをする。テディーのフライトが220ドルとは安い。しかし荷物扱いで真っ暗な荷物室(Cargo)に入れられる。空調があるそうなので文句は言えまい。
水分補給用のボトルタイプの水がケージにしっかりついているのを確認し、スナックの入ったコング、大好きなトリートをケージに入れた。時間が迫ってる。準備完了。テディーをケージに入れた。今後、日本到着までケージには決して触ってはいけないとの注意を受けつつ、ペット預けカウンターに向かう。

きちんとした別れもできないままに、テディーのケージは係員にテープされ奥に連れて行かれてしまった。あの時テディーは吠えていたのだろうか?記憶にない。テディー自身はもちろん、私達3人もあれよあれよという間に連れて行かれちゃったという感じだった。

テディーを預けてしまったら、手持ち無沙汰になった。子供達に別れを告げた。淡々としたものだった。
一人になって、ふいに12時間のフライトが不安になった。

10月23日(土)12時45分 LA発 ANA0005便は予定通り離陸した。


10月24日帰国

ANA0005便は満席だった。
そして流されるまま機中の人となった私は、テディーの事が気になって仕方がない。本や映画を見たり眠ろうとしたり、とにかく考えないように心がけたが心はどうにも落ち着かない。

ペットの輸送で評判が良いのはコンチネンタル航空だ。しかしコンチネンタルはロサンジェルスー成田の便がないので、日系の航空会社にした。JALとANAではどちらが良いかわからなかったので、僅かに安いANAを選んだ。荷物室なのでかなりの騒音ではあるが、空調も行き届き心配はないはず。
思いは通ず?!<同じ飛行機に乗ってるから大丈夫よ。あと○○時間だよ。>機内ではずっとメッセージを送っていた。

24日4時、予定より早く成田到着した。
入国手続きを終えターンテーブルへ。<ペットをお預けの方へ>と私の名前も書かれた案内板が荷物と一緒にターンテーブルで回ってる。係りの人にペットの引き取り方法を聞いた。ペットももう出てきているので、すぐに連れてくると言ってくれた。
ドキ ドキ ドキ ドキドキドキ・・・・・・。
大きなカートに載せられたテディーの入ったケージが運ばれてきた。おおお、生きてる~~~。体の力が抜けていくような深い安心感に包まれた。
その後、だらしなく頭を下にぺたりとへたりこんでいる間抜け顔のテディーが、おかしくて笑いが出てきた。ああ、なんて鈍い子なんでしょ。私がいるのに全く気づいてない(テディーは鼻も目も悪い)なんて。
数分してやっと私の存在に気づいたテディーは、狂ったようにケージ内で吠えまくった。大型犬だからその声の大きい事、とんでもない音量だ。吠えながらケージの中で飛び跳ねようとするテディー。興奮のあまり発作を起こすのではないかと思った。
テディーの吠え声、それを制する私の<NO!TEDDY, QUIET!>という怒鳴り声は、空港中に響き渡った。

吠え続けるテディーのカートをおしてくれる係りの人と共に、検疫所へ。大型犬カートのお通りは空港内の人々の注目の的となってしまった。検疫所の話では大型犬の輸送はほとんどなく、成田空港で大型犬を見る事はないらしい。
余談だが、日本で生活して感じたのは日本ではテディーはかなり大きい犬に見えるようだ。道行く人はまず<うわ~、おっきいー>と言う。そして大きいには二つのタイプがあって、大きくて凛々しいという肯定的なものと、かたや大きくて恐いと身を固くする人たちがいる。犬を通しての会話は日本とアメリカほとんど変わらないが、犬の大きさに対する反応はずいぶん違うように感じる。

検疫所で娘に持ってきてもらったUSDAの判の押された書類のチェックをした。それと同時に事前届出書の確認をした。あいにく事前届出書の申請方法に誤りがあり(テディーは機内持ち込みではなく、Cargo(荷物室)だったので、輸送にCargoと書いていたが、Cargoは別送Cargo扱いになるようで、成田の別の検疫所管轄となり、届出書はそちらの検疫所に送られてしまったらしい。ううう、また失敗。だけどCargoという言い回しだけでは説明がなければわからないよ。
アメリカからの書類は問題なく受理されたが、届出書の確認に手間取り待ちとなった。しかしケージに入ったままとは言え、姿が見られるところで処理をしてくれるのはありがたい。でも早く薬を飲ませたいよぉ~。

検疫所のOKができるまで待つしかない。
しばらくして検疫所の個室を提供してもらえ、そこでケージから出す事も薬を飲ませる事も許可された。

ようやく検疫所から開放された。
ゲートの出口に夫が待っていてくれた。検疫所の係りの人は駐車場までテディーカートを運んできてくれた。親切な検疫所!
外は雨だったが、テディーをケージから出し夫と対面した。狂喜乱舞のおたけびが出た。
夫の用意してあったえさやスナックを与える。姉夫婦が貸してくれたミニバンに荷物とケージを積み込み、栃木の家に向かった。

夜9時半頃、家に着いた。
16年前に建てた家に入った。とても不思議な感じがした。自分達の家になるよう頑張って立ち上げてくれていた夫の働きがそこここに見えた。引越し荷物もすでにだいぶ片付けられていた。

サンディエゴの家を出て22時間。テディーが庭で思い切りおしっこもウンチもした。
何の苦労もせずに思いっきりしてた。普段慣れない場所では決して出ないテディーだったけど、よほど溜まっていたのでしょうね。テディーの新しい住まいのトイレ場所が簡単に決まった。

退会したユーザー2010年12月01日 22:59
搭乗編と共に一気に読ませて頂きました!
空港に向かう道のりでの渋滞、ハラハラしましたあせあせ(飛び散る汗)

そして、無事成田に到着して、kameさんとテディーの再会。
狂ったように吠えるテディーと、ほっとしたkameさんが目に浮かびました。
トイレ場所もあっさり決まったし、順応性は人間以上にありそうわーい(嬉しい顔)

kame32010年12月02日 07:05
holoholoさん

テディーの輸送には時間も手間もずいぶんかかりましたが、過ぎてしまえばどうと言う事はないように思えます。帰国時の思いを少しでも記録に残そうと日記に書きましたが、読んでいただけて光栄です。

テディーはすっかり日本の犬になりました。知らない人に対する警戒心もどんどんなくなっているのは、どうしてかしら?やはり日本人が好きなのかな~?

2010年10月10日日曜日

帰国前の話

その1

帰国前のあれこれを少し書き留めておこう。

9月中旬子供達がそれぞれ新地に居を移した頃、私は風邪を引いた。最初喉が痛い程度だったので、その内治るとたかをくくっていた。しかし回復する様子はなく、咳が出始め体の節々が痛くなった。降圧剤を飲んでいるので市販の薬は使えなかった。
コブラの保険契約を9月いっぱいで打ち切り、新規で安価の保険には入れなかった(拒否された)ので、10月は健康保険のない状態となる。これは早く治さなくてはと、日本人医師の診察を受けた。引越してかかりつけの医者も持っていなかった。その中であえて日本人医師を選んだのは漢方薬の知識を持っているのではと期待したから(私は漢方薬を常用していた)。しかし受診した日本人医師は親切な方だったが、漢方の知識はなく処方してくれた薬も効かなかった。

いよいよ保険が切れてしまう。この状態のままでは、帰国できない。
9月30日、ネットの口コミ情報で評判の良いアメリカ人医師Dr. Dに診察してもらった。診断は肺炎。レントゲンを撮りマクロイド系の抗生物質とコデイン入りの咳止めが処方された。保険で診察・検査・薬の処方と全額処理できた。風邪を引いてしまった自分が情けなかったけど、ぎりぎりセーフに思わずほくそ笑んだ。
しかし肺炎???!!!熱もないし普通に生活できているのに~?検索したところ、アメリカではWalking Pneumoniaと言われるらしい。日本だとマイコプラズマ肺炎かな?

その後電話で医師と話した。肺炎という診断が納得行かない私はやはり肺炎ですか?ともう一度聞いた。「肺炎と言うか気管支炎と言うか・・。」肺炎と聞くと何故か重く、気管支炎と聞き少しほっとした←意味ないけど。

10日間の抗生物質を飲みきった(アメリカでは通常の抗生物質は10日間の処方)が、多少症状は緩和したものの、咳が止まらない。時はすでに10月中旬になろうとしてる。帰国まであと少し。。。このままじゃ、飛行機に乗れないよ。保険がないので医者に行くとお金がかかる。。。どうしよう。。。。

1週間後に帰国となったある日、やはりもう一度Dr. Dの診察を受ける事にした。抗生物質の効果が出てくるのは普通1週間くらいかかるので、薬を飲み始めなくてはと思ったのだ。出された抗生物質はセフェム系。Dr. Dは保険のない私の自腹支払いを考慮して、診察請求は低価格、薬も安価な物を処方してくれた。さらに飛行機に乗る時の咳止め薬の持込方法や処方法も教授してくれた。Nice Doctor!! 口コミ情報を信じて診てもらって良かった~。

数日後薬が効き出したのか、咳が治まって来た。これなら帰れる、飛行機に乗れる~~!

ちなみに、昨年10月から1年間払った保険料は約21,000ドル。今年2月~4月に乳がん騒ぎがあったので、その際の検査や手術費用を考えれば保険に入っていて良かったという事になる(と思いたい)が、あまりに高額で全ては過去になった今も目が回る。

僅かな期間ではあったが保険無しで暮らし、保険がないという生活がどんなに心を乱すかを身を持って知った。私の場合、期間が決まっていて今を乗り切ればって思えたけれど、アメリカの470万人と言われる保険のない人々の期限のない不安や心配は想像を絶する物であろう。
オバマ大統領の人気が急落しているが、私は今もオバマ大統領に期待している。誰でも医者にかかれる、薬がもらえる・・・そんな単純な事がアメリカではできないなんてあまりに悲しいよ。


その2

年初から始めていたテディーの日本入国準備であったが、9月に入り最終局面を迎えた。

まずは、動物検疫所に入国の届出書を提出した(40日以上前に到着空港に届けなければならない)。
次にUSDA (United State Department Agriculture)で裏書きをもらう為の準備を始めた。USDA内、APHIS (Animal and Plant Health Inspection Service)のオフィスは各州の州都だけ(カリフォルニアはサクラメント)と思っていたが、APHISに問い合わせた所、幸運にもロサンジェルスにもあるとわかった。
しかし実際裏書きをもらうためには、入念な準備が必要となる。主治医のサインが必要であるのはもちろんだが、その主治医もUSDA認定の医師である必要があった。テディーの場合、主治医がサンノゼからサンディエゴに変わり狂犬病予防接種・抗体検査はサンノゼ、最終検診はサンディエゴとなり、裏書きをもらえるかどうかはAPHISロサンジェルス事務所の担当者によって変わってくる(信じられない話だが、どうやら裏書きを取れるかどうかの最終判断は各オフィスによってだいぶ違う)。さらにたとえ裏書きがもらえても、日本の検疫所が書き直し訂正にも異常な程の厳しいルールがあり、ルールを少しでも間違えば入国が認められない。
検疫所に日程との確認・APHISに持ち込む書類の確認をした。書類はOKとなり、あとは主治医のサインをもらい、APHISの裏書きをもらうだけ(のはずだった)。

帰国10日前、主治医の最終検診に行った。
テディーの健康状態は良好。癲癇の発作も3年間起こしていない。この病院のドクターも機内で睡眠薬や安定剤を飲ませる事に反対だった。ドクターからは空港でチェックインぎりぎりに抗癲癇薬を飲ませるように言われた。すでに薬の時間も、帰国時のフライトに合わせ少しずつずらしている。後はテディーに頑張ってもらうしかない。念のため、ドクターに癲癇の持病があるので薬を12時間ごとに飲ませる必要があり、できるだけ早く検疫所から開放してくれるようにと手紙も書いてもらった。サンノゼのDr. Mも本当に良い先生だったけれど、まだ会って日も浅いサンディエゴのDr. Cも、なんて親切なドクターなんでしょう。問題があれば電話でもEメールでもしてくれと、彼女の個人的な連絡先まで教えてくれた。
こうしてドクターのサイン入りの書類ができたので、再び動物検疫所に書類に不備がないかチェックしてもらった。

書類にOKが出たので、いよいよAPHISの裏書きとなった。APHISにはロサンジェルスにいる娘に取って来てもらおうとあらかじめ決めていたので、Fedexで娘の元に送付した。

帰国5日前、娘がAPHISのオフィスに行った。書類不備!!
あれほど電話で持ち込む書類の確認をしたにも関わらず、2点ほど追加の書類が必要と言われ、裏書きがもらえなかった。
私が問い合わせした時電話に出たロサンジェルス事務所の男性は、非常に感じが悪く不親切だった。あまりに感じが悪いので、私の英語力のなさやへんな発音が気に入らないのかと思い、2度目の電話は息子にしてもらったほどだ。結局息子の時もひどい態度で私達二人は共に不愉快な思いをしたのだけど、どうやら娘に対応した男性は同一人物だったみたい。娘もひどく憤慨していた。
<何で電話の時に言ってくれないよ!意地悪としか思えない。>と腹が立ったが、<やっぱりねぇ、簡単には裏書きはもらえない>という妙に納得もしてしまった。<いやいや、納得しててもしょうがない。早く書類を捜さなくちゃ。>

テディーの病歴他全ての書類はサンノゼからサンディエゴに持ってきていた(病院通いの続いたテディーの書類はかなりの量の書類がある)。もしかしたらその中にAPHISで求めている書類があるかも。が、しかし、、、
娘からの連絡の前日、日本に送る荷物の中に、テディーの書類は全部入れてしまった。そしてその箱はすでにOCSに持ち込んでいる。ガ~~~ン!!<何で入れちゃったんだろう><昨日だよ、昨日>と我を恨んでもどうしようもない。すぐにOCSに電話を入れた。ラッキーな事に荷物はまだOCSオフィスにあった。荷物室に入れてもらって、箱を開けテディー書類を引っ張り出した。
早速車の中で書類を探した所、それらしき書類があった。

娘に見つけ出した書類を持って再びAPHISに行ってもらった。箱から引っ張り出した書類にも主治医のサインが必要だったそうだけど、まあいいでしょって、ついAPHISの裏書きがもらえた!?裏書きがもらえて、まあ良い人だったと評価が変わった(笑)。

これらの書類は娘が当日ロサンジェルス空港に持ってきてくれる事になった。
帰国3日前、ようやくテディーの検疫に関する入国準備が整った。

葛桜れい2010年11月26日 13:10
遅くなりましたが、おかえりなさい!!
テディーちゃんを大変な思いをして、連れてきたのですねー
こんなに愛されて本当に幸せなワンちゃんです。

ドキドキしながら、ブログを読んでしまいました。
どんな困難にも負けないkame3さんは偉いです。

kame32010年11月26日 15:18
葛桜れいさん

ただ今~、戻ってきました。

お褒めの言葉をいただき、恐縮です。
単に<テディー 命>なんだと思います。
テディーと一緒に日本へというのが、私の最大のポイントでした。夫はテディー次第でフライトのキャンセルもあると覚悟していたらしいです。

益子に時々お出かけになるのですね。益子は家から40分位の所にあります。今度いらっしゃる時は寄っていただけたらうれしいです。


その3

帰国を前にして、テディーの入国手続きと共に手間がかかったのが、銀行管理他全ての事務処理の引継ぎだった。

家のローン・HOA・水道光熱費・税金・クレジットカードの支払い・・・できるだけオンラインで処理できるように手続きを取ったが、日本と同様、実際のチェック(小切手)の支払いや振替、契約の変更は(契約者)本人でないと手続きができない。
急な支払いや口座振替等が発生した時、日本から飛んでくるわけには行かないので、主要な銀行口座に息子の名前を追加した。

アメリカの銀行では共有名義の口座を作る事ができる。日本に共有名義の口座が作れないとは私には非常に不便に感じる。
我が家ではアメリカの口座のほとんどを夫婦共有名義で持っていたのだが、今回それらの口座に息子の名前を追加したので、息子のサイン一つでチェック(小切手)が切れ、お金を引き出せるようになった。

手続きは銀行の窓口で行ったのだが、その後も細かい証明書や書類の提出を求められ、事は簡単ではなかった。
最終的に手続きが完了して、銀行員がにやっと笑って「これで車を買うのかな?それとも何?」と息子に言った。大金は入ってないけど、そんなの勘弁してくれ~~。
思わず"I trust you(信じてるよ)"と真顔で息子に言ってしまった(笑)。

帰国してから息子からのメールはもっぱらこれらの事務処理の質問ばかりだ。
かなりズボラな息子だから、作業はとんでもなく面倒なのだろうと想像するが、サンディエゴに一人となった彼に頼むしかない。
次々と来る請求書・銀行からの連絡通知他。スキャンして送ってって言ったら、スキャンは面倒と言って写真に撮って送ってきた。
事務的な事が落ち着くまでまだ少し時間がかかりそうだが、きっと息子にも良い経験になってるよね?


その4

帰国日が近づき、日本への荷物の発送をする日になった。
発送は日通とOCSの2社から航空便で送る事にしていた。予算内いっぱいに荷物を送ろうと、お買い物に行った。スーパーでいつも買っていたアメリカの食品や雑貨が急に貴重な物に思われて、あれもこれも欲しくなった。だんだん帰国という実感が沸いてきた。
重い書類は送ってしまおうと箱に詰めてしまったのは、浅はかだった(前述日記の通り)。

帰国前日、日本から船便が届いた。船便には娘の冬着が入っていた。と言うのは、2ヶ月前夫が1年間の留学を終えた娘の荷物を送っていたのだ。おお、なんというタイミング!冬着到着を待ち望んでいた娘に明日空港で渡す事ができる。だけど彼女が必要な物だけ持って行けば良い。こんな時はスカイプが大活躍する。早速娘とスカイプトーク。画像を通して洋服の一枚一枚を見せ識別した。インターネットは我が家の生活には欠かす事の代物だ。

それにしても荷物をサンノゼ・サンディエゴ・ロサンジェルス・アーバイン、海を渡って栃木・千葉・東京とあっちへこっちへ・・・。一体我々は何をやってんだ~。

数日後には帰国だ。少しでも家をきれいにしなくちゃと思った。洗面所もトイレもキッチンも小さな庭もどこもかしこも急に汚れが目に付いた。何でもぎりぎりにならないと動かない私のLast minuteな性格は変わらない。ああ、何でいつもこうなんだ、少しは学べと我を叱る。息子の一人住まい、すぐに汚くなるのは見えているけど、お母さんがいた時はきれいだったと今更ながらに思わせたい(笑)。

家庭の味が食べられなくなる息子にあれもこれも食べさせようと多くの食材を買っていた。だが買い物に掃除にと雑用に忙しく、思ったより捌けてない。冷蔵庫の中はまだ調理を要する食材でいっぱいだ。このまま置いておいたら腐らせるだけ。ああああ、まとめて作って冷凍にしなくちゃ。。。。。

というわけで、帰国前日は夜中の2時頃までバタバタと動き回っていた。明日は5時起き、睡眠不足で機内ではぐっすり寝ていこうという作戦だった。

PS、日本での生活を始めて2週間、息子から冷凍冷蔵庫の中がほとんど空になったとメールが来た。そしてあまり健康的でないインスタント食品やファーストフードの食生活で少し痩せたと。日本で日々おいしい物に囲まれて生活し、感動のお味に出会うたびに子供達に食べさせてあげたいといつも思う。彼らは彼らのアメリカンな若者食に、さほど不満は感じてないとも思うけど・・。

先週はサンクスギビングだった。家族で集まる習慣のあるホリデーだ。我が家の子供達3人もサンディエゴに集合した。木曜日のサンクスギビングディナーには彼らのそれぞれの友達も参加したようで、にぎやかなサンクスギビングデーになったらしい。送られて来た食事の写真はいかにも楽しそうで、皆でワイワイ当番を決めて食事を作っている姿が目に浮かんだ。

anton2010年11月30日 01:19
出発間際まで、やっぱりバタバタしてたのね(笑)
でも、その母心わかります~

姉弟仲良くて、心強いですね。
皆が日本に来るの待ち遠しいでしょう。またバタバタしちゃうね。

kame32010年11月30日 07:13
antonさん

私、いつもバタバタしてるね(苦笑)。でも出国間際はとにかく忙しくバタバタしていたので、テディーの輸送に過剰な心配をせずに当日を迎える事ができたのは良かったです(笑)。

うちの子供達に仲が良いという印象はないなあ~。でも寮から家に戻るホリデーシーズンに、帰れる家があって良かった、集まれる兄弟がいて良かったと思っています。

2010年10月3日日曜日

2010/10

UCSD

『University of California San Diego』

10あるカリフォルニア州立大学の一つで、1959年に創立された。
2,040エーカー (8 km²)の広いキャンパス。と言ってもあまりピンと来ない数字だが、どうやらこの広さは東京ドームの約171倍、東京ディズニーランドの約15倍になるようだ。。。ホントかな?
キャンパスの駐車場はいつもどこもいっぱいだ。キャンパス内を移動するには車は不便な代物らしく、学生達はキャンパス内を走るバスを利用するようになる。
しかし息子はキャンパスではほとんどバスに乗っていないらしい。とんでもなく楽しいらしい(中には適応せずに学校を辞める子もいるが)寮生活が経験できなかった息子は毎日、移動手段であるロングボードを片手に家のそばのバス停から満員の学生バスに乗りこみ学校に行っている。

UCSDでは専門に入る前の学部課程で6つのカレッジを選び、それぞれのカレッジが持つ独自の一般教養課程を取得しなければならない。
彼の専門はBio(生物学)。医療関係を目指す学生が多く、クラスはかなり厳しいようだ。医者になるつもりのない単に理科が好きなだけの息子が、厳しい大学のカリキュラムに果たしてついていけるのだろうか。。。。などと、私が気にしても仕方がない。
とりあえず、楽しく元気に過ごして欲しいものだと、思うのみ。

写真1>UCSDキャンパス
写真2>目玉になっているGeisel Library(ガイゼル図書館)
写真3>学生がFreeで乗れるバス。校内と大学近隣を走る

BOMKAME2010年10月05日 19:22
どの写真も空が青いし彩度が高くていい環境ですね。
きっと息子さんはとんでもない成長をしますよ。
南半球にも春がやってきました

kame32010年10月06日 00:38
ありがとうございます。
遊ぶには最高の環境と思います。
スキー場はちょっと遠いですが、遊びもバラエティーに富んでいます。
その中で楽しみながら、目的意識を持って学んで行ってくれたらと思います。全ては本人次第ですね。

そちらは春ですかー。良い季節の到来ですね。


突然の滞在者

姉を空港に送ってすぐ娘から電話があった。
「友達のアパートにゴキブリが出て困ってる。助けてあげて!」
私「??何をすればいいのかわからないから、とりあえずうちに来るように言って。」

1時間後、娘の友人が2人来て興奮状態で語った。聞けば彼女達のアパートに夜中からゴキブリが大量発生し、とてもいられる状態でなくなったらしい。急遽荷物を移動し彼女達が待機できる場所を探しているとの事だった。

なんと言うタイミング。ちょうど姉が帰国してしまって寂しくなった次男の部屋が空いてる。とりあえず荷物をまとめていらっしゃいという話になった。
その夜、へとへとに疲れた様子の2人は荷物を抱えて家に来た。

あれから1週間。ゴキブリ駆除の業者が入り大方のゴキは退散したらしく、今日彼女達は自分のアパートに戻る。
彼らのアパートは5人住まい。新しいルームメートがよく料理をするのだが、片付けは一切しない子だったようで、荒れて汚いキッチンから多種に渡るゴキブリが大量発生したらしい。彼女達は今後ルームシェアーのルールを明確にして、いつも注意すると固く決心したようだ(今までは見て見ぬ振りをしていたそう)。

私は部屋を貸しただけで食事も出さず、彼女達はひたすら恐縮して息を潜めて部屋にいた。リビングに来る事もなくあまりに静かでどうしたのかと心配するほどだった。

彼女たちが1週間家に滞在したにもかかわらず、テディーは彼女達の姿を見るたびに吼えた。威嚇しているのではなく吼えた後ぺろぺろ舐めて愛想を振りまくのだが、毎回の事で参った。

姉が来た時には、会ったその時から家族が帰ってきたように尾を振り大喜びで歓迎し、これでもかというほど姉にくっついて歩いていたのは何だったのか?
姉と会ったのは2年前、それだってほんの1週間の事だったではないか。これってDNA??テディーが何を感じて、こんなにも違う行動をとるのか、全く理解できない。

帰国まで残り3週間を切ったが、我が家はあいかわらず簡易宿舎のようだ。

anton2010年10月06日 23:29
嫌だなぁ、ジローさんたち。

ちょっと前にYou tubeで関西の方の駅ビルだか何だかのマンホールから
アレらが噴水のように湧き出てくる映像を見たばかりで。
多種にわたるって・・・すごすぎる。
だいたい、新ルームメート以外はまったくキッチンを使わなかった
ということなのかしら。

テディーも落ち着かない一週間だったのかな。
やっぱり身内とそれ以外では反応が違うのね。
kame3さんの微妙な気の張り具合いを感知していたりして。

kame32010年10月07日 01:47
antonさん

You tubeの映像、見たくないなあ。
彼女達のゴキ話も、耳をふさぎたくなるようなものでした。ゴキ君は簡単に繁殖してしまうんですね。アメリカに来てゴキブリを見た覚えがなかったもので、今回の一件は非常に驚きました。コオロギの大量発生はあったなあ。。そう言えばクモをやっつけたら子供が大量に飛び出した事もあった。
うわ~~、何だか気持ち悪くなってきたよ。

彼女達は料理をしないそうで、新しくきた同居人が料理魔だったと。料理魔は良いけど片付けをしないとはかなり問題だけど、『ルームシェアー』っていろいろたいへんそう。

私の心も反映してる・・・ありそう!
ただただ散歩で出会う人たちにも、寄り添ってペットしてもらう場合とひたすら逃げ回る場合があって、どこで分けてるのか知りたいです。


どんなビールがお好き?

息子が時々ビールを飲んでいると知ったのは、最近の事だった。

アメリカでは法的には21歳で飲酒OKとなる。しかしその以前に飲んでいる子は多いと聞いていたけど、我が子が飲んでいたとは知らなかった。。。。
日本では未成年の飲酒は禁止されていても、大学に入るとやたらと飲み会が多くなり18.9歳でお酒を飲むのは当たり前になってる。それに比べてアメリカの学生は何とお堅いんでしょと思っていた矢先の事で、これには本当にびっくりした。

確かに「そのビールはスクリューで栓抜きが要らない」とか「・・・Lightは昔からある」とか、やけにビールに詳しかった。
そんな折、来客続きだったのでビールを飲む機会が多くなり、息子がずいぶん前から飲んでいたと知ったのだ。
いつから飲んでいた?別に飲むのを非難する気はないけれど、全く知らなかったとはショックである。
しかし絶対飲酒運転はしないでよ!

若い頃は私も連日連夜ずいぶん飲んだものだけど、元来強くなった上にここの所の体調不良でお酒はほとんど飲めなくなっていた。
しかし、、、最近夕食時に息子とビールを飲んでる。昨日はそのビールの買出しまでしてしまった。

息子にとってビールは味わうものらしく、こっくりしたタイプのビールが好きらしい。
私はあまり味の濃厚なものは好まず、ごくごく飲める軽いビールが好みだ。
昨日は息子お奨めの『Blue Moon』なるコロラド産のベルギーホワイトビールを試した。
苦味はなくフルーティーな味わい。のどごしさわやかと言った感じではなく私には△かな。私の好むビールは、味がなくておいしくはないと息子は言う。ビールも奥が深く人の好みも様々だ。

さて皆さんはどんなタイプのビールがお好きですか?

ととると(*´ω`*)♪2010年10月08日 07:07
コロナ\^o^/ビール

私もあっさりしたビールが好きハート
コクのあるのはあんまり好きじゃないかなあせあせ(飛び散る汗)

kame32010年10月08日 09:00
アロハさんもコクのあるビールは今一つなんだね。
コクよりキレを求めると言うか・・・。

『コロナ』は、私も好き~!最近コロナライトが気に入ってる。
ライムを瓶の口に差して、瓶のままゴックンゴックンと一気に・・・。気分はもうメキシカンですな。

ととると(*´ω`*)♪2010年10月08日 09:23
>kame3さん
コロナ、夏は水のように飲んでましたあっかんべー

シーで飲めるハート
メキシコ料理の店があるのわーい(嬉しい顔)
確かにライム刺さって出てくる電球

あとは日本の銘柄アサヒビールかなぁわーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)わーい(嬉しい顔)

kame32010年10月08日 13:19
シーはメキシコ料理も楽しめる所があるんだね。

日本のビールも久しく飲んでいない。。。。
アサヒもキリンも、サントリーもわからないと思う。う?発泡酒との違いはわかるかなー。全く自信がないや(泣)。

anton2010年10月08日 15:11
ビールなら何でも好き~
というより、お酒なら何でも好き~

強いて言うならスタウトかな。
家では発泡酒なんだけどさ。

飲酒は20歳からなんて言っていても、結局大学生になったら飲む、という感じでしたよね。
娘も、今日は友人と飲み会なんていうことが多くなりましたが、○○サワーみたいなものばかりで、可愛いもんよぉ。

kame32010年10月08日 23:48
antonさん

ふふ、antonさんならではのお言葉です。
『スタウト』って麦芽のしっかりした濃いビールですよね。一般的に酒好きはコクがあるビールをより好むのかなあ~。

お嬢さんも飲み会に行ってるんですね。○○サワーいいですねー。若者はとかく愚かな飲み方をしてしまうもの。徐々に酒を知るのが良いかと・・。


4人で過ごした週末

この週末、娘と次男が家に戻って来ていた。

彼らの新しい生活の様子を聞いた。娘は彼女の院の仲間が全員年上で、彼らは大学を卒業後就職も経験し賢く語彙も豊富で、その中で娘は自分が実に幼く未熟であると感じたとか。莫大な読書量を求められ読書とレポートをまとめる毎日で、今は課題を消化するのに手一杯の様子だ。

次男は<楽しい~~>の一言に尽きる大学生活がスタートしたようだ。クラスの話はほとんどなく、Japanese-Americanや日本太鼓、ボート等諸々のサークルに入る事も検討中だとかで、すでに新しい良い仲間もできたらしい。勉強が過度の負担にならなければ(これが問題だ)、明るく楽しい学生生活が送れるだろう。

Costcoで仕入れた大量のスナックを3人に分配した。カップラーメン・シリアルバー・ビスコッティー・スープ缶・・・彼らのディナーにもなる貧素な食生活だが、これぞ大学生活とも言えるのかも。

私はあと2週間で帰国。次に二人に会うのは日本となる。

狭い狭いと思っていたこのサンディエゴの家だが、最近広いと感じてる。テディーと私が帰国したら、その広さを息子は実感する事だろう。息子はインラインホッケークラブに入った。そしてハイキングや写真のサークルにも参加を考えているそうだが、一日も早く心許せる友達ができるといい。

この週末、日本の家に船便の荷物が入った。夫一人で210個の荷物の受け入れに孤軍奮闘したようだが、運送屋が帰った後、夫はサンノゼから送った荷物をどんな思いで開けていたのだろう。彼から送られた写真で日本の家に少しずつ収まっていく見慣れた備品を見るに、私達夫婦の新しい生活もすでに始まっているんだと強く感じた。

コンドー内のプール Palm Treeが南国を思わせる
鮮やかなブーゲンビリアがあちこちに咲く。
10月になってゆりが咲き始めた。季節は確実に変わっている。
家の前で記念撮影。幸多かれと願う。



2010年9月20日月曜日

私の訪問客

サンディエゴに引越してから、何とお客さんの多かった事か。全て子供の友達なのだが、狭い家にひきめきながらの食事のみのお客さんや連泊のお客さん。まるで簡易宿のようだったが、娘と次男が入寮した今すでに思い出の一頁になっている。

今日から1週間、姉が遊びに来てくれる。
たった今サンフランシスコの空港から着いたと電話をもらった。
2年前サンノゼに姉夫婦が遊びに来てくれた。その時はNapaやCarmelを巡りワイン三昧の実に楽しい時を持ったが、今回は姉一人の訪米。旦那連には申しわけないけど、パーフェクトの気候(?)と言われているサンディエゴの街を散策して、ゆっくりした時を過ごせればと思ってる。

昔は英語も多少話した姉が初めての一人旅に緊張しているのが、妙に可笑しい。
さて、そろそろお迎えの準備をしましょうか。

ととると(*´ω`*)♪2010年09月21日 13:28
私の度胸を少し分けてあげたいと思ったよ(笑)

乗り継ぎをやたら心配していたので、『いざとなったらチケット見せてWhere?と聞きゃなんとかなるexclamation』といい加減なアドバイスしてみました(笑)

無事着いて良かったわわーい(嬉しい顔)

kame32010年09月21日 14:37
空港では呼び出しをかけられたりいろいろたいへんだったようですが、無事に元気に来てくれました。
日本からサンディエゴまでの直行便がないのは、つらいな。LAまでお迎えに出られれば良かったのだけど、初めての乗り継ぎ一人旅はやっぱりドキドキものなのかな?!

エビちゃん2010年09月21日 21:25
1人でも何とかなるexclamation全く話せない俺が何とかなったから電球

kame32010年09月22日 08:05
すっかり元気になって、今日はショッピングを楽しみました。
帰りも乗り換えになるけど、もうドキドキそわそわもないでしょう。

エビちゃんがどこを回ったのか、詳しく聞いておけば良かった。


Carlsbadのアウトレット

姉の滞在中、サンディエゴは最高のお天気だった。
毎日青空が広がり、サンディエゴの街が一層美しく感じられた。彼女が帰った日は気温が39度まで上がった。カリフォルニア全域で記録的な猛暑だったようだけど、夏の間一度も使わなかったファンが回りっぱなしの一日となった。

さて、姉と行ったサンディエゴの街を少しアップしよう。

この日は家から30分ほどの所にあるCarlsbadのアウトレットに行った。
清々とした新しいアウトレットで整然としてきれいなアウトレットだ。サンディエゴにはもう一つメキシコとの境界線に大きなアウトレットがあるが、そちらはいかにもメキシコを感じさせ、アウトレットも土地柄が出るのが面白い。

写真1>Carlsbad Premium Outlets
写真2>ここで昼食。いかにもアメリカンダイナー。
大きすぎるハンバーガーがいろいろ楽しめる。アメリカ生活も長くなり、たまに馬鹿でかいハンバーガーが食べたくなる。
姉はがぶっとかぶりつくことができず、パンばかり先になくなっていたのは、愉快だった。
写真3>行きは5号線を北上したが、帰りは海岸線を走った。
車内からの撮影で今一つ雰囲気が出てないかな?天気の良い日の101号線のドライブは最高の気分。

退会したユーザー2010年10月02日 19:06
写真3見たら、ドライブに行きたくなりましたexclamation ×2
海岸線をドライブ・・・気分最高ですね揺れるハート

kame32010年10月03日 01:56
holoholoさん

好天気のドライブは本当に気持ちが良いですね。

サンディエゴの街は坂やカーブが多く、スピードも北カリフォルニアに比べて早く運転しやすいとは言いがたいのですが、この海岸線の道は走りやすく、私もドライブを楽しむことができました。


La Jolla(ラ・ホヤ)

サンディエゴの高級リゾート地として知られているLa Jollaのダウンタウン・ビーチに行った。
家から15分の場所にいかにもリゾートと言った場所があるのが、なんとも妙な感じがする。

この日も天気は最高で、どこもかしこもキラキラと輝いて見える。
La Jollaはラホイヤと発音するのだが、何故か日本語だとラホヤになるらしい。
そのLa Jollaは旧スペイン語で宝石という意味だとか・・納得の街である。

写真1>La Jollaのダウンタウン。
おしゃれな高級ブティック・レストラン・ギャラリーが立ち並ぶ。
写真2>輝くばかりの海岸線の美しさは格別。

写真3>La Jolla Cove
海岸線の遊歩道をぐるっと歩けば、アザラシやペリカンがすぐそこに。アザラシと一緒にシュノーケリングもできるそう。
ペリカンはあまりの多さに感動したものの、近づけばかなりの臭い。。。撮影後は足早に退散した。

La Jollaは足繁く通っても飽きない魅力がいっぱいの街だ。しかし週末はかなりの賑わいで、駐車スペースを見つけるのはたいへんになる。
週末に行くのはできれば避けたい。

JettaZ332010年10月03日 16:27
La Jollaと言えば、晩年のチャンドラーがシシーと暮らした土地。海の見える家だったそうです。
今もこの家は存在し、チャンドラー夫妻が住んだ家と看板が有るそうです。

kame32010年10月04日 01:10
チャンドラーはどの辺りに住んでいたのかと、思わず調べてしまいました。
http://www.houseogroove.com/cuppa/BlogDetail.php?pg=109

チャンドラーとシシーが寄り添い、海を見つめて過ごした姿が目に映るような気がします。

JettaZ332010年10月04日 05:52
RC構造の素敵な家ですね。
デザインもいけてます。

この家で多くの名作が生まれ、チャンドラーとシシーが仲むつまじく暮らしていたと思うと、感慨一塩です。

kame32010年10月04日 06:24
チャンドラーファンのtatsuo1さんには、この家はさらに奥深いものなのでしょうね。

帰国後は好きな作家や歴史上の人物ゆかりの地を旅したいななんて考えてます。
時代を超えて我々に感動を与えてくれる作品を残した人々や、歴史上の人物。それらをずっと見守っている山や海などの自然。
ゆったりした気分で存分にタイムスリップしたいなあー。


Old Town

サンディエゴの街は北と南ではかなり装いが異なる。
南はメキシコの文化が投影され、北とは一風違った趣がある。

家から5号線を南に15分、SDのダウンタウンからは北西5kmの所にサンディエゴ発祥の地『Old Town』。現在は州立歴史公園となり、町並みは1800年代のままに保存されている。
私達が訪れたのは土曜日とあって、街は午前中から賑わいを見せていた。
メキシカンレストランや土産物屋が立ち並んでいる通りを抜け、園内に入るとそこはタイムスリップしたような世界が広がる。
サンディエゴ最初の学校や当時の店・裁判所・農園・鍛冶屋・・・当時の衣装を身に着けた人々もいる。
ここでは各種のフェスティバルも開催されるようで、年齢を問わず楽しめる所となっている。
昼食は園内でメキシカンダンスのショーを見ながらメキシカン料理。
期待した程の味ではなかったが満足の食事。

この辺りのメキシコ料理はレベルが非常に高く、こちらの期待度もどんどん上がっていく。そもそも私は高級レストランでなく、町の食堂と言った手合いのメキシカンが好きなのかもしれない。

焼け付くような太陽と真っ青な空。この日もこの地を訪れるのに最高のお天気だった。




2010年9月5日日曜日

2010/9

新しい生活の準備

2010年が過酷な年になるであろう事は承知していたし、実際もう勘弁と思う事も続いたけれど、気がつけば早や九月。
一日一日を意識しながら生活してきたつもりだったが、この半年何をどう過ごしてきたのか正直わけがわからなくなっている。
この綱渡りのような日々も最終ステージに入った(と、思いたい)。

先週長男がサンノゼで2週間あまりを過ごし、愛車で帰宅した。そして長男の帰宅と時を同じくして娘の日本で仲良くなった韓国人のお友達Zちゃんが遊びに来た。Zちゃんは我が家に1週間ほど滞在した後、二人はロサンジェルス・サンフランシスコとドライブ旅行に出かける。

娘は旅行を終えた数日後ロサンジェルスの大学寮に入り、次男もアーバインに入寮の予定だ。
ここ1,2週間は、2人の入寮準備の買い物に追われているが、娘は寮と言っても家具付のアパートに入るのでそれなりに必要なものもあるとしても、車を持っていくから入寮後に自分で買出しは可能だ。しかし次男はしばらく車無しの生活をさせるので、ある程度の生活用品は持たせてあげたい。

家族ばらばらの生活へのカウントダウンが始まり、子供達は3人それぞれ新しい生活に期待を膨らませている。
それと同時に私達夫婦の第2の人生(?)の幕開けも近い。

8月末、貸していた日本の家が私達の手に戻ってきた。夫はこの週末入居準備で掃除やら買出し、ガス水道等の引き込みにと大忙しで駆け回っていたようだ。まだまだ異常な暑さの続く中、さぞたいへんな重労働だったと想像するが、今の私には何もできる事がない。それにしても16年前に建てた家にこの度初の入居となるわけだが、家の掃除からのスタートとはなんとも現実は厳しく悲しいものだろうか。

今月後半にはサンノゼから送った船便も着く予定だ。サンディエゴの家に運んだ荷物は内容的にも量的にもほぼ完璧と自己満足しているが、日本への荷はどうだろう。無事収まると良いのだけれど・・。荷受作業は夫一人でする事になりこれまたたいへんと思うが、今年はお互い踏ん張りどころと頑張ってもらうしかない。

退会したユーザー2010年09月06日 11:09
ご自愛くださいませ!

kame32010年09月06日 12:21
umibouzさん

ありがとうございます。
新しい出発って期待と不安がいっぱいですが、少なくとも子供達は明日を見てるのをうれしく思います。

退会したユーザー2010年09月06日 12:52
本当に最終ステージですねexclamation ×2
今年のお正月は日本ですねわーい(嬉しい顔)
その頃にはすっかり、落ち着かれているのでしょうコーヒー

kame32010年09月07日 00:06
holoholoさん

そうですね。お正月も近い。
いろいろと不安で押しつぶされそうな毎日ですが、数ヵ月後のゆっくりとした生活を夢見てもう少し頑張ります。ありがとう!

anton2010年09月07日 00:56
しばらくは、テディーと二人きりの生活になるのかしら。
もしかして初めて?

Hansさん、頑張って台所、きれいにしてくれてましたね。
土・日を使っての受け入れ準備も大変そう。まだまだ暑いしね。
kame3さんもいろいろ慌ただしくなりますね。
体調には気をつけてね。

kame32010年09月07日 02:16
antonさん

ありがとう!

娘と次男が寮に入った後は、しばらく長男とテディーとの3人暮らしになります。
寮住まいを経験できない長男は多少不満のような・・。

先住者も一応きれいにして出て行ってくれたようですが、やはりキッチンの汚れは気になったみたいですね。夫がマメな人でよく動いてくれるので、助かります。日常の家事はほとんどしない人ですが・・。



いつから大人?

もうすぐ生活が一変するのに際し、大きな問題となるのが収支勘定だ。

今後子供達のアメリカでの生活費用は全て、日本からの送金となる。円をドルに換えるには今が最適と言えそうだが、持ち金が少ない上に日本での新生活の準備費用がどの位かかるのかもわからず、ほとんど送金できないのがつらいところだ。

さて、ここに来て気になってきたのが、<子供達の教育費・生活費他はいつまで親が負担するべきなのか>という事。

日本とアメリカでは、成人に対する考え方・親子関係は大きく異なるように思う。
日本では高校卒業時にどの位の割合で、親元を離れ大学や勤め先に通うのであろうか?日本でも都会と地方に住む人とでは条件が違い、東京近郊に住んでいた私には日本とは言え、その実態はよくわからない。
アメリカ(カリフォルニア?)では18歳を超えると親元を離れ生活する事が多いように思う。アメリカでは18歳から成人扱い(18歳以上はMajor,未満はMinor)とする州が大半(飲酒・タバコ・運転免許等は州によってさまざま)であるからなのかもしれない。

経済的に恵まれた環境下にいる子供たちは、18歳を過ぎても何の疑問も問題もなく親に大学費用を出してもらって大学に行く。経済的に厳しい場合はFinancial Aids(奨学金)から補助をもらったり学生ローンを借りたりする。Financial Aidsの契約は18歳以上の子どもである場合は本人契約となり、ローンを借りれば卒業後すぐに返済が始まる。
アメリカにおいては景気が良かった頃は大学の費用も非常に安かった。さらに学ぶ為に学生ローンを借り、その学んだ事で良い就職ができたので、返済も可能だった。輝かしい時代だ。しかしここ数年のアメリカ経済の崩壊・深刻な就職難で、莫大な大学費用をかけ教育を受けても就職できない有名大学出の若者達はあまりにも多く、彼らは借金をして学んだのにキャリアを生かして働けないという残酷な状況にある。

さて、我が家の家計の話である。
できれば大学卒業までは、お金の事を気にせずゆっくりしっかり学ばせたい。しかし卒業まで何年かかるかわからない中(クラス・職員の削減で必要単位が取りにくい)で、「費用は出してあげるからゆっくり学べばいい」なんてとても言えない。
さらにこの秋から大学院に行く娘の費用はどうしよう。学びたいんだもの、とことん学べばいいなんて軽く言っていたけれど、こっちの財布は悲鳴をあげてる。娘23歳。充分大人と言える年齢だから、一人で全部を背負い込むべきなのか。幸い娘は今年は大学からScholarship(奨学金)がいただける事になったので、親の懐からは生活費だけで何とかなりそうだとか・・。来年も引き続きもらえるよう、相当の努力は必要だろう。

同時に始まる5人それぞれの新しい生活に果たしていくらかかるのだろう。不安いっぱいの私に、アメリカ生活の長いTさんは言う。
「子供が18歳になればいっぱしの大人。そんなに負担に思わなくていいのよ。子供は子供で何とかやっていくわよ!」

退会したユーザー2010年09月11日 14:06
教育費の問題は頭が痛いですね。子供の就職も気がかりです。が、心配してもどうにもならないこともありますよね。親として出来ることをしてあげるだけで、それ以上のことは出来ないのだと思います。

kame32010年09月11日 16:31
umibouzさん

そうなんですよね。先を憂いても何も良い事はない。
自分では楽天的な性格と思ってきたのに、悲しい哉、年を重ねるごとに母親譲りの心配性の幅を利かせるようになってしまって・・。
「できる事をする」・・これに徹するのみですね。

anton2010年09月11日 20:16
子供は子供で何とかやっていく・・・
そうふっきれたらいいですよねぇ。

同僚は、4,5年のことだから、(こちらが出しても)なんとかなるものよと言いますが、そりゃあ、あるものあればなんとかなるでしょうが、無い袖は振れぬ。

日本の場合、就職しても親と同居、というのも多そう。
パラサイトと呼ばれています。
独立すると生活がかつかつという事情もあるでしょうけれど、楽だし
お金貯められるし、ということでしょうか。

学食に来る学生では、学費は親が出してくれるけれど、家賃・その他の生活費は自分で、という人が多いかな。

kame32010年09月12日 01:23
antonさん

いろいろと厳しい現実に直面し、自分がつくづく小さい人間だと感じさせられてます。
日本でもまるまる親が負担という事ではないんですね。

『パラサイト』アメリカでは『Twixster』という言葉があるようですが、子供に自立を求め事が親の経済的事情からではなく、子ども自身を育てる意味から出発できたらいいですね。

親の加護の元 完全に守られた状況下で学ぶのではなく、厳しい状況下で生活する経験が、後々財産になってくれたらと思います。



弱者に冷たいアメリカ

またまた厳しい現実、お金の話で恐縮ですが、やっぱり書きたい。

以前アメリカの健康保険について書いた事があったが、今回改めて弱者に冷たいアメリカを感じた。

昨年10月から駐在員家族でなくなった我が家は、月々の健康保険の支払いも自腹となっり、会社の入っていた保険をそのまま引き継げるコブラの保険(団体割引がある)に入っていた。
10月の時点での月々の保険料は1500ドルだったが、今年1月から1850ドルに値上がりした。この金額は払いきれないとコブラをやめて個人で保険に入ろう、その前にチェックアップと思って健康診断をした。そこで乳がんの疑いとの診断を受け、検査が続き手術をした。莫大な費用のかかる検査や手術を受けていたので、保険を変更するきっかけを失ってしまった。
そうこうする内に、オーナーからの急な退出要請を受け、すぐに引越し先を決めなければならなくなった。バタバタと家を購入・引越し、今に至る。その間子供達の大学決定・娘の帰国他、ただただ目の前にあるハードルを越える作業に追われていた。

月々1850ドルとはべらぼうな保険料なのだが、この金額は3人も5人も同じ金額だった。なので家族全員保険をキープしたのだけど、今年5月23歳になった娘はコブラの保険の対象外となった。
娘が対象外となったのを期に保険の変更も考えたが、やはり引越しで落ち着かない日々を過ごし、健康上も自信がなかった事もあって、結局毎月1850ドルを払い続けコブラの保険を今までキープしてしまった。

今後の子供達の健康保険をどうするか。
娘はアメリカに戻ってすぐから、個人でAetnaの保険に入っている。特に病歴もなく医者にかかる事もなかった娘は、帰国前に私がエージェントに来てもらって手続きした後、電話での本人確認だけで加入する事ができた。保険料は120㌦。今までの至れり尽くせりの保険とは大違いの保険ではあるが、内容的には大丈夫と思う(実際の所は保険の内訳は複雑でよくわからない)。

9月中旬から大学が始まるが、UCの大学生はキャンセルの手続きを取らなければ自動的に大学のShipと呼ばれる健康保険に入る。この保険は病歴などのチェックは一切なしで契約期間はクォーターごとの月々およそ60ドルの保険料である。安い!2人の息子はこのShipに入る事にした。

問題は10月の私の健康保険である。
子供達が3人共、それぞれの健康保険に加入する今、1ヶ月と言えどもコブラの保険1850ドルを払うのは不合理だ。私は1ヶ月間だけ個人の保険に入ろう。エージェントに早速来てもらった。1ヶ月間だけである事、今まで病歴・現在飲んでいる薬等全て話した。彼は降圧剤を飲んでいるので多少保険料が上がるかもしれないが、その他は問題ないだろうと言った。彼の出したプランの保険料はおよそ300ドル。子供達に比べたら高いけど激安価格だ。このプランだったら家族5人でも月額1000ドル以内の保険料だったと悔しくなった。
数日後、アカウントができましたというEメールが届いた。
これでほっと安心したのもつかの間、数日後にAetnaから郵便が届いた。
<以下の病歴ゆえに、お申し込みの健康保険プランには加入できません。他のプランをご検討下さい。>
昨年12月からの鍼灸医通い・漢方薬・乳がん検査・手術・予後・・。却下の理由リストが、ずらっと並んでる。

癌になったら健康保険の新規加入はできないとは聞いていたけれど、実際自分が却下されるとは思わなかった。漢方・鍼灸医は、たまたまカバー率の良い保険に入っていたから記録となって現われただけで、そもそも対象外なはず。また乳がんの疑いにしても今は問題なしで経過観察のみなのに、である。気になっていた高血圧は取り上げておらず、エージェントが言うように慢性疾患は保険料のアップで簡単に処理できると言う事なのか。

アメリカでは病気になったら、新規に個人で保険に入るのは難しい。知ってるつもりだったけど、実際にはわかっていなかった。今回自分が拒否されて、アメリカの底知れぬ冷たさを見たような気がする。

今年は2週間後の住まいがわからないという貴重な経験をした。あの時は決まらなかったらホテルでも賃貸でも・・なるようになるさって思おうとした。失業し家のローンが支払えず家を抵当に持っていかれた人たち、彼らはどんな思いでどんな生活をしているんだろう。人の不幸を糧に自分を励ますというのは、下劣な手段だ。しかしあの時少しだけだけど、彼らのつらさがわかったような気がした。
今回保険を却下され、また見えない彼ら(私の周りには保険未加入の人はいない。しかし現在のアメリカの保険加入率は80%程か?)の日々を思った。家を失くし、保険にも入れず苦しんでいる人たちがいる。

アメリカ社会・・勝ち組でなくては生きていけないのか?
なんだか、無性に腹が立つ。

退会したユーザー2010年09月13日 14:34
Pre-existing conditionというやつですね。新規加入では常に問題になります。今思い出しましたが、僕もコブラの時代がありました。コブラと聞くと、僕は毒蛇のかまれたような悪夢を思い出します。事務手続きのトラブルに遭遇し、官僚的な組織の狭間に置き去りにされ、酷い目に合いましたよ。現在我が家はBlue Shieldに加入していて、月に1900ドル近く払っています。長男はキャンパス内の医院を使える利便性からSHIPにも加入させています。しかし医療保険には苦労させられますね。オバマの医療保険改革で既存の保険加入者には負担が重くなり、保険制度も複雑化し、医療の質も低下しています。酷いものです。

kame32010年09月14日 01:21
umibouzさんのお宅もたいへんな保険料を払ってらしゃるんですね。
一般家庭が個人の懐から永続的に払う金額とは、とても考えられない金額だと思います。

Pre-existing condition<既往症>の問題は、実際に病気の人たちには命に関わる深刻な問題です。
病気で会社にいけなくなる→会社の保険がなくなる→個人で保険に入れない→医療費がバカ高く治療が受けられない→収入もなく治療もなし→死
こんなしくみがまかり通っているとは、信じがたいです。

私は基本的にはオバマ大統領の保険改革を支持しているのですが、ますます制度が複雑になり、確かに問題も多いですね。
失業率は未だ10%、景気は回復せず、財政赤字も膨らむばかり・・・。
ああ、これからどうなっていくのでしょう。



ひどいファーマシーだ!

この3年間癲癇の発作を起こしていないテディーだが、抗癲癇薬のPhenobarbital(朝1錠、夜1.5錠)とBromide(3ml)は引き続き与えてる。
Bromideは調合薬で、限られたファーマシーでしか手に入れる事ができない。

話は、6月のSJからSDへの引越しの時に遡る。
引越しを数日後に控えたある日、毎日与えているBromideの残量が少ない事に気がついた(遅い!)。すぐにいつものL薬局にリフィルのオーダーをした。が、いつも簡単に手に入れる事のできるこの薬が在庫切れで入荷が翌週になるとの返事。来週では間に合わない。別のS薬局を紹介してもらい急遽、そちらから入手の手続きを取った。引越し真っ盛りのドタバタの中、ダウンタウンに薬のピックアップなど・・これはこれで面倒な作業ではあったが、手に入ったのでほっと安心したものだった。

その薬が少なくなり、リフィルをする時期が来た。
抗癲癇薬は決して安くなく調合薬Bromideはさらに高価な薬である。前回のSファーマシーは割高だったので、もう一度L薬局にオーダーを入れる事にした。オーダーはドクターからの処方箋がなくては入れられない。その都度処方箋が薬局から薬局に転送になって、初めてオーダーが入れられる。

依頼したリフィルのBromideが今日航空便で配達になった(要冷蔵のBromideはアイスパック入り航空便の配達となる)。
貼られたラベルを確認して気がついた。前回もらったものと、濃度が違う!
前回のボトルはBromide250mlで、今回は200ml。早速L薬局に問い合わせの電話を入れた。
今までの処方はずっと200mlで間違いなし。ドクターの処方箋にも200mlと記載されている。
となると、前回の一時しのぎで取り寄せたS薬局が間違っていた!

L薬局の勧めもあって、ドクターに連絡して今後の処方の指示を仰いだ。
正しい処方にすぐに戻すようにとの事だった。
最近よく寝てる、足がふらついてるは年のせいかと思っていたが、もしかしたら薬の副作用かも・・。

それにしてもひどい話。私が前回薬をもらった時に気づかなかったのもいけないけれど、薬屋さんが濃度を間違えてどうすんのよ!
日本行きまであと1ヶ月と少し。万全な体制で飛びたいのに~~~!

ととると(*´ω`*)♪2010年09月17日 08:25
お薬の量は間違えちゃいけない泣き顔 おかしいなぁのレベルじゃなく最悪の場合命にかかわるよがまん顔あせあせ(飛び散る汗)あせあせ(飛び散る汗)

テディ大丈夫がまん顔

kame32010年09月17日 10:00
アロハさん

ありがとう。お陰様でテディーは眠そうにしているものの、今のところ大丈夫です。

そうですよね。決して間違えてはいけない部分だと思うのに、こんな事ってあるんですね。
テディーの場合、薬の濃度をコントロールして癲癇を抑えているので、急激な薬の増量や減量が発作を誘発しないかと心配です。ああ、もうすぐ大イベントがあるのに・・。
人間・犬ともに出された薬はその都度自分でしっかりチェックする必要がありそうですね。

ふ~~、いろんな経験させられるわ~。


入寮

次々とこまは進み(どうもすごろくゲームをやっているような感覚が・・)、9月15日(水)に娘はLAの大学寮に入った。4箇所の寮やアパートでの生活を経験している娘は、荷造りも早く一人で入寮をした。そして今日9月19日は次男の入寮日だった。
冷蔵庫・自転車・洋服・布団・PC・洗剤・スナック・スタンド・・・トラックいっぱいに荷物を積み込み出かけた。少し長めのクレイトトレーニングもかねてテディーも連れて行くつもりだったけれど、とても積めるスペースはないほど荷物は多かった。

11時過ぎに家をでて12時半にアーバイン到着。駐車場から寮までせっせと荷物を運ぶ。幸いカートが借りられたし、息子の寮は駐車場の目の前だったので、スムーズに部屋に荷物を運び込む事ができた。
狭い寮の部屋で1年間一緒に過ごす人がどんな人かは、とても重要な要項だと思われるが、息子のルームメートは同じ高校出身の友人だ。幸運にもリクエストが通って友人との二人部屋に入る事ができたのだ。
ふと気がついた。寮で相部屋に入らない限り(一人部屋もリクエストできる)、他人との相部屋という経験は一生しないで終わるのかもしれないな。ふむふむ、この1年はなかなか貴重な一年になる事だろう。

狭い部屋ながら机の位置を動かしたり、荷物整理・買い物まで付き合ってしまった。
我が家の末っ子の旅立ち・・こっちは結構感傷的になっているのに、当の息子は「バイバイ」でおしまいとは、これいかに。娘の時はセレモニーがあったのにな。

土日ボーイフレンドと帰ってきていた娘も先ほどまたLAに帰っていった。
次男は今頃寮での初めての夜をどんな風に過ごしているんだろ?歓迎イベントに参加してるのかな?

この家、何だかとっても静かになった。

anton2010年09月20日 16:35
お手伝い、お疲れ様でした。男の子って、あっさりしたもんですね。
でも、あっさりしてなかったら、もっと心配になりますね。

いざ静かになってみると、静かな日々にあこがれていた、あの喧騒の時期を懐かしく思い出したりして・・・

kame32010年09月21日 01:14
環境が大きく変わる事になってから、子供達はしばしば昔話をしていました。
子供達もちょっとセンシティブになってるのかなと思っていましたが、どうやら勘違いだったみたい。学校に送り迎えをしていた頃と全く変わらず「バイバイ」と言われ、ちょっと救われたような気もしています。


あれから1年

昨年の9月29日、夫が帰国した。あれから1年。
お互いよく頑張ったと思う。そしてもう少し頑張らなくてはいけない。
去年も書いたけれど、9月29日は結婚記念日。26周年とは恐ろしいほどに月日が流れたものだ。

引越しばかりの落ち着かない生活だったが、それなりに苦労した分、面白く愉快な経験もたくさんさせてもらった。
そんな波乱に富んだ人生を提供してくれた私のパートナーにありがとうの言葉を贈りたい。これからもよろしく!

娘から結婚記念日のお祝いにこんな可愛いプレゼントをもらった。
チャウチャウの塩・胡椒入れ!?マグネットでチュッしてるハート
姉との1週間はあっという間に終わってしまった。楽しい時間はどうしてこんなにも早く過ぎてしまうんだろ。

そろそろ、最後の引越し準備に入らなくては。
まだまだ郷愁に浸りたいけど・・・。

anton2010年09月29日 14:10
あ~いかん!そうだった。

記念日、おめでとうございます。
もう、そんなになるんだね~
って毎年感嘆しているな。

お嬢さまからのプレゼントも可愛い。

来年は、夫婦揃ってお祝いできるから楽しみだね!

日本のおうちは、着々と受け入れ態勢が整っているようですね。

kame32010年09月29日 15:21
antonさん

ありがとう!
antonさんご夫婦はもうすぐ27年だよね?いやいやホント驚異的な数字ですな。

結婚記念日を話題にする日記なんて気恥ずかしいのですが、いろいろとしみじみしてしまうこの頃で、結婚記念日そのものにはあまり意味はないようにも思うけど、節目としては大事だと感じてます。

今週末には6月にサンノゼから出した荷物が日本の家に入ります。
荷出しは私、受け取りは夫。夫婦の連携がうまくいくか・・。夫にもう一頑張りしてもらわなくちゃ。

退会したユーザー2010年09月30日 22:37
26周年、おめでとうございますexclamation ×2
そして、記念日のお祝で、娘ちゃんからプレゼントですか電球
いいなぁハート達(複数ハート)
家の娘は、私たちの結婚記念日なんて知らないに決まってる・・
当の本人達すら、忘れてる~~ダッシュ(走り出す様)

kame32010年10月01日 04:40
holoholoさん

ありがとうございます。

日本ではあまり結婚記念日って気にしませんよね。
こちらではanniversaryって、結構お祝いのパーティーをするんです。
子供達は、付き合い始めて1ヶ月・半年・1年・・・と事あるごとに、祝ってます。

そう言えば、誕生日のパーティーも多いかも。
50歳で盛大なパーティーをする人は多く、日にちを気にする民族なのかな?
いやいや、単にパーティー好きか?


2010年8月28日土曜日

アメリカで生活するには・・・

アメリカで90日以上の長期滞在するには、学生ビザや就労ビザが必要となる。
我が家は夫の就労ビザで10年間を過ごした後、グリーンカード(永住権)を取得した。
グリーンカードを取るには
①アメリカ人と結婚して、配偶者がスポンサーになる
②就労ビザと同様に、雇用先にスポンサーになって貰って申請する
③年1回実施される永住権抽選に当選する

以上3つの方法があるが、3度抽選に落選した我が家は会社にスポンサーになってもらい、弁護士を通して申請した。最終的には日本での健康診断・面接で晴れてグレーンカードを手にしたわけだが、911のテロ以降移民局のチェックが厳しくなっている現在、その道のりも簡単なものではなかった。

現在夫の帰国後もこうしてアメリカにいられるのは、グリーンカードを取得しているからに他ならないが、移民法が年々厳しくなっている今、グリーンカードを維持するのも非常に難しくなってきている。無期限だったグリーンカードはいまや10年(場合によっては2年)の期限付き。
海外に半年以上滞在の場合は期限付のRe-entry Permit(再入国)を取得しなければグリーンカードで入国できなくなる。
苦労して取ったグリーンカード、簡単には取れないグリーンカード、再申請はできないらしいグリーンカード。。。。

夫と娘は昨年アメリカを発つ前にRe-entry Permitを取得して帰国した。
しかしRe-entry Permitは2年間の期限付き。夫はすでに1年を経過するし、今後は・・?先日移民局に聞いたところ、Re-entry Permitの延長が可能かどうかは全くわからないそうだ。

今回私もRe-entry Permitを申請したので約1ヵ月後には面接があるはずだが、まだ迷いがある。

『Citizenship(市民権)』アメリカ国籍を取るという事。
グリーンカードを取得後5年で市民権の申請ができる。テストを受けて宣誓式で宣誓すれば取得できる。しかし二重国籍を認めていない日本では、基本的に日本国籍を失う事になる(実際には二重国籍を持つ日本人は多くいます)。

日本国籍を捨てる気はない。しかしアメリカのグリーンカードも維持したい。
ううう、どうする?

退会したユーザー2010年08月29日 05:34
我が家のグリーンカードは来年の10月に有効期限がきますので、来年はI-90を提出して更新手続きです。とりあえず更新をしてから市民権のことは考える予定ですが、日本が二重国籍を認めていないのは痛いですね。

kame32010年08月29日 09:19
umibouzさん

グリーンカード取得から10年ですかー。
アメリカで選挙権が欲しい、国家公務員になりたいとかでなければ、アメリカに住んでいる限りグリーンカードの更新は簡単にできるそうなので、特に市民権は取る必要もないように思いますが、どうでしょう?

アメリカは出生地重視、日本は血統重視とも言いますが、アメリカのように多重国籍者が非常に多いのも考えものだし、日本のような血統主義もハーフの子などには深刻な問題かと思います。結果、隠れ二重国籍者が増えていく?

退会したユーザー2010年08月29日 11:43
何かの間違いで法律違反をしてFelonyとかなってしまった場合には、永住権は取り上げられてしまいます。Misdemeanorでも積み重なれば可能性はあります。まあ、そういうことにならないように注意すればいいようなものですが、予期せぬことで突然アメリカ生活に幕が下りてしまうことが、僕には心配でしかたがないのです。

子供たちは米国籍を(も)とらせようと思っています。日本の未来は、子供たちにとっては暗すぎますから....

kame32010年08月29日 14:08
umibouzさん

なるほど、何にお咎めがあるかわからない・・・それがアメリカとも言えますね。

うちの子供たちはいつ市民権を取りたいと言い出すのかしら。いつ言われても反対する気はありませんが、アメリカにもいろんな問題が山積していて、私は積極的に取得を薦めるのにためらいも感じてます。

BOMKAME2010年09月06日 20:04
え?えっ?
>(実際には二重国籍を持つ日本人は多くいます)。
ってどんな状況のことですか?
アメリカの市民権はアメリカでの手続きで、たとえば日本の除籍証明書?みたいなものは求められない。ということですか?
日本は・・・・まぁ存在しない高齢者に年金が払われているぐらいですから調べられることは無いでしょうね。

なるほど。

kame32010年09月07日 00:02
BONKAMEさん

日本は22歳の国籍選択年齢までに国籍を決定しなくてはならないと決められていますが、実際には取調べが徹底しているわけではないので、アメリカの国籍を有したまま日本国籍を保持できます(書き換え時に他の国籍を持たないと自己申告によるチェック項目があるようですが)。アメリカは二重国籍を認めているので、検査は入らず事実上パスポートは2つの持ち続けられるようです。

ニュージーランドは二重国籍OKですか?

2010年8月4日水曜日

2010/8

娘が夏を連れてきた!

2010年08月05日05:51全体に公開1 view
アメリカの5つの街を転々と暮らして来た。そして私達にはどの街も忘れがたく良い街だった。が、その中でもサンディエゴは最も住みやすく心地よい土地かもしれない。

今の家からショッピングモールは車で5分足らず、日常のグローサリーは歩いて行ける。学生にはバス代免除の路線バスも走っているので、車が無くでも生活できる。人々はとても親切で優しく、サンノゼ生活が長くなった私達には新鮮な喜びだ。さらにドッグフレンドリータウンなので犬連れで行ける場所が多いのも魅力の一つだ。

しかしここに来て一ヶ月、天気は期待はずれだった。
日本の猛暑を聞くに贅沢な話とわかっていても、あまりに涼しく曇天続きで、カリフォルニア南端の街サンディエゴにいて何で~?と、文句も言いたくなっていた。
何せ長袖・長ズボン、夕刻からはさらにもう一枚だったのだから・・。気温が低いのは許せても太陽が出ないのはひどいと、サンノゼの天気をチェックしては文句を言っていた息子たちだった(サンノゼは終始晴れ、気温も30度近くになっていた)。

ところが、ここのところ晴天となり最高の夏を味わってる。まるで晴れ女の娘が夏を連れて来たみたい。

テディーと3人(?)でDel Malの海に行った。長男が思う存分スキムボードを楽しんだ後、私達はサンセットをボーっと見てた。
刻々と変わる空・海・人の影・・・。
Del Marのダウンタウンでピザの夕食。薄いパイ生地は本場イタリアンのようだ。お値段もお手頃で満足の食事だった。

突然良くなった天気だけど、いつまた崩れるかと安心できない。
翌日も長男がサンセットを見に連れて行ってくれた。
と言っても家から僅か5分、UCSD裏の崖(ヌーディストビーチへの降り口)で、180度の海原に沈む太陽が見られる場所だった。
昨日より雲は多い。
しかし高台から180度見渡すサンセットは、また格別。マウイ島のハレヤカラ山頂のサンセットを思い出す。

毎日毎日、飽きることなく日は昇り日は沈んでいく。大きな自然を見せつけられて、そんな当たり前の事に感動し、ちっぽけな自分に起こる日々の出来事はほんの小さな事に思えてくる。だけどそれはあまりに小さいからどうでもいいと言うのではなく、寧ろ絶対的な大きなものの懐にいる我々だからこそ、毎日を大事に生きなくてはという思いを起こさせる。ううん、ちょっと違う。日々のもやもやした思いが吹っ切れて、心がスタートオーバーになるって感じかな。

サンノゼの友達の家に5泊させてもらった娘が、一昨日(8月2日)家に帰ってきた。
やはり友人の家に泊まっていた次男は、サンノゼからの帰路に遊園地Six Flagsに寄り、途中ホテルで一泊後昨日(8月3日)帰宅した。彼はお友達6人を引き連れて来たが、我が家にお泊りは1人。息子達は例によって、ビーチや公園で遊びBBQして、先ほどサンノゼに戻っていった。彼らも全員この9月から大学生になり、東に西にそれぞれの寮生活が始まる。各々の夢の実現に向かって幸多かれ!

この比較面白い。参考までにどうぞ。
http://kamesite.com/Travel/USCity.htm

ととると(*´ω`*)♪2010年08月05日 08:14
すごいきれいなサンセットぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)
直接見たら感動で言葉がなくなりそうですぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

写真もすごく上手ほっとした顔
私もこんな写真撮れるようになりたいわぴかぴか(新しい)

曇りばっかりかぁ…

休みたくさん取れるなら晴らしに行ってあげたいウッシッシ

友達から『もういい、晴らしすぎexclamation』と言われるほどの強烈な晴れ女ですよウッシッシ手(チョキ)

kame32010年08月05日 09:27
アロハ@ヒマワリさん

お名前、変えたんだね~。

ホントすごいサンセットだったよ。大きな空や雲・海の色がどんどん変わっていく様は、天のエンターテイメントを見てるようだった。
太陽ってありがたいねー。キラキラと光る太陽と青空だと、それだけで単純な私はハッピーな気持ちになって何でもうまくやっていけるような気がしてきちゃう。
サンディエゴのイメージも全く違ったものになるから、是非晴れの時に来て欲しいな。
そっか、アロハさんが来てくれたら雨も晴れになりそう!

注>写真は息子が撮りました。私じゃ、こんな風には撮れない(泣)。
でも写真では刻々と変わる180度に広がるサンセットのすごさを表すのは、難しいような・・。

anton2010年08月06日 05:50
きれいね~~

こういう風景を毎日眺めていれば、とてもいい人になれそうな気がします。

しかも、上着が必要なくらい涼しい夜って、羨ましいよぉ。

kame32010年08月06日 07:11
antonさん

ふむ、サンディエゴの人たちがとても親切なのは、こんな風景を見ていて心に余裕があるからなのかもね。
だけど勤労意欲はあまり沸いてこないような・・・。

JettaZ332010年08月07日 08:00
題名が良いです。

それにも増して綺麗な夕日ですねぇ・・・
(写真の腕も良いですね)
流山付近では、絶対見れない夕日です。

そういえば北海道では、綺麗な夕日が見えたなぁ(遠い眼・・・)

kame32010年08月07日 14:03
tatsuo1さん

何故、流山では見られないのでしょうか?どこでも同じように毎日太陽は沈んでいくのに・・・。夕焼けってどんな加減でできるのですか?ふいに知りたくなって来ました。


家族一緒のひととき

2010年08月11日01:49全体に公開1 view
先週の金曜日(8/6)、夫がお盆休みを利用してサンディエゴに来た。僅か1週間の滞在だが、クリスマス以来の家族集合だ。

とは言っても、娘は勝手知ったるサンディエゴだから、ここにも沢山の友人がいて出かける事が多い。長男はいかにも暇そうで、かなり地味。次男は今日明日とお泊りの新入生歓迎オリエンテーションに出かけた。

天気は最高。朝晩は長袖着用だが日中は気持ちの良い青空が広がる。

先日UCSD裏の崖(サンセットを見た所)に行った。
ここは、全米でも有数のパラグライダースポットだそうで、空を飛ぶ多くの人たちでいっぱいだった。
<パラグライダー>崖から横長のパラシュートで浮かんでいく姿は、まさにSky Walking。
ここでは、150ドルでインストラクターと一緒に乗る遊泳もできる(ハングライダーは200ドル)。
崖から急坂を下り、ブラックビーチの海岸へ。道はできているものの、ラフでかなり急。
下りるはいいけど上って来られるかと不安になってる私をよそに、サンダル履きの若者達はサーフボードや大きなアイスボックス・椅子を抱え、すたすたと下りていく。
延々と続く砂浜ブラックビーチに着いた。おお、全裸の男性がフラフラ歩いているよ。確かに海岸の青い空・色とりどりのパラグライダー・キラキラ光る青い海・サーファー・白い砂浜・・これらの調和の取れた美しさにはそぐわないかなり外れたヌーディスト達はいる(ほとんど高齢の男性)が、その数は僅か。歩き回るのは止めて欲しいけど、さほど気にする程でもない(この日は少なかったらしい)。

海で単純に泳いでいる人を見ないのは、どこにでも海もプールもあるからなのかな?
また、どのビーチにもトイレも売店もないのは、日本とはずいぶん違う。

2時間ほどビーチでゆっくりして、写真を撮りながらボチボチ崖を上る。休み休みならなんと言うことはない(と思ったが、昨日から足ががくがくで階段もまともに下りられないよ)。

人生、いろんな楽しみ方があるね~。パラグライダーはエキップメント他運転資金がかかる遊びだけど、年齢層は結構高めだった。心臓が悪くなければできそうだ。

JettaZ332010年08月13日 07:24
我が家は同じ家にみんなで一応住んでいるのだが、家族5人が全員揃うのはめったに在りません。
子供たちは部活・バイト・友人と遊びで、殆ど家にいません。
家族揃ってお出かけしていた、5年以上前が懐かしいこの頃です・・・。

kame32010年08月13日 14:41
tatsuo1さん

そうですねー。子供達が大きくなるとそれぞれの世界ができて、家族単位で行動する事が極端になくなりますよね。それは喜ばしい事ですが寂しくもあります。

1週間は瞬く間に過ぎて、明日夫は帰国します。
次の我が家の家族集合はクリスマス頃を狙っていますが、何せ海を渡らなければならず、果たしてどうなる事やら・・・。
ばらばらの行動とは言え、家族一緒に住めるtatsuo1さん一家がうらやましいです。

退会したユーザー2010年08月13日 21:01
朝晩は長袖ですか!
その少し肌寒い状態が恋しくて仕方がありません。
既にご主人様から連日の猛暑についてお聞きかと思いますが
も~~毎日、朝から気合入れないと動けない程の暑さですよあせあせ(飛び散る汗)

こちらが、ヌーディストビーチですか電球
なんて解放的なんでしょう指でOK
ぱっと見はごくごく普通のビーチですね波

ご家族そろって充実したひと時をお過ごしされたからこその
名残り惜しい気持ちですねクローバー

kame32010年08月14日 00:11
holoholoさん

日本の今年の暑さは異常のようですね。夫は私には想像できない暑さだと、SDは涼しすぎると言う私に不快感も示してます。来年が恐い。。。
暑さ対策、何か良い方法はないのかしら?

崖を下りると延々とビーチになっていて、右手がヌーディストビーチになっていますが、ふらふらと歩き回るヌーディスト達は左の方にも進出してきているという現状のようです。
イケメンの男女が寝そべっているようなヌーディストビーチではなくて、回りは迷惑なだけかと・・・。

家族で小旅行やバケーションに行く機会の多かった我が家なので、もうおしまいかと思うとやはり寂しいです。気持ちの切り替えが必要ですね。
テディー連れの帰国準備に入らなくては・・・。


日本語学習の方法

2010年08月14日07:21
突然、長男が漫画『YAIBA』を読み始めた。
理由は単純、大学の日本語実力テストがあるから・・とか。

10ヶ月間日本に滞在して大学で学び沢山の日本人のお友達ができた娘の日本語の上達にはびっくりしたが、息子達の日本語力の低下には悲しいものがある。
我が家の会話は日本語中心だが、子供達は英語が第一言語で兄弟間で話す時は英語が多く、日本語で表現するのはいろいろと制約が出てきている。

日本人学校に行かせず子供達の日本語教育は家庭のみだった我が家では、日本の教科書を中心に海外子女教育通信・月刊のチャレンジ誌を使って、日本語学習をしていた。
10年以上続いた家庭での日本語学習だったが、いやいやながらも娘と次男はそこそこ日本語を習得し、俄か教師の私の指示にある程度従い学んでいた。しかし長男はひたすら抗議・反抗を繰り返し、事実上我が家の特設学級がなくなるずいぶん前に学習をボイコットし、中途半端なままに日本語を一切学ばなくなった。

日本語をある意味拒否していた長男だが、大学に入って必修科目の第1外国語として日本語の初級クラスを取った。初歩も初歩のクラスだが正しい日本語を使うのは、なかなか難しいものらしく、また漢字やカタカナも通常日常会話だけの生活で書く・読むの作業をしていない長男には、改めて復習しなくてはならなかったと聞いてる。幸い初級クラスは優秀な成績(笑・当然!?)でパスし、ほっと安心の長男だったが、先日長男の編入先の大学(UCSD)で日本語の実力テストがありこのテストで良い点を取れば日本語の上級クラスに飛び級との情報を得た長男は、あわよくば・・と、テストに行く当日になって突然準備を始めた。

で、読み始めたのがの青山剛昌『YAIBA』。
実際にはその本を持ち出す少し前に「日本語のクラス分けのテストがあるから手伝って!」とは、言っていた。しかし何をどう手伝えばいいのやら、どの程度の日本語力が求められているのやら、わからない私には何のお手伝いもできやしない。
気休めに幼児用の絵本を読ませてみた。僅か20ページほどの本だったが、読んでる方(長男)も聞いてる方(私)もクタクタになってしまったよ。
途中長男が「フ~、疲れる。」とため息をつくのは、可笑しくて仕方がなかったけれど、どんなにたいへんな音読だったか皆様に想像していただけるかしらん?

結局テストは夏休み中は実施されないそうで、9月まで持ち越しとなったのだが、少し猶予が与えられた長男は、PS2『ドラクエ』を始めた。すでに制覇したドラクエⅧだが、日本語がいっぱい出てくるから、勉強になる(?)と・・。
やはりそこには、言語やエッセーの苦手な長男らしくこつこつと日本語を学ぼうという姿勢はない。しかし付け焼刃でもとにかく日本語に触れようという姿勢は感じられる(かな)。

でもその日本語、ほとんどお姉ちゃんに読んでもらっているような気がするんだけどなあ。

BOMKAME2010年08月14日 18:43
遠くない未来に僕らの家庭にも現れる壁でしょうから興味深いです。
既に口から出てくる単語は英単語のほうが多く、日本語を残す努力は半端な取り組みでは無理だと実感しています
ジジババに足繁く飛行機に乗ってもらうことが一番効果的かな???

まずは海外子女教育通信というのを調べてみます。今の日本でもあるのだろうか?

kame32010年08月15日 02:36
日本人コミュニティーに入って遊ぶのが日本語習得の一番の近道だと思いますが、BOMKAMEさんのエリアではそれも難しいですよね?
うちの場合もほとんど日本人がいない所で海外生活がスタートしました。当初、日本語のキャッチアップは後からでもできる(数年後には帰国するつもりだった)と英語を完全にマスターする事にポイントをおきましたが、結果的にそれが良かったのかどうか・・・。

家では完全に日本語を使う事をお奨めします。親の私達も単語がどんどん英語(カタカナ語)にスイッチされて行ってしまい、基本的な日本単語が失われていきます。
こうして書いていてもなんてカタカナが多いんでしょ。心しないと日本語の単語が出て来ないんです。今日はそのまま出てきた言葉を書いてます。

海外子女教育通信は海外子女教育振興財団がやっていて、教科書にあった指導要項や問題集が毎月送られ、テストは添削してくれます。我が家は小学校から始めましたが、幼児コースもあるようです。

我が家では幼い頃から寝る前に毎晩以下のような事をしていました。
・日記(字がかけない時は絵だけ。字が少しずつ書けるようになって、はな・おとうさん等少しずつ文字を加えさせた)これらの日記は3人それぞれ何十冊にもなり、各々引越しの度に読み返し面白がってます。
・読み聞かせ(本を読んでもらったら寝るという習慣をつけてました。本を手に入れるのがたいへんだったのを記憶してます。BOMKAMEさんの所は、さらにその辺もたいへんですね。)

他に日本語の番組(アンパンマン・コナン等)を見せたり、面白そうな漫画もかなり読ませましたよ。

日本語維持は親の忍耐力だと思います。
英語で不自由なく生活できるようになってしまうと、何で日本語を覚えなくちゃいけないと、子供はもちろん私自身ももういいやって気持ちになっていきました。

同じように育てたつもりでも、興味を持つかどうかはその子次第。楽しんで日本語が手に入ったらいいですね。頑張ってね!

anton2010年08月15日 16:53
YAIBA、懐かしい~
ドラクエ好きなら、『ダイの大冒険』あたりも面白く読めるんじゃないかと・・

海外に暮らしていれば、簡単にバイリンガルに育ってしまうかと思いきや、むしろ日本語をどうするか、ということが大きな課題なんですね。まさに親御さんの根気勝負ですね。
生活するうえで必要な言語が優先されるというのも、また当然なのですから、お子さんが小さい時というのは、その兼ね合いが難しいですね。
でも、ママさん先生、よく頑張ったよね。

BOMKAME2010年08月15日 19:06
長文で適確なコメント有難うございます
文末の「親の忍耐力」という言葉にこれからの時間が凝縮されていると妻共々感じております。
今日は午前中に原生林を歩き、午後は公園で遊んだので夕食途中から急に無口になり突っ伏して寝てしまった1歳11ヶ月児でした。

kame32010年08月16日 00:25
antonさん

『ダイの冒険』探してみます。幸いサンディエゴにはブックオフがあって、比較的安価で日本語本を手に入るんです。テストに間に合うかなー(笑)。

日本人との交流が多く長期に渡り日本人学校に行っていれば、ずいぶん違うと思います。アメリカ生活のスタート時に日本人社会から離れてしまったので、引っ越した後も週末日本人学校に行かせる事ができませんでした。
親としてはいろいろ後悔しますが、それはそれで良かったと思いたいです。

BOMKAMEさん

時々お聞きするお子様の話に、オランダに渡ってすぐの頃の娘を思い出します。
どんどんおしゃまになって、ますます可愛くなる頃ですよねー。
あれから20年あまり、娘はいつの間にか大人になってしまいました。


ドッグビーチ

夫がいた1週間は毎日気温も高くまぶしいほどの青空が広がっていたが、昨日・今日とまた寒空曇天になってしまった。今年は異常というけれど、何とも冴えないお天気だ(なんて言ったらまた怒られそう・・・)。

サンディエゴのほとんどのビーチは、6時までは犬は立ち入り禁止だ。しかし数多くのドッグビーチが点在する。夫の滞在中、いくつかのドッグビーチに行った。

写真1<Fiesta Island>
Mission Bay Park内に位置するFiesta Island は、5.2マイルの散歩道があり、フェンスなしで、リーシュなしでゆっくり遊べる。
週末にも関わらず、人出は少なくゆっくりとした時が流れる。島と言っても湾内の陸続きの島なので、波もなく安心してテディーも海に入れる。
時々元気よく跳ねる銀色に光る魚がいる。何だろうか・・。秋刀魚?さば?結構大きい。

写真2<Ocean Beach>
Ocean Beach内にあるこちらもオフ・リーシュのドッグビーチ。愛犬家には最も人気のある場所の1つだそう。
私達が行ったのは平日だったが、ものすごい数の犬・犬・犬・・・・・。次から次と現われ、どの犬がどのオーナーかは全くわからずだが、攻撃な犬は皆無だ。いかにも犬好きの人々の集まる場所らしく、どんな犬が突然近づいて来ても人々は誰も何の動きを示さない。犬に対する警戒心がない?まさに人間と犬が共存してる!

写真3<Del Mar Beach>
Del Mar29th Street の北側に位置する。夏期はリーシュをつける必要あり。9月~6月15日まではオフ・リーシュOKのビーチ。
海岸線の道路沿いに駐車する(ビーチ前は有料)。少し駐車場所を確保するのが難しいかも。
このビーチに来ている犬は少し攻撃的、しつけのできていない犬もちらほらと・・。オフリーシュにはできない犬が来るのかな?
潮の満干でビーチがどんどん変わっていく。ビーチバレー軍団が練習をしている。疲れそうー。息子達はスキムボートを飽きることなく楽しんでいた。ここ1週間でずいぶんうまくなったようだ。

癲癇持ちだからと、私はテディーをあまりに過保護に育ててしまったようだ。
海岸を水をけちらし逞しく駆け回る犬達をよそ目に、テディは他の犬のお尻ばかりをちまちま追っていた。ボール遊びもほとんど興味を示さないテディ。
少しは海の中へ駆け込み泳いでくれたらと思った。でもそんな事を口にしたら、家族から大目玉を喰らいそう「お母さんが危ない危ないってやらせなかったんでしょ!」って。

北カリフォルニアでは犬OKのビーチが少なかったが、サンディエゴは行ききれないほどドッグパークがある。犬にとってもまさに天国のような場所だ。

うちのテディーはあまり駆け回る事がないので、リーシュの有無にはあまり関係ないけれど、運動量の多い犬はやっぱり思い切り駆け回りたいよね。
群をなしビーチを駆ける犬達を見て、犬本来の姿を見たような気がした。

anton2010年08月17日 07:11
う~ん、気持ちよさそう!
読んでいるだけで、清々した気分になります。
余分なものがないビーチも、いいですね。

思いっきり駆け回れる犬はもちろん、それを眺めている人も幸せな気持ちになれるんだろうなと想像します。

でもkame3さん、引っ込み思案の子どもをもった親みたいな気分?
ほら、ほら、じっと座っていないで、あっちでみんなと走っておいで!
みたいな・・

サングラス姿のテディーもso cool!
カメラ構えているのは、kame3さんかな。

kame32010年08月17日 12:08
antonさん

まさに言い当てられてしまいましたあせあせ(飛び散る汗)
一人(?)だと、すぐに私達の所に戻って来てしまい、ホント公園で親にぴったりくっついてる幼児のようなんです。

おお、サングラスに写っているんですね。この撮影は次男です。彼のサングラスをかけさせ撮ってました。



2010年7月16日金曜日

2010/7

自転車置き場

2010年07月17日05:01
今度の家は狭い。家自体が狭い話は置いて、今回はガレージと外回りのお話。
サンノゼの家は3台分のガレージとバックヤードに広い空間があった。

が、ここはサンディエゴのコンドー。ガレージは2台分、庭はパティオセットを置いたらいっぱいになってしまうフロントヤードがあるだけだ。

さて、車はただ今トラックとベンツ。なんとトラックはここのガレージには入らない。今はコンドーそばの路上に駐車している。
駐車に加え、自転車の置き場も問題になってる。数年前、7台あった我が家の自転車も今は3台。それでも3台の駐輪スペースを確保するのは難しい。ガレージの有効利用は不可欠となった。

引越ししてすぐにオーダーしたのが、この自転車ラック。
ガレージ天井から吊るそうかとも思ったけど、使い勝手・安全性を考えこのスタイルになった。
これで少しガレージスペースが広がった。

3台目の自転車は次男が大学寮に持って行く予定。この自転車はガレージセールで15㌦で購入した物。
友達もいないので暇な息子はチュンナップに頑張ってる。

JettaZ332010年07月17日 07:36
前輪が外してあるロードレーサーは、年代物ですね。
画像だけでは良く分かりませんが、多分20年以上前の物だと思います。
細身のクロモリのフレームが、カッコいいです。
パーツも年代物が付いている感じですネ。

ブレーキはカンティ・ブレーキなので、街中で乗るにはちょっと制動力不足かも・・・。
でもフレームが年代物なので、今主流のデュアルピボット キャリパーブレーキは、付けられないか・・・。

何にしろ$15は安いです。カッコよくアップグレードしていくのが楽しそう。

私も3台の自転車(クロスバイク・MTB・ロードレーサー)の置き場に苦労しています。MTBは分解して保管しています(-_-;)

kame32010年07月17日 13:01
tatsuo1さん

この写真を見ただけで、そんな事までわかってしまうとはさすがです。
20年以上前の代物だったとは~!?でも15ドルはお値打ちでしょ。なかなか渋くてかっこいいんですよ。まずはタイヤを交換するつもりが、買ってきたものは合わなかったとか・・・。他にも部品が合わないとか出てきそうですね。
息子はパーツも高くてなかなか手がでないと言っていますが、自転車もいろんな遊び方ができますね。


過保護?

2010年07月18日09:44
自転車ラックのオーダーと同時にオンラインオーダーしたのが、階段のスリップ防止マットだった。

1年半ほど前、テディーはひどくびっこを引いて歩いていた。テディー命の私は、その姿を見るのは忍びなくとてもつらく見ていられなかった。その後えさを変えたのが良かったのか、愛情マッサージが良かったのか、ありがたい事に今ではあのびっこが嘘のように、何の問題もなく走れるようになった。

そしてこの引越し。
今度の家の階段はハードウッドで、実に滑りやすい。
日中はテディーが2階に行く事はないのだが、私と同室で寝るテディーは夜は2階に上がる。当然、翌日階段を下りる。1日1回の階段でも私には滑り落ちないかと心配で胸が痛む。夫は気にしすぎとあざ笑うけど、私には笑えない重要案件。
ホームセンター・家具屋・Do it your selfのお店・・・いろいろ回ったけど、良い滑り止めがない。結局オンラインで見つけたのが、このマット。数ヶ月間のみ使用には割高だったけど、グリップもしっかりしているので大満足。

それにしても、うちの犬、金喰い犬だね~。純血種でも血統証つきでもないのにねー。

退会したユーザー2010年07月18日 19:03
あははは。確かにテディーは箱入り犬ですよ指でOK
そう思うと、我家のタロウは全く手をかけてないなぁ。
今日も、暑くてベロだしてました犬
こんな時は、水浴びだぁ~と私たちは張り切るのですが残念な事に、水が大の苦手失恋喜ぶどころか、テンション下がっていきますがく~(落胆した顔)

ちなみに、タロウはザ・雑種です。でも、義父は、可愛さのあまり?
ゴールデンが入ってるexclamation ×2と言い張っています。。(イエイエ全く違いますって・・と心の中だけで呟くワタシ)

kame32010年07月19日 01:09
holoholoさん

やっぱり私は過保護なんですね、、、、。
holoholoさんの犬は水嫌いのタロウですか。暑くても水が苦手とは笑っちゃう。

ちなみにテディーはチャウチャウとコリーのミックス犬なのですが、散歩の時しばしば「何種?」って聞かれます。そんな時は「Chow Mix」と答えるのですが、「Oh,Chow Mein」と納得したように言われた時は大笑いでした。
『Chow Mein(焼きそば)』と言う犬種はないですよねぇ。

anton2010年07月20日 17:15
あれぇ~。コリーとのミックスだった?
なぜかず~っと、シェパードとチャウチャウのミックスだと思っていました。

kame32010年07月21日 00:16
antonさん

いやいやこちらこそ失礼しました。
以前をお話していた時に、チャウチャウとシェパードと言っていたと思います。
動物愛護センターの書類にはチャウチャウ・コリーミックスとしっかり記載されていました。家族間でどうも感覚的にフィットしなかったからなのか、いつの間にずっとチャウチャウシェパードミックス犬と思い込んでいました。お恥ずかしい話です。

anton2010年07月21日 05:18
いえ、いえ。自分の妄想じゃなくてよかった(笑)
でも、どちらかというとシェパードと言われた方が納得!の顔立ちですよね。

kame32010年07月21日 08:09
どうもどうも。思い込みと言うか、勘違いが多くてすみません冷や汗

ちょっと余談、
人見知りの激しかったテディーですが、最近性格が変わって来たみたい。
見知らぬ人にペットされるをひどく恐がっていたのに、最近では寄って行って舐める事も・・。引越しで人の出入りが多かったせいなのでしょうか?犬の性癖って、犬種によってずいぶん違うんでしょうねぇー。


ラッキー!

2010年07月20日05:37
今日ちょっとうれしい現実を知った。

アメリカの消費税は場所によって税率が変わったり物によって税金がかかったりかからなかったりする。
そしてその税率はカリフォルニア内でもカウンティーによって異なる。サンディエゴカウンティーの税率は8.75%。サンノゼ(サンタクララカウンティー)の時は9.25%だった。

今まで住んでいた所の税率を調べてみた。
Dallas(TX)・Dallas(TX)  8.25%
Woodbridge(VA)    4%
San Jose(CA)      9.25%
San Diego(CA) 8.75%

ちなみにサンフランシスコは9.5%、ロサンゼルスは9.75%と軒並み高い。
そして有名な話だが、買い物するならオレゴン州。何故なら消費税が驚きのゼロだから。
それにしても何故税金の高いカリフォルニアが深刻な財政難になってしまったの?

日本の消費税は5%。この税率が妥当であるかどうかは、対象となる品で全く変わってくるだろう。
カリフォルニアでは食料品には消費税(Sales Tax)はかからない。

税金のお話、お次は固定資産税の予定。

退会したユーザー2010年07月20日 16:53
食料品は無税なのですか電球
知らなかったーーーexclamation ×2

個人的に贅沢品には税率あげてもいいと思っています
わーい(嬉しい顔)

BOMKAME2010年07月20日 19:37
えー、ではニュージーランドの場合・・・
食料品でも車でも「12.5」%でございます
内税だから表に出ないけどすごい数字です
更に近いうちに15%になります。
でもNZ政府に言わせると諸外国に比べると低い。というのが彼らの言い分です。

…生きるのに必死です。

kame32010年07月21日 00:34
holoholoさん

食料品に税金がかからないっていうのは、とても納得がいきます。
こちらの消費税は外食も税金対象です。しかしテイクアウトにするとかからない場合もあったり・・。いろいろと節税対策はありそうです。

私も贅沢・嗜好品と食料他生活必需品の税率は分ける必要があると感じてます。

BONKAMEさん

そりゃあ、ずいぶんお高いですねー。
それも一律15%なんて!
諸外国に比べると安い。。。。諸外国ってヨーロッパの国々を指しているのかな?
NZの物価自体はどうなの?いろいろ知りたいなあ~。


支払いが始まった

2010年07月23日13:26
家のローンの支払いが始まった。
今後我が家に果てしなく続くローンの支払いだが、今日はアメリカで家購入の際の支払いのお話を少し。

日本では家は自分の生活そのもの、一生ものと考える人が多いと思う。
しかしアメリカでは家は投資の一つ、個人財産の形成・生活水準アップと考えられている為、資産価値を上げようとリモデル(改築)をしたり、グレードアップの家の買い替えをする。日本の改築や買い替えとは少し考え方が異なるのだ。景気が好調の時は、不動産市場も顕著に活発化してくる。
今年の住宅差し押さえの物件は100万件を超える見通しだそうで、空前の多さとなりそうだ。本当の意味でのアメリカの景気回復はまだまだ時間がかかりそうだ。

我が家の住宅ローンは30年利率固定ローンだ。30年!驚くなかれ、このローンは標準型のローンで、非常に一般的だ。(アメリカにはその他15年固定ローンや金利だけを返すローン・景気によって変わる利率変動型ローンなどもある。)
ローンの支払い30年と言っても、ローンの書き換えなしに30年間ローンを払い続ける人は極端に少なく、多くは購入後4年以内にリファイナンス(ローンの組み換え)したり、物件を売りに出したりしているそうだ。
不動産物件を購入→リモデルなどをして物件の価値をアップ→不動産価値が上がったら売りに出す→新しい物件の購入→物件価値を上げる→売る

この手順で資産を増やしていくのが、一般的だった。『不動産は値下がらない』・・・アメリカ人の多くが信じていたこの神話が崩れてしまい、アメリカ経済が破綻したのだが、アメリカの不動産に対する考え方は基本的には変わっていない。
ただ数年前は単純に家は買えば必ず値上がりすると言われていたのが、最近では各物件ごとに現時点の値より下がらないかどうかが(誰もこれからの事は言えないけれど)焦点になってきている。
またアメリカの住宅事情を知ってびっくりしたのが、アメリカでは中古住宅も価値が大きく下がるような事はなく、築30年、40年なんて家はいくらでも売りに出てる。土地+家屋が何十年経っても査定対象となる。日本の中古住宅販売で、家屋はほとんど価値がないなんて言葉が頻繁に言われてるのとは大違いだ。

我が家のローンの利率は4.75%。少し前は7~8%だったから、良い時に借りられたというべきでしょう。実はローンタイプを30年固定金利型と決めた後も、ローン金利は確定しない。ポイントと呼ばれる融資手数料を払えば利率を少し下げる事ができるので、ポイントをいくら買うかを決めなくてはいけない。そしてポイントの支払いを決めた後、ローンに確定のロックをかけて金利を確定させる。金利は毎日変動しているので、いつロックをかけるかは時の運。月々の支払い金額もずいぶん変わってくる。
それにしても今の日本の住宅金融公庫の金利は、2.3%~3.2%。日本で借りたかったあ~。

さて、今回始まった支払いは、借り入れたローンの返済と固定資産税(Property Tax)の支払いをしている。固定資産税は年1回か2回まとめて支払うのが一般的であるが、我が家は借入先ローン銀行への月々の支払いに固定資産税の支払いも組み込んである。これはローン契約の時点で決めImpoundという処置を取る事によって、毎月支払う住宅ローンの返済額の中にエスクロー(預託管理)の形で銀行への税金預託支払額を含ませる。ローン銀行はエスクロー(預託管理)勘定に累積されてきた資金から固定資産税の納付を行う。このやり方でまた少し金利を下げる事ができたようだ。

固定資産税は物件によってその税率はまちまちで、その実態は私にはよくわからないが、カリフォルニアの固定資産税の税率は初年度は1%である。5000万円の家で年間50万円の支払い。この金額は侮れない。固定資産税はローンを組む段階で決して忘れてはいけない項目なのである。
日本の固定資産の税率は本当に低い。毎年来る納付書を見て、思わずニンマリしてしまう金額だ。
税額は日本と同様物件の評価額によって変わってくるが、一般的には毎年2%の増額があるそうだ。不動産価格が下落した状況下でも、固定資産税は上がっていく現状。これも手続きを取れば下げるのも可能と言うから、何でも知識がないとひどく損をしてしまうと言う事か・・。

さらに月々の支払いで見落とせないのが、HOA(Homeowner:s Association)の費用。アパートの共益費である。月々300ドル程の支払いに、ゴミ処理代・水道代・庭木の手入れ・プールの管理費等が含まれている。集合住宅も悪くない。

ずっとレンタルハウスに住んでいて何もわからず何も知ろうとしなかったけど、今回急遽家の購入となって、わからないながらもいろいろ学ばせてもらった。これも貴重な経験なり。

退会したユーザー2010年07月24日 01:07
こんにちは。落ち着かれたようですね。しかし固定資産税は頭が痛いです。我が家も最近、当局から評価額の通知を受け取りましたが、やはり税額は2%位はアップしていました。

米国の住宅は個人の資産でありながら公共財としての性質も高いですね。日本と比較すると、この国の不動産の流動性(換金性)が高いのは、驚くばかりです。不動産価格が高値を維持してきたのは、学校をはじめとする地域の公共サービスが、固定資産税を頼みの綱としているからで、税収を維持するためには何でも有りというか、バブル的な評価額を当局が捏造してきたからだと思います。その虚構に皆が相乗りしてきましたが、いろいろと破綻が広がっているのが現状なのでしょう....

kame32010年07月24日 08:09
umibouzさん

固定資産税の半分以上が公立の学校へ分配されると聞きました。確かに公立校の質には大きな地域格差があり、それは固定資産税と密接な関係があるのは理解できます。
が、「税収を維持する為の評価額の捏造とは!それはないでしょ!!」とは言えず、思わず納得してしまうのが、悲しいです。

保険にしても税法にしても、少し齧ると<うそでしょ~>って事が多すぎです。


それぞれの・・

2010年07月27日12:25
サンディエゴでの生活も1ヶ月が経過した。
大方の荷物も片付き、新しい住まいにも慣れてきたこの頃だ。

サンディエゴに友達のいない息子達は、荷物が片付いてすぐはする事もなく所在無げであった。しかしそれもじきに慣れたのか、少しずつそれぞれの趣味のスキムボードや写真、自転車などに時間を費やすようになっていった。

が、やはり友達が恋しい。
そんなある日の朝(7/22)、長男が「友達がこっちに来るプランしてるんだって。」と、うれしそうに話した。しかし夜になっても何の連絡もない。所詮気まぐれな若者だもの、プランはプランと長男も特に気にしている様子もなかった。
そして夜10時、「来ちゃった!家の前にいる。」と息子は携帯電話を片手に上気し階段を駆け下りた。サンノゼから3人の友達が来てくれたのだ。ちょっと出かけてくると出て行った息子達。しばらくしてリビングでぼそぼそと低い話し声を聞いたような気もするが、特に気にせず寝てしまった私だった。
朝になって、リビングにドカンと転がっている男達3人。ムム、困った。こりゃ何にもできないよ。なんせ狭い家だもの。
結局息子の友達は3泊して、サンノゼに帰っていった。その間海・ダウンタウンをフラフラ、公園行ってバスケット、家でBBQ他,夜はプールにポーカーや映画鑑賞と盛りだくさんに遊んでいった。日本では当たり前になってる大学生の飲酒は全くなしとは、見上げたものだ。
彼らは決してだらしない青年達ではないし、私に気を遣ってくれているのもわかるのだけど、リビングルームは大きなバックや靴が散乱、前庭のブロックにはビーチタオルのみならずパンツまで干してある(基本的に集合住宅では美観を損なう洗濯干しなどは禁止されてる)。狭い限られた空間の中で彼らの様子を見ていて、これが男子大学生のアパートや寮住まいの生活なんだなあってつくづく思った。いい物を見せてもらった。20歳、人生最高に楽しい時なのかもしれないなあ。そしてやはり長男にはルームメイトが必要だろう。一人暮らしは寂しいよ。

1日目の晩はリビングルームに寝た息子の友達だったが、翌日からは次男の部屋で寝る事ができた。
と言うのは、彼らと入れ違いに次男はサンノゼに行きしばらく友達の家に泊めてもらってる。
次男からは連日連夜、友達と最高の楽しい時を過ごしてるよと連絡が入った。はしゃぎ過ぎで運転には特に気をつけるようにと釘はさしたけど、どこまで聞いてるやら。

そして今日7月26日(日本は27日)は、娘が大学の寮を出る。夫が休みを取って荷物の引き取り手伝いに行くはず。
娘の1年間の留学生活が終わる。大学で何を学んだのかは全く知るところでないけれど、日本語が驚くほど上達したのが、チャットやメールからも確かにわかる。日本を訪問ではなく、生活の場として経験できた意義は大きいだろう。
娘は明日アメリカ行きの飛行機に乗る。彼女は何を思うのだろうか。

家族それぞれの世界がある。そしてその世界が少しずつ広がっていく。
皆それぞれにそれぞれの人生を楽しめたらと、切に願う。
これからの人生、自分も含めてそれぞれがどう展開して(させて)いくのか、非常に楽しみだ。

anton2010年07月27日 17:07
一人でいることを恐れる人にはなってほしくはないけれど、友だちと過ごす時間もまた、かけがえのないものですね。
お子さんたち、お友だちにも恵まれて幸せですね。
親の知らない世界が、どんどん広がっていくのね。
そうでなければ困るのだけれど。

kame32010年07月28日 02:47
antonさん

親の思いとは裏腹に、彼らは自分が楽しむ事だけを追い求めているように感じる事もしばしば。しかしそれが若いって事なのかもしれません。そしてそんな時期は人生のほんの一時。そんな彼らに自分の若かりし頃を見ています。
私が青春時代の友とこうして今を共有できるように、彼らにもいつまでも良い友達でいられる関係を築いて欲しいと思っています。
ありがとう!

退会したユーザー2010年07月30日 07:24
そうでしたか!過ぎてしまえばあっとゆう間の1年だったのでは?
日本語が驚くほど上達したって事は充実した日本の大学生活だったのですね目がハート

息子さん達も、遠く離れた友人達と再開して数日間を共に過ごされて充実された事でしょうわーい(嬉しい顔)
その、男らしい(笑)滞在ぶりってちょっと気になります手(パー)
家は、1人娘なのでこれから先も、こういった経験は多分(?)
出来ないと思います。賑やかで楽しそうです!

kame32010年07月30日 12:13
holholoさん

ホント1年ってあっという間ですね~。
実は娘は今サンノゼにいます。次男もまだサンノゼです。彼らがサンディエゴに戻るのは、来週の予定。私はどこに泊まっているのかもよくわからず・・・。
こちらでは18歳を過ぎたら成人扱い。親の傘から出ているので干渉するなと言われますが、何をやっているのか、やはり気になります。
で、今回家で垣間見た若者達の数日間の様子は、非常に興味深いものでした。家にお友達が泊まるという事は時々ありましたが、広い空間だったし、朝から晩まで一緒で3人連泊なんて事はなかったから・・。これも今回の引越しゆえ。結構面白いものを見せてもらいました(笑)。