桜の花に悲哀や郷愁というか、物悲しさを感じるようになったのはいつからだろうか。友人は「心が反映してるのかも?」って言った。娘は“the fleeting nature of it “ と表現した。
あと数日で散ってしまうであろう桜の花に、思わず手を合わせたくなる。最近手を合わせると心が落ち着く。
若い頃には思いもしないような感覚に驚くこの頃である。
@益子〜真岡
近場にこんなに素敵な所があった。
回ったお店は鹿沼-大田原–那須烏山–真岡。途中道の駅「ろまんちっく村」や酒蔵「天鷹」にも立ち寄った。
それぞれ人形店ごとで、お節句に纏わるいろんな話が聞けた。
武士が台頭してくる鎌倉~室町時代になって、虫干しや手入れのために出された兜や鎧が、次第に端午の節句として身を守るためのお守りとして飾られるようになったとか。五月人形の兜や甲冑には、身を守ってくれる願いがこもっているようだ。
さて、4店舗それぞれかなりの時間をかけて見学し、私たちは何を手に入れようとしてるのか、おおかた見えて来た。
数十年前の田舎?では、着用鎧が人気だったらしく、その存在感は抜群である。アメリカの家に飾られた着用鎧は相当なインパクト。着用兜もある。これはちょっと面白い。ハロウィンで着たら人気者になれる?
最近の兜はそのほとんどが収納できるBOX付き。日本の家屋には最適と思われる。が、我が家はアメリカに送る。大きく重い兜はその送料が恐怖となる。
とまあ、ああだこうだ考えて決まった兜は、BOXなしのコンパクトな兜と相成った。
先日名入れの旗も仕上がって、娘の所に送れる準備が整った。今から宅急便で送れば間に合うかな。
31年前オランダで長男が産まれた時、母が息子に贈って(送って)くれた兜に亡き母の思いを今になって噛み締める。そして今私は亡き母がしたように、孫の健康を願って兜を贈る(送る)。
出産の手伝いに行く事もできず、早8ヶ月。早く会いたい。
さて鯉のぼりにはどんな意味が?
鯉のぼりは江戸中期まで武者絵のぼりの付属品として登場していたらしい。武者絵のぼりの起源は「旗指物」武士の軍旗である。
栃木に引っ越して来て、家のすぐ近くを散歩中「武者絵のぼり」を見た。大きな泳ぐ鯉のぼりは田舎ではよく目にするけれど、民家にはためく武者絵のぼりを見たのは初めてだった。
節句飾りも決まった3月17日栃木県市貝町をサイクリングした。観音山梅の里から全国で唯一の武者絵資料館という大畑武者絵資料館まで足を伸ばした。大畑伝統武者絵は江戸時代から300年の歴史をもち、今は三代目大畑耕運氏が制作にあたっている。
昨秋 アメリカから帰国して10年が経った。我々の年齢だと、子供が結婚したり孫ができたりのおめでた事と、親や身内との永遠の別れの頃でも。。
帰国後すぐに買い揃えた白物家電 10年経過で最初におかしくなったのは冷蔵庫だった。冷凍庫がうまく冷えない。幸い冷蔵庫は使えていたし、冬期だったのであまり危機感はなかった。でも不自由。買い替えとなった。
3月に入り、洗濯機の排水がうまく機能しなくなった。夫がチェック修理しようとしたが、部品がなくてはどうしようも無い。出張修理部品交換で使えるようになった。メーカーは10年物で買い替えを薦めた。出張サービスで見てもらって修理しなければ出張費だけ請求される。幸い家には夫兼ハンディーマンがいるので彼の意見に従い修理してもらった。普通なら即買い替えとなるであろう。しかしこの洗濯機あと何年もつか、、甚だ不安である。
1月にテディが亡くなり、生活様式がガラッと変わった。
部屋に敷き詰められたマットを外し、庭へのアクセスブロックも段を減らした。花壇の柵もどんどん外し、テディ仕様はほとんど見えなくなった我が家。
テディと一緒に乗っていた車も手離し、老夫婦が遠乗りできる快適な車に買い替えた。
震災直後の工事だった太陽光パネル。東京電力の買取契約も10年で終了。来月からはぐんと買取額も下がる。充電器が有ればと思ったけれど、充電システムってめちゃくちゃ高いのね。
ちなみに今日は勝手口(死語?)駐車場のコンクリート塊の撤去工事をしてもらっている。かなり煩い。最初夫は自分でやる?なんて言ってたけど、この騒音何日も続いたら近所迷惑だ。
次におかしくなるのはエアコン?テレビか?電子レンジと炊飯器は買い替えているのでまずは安心?うーむ、昔はなかった便利家電。もうなくては生活できない私たち。恐怖だ。
先週末 温かな春の日差しの中、渡良瀬遊水地に自転車を持って出かけた。自転車乗りは今年になって初めて。初乗りの走行距離は上出来の23.3km。秋に転倒して以来のライドである。この時の転倒はシダーローズ(薔薇型の松ぼっくり)の木を探し高木の上を見ていての転倒だった(・・;)言い訳すれば、、カーブは認識してたけど段差には気付かなかったのだ。幸い捻挫で済んだけど、私の不注意は歳を取っても変わる事はない(><)一体いつまでこんなバカな怪我ばかりしてるんだか。。って話はどうでもよくて、渡良瀬!気持ちを引き締め自転車乗りをした。コウノトリを見た。見たと言っても双眼鏡で人工巣塔にその姿を確認しただけだけど。
2月21日 家から30分、真岡市の五行川に白鳥を見に行った。ここは毎年大白鳥小白鳥合わせると200羽ほどが飛来してくる。こんなに沢山の白鳥を見たのは初めてだった。もうすぐ日が沈む。なんて美しい事か!
山に上り高い所から関東平野を一望する事多し。疲れを感じながらも、小さな町や道路、畑を俯瞰するのは実に気持ちの良いものだ。遠くの山まで見渡せるのは、今の内かな?もうすぐ霞がかかり、夏場は山も遠くなるものね。
写真を並べてみたけれど、もう何処が何処だか わからなくなってしまった(^_^;)
@足利織姫神社、筑波山、佐野唐沢山、三毳山
春告草(ハルツゲグサ)は、梅の別名。なんて風情のある名前でしょ。
どちらかと言えば 桜より梅が好き。ゴツゴツとした枝ぶりが好き。万葉集には、梅が120首、桜は40首詠まれている。古代中国から渡って来て彼らが愛でた梅は白のみの小輪で八重咲はなかったとか。
梅を見に行った。
水戸市 偕楽園と弘道館(2/20)この日は梅はまだ2分咲き。ネットによれば、3月5日の今日はほぼ満開になってるようだ。
2月のお出かけは、市貝.馬頭.三毳山.益子.足利.ひたちなか.水戸.真岡.筑波そして佐野。今のところ栃木県内近場と茨城ちょっと(^^)日本中行きたい所はたくさんあるな。そして何よりアメリカに行きたい。一体いつ行けるんだ?踏ん切りがつかない。
佐野市にある唐沢山神社で、『水琴窟』なるものを知った。
Wikipedia によれば「水琴窟(すいきんくつ)は、日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する機能をもつ。
味気ない説明だが、水琴窟実に味わい深く不思議な音色を奏でる。その起源は江戸時代まで遡るらしい。
佐野市には30近い水琴窟が設置されているとか。
「蹲(つくばい)」「ししおどし」そして水琴窟。日本の文化、伝統工芸って実に魅力的だ。水琴窟はその造形美だけでなく、あの涼しげな音が描き出す不思議な余韻。人混み多く騒がしいこの頃では、なかなか味わう事のできない至福の音色に感じた。
折り紙、ボケ防止にとても良いらしい。それでも先日図書館で借りて来た折り紙本は、私にはとても難しく敢えなくギブアップしたが、これならできる:)
折り鶴の思い出はいろいろある。
25年前闘病中の母に子供達と千羽鶴を折った。病室に飾り最後はお棺に入れてもらった。テキサスで仲良くなって折り紙に興味を持ってくれたパティには手作りの折り紙教本を差し上げた。子供達と拙い英語の手順を書いた。それぞれのページにはその過程折り紙を貼り付けた。あの本がどんな出来栄えだったのか、もう見られないのがとても残念だ。小学校ではボランティアで鶴の折り方講習もした。旅行に行くと、お部屋にタオルで鶴を折ってベッドに置いてチェックアウトした。最近では、ボランティアしているお喋りサロンで変わり鶴をいくつか習った。
こんなに私の生活の一コマに出て来ていた折り鶴いつどんな形でできたんだろ?調べてみよう。
四十九日も近い。西日本では満中陰と言うとか。初めて耳にする言葉である。
鎮魂の折り鶴をテディに献ぐ。
追記 >この記事見つけた。
『折り紙は贈答品を包装する武士の礼法として室町時代に確立した。この時期の和紙は長方形が基本なので、礼法の流派ごとに定めた縦横の比率を正確に習わないと折れなかった。
江戸時代になると折り紙は町人の間に普及し、特に女性の人気を集めた。中でも折り鶴は正方形の紙を使い、特別に習わなくても折れるため広まったという。』
一般市民にも広がっていった日本の伝統工芸。素晴らしい!