2020年2月19日水曜日

壬生お殿様料理と西方城

晴天穏やかな水曜日。
隣町『壬生』のお殿様料理を食べに行った。

因みに、壬生町は数々の遺跡があり、戦国時代寛正3年(1462)壬生氏によって壬生城が築かれた。その後 徳川家のおもてなしの宿城として、北関東の要衝としての城下町および宿場町として栄えた。
近年 壬生藩四代藩主鳥井忠てる(ただてる)の御献立帳(女中が記録)が発見され、その献立を元に現代風にアレンジされたのが、壬生お殿様料理。されさて、、
これは楽しい!美味しい。時空を超えて食してる🌪

※記憶に留めたいミニ情報
近江国水口藩から下野国壬生藩に国替えになった鳥居忠てるが、干瓢の栽培を奨励したことが、今日の栃木県の干瓢生産の興隆につながっていた。近江の国から下野国へ、干瓢の産地が移った。現在栃木は国内干瓢生産の8割以上を占めている。





満足のお食事の後は、軽くウォーキング👟
ここは行くべきと薦められていた『西方城』に行った。壬生町からは車で15分のドライブだ。
想像以上の急坂を登る。竹林を過ぎ、杉、熊笹、藤、いっぱいのシダの山道。きつい。この城を攻めるにはさぞ大変であろう。20分ほど歩いて、頂上到着。壬生に街を展望できる。500年前にタイムスリップ。。。螺貝の音が聞こえる〜〜。





























参考資料)西方城は宇都宮氏の一族である西方景泰を祖とする西方氏の居城です。皆川氏の領域と接する境目の城でしたが、1515年(永正12年)に宇都宮忠綱が皆川宗成との戦いで敗れた際に、この城も落城しています。その後、1585年(天正13年)に宇都宮国綱が佐竹義重の支援を得て皆川広照から城を奪還しましたが、1597年(慶長2年)に宇都宮氏が改易された際に廃城になったと思われます。現在城址は西の丸部分がゴルフ場開発のために消滅しているものの、その他の曲輪については土塁や空堀、竪堀などの遺構が良好に保存されています。登城口は東麓の長徳寺にあります。〜攻城団より

2020年2月16日日曜日

ザゼンソウ初見



ずっと気になっていた植物 春を知らせる『ザゼンソウ』に会いに大田原に行ってきた。
小雨降る中、栃木県北部の田園風景を眺めながらのドライブ。お天道様が出てこないのが叙情豊かで心落ち着く。この辺りは宇都宮近郊の田舎とはだいぶ異なる。

福原と北金丸のザゼンソウ群生地を歩いた。まだ咲き始めで数は少ないものの、人影少なくゆっくり楽しむ事ができた。臭気を放つというザゼンソウだが、木道からは匂いは感じない。英語名はskunk cabbage (スカンクのキャベツ)花のイメージはずいぶん違う(><)
花言葉は「沈黙の愛」「ひっそりと待つ」写真に撮られるのは好きではないようで、多くが木道に背を向けていた:)









ザゼンソウ
「本州,北海道,アジア北東部の湿地にはえるサトイモ科の多年草。全体に不快な臭気がある。根茎は太く,葉は根出し,卵状心臓形で,長さ20〜30cm。紫褐色の卵形の仏炎包の中に,楕円形の肉穂花序をつける。花は両性。花被片4個,おしべ4本,めしべ1本。花序と仏炎包の形が,僧が座禅をしているように見え,この名がある。」コトバンクより引用

2020年2月15日土曜日

ジャム作り

先日大量のキウイをいただいたので、全部ジャムにした。3瓶。
その前にお隣に彼女の友人からの手作りイチゴジャムをもらった。私には甘過ぎたので 冷凍マンゴ-入れて煮直した。2瓶になった。
昨日巨大レモンを産直所で見つけた。1個買ったらもう一個くれた:)半分は剥いて冷凍。半分はジャムにした。また3瓶できてしまった。
夫は私をジャムおばさんと呼ぶ(・・;)