【食】
自分は食に対しかなり貪欲と思っていた。美味しいと聞けば飛んで食べに行きたくなったし、食材にもこだわりがあった。しかし私にとって食べる行為は誰かと共にというのが、前提だったようだ。
子育て時代は、大喰らいの子供たちにせっせと食べさせた。海外生活を理由に日本食を嫌いにさせたくなくて、日本食にもこだわった。幸い子供達は好き嫌いなく、国際的な食を楽しむようになった。
夫と二人の生活になって、食事は居酒屋のような魚と野菜中心のつまみ料理になった。日本酒に合うつまみがほとんどだった。次男が一緒に住んだ半年間はボリュームを倍加、肉中心の食事になり買い物のパターンも激変した。
引越しが終わり、息子がアメリカに戻った4月中旬、私は少しの間一人暮らしを経験した。自分の為の食事を作るのは、なんとエネルギーがいる事か。結局私は誰かがいないと、食事もろくに作れない。しかしそれではならぬとそこそこ作った。だけど煮物は何日間も食べなくちゃならないし、半分のキャベツだって消化するのが大変だ。かと言って、一人外食をする気もせず、まあ適当にの食事になってしまう。
結局私は食に貪欲というより、人との繋がりに食の重要性を感じていたのかもしれない。
さて、写真の茄子の説明を少し。。
先ほどカートいっぱいの買い物をした。駐車場で、車にせっせと積み込んでいた時、年配の女性に声をかけられた。
「奥さん、ピーマン買いましたか?」突然の問いに驚いた私「はい。買いました」
女「カートから落ちましたよ。カートの片付けの人に預けましたら…。」なんとその女性はそれを言うために、私を追いかけて来てくれていたらしい(駐車した場所は遠かったのにもかかわらず)。
私は落ちたとは気づかず、たぶん家に帰ってもないと気づかなかったと思う。
こうして、私に料理されるべくピーマン3個は無事私の手元に戻った。ありがたい事だ。
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