白いものを見つけて
2011年05月01日12:24
昨晩からまた余震が頻繁に起きている。良いのだか悪いのだか、揺れに慣れてきて多少の揺れではあまり動揺もしなくなった。
しかし揺れに敏感なテディーは少しの揺れにも落ち着きをなくす。地震を察知するとすぐにウロウロ始まり揺れが強いと急いで2階に駆け上がって行く。外にいる時は慌てて家の裏側へと走る。巨大地震の際はほとんどパニック状態で私のコマンドも容易に聞こうとしなかった。匂いには疎いテディーもドド~ッと感じる地鳴りは人間より強く感じるのだろう。
短時間ではあるけれど私は仕事を始めたので、テディーは留守番をする機会が増えた。大地震の時に一番被害の大きかった本棚のある部屋は、外出の際には必ずドアを閉めて、いつも何事も起こりませんようにと祈るような気持ちで出かけている。
3月11日は、いつまでも続く強い揺れ・停電、夫とも連絡が取れず本当に不安な時を過ごした。今何をするべきなのか。避難の準備?まず私がしたのは、携帯電話の充電の確認だった。メールも電話も繋がらない状態の時に、何度も連絡を取ろうとしていてはどんどんバッテリーがなくなってしまう。電気の回復はすぐに望めそうもない。その後車から充電できる事を思い出しケーブルも見つけほっとしたのだが、連絡の手立てがなくなってしまうかも・・という恐怖は想像以上だった。
次に、テディーのお薬をバッグに入れた。もちろんリーシュも一緒にだ。逃げる時はいつも一緒、しかし欠かすことの出来ない癲癇薬がないと、一大事を乗り切れない。テディーに何かあれば私は冷静でいられなくなる。
そうこうする内にどんどん日が翳っていく。キャンプ用のランタンとろうそくを用意した。寒さ対策にしっかり厚着して布団もすぐ使えるようにした。石油ファンヒーターも使えない。電気がなければ暖を取る方法が何もないと知った。
今回の巨大地震が日中だったので、停電はしていても夜に向かうこれらの準備が簡単に出来たのは幸いだった。
帰国して5ヶ月足らず。これからゆっくり日本を楽しもうと思っていた矢先の地震だった。
地震後夫は水戸に出張に行き休みなく復旧作業に携わっている。睡眠時間も極端に少なく土日も休暇もなしに働いている。そんな状況に体は大丈夫なのかと心配になる。が、原発で働いていらっしゃる方々のご苦労・そのご家族の心労を思うと、申しわけない気持ちでいっぱいになる。
これからどうなるんだろう。先の事は全くわからない。
最近テディーの眉毛やひげに白い物を発見した。テディーは7歳9ヶ月。人間で言えば47歳くらいかな。生後2ヶ月から我が家の一員になったテディー。その彼も今じゃしっかり中年犬だ。人間より早く年をとってしまう犬。なんだか自分自身の白髪を見つけた時より、妙に悲しくなってしまった。
テディーの白髪を見つけて、時の流れを感じた。一日一日を大切にしなくては。
JettaZ332011年05月03日 20:30
ご無沙汰しております。
ご主人も大変そうですね。
私も異国の地で、休みも無く働き尽くめです。
一期一会、年を取るとこの言葉の重みを益々強く感じます。
前向きに、後で後悔しないような日々を是非送りたいですね。
kame32011年05月04日 19:50
<一期一会>本当にそうですね。
何という事もなく見過ごしてきた事が、妙にいとおしく大切に思えて来るこの頃です。
子供達は今
2011年05月05日08:29
帰国して半年が過ぎた。
子供達はそれぞれの大学生活を楽しんでいるようだ。
次男は日本太鼓のクラブで活動してる。
練習はとても厳しいようで、授業はそっちのけで(?!)特訓らしい。運動量も多く始めた当初は筋肉痛にも見舞われたとか・・。
サックスを全く吹いていないのは、寂しい限り。。。
長男は今も写真を撮っている。最近サーフィンも始めた様子だが、スキムボードでは飽き足らなくなったのかな。おまけにバンド(ベース演奏)にも参加して、ミニコンサートもあったとか。。。
娘はバイトにボランティアにと忙しいらしい。大学院の勉強はひたすら本読みだとか言っていた。クラスでは娘が最年少だそうで、学ぶことは多い半面プレッシャーもあったりで苦労も多いのかな。最近メール来ないなあ~。
昨年9月に始まったそれぞれの大学生活も、もうすぐ最初の1年が終わる。単位の修得が難しいと言われるアメリカの大学できちんと学べているのだろうかなどと、気になるところではあるけれど、皆元気で楽しく学生生活が送れていればそれだけで素晴らしいことだよね。
難しいカタカナ語
2011年05月10日20:45
公文でバイトを始めて早2ヶ月半。少しずつ慣れて来たところではあるけれど、まだまだ戸惑いの日々だ。
私の話す言葉が簡単に子供達に伝わらない。
誤「フォールダーを見せて」
正「ファイルを見せて」
誤「これはクラスでやったのかな?こっちはホームワークね。」
正「これはお教室でやったのかな?こっちは宿題ね。」などその例は山ほど。
これってめげるのよね~。
出来るだけカタカナ語を使わないようにと心がけているのだけど、どうしても使ってしまう。
実際日本で浸透しているカタカナ語(英語や和製英語)をわかってないから、毎日迷いの連続なのです。
神経質になってくると、突然頭が空白になる。何を言ったらいいのかわからなくなってしまうんだ。
根っからの日本人。日本語しかまともに話せないのに、その日本語もおぼつかないなんて。
そして言葉の問題だけでなく、文化も習慣も16年間のブランクはやはり大きいなって感じるよ。
まだまだ逆カルチャーショックは続きそう。試練は続くって感じだわあ~。
anton2011年05月11日 02:46
ご苦労お察しいたします。
テンポの早い教室内での会話だと余計、焦るよね。
公文独特の用語もあるだろうし。
日本しか知らなくても、子ども(幼稚園児や小学生)との会話には苦労しそう。
ズックなんて言っても通じないもの。
私の場合、カタカナ語以前に、あ~あれなんだっけ、あれあれ、という状態が日常化しつつあるので困りますが、それは問題が別か・・
kame32011年05月11日 10:46
家庭内や友達間の会話は、何も考えずに話しているのですが、外に出るとやたらに緊張します。
教室以外でもこんな時はなんていうの?っていう場面も多く、アメリカで英語が通じなくて困ったのとは違う焦燥感に苛まれている状態です。
日本での生活に慣れるのに、バイトを始めたのは良かったと思っていますが、めちゃくちゃ疲れる~~。
完全にアジャストするのはいつになったら・・・。(こんな時もアジャストという言葉が出てきてしまう。適合というのかな?でも適合というと、とても固いイメージ。単に慣れるといえばいいのかしら?)
英語もしっかり話せないのに、英単語が浮かんでくるなんて最低!自己嫌悪です。
憂いの年頃
2011年05月28日21:46
夫が復旧作業で出張に行って1ヵ月半が過ぎた。1週間か2週間に一日洗濯物を抱えて家に戻って来たものの、ずっとテディーと二人(?)の生活だった。
最初は一人ご飯を作るのも面倒で、スーパーのお弁当やインスタントや冷凍食品だった。食事の支度をしないから、買い物にも行かず洗濯は3日に1回、掃除もほとんどしなかった(笑)。しかしそんな食生活にも飽きて、ちゃちゃっとできる簡単な食事は作るようになった。それでも一人暮らしはやらなくてはならない主婦業はない(単に怠け者なだけだけど・・)。
テディーがいてくれて良かった。テディーがいるから散歩はするし、彼のご飯や薬の時間は常に気にしてる。
一人の生活、いろんな事を考えた。帰国して半年。逆カルチャーショックはさらに大きくなっていくばかり。今まで子供たちがいて、ただただ何も考えず子育てをしてきた。帰国しひたすら生活を落ち着かせようとしてた。少し生活基盤ができてきたと思った所で地震、そして夫の出張。与えられた莫大な一人の時間。
テディーと二人きりの暮らしは寂しい。ましてや一人ではとても生きていけない。生かされているんだなあって思う。でも私の役割って何?
などと、3.11の地震、津波、原発・・・とも相まって悶々と思う日々。夫との別居生活ももうすぐ終わるはずだけど・・。
葛桜れい2011年05月29日 13:15
やっと、風邪が治ってきたので遊びに来ました~
旦那様の出張、随分と長いのですね。本当にご苦労様です。
息子たちも、子供と呼びづらい年になっても心配は続くけど、もう、自分のことを考えなければと、思っています。
やっぱり、地震以降でしょうか***
ヅルヅル過ごしている事に、罪悪感を感じます。
自分探しの旅には出れないけど、生きがい探しに、ウロウロしようかなー
kame32011年05月29日 17:53
れいさん
風邪が少し良くなってきて良かったですねー。寝ることもできなかったのではさぞおつらかったと思います。このまま一気に治してくださいね。
そうですね。私達の年齢は第2の人生がスタートする時期なんですよね。そしてこの震災・・我々は何を思い何をするべきなのか・・。柄にもなく考えてしまいます。
夫婦二人の生活から子供が一人ずつ増えて行って、気がついたらまた夫婦二人の生活になってる。ホントあっという間の事でした。でも基本は夫婦と思っている。それならできるだけ夫に優しくしなくちゃかしらね(笑)←反省。
夫ももうすぐ戻るので、よろしかったら遊びにいらっしゃいませんか?
葛桜れい2011年06月01日 14:50
ありがとうございます。
kame3さんに、会えるのを楽しみにしています。
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