2004年12月31日金曜日

2004/12

12/1(水)くもり

ついに12月。
絵里のSAT Ⅱ Japaneseのテストの結果が送られてきた。 SATのテストは800点満点。内容はReading(読み)Listening(聞き取り)Usage(慣用句)に別れている。絵里が言うには思ったより漢字が多く、聞き取りも1回でやらなければならないのできつかったそう。
絵里の成績は750点。この成績に絵里は不満気だが、日本の学校にも行かず第1言語は英語になってしまった今、私は立派だと思う。
ひるがえって、宏人と研人にこのSAT Ⅱ Japaneseテストをパスする事ができるのだろうか?合格ラインは650点(だと思う)。
最近では3人ともほとんど日本語の勉強をする時間が取れず(私がやる気をなくしているのが大きな原因)、今後日本語が進歩する事はまず考えられない。
しかし二人にもしっかり日本語を教えた方が良さそうである。というのも、日本語を履修した生徒が大学入学選考で有利となる制度が2006年秋から導入される。 米国の大学では、学校別の筆記試験がなく、全米共通の学力テスト(SAT)などを通じて合否が決まる。この際、高校で特殊な科目を履修した生徒に対し、その単位を大学で取得したものと認める事前単位登録(AP)制度があり、非営利教育団体である”Colleage Board(カレッジ・ボード)”が科目を決めている。
Leland高校で絵里も宏人も外国語にはフランス語を取ったが、言語能力が決して高くない宏人にはフランス語はきつい。しかし、自分はできると思っている日本語でいい点が取れないのはストレスだろうと、あえて日本語のクラスを取らなかった。だが、せめてSATのテストをパスできるぐらいに日本語を身につけさせないと・・・。
絵里はフランス語のSATⅡFrenchもパスする事ができたらすごいんだけど・・・。
3時、研人歯科検診。虫歯になりかかっている歯が2本。どうして研人ばかりが?と尋ねると、虫歯になりやすい人となりにくい人がいるそうで、これまた体質。どうしようもないそう。
絵里、アートクラス。忙しい中でも絵を描いている時間は息抜きになるらしく、喜んで行く。

 

 

12/2(木)くもり

研人は学校から帰ってきて頭が痛いと渋い顔。今日はRucksのサッカープラクティスの日。練習はCampbellまで行く(30分近くかかる)のでカープールで参加していて、今日は私が往復ドライブをする日。練習を休みますのでいけませんとは言いにくい。それでなくてもState Cup(州大会)を目前にしたRucksの練習は真剣みを増し、練習に少しも遅れる ことはできない。
お客さん参加の研人のいい加減さでカープールをしているJamesやEricを巻き込む事もできず、困った。。。とりあえず、おやつの昼食(帰宅後の3時にランチを食べる)を食べさせ、薬を飲み出かけるまで寝るように言う。
なのにぐずぐずと一向に横になろうとしない。。。いらいらする。4時15分起こす。まだはっきりしない。ただ眠いだけのようなので、支度を急がせる。そんなにまでしていく必要があるのか?研人が行かなくても私が二人を連れて行けば良いだけの事?そうしたら、James達のママは気を遣ってしまう?そこまで考える必要はない?頭がぐるぐる回るばかりで時間がどんどん過ぎる。
追い立てるように研人を車に乗せ、James達を迎えに行く。 7時、お迎え。
頭痛は治って楽しくサッカー練習ができたそうだが、練習終わり間際に、両目に指が入った(かなり激しい練習らしい)らしく、真っ赤な目をしている。Danからも様子を見てくれと言われる。家に帰って洗浄、目薬で、だいぶ良くなった。
宏人はアートクラスへ。また準子さんに連れて行ってもらう。いつもお世話様です。

 

 

12/3(金)晴れ

子供たちのPrgoress report(中間発表の成績表)送られてきた。
絵里のEnglishの成績が相変わらず上がらない。夏休みの課題でDやFを取ってしまったのが未だに響いている。今まではちょっと勉強すればすぐに成績を上げることができたのに、うまく行かない事に、絵里は苛立ちを感じ、つらい時を過ごしている。
宏人も軒並み成績が下がり、私の気付かぬうちに(最近全くチェックしていなかった)、AはPE(体育)のみ、得意なMath(算数)もB+とは情けない。宏人は全く頑張っているようには見えないから「せめてMathとBiology(生物)ぐらいはAを取る努力をすれば?」と言ったら「It's OK.」ときた。何が”It's OK”じゃ!
最近の旦那が宏人によく言う言葉「人生あまく見てんじゃないぞ。」ホント宏人は人生あまく見てる。宿題も数分で仕上げてとてもきちんと出しているようには見えないし、”そんなもん”てな態度がそこここに・・・。人生なめんなよ!
そして研人。7年生の研人は今回もストレートA。また絵里や宏人に”Teacher's Pet”と言われ、からかわれている。”Teacher's Pet”じゃなくて、単に真面目なマニュアル人間なんだと思う。
絵里、目医者で再び目の検査を受ける。まだ炎症が見られコンタクトをつける事ができない。眼鏡の生活にもだいぶ慣れてきたようだが、そんなに傷ついていたのかと、おかしいと思いながらもコンタクトを入れていた事を反省する。
7時、研人のサッカーチーム”Explosion”のパーティーがChevy'sで開かれた。 9時からのホッケーゲームに行く宏人も連れ、研人と参加する。 秋のリーグの成績は最終的には14チーム中3位に終わった。2位が確定していた物と思っていたが、得点数で及ばず3位。決定力のなさが順位を落とした。結局研人は今期1点も上げることができず、ゲームでの弱さを露呈した感じだと私は思うが、本人はそんな事を気にしている風もない。チームの仲間と楽しく談笑、ディナーを食べる。
WarrenのパパTinが写してくれたプロ顔負けのサッカーショットは、研人をものすごく上手なサッカープレーヤーに見せてくれる。
一人一人にトロフィーがコーチから手渡されるのを見ることなく、私は宏人をゲームに連れて行く。研人はTinに送ってもらう。
9時、宏人高校ホッケーゲームvs Live oak(負けなしのDivision3では最強のチーム)前半10分まではLelandも健闘していたが、点数を続けて入れられギブアップ。3-10の大差で負け。ホッケーはゴーリーが命(サッカーもそうかもしれないが)。長身のゴーリーBrandonは極端に足元が弱い。低い球を次々決められる。 これで6チーム中5位決定。後半の試合はまずまずの出来だっただけに、少し残念。

 

 

12/4(土)晴れ

絵里は期日の迫っているプロジェクトAの為、MLKの図書館へ。
2時宏人ホッケーゲームvs Capitals。一方的な試合運びで、相手は中盤からは全くやる気を失くしている。が、後半残り時間あと5分になって、1点でも取ろうと必死になって攻めてくる相手チームの勢いに押され、2点を失う。結果的には、14-2の勝利。
このゲームの途中、家でお留守番をしている研人から電話「TeddyがまたSeizure(痙攣発作)を起こした!」薬を飲んでいるにも関らず、発作を起こすTeddy。発作自体は1分足らずの軽いもののようだが、先週に続き今週も起こすようでは、薬は効いていないのか。 帰宅後前回の発作と同じようにエクストラの錠剤を1錠飲ませる。
8時、研人インドアサッカー第1回目の試合。 インドアで参加しているRucksにはWhiteとGreenの2つのチームがあり、研人はWhiteのチームに属している。そしてきょうのゲームはRucks同士WhiteとGreenの戦い。これが実にすばやい動きで面白い。今までこんなインドアサッカー見たことない。ゴーリーとして呼ばれたんだろうけれど、結局ずっとフィールドでプレー。こりゃあ良い運動、練習になるよ。
研人は精神的にずいぶん頑張れるようになってきたのか、負けまいという気迫が感じられる。結果はシーソーゲームの状態の後、Greenが立て続けに点を重ね、勝利。
ゲームを終わって足を引きずり半泣き状態で来る研人。大柄の選手とのボールの取り合いで、足の指を突き指した様子。この痛がりようでは折れているかと心配する。しかしゲーム中は全く足を負傷しているなんて見えなかったから、研人もずいぶん立派になったもんだ。Rucksの練習に参加してゲームに出てたくましくなっていく研人を誇りに思う。
家に帰って足指をチェック。足指の付け根が腫れ始めている。氷で冷やす。とりあえず、しばらく様子をみよう。

 

 

12/5(日)晴れ

特にこれといった予定もなくゆっくりした一日だったが、絵里はそうもいかない。
お父さんとドライビングの練習をした後、今日もMLKの図書館に行く。今週の火曜日。その他にも宿題やテストが目白押しで、絵里は目を白黒させて頑張っている。
金曜日の研人のサッカーチームのパーティで、すでにカレッジに行かせている子供を持つTimの話は、私の考え方を揺さぶった。きついのはジュニアイヤーだけだ。この1年しっかりやれば結果は付いてくる。やらせるだけやらせない。何も迷う事はない。やらなきゃいけない時にはやる、それだけ。。。。。彼の娘はUCBarkleyに行っている。

 

 

12/6(月)晴れ

2004年もあと少しで終わってしまう。クリスマスの飾りつけもしていない。相変わらずクリスマスカードも全く書いていない。今年は家々の飾り付けが去年よりも華やかな気がする。
4時、研人とVetにTeddyの血液検査を受けに行く。ここ2週間で2回の発作を起こしたことを言うと、ドクターのチェックを受けたほうがいいという事でしばらく待って、Dr. Miyamotoの診察を受ける。起こした時間が共に3~4時だった事を考えると朝の薬分の投与が足りないと、考えられる。そこで今回は血液検査を受けることなく、朝の1錠を1錠半に増やし、しばらく様子をみることになった。夜の分は1錠半でそのままの投与とする。
6時~7時、研人テニスレッスン。この時間のレッスンはかなり冷えることもあり、テニス用の手袋を探しているがなかなか見つからない。

 

 

12/7(火)雨のちくもり

夜中2時ものすごい雨風で目が覚める。そして停電。キッチンで寝ているTeddyはどうしているかと気になるが、様子を見に行けば甘えて寄って来るのは目に見えている。朝になって少し雨も収まる。
外に出てみると、ガーデンテーブル用の椅子がそこここになぎ倒され、パラソルが折れてしまった。大きなパラソルを開いたままにしていたのは失敗だった。他に危害が加わらなかったので、良しとしてパラソルはあきらめよう。しかしこの荒れ様ではTeddyの寝ていたキッチンは、ものすごい音がしただろうに。
昼前には雨も上がった。 絵里はバイト、アートボランティア。 宏人はアートボランティア、ホッケープラクティス。

 

 

12/8(水)雨 今日も雨

もう雨期に入ってしまったのだろう。うっとうしい季節の到来だ。
クリスマスの飾り付けをぼちぼち出し始める。毎年の事だが、月日の流れに付いていけない。クリスマスカードもぼちぼち来始めたが、私は全く書き始めていない。クリスマスショッピングにも出かけていないが、ラジオをかければクリスマスソング一色。
今年一年本当にいろんな事があった。そしてあっという間に終わってしまった(まだだ!)。これから先の事を考えると暗澹とした気持ちになってしまう。自分を元気付ける材料が欲しい。またヨガでも始めようかとも思う。
研人、テニスレッスンは雨の為、キャンセル。
絵里のアートクラス(6時半~8時)宿題に追われる日々には、毎日のバイト(3時~4時半)はきつい。けれど自分で決めたこと。やめるとは言い出さない。

 

 

12/9(木)晴れ

旦那様は、1年半ぶりの歯科検診。朝一番の予約で7時20分に出かけた。
研人、サッカープラクティスに行く。またDanにチームに入るように言われたようで、はっきりとした返事をしない事にはこれからの練習も行きにくい。研人はRucksの練習は楽しくもっといろんな事をどんどん教えてくれるとうれしそうだが、実際チームの一員になるのには消極的。確かのサッカーだけの生活になってしまい、それこそテニスもお遊びもできなくなる。今カープールでチームの子供達を乗せていて、彼らが話しているサッカーに関することは、あまりにシリアスで遊び心がない。こんなにもサッカー命にならなければ、参加できないのかと思えるほどだ。
研人はあくまでもお気楽人間で、何でも適当に楽しくそれなりにできればいいと、思っているので、チームには入りたくない様子。果たしてそれでいいのだろうか?
今日も、宏人のアートクラスの送り迎えを準子さんに頼んでしまった。

 

 

12/10(金)晴れ

今年のクリスマスはどんなふうに過ごそうか?
26日から30日にTahoeにスキーに行くのは決まったが、クリスマスの予定は何もない。
明日はキヤノンの年度末のパーティーがホテルで開かれるが、親しい人たちは皆日本に帰ってしまい、パーティは少しも魅力的でないので、欠席する事にした。それに代わって、良いコンサートはないものかとWebでくまなく探したが、これまたこれといってない。
Christpher Cross(2 0数年前の2~3曲のヒットがあった)には少し興味があったが、空席だらけの座席状況を見て興ざめとなり、行く気がしなくなった(勝手なもんだ)。
クリスマスらしく子供たちも連れてNutcracker(くるみ割り人形)の劇でも見に行こうかと考えるが、すでに見たことのある絵里は大反対。それに乗じるように子供達は乗る気でない。来年はドレスアップして旦那と二人サンフランシスコのショーでも見に行こうか(サンフランシスコのNutcrackerは評判がいい)。
絵里バイトの後、スターディーグループでお勉強。 宏人のホッケーゲームもなく、ゆっくりと過ごす。
宏人のインラインホッケーの靴を買った。これが今年の誕生日プレゼント。Sports Martで予定よりずいぶん安く買えた。ホッケーは道具代が高くついてかなわないが、だんだん買い方を心得てきた。

 

 

12/11(土)晴れ

土日の子供たちのTeddy当番(8時半おしっこに連れて行って、朝ごはんと薬をあげる係り)は、まだ続いているが、今日の当番の研人は朝寝坊で起きず、宿題をする為に早く起きた(!)絵里が代わって行っていた。
自分の失敗にショックを受ける研人は、しばらくふさぎこんでいた。それにしてもいよいよレポート提出まで日がない絵里は、お尻に火がついたのか、お休みの日までも7時起きして、お勉強とは・・・・。 その上、フレンチクラブの秘書をやっているから書類作りも忙しい。今日もクラブのパーティー準備に出かけるような事を言っていたが、仲間の役員も忙しいらしく、パーティーは適当に済ませるらしい。
10時過ぎお父さんとドライビングの練習をし、午後からは今日もMLKの図書館へ行った。 私達4人はこれといった予定も無く、クリスマスの飾り付けを始める。
まずは昨年は出す事ができなかったWinter Townの家並を客用ダイニングテーブルに並べる。いつの間にか家の数 も増え、今では10軒にもなった。
バージニアで作った台座は今も健在。満足な出来だ。
次はツリーを組み立てる。今の家になって手狭な為、クリスマス用品を全部出す事はかなわない。それでもクリスマスの飾りつけ一つ一つに思い出がある。

 

 

12/12(日)くもり

絵里は今日もMLKの図書館へ行く。最初は友達と誘い合わせて行っていたが、友達と折り合いが付く時間に毎度行くのは難しく、締め切りが迫って、一人で行くようになった。
私達4人は今日もクリスマスの飾りつけ。 ツリーにつける電球が足りない事がわかり、研人は自転車でSafewayやAceに安い電球を買いに走る。研人はまめによく動く。
クリスマスツリーにオーナメントを飾る。オランダで買ったクリスマスツリーは小さかったが、オランダからのオーナメントはどれも品があって気に入っている。その他、テキサスで手に入れたブルーボーネット(州花)のオーナメント。アメリカで初めてのクリスマスの年に教会から売りに来たキリスト生誕の物、旦那のシンガポール土産のオーナメント。毎年かけている子供たちそれぞれの写真入りオーナメント。去年からはTeddyの写真も仲間入りで、まだ4ヶ月のパピーだったTeddyは今とは全く違ったかわいらしさがある。
どのオーナメントにも歴史がいっぱい詰まっていて、ツリー全体としてはまとまりがないかもしれないが、これが我が家のクリスマスツリーだ。

 

 

12/13(月)晴れ

今週いっぱいで学校も旦那も年末年始の休みに入る。
絵里はテストやレポート提出で、まだまだホリデー気分には慣れない様子。
宏人はテストがあるとは言っているものの、ほとんど勉強しているようには見えない。
研人、テニスレッスン。
朝の散歩で得た情報。 最近、この辺り(El wood界隈)にコヨーテが出たそう。ウサギや猫の食いちぎられた死体がころがっていたとの事。Willamの辺りにもそういった話があるので、要注意。「犬は夜は家の中に入れた方がいいよ。」と、言われた。
少し離れた地域にコヨーテが出ていると言う話はずいぶん前から聞いていたが、我が家のすぐそばまで来ているとは・・・。山からえさがなくてどんどん出てきているのかしら。やっぱり怖い。
夜”Spiderman 2”を見た。前作からさらに笑い度アップ。アメリカならではの映画だと思う。次作も匂わせる終わり方が気になる。次も見るぞ~。
絵里はヒストリーの”プロジェクトA”なるプロジェクトが終わったと、歓喜。明日が締め切り。「あと2時間と言う所でできたね。」と言ったら、「明日の2時半までに出せばよかったんだから、充分間に合った。」だって。。。
そして宏人が「サイエンスのクラスで、レポートが間に合わないで、前の時間まで学校をさぼってやっていた奴がいる。」って、言ってた。まあいろいろな奴がいる。
旦那は早くにご就寝。頭がどうのとか言って、また調子が悪そう。。。。これはストレスから来るものだろう。ストレスに打ち勝つ方法教えて下さい。

 

 

12/14(火)晴れ

今年もあと少しで終わる。火曜日のクレイジースケジュールも今日で終わりか?とは言っても研人のサッカープラクティスは中止。
絵里はバイト、アートボランティア、テスト勉強と気迫の籠もった顔をしている。
宏人はアートボランティア、ホッケープラクティス。楽しんでいたバンド仲間が仲間割れしてしまい、宙ぶらりんの状態の宏人。誰かを誘うほど彼のベースはしっかりしたものではなく、また誰かに声をかけてもらうのを待っているよう。何だかはたで見ていて気の毒。シャイな宏人には引越し続きの中、趣味も一致して心を許せる友達作りはそう簡単にはいかないようだ。

 

 

12/15(水)くもり

8時半、ミニバンのTown and Countryがエアーバックのリコールを出したので、旦那と車をディーラーに持っていった。 修理は約1時間と言う事だったが、ついでに前右側から聞こえるファンベルトのきしむような音もみてもらうことにした。
12時を過ぎて、修理完了の連絡あり。その際前ブレーキのパットも擦り減っているので交換した方がいいと、言われる。 すでに来年の4月には6年、走行距離は5万5千マイルを超え、あちこちガタが来始めている。修理にはあと数時間かかるようだが、そのまま修理点検を続けてもらう事にした。 お迎えは絵里のアコードで行く。
7月に車を手に入れたが、私が実際に運転したのは今日が初めての事。目立たない小さな車で来た私を子供達3人とも、全く気付かない。が、小回りは効くし結構乗りやすくて、気に入った。
夕方になって、ディーラーから修理完了の電話。車は明日まで預かってもらう事にした。リコールの分の修理はただだが、締めて420ドルなり。車を持っていると何かとお金がかかる。それでもミニバン後数年は頑張って欲しいから、大事にしたい。
7時、研人のバンドのウインターコンサート。 サックスを始めて2年目の研人はアドヴァンストバンドで演奏した。去年のコンサートと比べ、格段の進歩。7曲演奏したがその内の一曲では、研人ともう一人のソロも少しあった。 勉強・スポーツ・音楽とそれなりに何でもこなす研人。器用貧乏ではなく、何に一番興味があるのかな。

 

 

12/16(木)晴れ

あと2日で学校も会社もお休みに入ってしまうという時になって、慌ててクリスマスの買い物に出かける。とは言っても子供達も中学・高校となって先生に差し上げるプレゼントを用意する必要もなくなり、アートのクラス以外特に習い事をしているわけでもないので、クリスマスショッピングはそうたいへんな事でもない。
昨日アコードを初運転してみて、小回りの効く快適さを気に入った私は、どこも混んでいると予測し、アコードで出かけた。決まった店をいくつか回る。アコードの難点は、混んだ駐車場では尚の事、見つけるのが難しい。白のセダンは山ほどある。なんてたって目立ってどこに停めたかわかるのは、ルーフにキャリアが付いたミニバンが一番。
3時に宏人の矯正歯科の予約が入っていたのを、すっかり忘れていた。気がついたのは6時過ぎ。。。。 5時~6時半。絵里と宏人はアートクラスへ。
研人はサッカープラクティス。
絵里は明日Historyの大きなテストがまたあるそう。最終日まで気が抜けないらしい。今年はお友達へのプレゼントも全く用意できず、まだホリデーモードになっていない様子だ。

 

 

12/17(金)くもり

ついに2004年の学校が終了。終業式なるものがないアメリカでは、ごく普通に一日を終える。
絵里は手にいっぱいのプレゼントを抱え、お迎えの私の車に乗り込む。そしてすぐにバイトへ。
宏人と研人は何のプレゼントも手にせず、全くいつもと同じ。
研人矯正歯科へ。ブレイシスの締めなおし。帰宅後Jamesを呼んで日本から頂いたサッカープレステ2を楽しむ。日本語の解説もOK。ゲーム好きサッカー好きの子供達には言語は関係ないようだ。
絵里はバイト先にAndrewが来て、一緒にGraceの子供達とクリスマスパーティを手伝った様子。その後二人でモールにクリスマスショッピング。Andrewのママになんと言って来ているのか気になる。
6時お迎え。モールはごった返し車がモール内に入るのも難しい。やっとの思いでTarget方向に向かうが係員の指示に従うまま、私の意思に反して屋上駐車場まで行かされる。せっかく来たのでTargetで少々お買い物。急いで車に戻り絵里との待ち合わせ場所に急ごうとするが、また係員の誘導のままモール内駐車場をぐるぐる回る。一体私は何をしているんだ。。。待ち合わせ場所に着いたのは6時40分。こんな混雑のモール駐車場は初めてだ。
それもそのはず今日から3日間はクリスマスショッピングのピークだ。
宏人は高校のインラインホッケーのプレーオフゲーム。相手はFremont。リーグ戦の成績は1勝1敗。勝てない相手ではない。しかし今日はいかにもついていない。こちらのきわどいシュートはことごとく外れ、相手のシュートはおもしろいように決まる。こちらのゴーリーが低い玉に弱く、そこをうまく突かれる。惨敗。秋のリーグは5位の成績で終わった。
旦那は会社の忘年会。お酒を飲むと運転できないので私が送って行く事も考えたが、結局残業後忘年会に合流となり、自分の車で行った。それにしても1年1回の忘年会が日本人間だけで行われるというのも妙な話。キヤノンUSAと言えども保守的な日本の会社であるらしい。旦那もいろいろたいへんなはずである。
旦那は11時過ぎには帰宅。お酒臭くない。 さ~て、明日からみーんなお休みだ!

 

 

12/18(土)くもり

2週間の冬休みスタート。
Teddy当番の絵里はゆっくり寝ていられない。
2時、宏人ホッケーゲーム。vs Hurricanes.今日も難なく勝ちゲームとなる。
絵里、アートインターンシップミーティング。
スキーショップ”Mel Cotton's Sporting"に行ってみる。宏人と研人のスキー用アンダーウエアーを安く買う事ができた。しかしこの店どうも不親切。特売品だったのでもう1セットずつ買おうと探すが見つからないので、「店頭にあったカートはどこですか?もう少し買い足したいのですが・・・。」言ったら、女店員「さあ?あなた知ってる?」と別の男店員に聞いた。男店員「ああ、あれはもうしまったと思うよ。外にないならね。明日また出ますよ。」私「・・・・・・」まだ4時なのに・・・どうやら見てきてくれる気はないらしい。これがアメリカ。こういう事に腹を立てては入られない。
夕飯を済ませ、研人のインドアサッカーゲーム(8時45分)に出かける。 圧倒的な強さで圧勝。相手をもてあそぶかの様な試合ぶりは、相手の反感を買った。研人もゴールを1本だけ決めた。あと2本は決められたんだけど・・。 年内のホッケー・サッカーゲームも全て終わり、本格的なホリデー開始。

 

 

12/19(日)くもり

26日からのスキー準備を始める。 絵里はもう成長が止ったようなので、すべて昨年のウエアーでOK.
宏人は昨年のジャケット、ズボンは新品の物がある。
研人には絵里の4年前のワンピースのウエアーを着させる事にした。手袋も宏人のお古で不満顔の研人。「ケンはいつもみんなの古いやつなんだもん。」
4時、準子さんのお宅でクリスマスパーティー。私は初めて絵里の運転に付き合う。それはもうどきどきはらはら。旦那はいつもこんな思いをして、運転練習に付き合っているの~。よくがんばっている。えらい!
遅れて旦那の車で宏人と研人が来た。 今回のメンバーは、鍵さん一家、メイミーさん一家、Kerry一家、藤井さん。今回もたくさんのご馳走を用意してくれた準子さん。 この一年を想う。
準子さんのお宅では、2月にDaveがフィリピンに行き、4月にEllisaが亡くなった。今はAnitaとの生活 を必死に続けている彼女。以前親しくしてきた友達は、何があったのかよくわからないが、去っていった。Daveとの関係は修復できず、Ellisaの死の原因もはっきりしていない。生きていくのが本当につらく地獄の苦しみを乗り越えようとしている彼女に世間は冷たい。
私は今、何が正しく何が一番大事なのか正直わからなくなってきている。 研人は、お腹(たぶん胃)が痛いといって、ソファーでずっと横になる。日中背中が痛いといっていたのは、胃腸の調子が悪い為だったのか。ほとんどご馳走を食べる事ができず、子供達のゲームにも参加せず。

 

 

12/20(月)くもり

昨年は江戸川台のお二人がいらしてくれたので、どこにも出かけなかったものの、にぎやかで楽しいクリスマスを過ごす事ができた。
一昨年はバージニアでのホワイトクリスマス。家族だけだったけれど思い出深いいい日が過ごせた。さて今年・・・・。
家族内でのクリスマスプレゼントもほとんど用意できていない。揃ってクリスマスショッピングを、と思っていたら研人が調子悪い。昨日からの胃痛が良くならないで、ベッドの中。
研人を除いて4人でショッピングに出かける。人ごみの中、Oakridge Mallでお買い物。
1時~5時、絵里はバイト先のGraceの大掃除を手伝う。家の大掃除は今年もなし?!
5時45分、絵里、目医者で再度チェックを受ける。まだ目の回復は完全とは言えないまでも、サンプルのコンタクトレンズ(一日使い捨て用)を6個もらった。これでスキーには眼鏡を使わなくて済む。今後目の様子をよーくチェックすることが肝心。

 

 

12/21(火)くもり

研人は体の調子が良くなって買い物に行きたがる。研人をモールやKohl'sに連れて行く。
Oakridge MallはValley Fairに比べるとどうも田舎くさい。絵里がValley Fairに行きたがるのもわかるような気がする。
いつもは買い物嫌いの研人であるが、クリスマスショッピングは別物。楽しみながら短い時間で家族分のプレゼントを見つける。 家に帰ってきて、そそくさとラッピング。ツリーの下のプレゼントも増えてきた。
絵里は今日もGraceで大掃除のバイト(1時~5時)。

 

 

12/22(水)くもり

今日も買い物に歩く。
絵里は午後からAndrewと彼の友達と、ダウンタウンに出かけた。それにしてもアメリカの子供達は車の免許を取るまでは本当に不自由だ。デートに出かけるにもいちいち親に送っていってもらわなくては会う事もできない。簡単にバスや電車などの公共の乗り物に乗る事ができる日本は、若者にとって天国かもしれない。しかしここでは、絵里ぐらいの年齢になって免許をとって自由にできる車が手に入れば、逆に勝手気まま野放し状態になる。
Teddyは皆が家にいる生活をどう思っているんだろう。あと数日で試練のケンネル住まい。私は考えただけで胸が痛くなる。 このクリスマスでアメリカ生活丸十年が終わり、11年目に入る。 そんな中で気になる記事が以下。気をつけなくっちゃ!
 ・・・長期滞在の移民に肥満傾向 米誌が調査・・・
米国に長く住むと肥満に-。15日発行の米医師会誌(JAMA)は、米国に渡ってきた移民が同国に長期間滞在すればするほど、肥満の傾向が強まるとする研究結果を明らかにした。
同誌によると、米国に来てから1年未満の移民で肥満と分類されたのは8%にすぎないのに、15年以上住んでいる移民の肥満は19%で、米国生まれの市民の肥満率22%に“肉薄”する結果となった。

 

 

12/23(木)くもり

明日はクリスマスイブ。絵里と宏人はまだ買い物があると言う。Kohl'sからPet Club,Walmartへ行く。
宏人は途中からお腹が痛いと言い出す。絵里はインド料理のバッフェランチでも食べて帰ろうと楽しみにしていたが、断念。あの様子ではとても食べられそうにない。
研人は昨日も背中が痛いと言っていたから、まだ本調子ではないし、どうものりの悪いクリスマスだ。 さらに、私は1週間前から寝違えたのか首が回らず、運転もきつい。こんなんでスキーができるのか・・・。気が重い。
とは言っても、ツリーの下は盛りだくさんのプレゼント。今年はお父さんからのプレゼントは大物揃いだ。一体何が入っているのか?
家に帰って思いっきり下痢した宏人はひたすら寝る。
夜、韓国豆腐鍋を食べに出かける。宏人はもうすでに回復したのか、結局一番食べたように思う。 それに引き換え、また研人の様子が怪しい。食欲今一つ。また背中が痛むよう。どうやら二人はStomach Flu(お腹にくるインフルエンザ)だったみたい。

 

 

12/24(金)くもり

クリスマスイブ。 今日明日は恒例のクリスマスゲーム大会。
研人も含めサンタさんの存在の有無を知ってしまって以来、ひたすらゲーム三昧で2日間を過ごすようになった。昨年は江戸爺婆が来てくれたので大賑わいのクリスマスだったが、はたして・・・。
朝一でTeddyのお散歩、クリスマスのビデオレンタル、銀行を回る。
昼食はスタッフドチキンの丸焼き。サンクスギビングとクリスマスにしかチキンを丸ごと焼く事がないから、ちょっと力を入れて仕込む。
研人は今ひとつ胃の調子が悪いが、宏人は完治で食欲旺盛。
午後からゲーム大会。 本日のゲームは、ポーカー・Clue・Uno・七並べ・Memory・Jenga・Taboo・Numbers。 今回は各ゲームで1位になった人が自分宛のプレゼントを開けられる事にした。
珍しく絵里が好調で次々とプレゼントを開けていく。研人はやはりプレゼント選びの名手。コレクションになっているクォーターコイン(25セント)も買い物のお釣りで手に入れプレゼントに。しっかりボードをくりぬきはめ込んで、ラッピングしている所がにくい。また皆にと言って用意してあったTabooのゲームもいい。すっかりみんなはまってしまった。
このゲームは二つのチームに別れ、カードに書いてある単語をチーム内で言い当てると言うもの。しかし各カードには単語の説明をするのに言ってはいけない言葉(タブー)があり、なかなかそれぞれの言葉を味方から引き出すのは難しい。たとえばDinner(夕食・晩餐)と言う単語カードだった場合、タブーとしてMeal/Eat/evening/Lunch/hungryがあり、これらの言葉は説明に使ってはいけない。
英語の語彙力にハンディーがある私と旦那は引いたカードの単語が全く見たこともないような物もあり、私達には厳しいゲームとなった。
今日のゲームを終えたところで、1位は絵里、2位は研人、以下宏明・順子・宏人となっている。 毎年行っているクラフトも今回は何の用意もしていないので、ひたすらゲーム。それでも1日はあっという間に過ぎていく。

 

 

12/25(土)くもり

メリークリスマス!
朝起きてすぐに「やっぱりサンタが来るのがいいなー。」と言う宏人と研人。わかっていても朝になると枕元にプレゼントが置いてあるのはいいものなのだろう。
来年はクリスマスをどこで迎えるかわからないけれど、またサンタさんに来てもらおうか。
昨日に引き続きゲーム三昧。 今日のゲームは、漢字カルタ・Taboo・うすのろま抜け(手に入れるキャンディーのそばにポーカーの積み重ねを置いた。この積みを崩したらその時点で負けの新ルールを設けた。これが最高に盛り上がる。是非お試しを!)Numbers・Scrable・Memory・Poker・Numbers。
 早々に開けるプレゼントがなくなった絵里は人のプレゼントも開ける権利を有す。 後半になって頭を使うゲームが続き、皆楽しむというより持久戦といった感じでゲームに挑んだが、最終的に終始1位をキープした絵里が優勝。そして研人・宏人・私・旦那という結果となった。
前日不調だった宏人は大いに盛り返し、旦那はまさかの最下位となる。この順位によってプレゼント交換が行われる。
今年のプレゼントは10ドル以内。誰にいくかはわからないという設定で皆プレゼントを用意した。まず旦那がプレゼントの一つを開ける(研人からのラジオ付きペン)。私がそのプレゼントをもらう事も可能だが、私は絵里のプレゼントを開けた(卓上カレンダー)。宏人はお父さんからのプレゼント(PC用ファン)。研人は宏人からのサンタのぬいぐるみ。絵里は私からのマルチ写真フォールダーを手に入れた。
本来ならば、順位の上の人は下位の人のプレゼントが欲しければもらえるのだが、皆手にしたままにプレゼントが収まって、死闘は繰り広げられる事無く淡々とプレゼント交換が終わった。
そろそろTeddyをSpot(ケンネル)に連れて行かなくてはならない。胸がどきどきする。研人の調子次第ではスキーに出かけるのを先に延ばそうかとも思ったが大丈夫そう。意を決してTeddyをダウンタウンそばのSpotに連れて行く。
旦那の運転で同乗したのは研人と私。絵里と宏人はもらったプレゼント(スピーカーなど)の設置に忙しい。 こちらの心配をよそにわき目も振らず、中に入っていってしまったTeddy。当たり前だが、家に帰ってもいないのが、さびしい。今、何をしているのか?
夕飯は手巻き寿司。これもクリスマスの定番になりそうだ。とは言ってもカリフォルニアに住んでいればの話だけど・・・。
口当たりのいいロゼワインをあけて気持ちよくなった。そして1時間後、寒気に襲われ起きていられなくなった。これはFluか??と恐くなる。明日のスキーの支度はまだ全くしていない。しかしとにかく寝るとする。

 

 

12/26(日)くもり

何のことはない昨晩はどうやら悪酔いしたらしい。ワインたったの1杯だったのに・・・。
朝8時起床。Teddyはどんな晩を過ごしたのだろう。もう慣れたかな?気持ちを切り替え、スキー支度を始める。
10時半出発。途中スキーショップに寄り、旦那からのプレゼント”防寒ソックス”のサイズ交換をする。
12時半、DublinのFuddrucker'sに行きおいしいハンバーガーを食べる。チェーン店であるFuddrucker'sに来るのは私はバージニアの時以来、スキーの時にしか来られない店だ。
研人は今ひとつ食欲がない。いつも恐いほどに食べるので、余計に気になる。
5時、Truckee到着。宏人と研人のスキーセットをレンタルする。研人のは子供用、宏人のは大人用。身長差が10センチ以上になってこの差となったのか?スキーレンタルもリフト券も研人のみ子供料金。それも今年限りと思われ、ますますスキーもおちおち行けなくなる。
7時、Reno到着、すぐにチェックイン。今回のホテルはGolden Phoenix。ラスベガスと同じカジノで成り立っているこの町は極端にホテル代が安い。1泊1部屋37ドル(4名まで)とは驚異的な値段だ。
私達は2部屋予約したが、同階ではあるものの続き部屋ではなかった。まあ子供も充分に大きくなっているし問題ない。2クウィーンベッドの部屋を子供3人、1キングベッドの部屋に旦那と私が泊まる事にした。
ホテル内をぷらぷら散歩。1階2階はカジノのスロットマシーンの音が鳴り響き、何となく煙たく、ぴかぴかのマシーンが私達を落ち着きのない状態にさせる。
外に出ればきらびやかなネオンが一面に目に入る。
どこもかしこもきらきらちかちかしているので、どのホテルもめだたない。逆に渋ーい荘厳なホテルがあったら、惹きつけると思うんだけど。
すぐ隣のホテル(Circus Circus)で食事と思ったが、どこもすごい人で簡単に入れそうもない。
一番すいているピザやさんで夕食。
待っている間、宏人と研人・私はゲームをしに地下へ。カジノは18歳以下はスロットマシーンでさえもできないが、このホテルの下には夜店まがいのゲームコーナーやサーカスのショーを無料で見せるところがあるので、子供達も参加できる。しかし、この人込みは耐えられない。
ピザやではドリンク(大)を頼んだのに(中)のカップだったよう。素朴にウエイターに「このカップはLargeですか?」と聞いたら、「恐れ入ります。間違えています。」と、ご丁寧にドリンク(大)を3つ追加して持って来てくれた。テーブルに並ぶソーダの数、中3、大3。そしてでっかいピザだけ。いかにもアメリカンで情けない。
就寝前に大人部屋で”Taboo”のゲームをする。私も英語の単語とはいえ面白みが増して来た。
明日はどこに滑りに行こうか。ホテルがここまで混んでいるのだから、スキー場も然りだろう。

 

 

12/27 (月)曇りのち雪

早起きしてHotelのドーナッツを買い込み、スキー場への車中で朝食。
今日はNorthStarスキー場を選ぶ。 ここは日本の苗場のようなリゾート。麓の街作りがそう思わせるのか。 それだけに混み方も一番と思われ、3日間のスキー予定のどこに割り振るべきか悩んだ末の選択だ。
苗場だけあってリフト代も高い。大人$64x2、Youth $54x2、子供$24x1、合計$260! 正面のゴンドラでとりあえず山に登り、その上にバラエティーゆたかな斜面が広がっている。 先ず一番手前の初級者コースを滑り足慣らしをして、さあどんどん滑りましょう。高いお金を払っているのだから。 と思うまもなく、3本滑ると早くも休憩。
時間は11時半、混まないうちに昼食だ。 ところがこの時間でも空いてる席を探すのは一苦労。せっかく場所を確保したのだからと、旦那はブーツを脱ぎ、持参のサンダル履きとなる。おいおい、元は取れるのかい。
食事を終え滑りたそうな子供達を、勝手に滑ってこいと送り出し、私と旦那はもう一息。 そろそろ子供たちが上ってくる頃かと、重い腰を上げ、さあもう一滑り。 その後結局私は5本、旦那と子供は7本、子供達は昼食後の1本分を足して、充分満足な初日でした。
HotelのRestaurantは混みすぎているので、Renoの街の普通のダイナー(デニーズのようなもの)で夕食を済ませる。
ラジオで小耳にはさんだのか、子供達がどこかで地震があったらしいと言う。マグニチュード8とか言っている。 食堂の外においてある新聞の販売機から見える1面に、TUNAMIの大きな文字。 なんだか、これから大変なことになりそうな、いやな予感をさせる事故だ。

 

 

12/28(火)雪

昨日より若干遅いスタート。Reno市内ドーナツやさんで朝食を済ませ、Mt.Roseを目指す。どうやら今日から荒れ模様になりそう。
Mt.Roseの山は猛吹雪。こんなんでリフトは動くの?といった感じの暗ーい駐車場。この分ではたとえ今は動いていても遅かれ早かれストップしてしまうだろう。目標をDiamond Peakに変更する。
Daimond Peakはリフト6本の小さいスキー場。もう何回か来た事があるがコンパクトながら楽しめるスキー場だ。
長いチケット販売の列の末尾に付き待つ事40分。レンタルスキーにはさらに長い列ができている。
クリスマス前後のスキーはあまり来た事がなかったが、アメリカと言えどもどこも混んでいるし(が、日本の比ではない。待つのは一番下のリフト乗り場だけ)、料金もホリデー特別料金になっていて割引がほとんどない。あんまりこの時期得策ではないなと感じた。
滑り出してしまうと皆ご機嫌。
それにしても子供達の上達には目を見張るばかり。昨日に続きブラックダイヤモンドだろうがアイスバーンだろうがお構えなしに滑り降りる。
特に宏人はバーンによって全く滑り方が変わることがない。
一番慎重派の研人は一つ一つのターンに研究を重ねる。
旦那は以前のように皆を指導する事もなく、気持ちよさそうにお上手に滑る。
一番きついのは私。技術的にも厳しいのに加え、少しは良くなったものの12月中旬からの寝違え(?)で首が回らず、ボーダーのザーッという音が恐くてたまらない。今日も一人多めの休憩をとる。
3時過ぎ山頂で全員休憩。雪は激しく降っている。それでもリフトは動いていて、このスキー場でよかったねと話していたら停電。Reno全域にわたる停電だったよう。リフトも停止。蓄電による運転を再開したが、リフトに宙ぶらりんの状態の人々の運搬だけにとどまる。あと、1時間で回復の見込みは薄い。
5人揃って下山。エクスパートのみの表示のバーンを迷わず降りる。エクスパートというほどでもなく、適度な斜度のバーンは広く長い。その上に積もる新雪は私達を酔わせる。さらにこのバーンは私達5人の貸切。こんなに条件の揃った滑りはできるものではない。
一日中雪だったとは言え、大満足のスキーで今日を終える。
夕食は再び隣のホテルまで行く。シーフード中心の和洋中バッフェ。
研人の食欲が戻ってこない。咳もひどくなってきている様子。Delsymを飲ませているがあまり効いているとは思えない。
 Circus Circusで馬レース(ボールを転がして入ると馬が動く。10~15人で競う)をする。このゲームは素朴で面白い。宏人が1位をゲット。景品の犬のぬいぐるみを手に入れた。Teddyは今頃どうしているだろう。ぬいぐるみの犬に話しかける。

 

 

12/29(水)雪

再びホテル内のドーナッツを買って朝食。これで3日連続ドーナツの朝ご飯。
今日は滑りに行くべきか?予報は雪。昨日からの雪がまだしんしんと降り続く。山あいは荒れ模様では。消極的な私に反して絵里や宏人は行くのは当然とばかり。研人の咳は良くなっていないが、本人も行くつもり。
1960年のオリンピックの開催地にもなったSquaw Valley。40もリフトがあるので、天候に恵まれればたっぷり楽しめるスキー場だ。すでに何回か来たこともあり、旦那の素晴らしい判断で西側のマイナーな駐車場を利用する。待ち時間なしでチケット購入<大人(絵里も!)59ドル、13~15歳29ドル、12歳以下の子供5ドル>。スムーズに山頂に向かう。
雪はどんどん降り続く。立ち入り禁止の箇所もそこここに見られる。快適な場所も求めてリフトを乗り継ぐ。私はただ皆の後をついて行くだけ。そして降りたったのがとんでもない場所。新雪ぼこぼこ危険な地帯。後から聞いたらエクスパートオンリーの表示は確かにあったそう!もー、少しは私の事も考えろ!
すっかり疲れて例によって早めの昼食。 研人の調子は悪くなっている。混んできたカフェテリアで席を譲りながら、元気いっぱいの絵里と宏人を先に滑りに行かせる。
2分後、悪天候のスキーで心配になったのか、急いで旦那が追いかけるが見失う。ほとんど病人となっている研人にはひたすら水分を与え、皆の帰りを待つ。
旦那が帰ってきたが、絵里と宏人は見つからない。ゴーグルがくもってほとんど前が見えないという旦那に私のゴーグルを貸して「滑りたい」と言い出した研人と旦那はまた探しに行く。
絵里と宏人が帰ってきた。頼みの携帯電話もバッテリー不足、繋がりも悪く連絡が取れない。 もう3時になる。私も少しは滑らないとリフト代がもったいない。絵里にリフト下で待っていてもらって宏人と二人滑りに行く。
長い1本(アメリカのゲレンデの1本は日本のスキー場の軽く3本以上ある)を大急ぎで滑り降りると、絵里が旦那と研人といる。調子の悪い研人を気遣ってゴンドラで上まで行ったそうで会えなかったよう。5人で再び上に上がり、「もう1本同じのをやろう。」と旦那が言ったら「疲れていて滑れない。もう1回ここに来るなら待っている。」と研人。だいぶ体がきつい様子だ。
4人また大急ぎで滑り降りる。研人と合流。そういえば、Hevenlyに行った時は、研人は吐きながら滑っていたっけ。その後ろから私はその吐しゃ物に雪をかぶせ隠しまわっていたのを思い出す。汚い話でごめんなさい。だけど、そこに転ぶ人がいたらごめんなさいと、思いながら滑っていたのを思い出した。
とりあえず、事故もなく無事スキーを脱ぎ、ほっとした。
まだまだ降る雪。Truckeeでレンタルスキーを返し、ホテルに向かう。しかし大雪の為すでに事故が発生。とろとろ運転で簡単にはRenoに帰り着くことができない。その間、研人は後ろのシートに横になりダウン。
ホテルに戻り、研人の熱を計る。39度弱の発熱。咳も止らなくなってきている。気管支炎が疑われる。抗生剤は持っていない。解熱剤のMortrinを飲ませ寝かす。彼の夕飯はエネルギードリンクだけになってしまう。
絵里のお勧め(私抜きの家族4人で2月に行った)のシーフードレストランで夕食。確かにおいしい。シーバスがあんなにまろやかな味をしているとは知らなかった。
キヤノンの斉藤さん一家と挨拶。
この時期うちを含め4家族がRenoに来ている。
9時45分からのマジックショーを見る。いかにも怪しげな舞台・照明・人々。私としてはせっかくRenoに来たのだから多少高くても素敵なショーを見たかったが、何の計画も予約もしていない状態でそうやすやすといい物が見られるはずもない。
マジックは設備からの想像通り・・・見世物小屋的なマジックだった。いいショーだったら研人がいない事に残念さが増したような気がして、この程度で良かったとヘンな納得をして部屋に戻る。次回Renoに泊まる時はショーのチェックも忘れずに。
ホテルの部屋から見えるしんしんと降る雪。 研人の状態を考えると少しでも早く家に帰りたい。Teddyはどうしている事やら。。。

 

 

12/30(木)雪

朝起きてホテルの窓からまだまだ降り続く雪を見る。辺りはすっかり雪化粧。
TVの週間天気予報では、向こう1週間大雪、一層強まる傾向との事。もう一泊する案は、これで消滅。
研人はまだ熱がある(39度弱)。ホテルのレストランにバッフェスタイルの朝食を食べにいく。バッフェの持ち帰りはできないとの事だったが、「病人に運ぶんです。」と無理にドギーバック(お持ち帰り用発砲スチロール)をもらう。 「マネージャーに見つからないように隠して持って帰ってください!」との指示でこそこそとスプーンまで失礼して持ち帰る。研人はフルーツと少しのお芋を食べる事ができた。作戦成功。

チェックアウトカウンターで、道路状況をチェック。通行止めだったHwy80が一時的に開通した模様。
研人を医者に診せ抗生剤をもらうべきか?はたまた大急ぎで帰路につくべきか迷う。
研人は少しでも早く家に帰りたいと言うので、ホテル近くの病院には寄らずに出発することに決めた。
この後は旦那記。長文です、ごめんなさい。

Hotelでの情報で、4輪駆動車でも何でもチェーン着用必須(mandatory)とのことだったので、T&Cにしてから今まで5シーズン持っていなかったチェーンを買うため、Renoをドライブ。こういうことは早くに行動しないと、売り切れる事が予想される。
チェーンを買った店で、ネバダの道路情報Tel No.を聞き、早速電話すると、80号は完全封鎖ではなく、 Trackee先の峠で複数の事故車の処理の為の、一時的な通行止めと言っている。今からCAに向かううちに開くかも知れないとの判断で、Trackeeに向けて雪降るRenoを後にする。
街をぬける辺りからみるみる雪の量が増し、のろのろの渋滞が始まった。
ネバダ最後のガススタンドから、一般車はチェーン無しには動けない状態になり、その先でチェーン規制。係りの人が一台ずつ、チェーンを巻いているか、または4WDかを確認してその先に進める。
チェーンを巻くアルバイトは儲かるのでは、と話していたが、すでに事業として存在していた。金額はこちらの予想、一台$10に対し、実勢価格は取り付け$20、取り外し$10でした。

その後は割と快適に、大雪の80号を西へ西へと向かう。
途中、主に対向車線の車が、あらぬ方向を向いて中央分離帯や路肩に突っ込んでいる。
「何でああなるの?」などと、人を馬鹿にするものではない。くだりではエンジンブレーキのため低速ギアに落とすのが常識だが、この車エンジンブレーキの利きが今ひとつなので、時に私は1速まで落としている。
1速とは言ってもオートマなので、通常2速までしか入らず、速度が充分落ちた時初めて1速に入る。これもオートマの常識。いつものように2速を使う目的で1速に落として坂を下っていると、あるところで急に1速に入る。これは急ブレーキを踏んだも同然!車はコントロールを失いハンドルに解さず車線を外れて路肩に突っ込む。
幸い除雪していない30cmほどの路肩の粉雪と1mほどの山肌の吹き溜まりがブレーキとなり、車のコントロールを取り戻し、何事もなかったかのように車線に戻る事ができた。
スピンしなくて良かった。後ろの車は驚いただろうな。突然雪煙を上げてラッセル始めたんだから。まだチェーンは巻いていないが、こりゃ巻く必要がありそうだ。
車はTrackeeに近づくが、この先は道路封鎖による大渋滞が予想される。
いつ開通するかわからぬ渋滞対策のため、昼食とガス補給をするために80号を降りて町に向かう。
ダウンタウンはもともと道路が狭い上に、大雪で走行車線が限られ、その中路肩の駐車場に出し入れする車、空くのを待っている車でほとんど動かない。
メキシカンレストランの隣に駐車スペースを見つけたため、滑り込んで昼食とする。

Canonの日本人4家族が、たまたまRenoに泊まり、たまたま同じ今日、家に帰ろうともがいている。
朝、「80号が封鎖された場合の帰り方」を尋ねる電話があり、別の人から「80号は通れるのか」と聞かれたが、こっちもわからん。
レストランから連絡を入れると、一人はRenoから直接レイクタホの南回り50号に挑戦し、あえなく引き返している所、もう一人は北の80号側から50号のほうに行こうとし、やはり追い返されている。出だしの遅れたもう一軒は、私の後を追っているようだ。

人間の補給の次は車の昼食。
スタンドを求めて80号方面に進むが、封鎖中の80号からあふれた車が町中にあふれて、信号が青になっても1台も先に進めない。これはかなわぬとSquaw Valley方面に逃れ、ようやくスタンドに到着。
ところが、はて、給油口に袋がかぶせてあり、クレジットカードを入れても機械が反応しないよ。このマシンは壊れているのかと隣の給油に行くがこれもダメ。はて???そこでガソリンスタンドに放送が入る。
「ここにはもう全くガソリンがありません。すべて売り切れました!!!!」 うっそー!!
私はスタンドの店で飲料水を補給がてら、様子を聞きに行く。
「どこに行けばガス入れられます?」
「この町にはもう一切ガソリンはありません。Renoに行けばありますよ。」 うっそー!!!
Renoから何時間もかけてここまで来たのじゃよ。Renoを出たときはガスもほとんど満タンにあった。それが今半分。
これでは山越えはできぬと寄ったガソリンスタンドにガスがないのではどうしようもない。その問答を聞きつけた後ろの客達が大騒ぎ。
女「トラックは来ないの?」
店員「道が閉鎖や渋滞で何時に来れるかわかりません。」
また何人かが問答に加わって”We are stacked!!”と叫ぶ。
女「ここら辺で泊まる所を探すのがいいわね。もうかなり探すのも難しいからすぐそばのコンドーがいいかも。値段を吊り上げる所も出てくるわよ。ガスはもうあんまりないんだか、走り回れないわよね・・・。」この人たちはかなり緊迫した中にいる。
最近見た”The Day After Tommorrow”の映画が脳裏によみがえる。
幸い私達には半分以上ガスがまだある。病人は抱えているが、とりあえずRenoに引き返そう。危険を冒して山越えはできない。この間、旦那はチェーンを巻いていた。

後発の斉藤家はRenoから先に進めず、すでに地元の情報に基づいて北周りの70号線へと向かったようだ。Renoまでの山道も日暮れとなり、今日は一日何してたんだか。
町の手前でチェーンを外し、夕方6時にRenoで給油がてらの休憩。地図を持っていなかったので、購入。え、70号線って、地図で一番ギザギザしている山道じゃない。こんな所ほんとに通れるの?
CA道路情報に電話するが、通行止めにはなっていない。 すでに70号に入っている斉藤家から電話。「真っ暗で、雪道で、対向車もなくて、ここで止ったら死にます。後ろから来て助けて。」
70号に入る手前のスタンドでも再確認。「こっちの道のがまっすぐじゃない?もっと大回りしたほうが、確実じゃない?」 答えは、「とにかく70しかない。ひたすら真っすぐ行きなさい。」
雪道の為先行車がいると抜く事もままならず、大半を20mph程の牛歩ながら70号を西に向かう。
やはりここだけがCAとの交通路なのか、Safeway(スーパー)のトレーラーなどとすれ違う。
研人の薬を替えようと、薬局に立ち寄る。停車するたびにワイパーの氷を取らないと前が見えない。ヘッドライトの雪も払う。
またしばし走り、ワイパーの清掃のため路肩に停止、車から出ようと、再度ミラーで後方確認をすると、先ほど抜いたばかりの除雪車が、猛スピードで雪を蹴散らし突進してくる。
「あー忘れてました、ごめんなさい、あなたの仕事の邪魔ですよね、こんな所に停車して、だからごめんなさい、ごめんなさい」
と言っているのにスピードを落とすでもなく、車ぎりぎりを狙ってブルドーザーの鉄の板が突っ込んでくる。本日の大危機パート2!
ブワーと描き出した雪をうちの車にぶっ掛けて、猛スピードで駆け抜けていった。
確認せずにドアを開けてたら、ドアは吹っ飛んでいた。 あんた、気が立ってるよ。

夜の10時を過ぎてそろそろ峠と言う所で、前方のパトカーに停止させられる。
「この先でトレーラーがJack Knifeとなり道をふさいでいる」のでここで待つよう言われる。「どの位かかります?」「45分かな」「なるほど1時間か」
ガスとバッテリーを気にして、エンジンを点けたり止めたりしながら、気長に待つ。それしかないでしょ。
再度チェーンを巻こうか悩んだが、頻繁に除雪車が行き来しており、その必要はなさそう。(大丈夫?)
後ろから来た牽引車3台を見送り待つこと1時間、1台目の牽引車がトレーラーを引いて現れる。
さらに20分、もうすぐ日が変わる頃にようやく進入を許され、パトカーの先導で峠に入る。
途中複数のトレーラーがコーナーの内側にスタックしている所で、先導のPoliceが私に止まれと叫んでいる。
ブレーキをかけ停止した瞬間、コーナーの凍結したバンクにより、スタックしているトレーラーに吸い寄せられるように横滑りを始めた。
時速1km位のスローモーションで、T&Cの左脇とトレーラーの荷台が近づく。
運転席の窓を開けて手でトレーラーを押そうと思ったが、しまったこの車、窓が開かない!
「アーもうだめ」という寸でのところで、横滑りをしたかき集めた雪により(?)横滑りが停止した。こんな所で停止させるお前が悪い!
今にして思えば、アクセルを少し踏めば横滑りはせずにトレーラーとのニアミスはしなかっただろう。 が、Policeの停止命令にそむく事になる。あれで接触していたら、おまわりに賠償責任は無いのだろうか。

タイヤを正面に向け、ゆっくりゆっくりとアクセルを踏み、少しずつトレーラから離れ、
本日最大の危機を乗り切り、全員で胸をなでおろす。
パトカーと別れ、その後も進行左手にガードレールも無い崖道を、そろそろと進む。
通行止めが解除されて以来、真夜中過ぎだと言うのに、10個の目が前方に釘付け。
あちこちで大型トレーラーが動けなくなっている。1速には入れられない。
幸い山側の車線の為、谷に落ちる危険は少ないが、ところでこの谷はどの位深いの?真っ暗でわかりゃしない。時折現れる対向車とすれ違うたび、こちらに突っ込んでくるなよと願う。

さらにこの道路、ビックリハウスのような仕掛けが次々と現れる。
手始めは行く手を阻む倒木。 路面の雪が減りアスファルトが見えるようになった頃、突然前方に巨大な墨絵がかかっている。
と思ったら、山肌をサーチライトで照らし出していた。 木には雪、岩肌も白で、地獄絵かと思った。ところで、誰が、何の為に?
次は路面に打ち落ちるインスタント滝。すごい量の水が山から落ちてくる。すると滝つぼとなった道路に霧が立ち込める。
雪道から完全に抜けた頃、ようやく6個の目が閉じた。隣の2個はまだ頑張っている。

一気にスピードを上げるが、後ろに3台の乗用車が現れ、あおられるようにうねうね道を走る。
雪の次は霧である。後続に先を譲りたくても霧の為路肩が見えず、停車場所が決められない。
ようやく飛び込んだ広めの路肩でやり過ごすが、次のコーナーで霧は終わっていた。
へとへとになりながらもようやくとシエラネバダの山を抜け、サクラメント平野にたどり着き、後はひたすら家まで高速をぶっ飛ばす。

これ以上危機に遭わない様、機能している器官を全て使って運転に集中するが、器官のいくつかはすでにお休みみたい。
助手席の目は機能しているようだ。少なくともまぶたの筋肉は収縮を保っている。
先行の斉藤家は、途中見かけなかったが、谷に落ちてはいないだろうか。
他の2軒はその後どうしたのだろうか、などと他人を案じる余裕も生まれ、朝の5時に無事帰宅。
朝の10時から昼食と給油以外全て運転、しかもめちゃくちゃ雪道の地獄の徹夜物語でした。

 

 

12/31(金)くもり

延々19時間の旅を終え、家に着いたのが朝の5時。もうすぐ日の出という時だった。 すっかり寝入っている子供達を起こし、研人に薬を飲ませて、全員ベッドに追いやる。この年齢になってこんな形で徹夜をするとは思わなかった。何はともあれ無事帰宅。旦那の緊張運転も限界に来ていたと思う。よく頑張りました。私達もベッドに倒れ込む。
8時、Teddyの事が気になってもう寝ていられない。
9時、深い眠りの旦那を起こし、SpotにTeddyのお迎えに行く。シャワーを浴びたばかりというTeddyと再会。私達に飛びつき喜びを表わす。係りの人の話では問題なしという事。178ドル(25日から)の支払い。Teddyが無事手元にいる安心感はあるものの、車の中でもどうも様子が異なるTeddy。外に出れば吠えまくる。朝食はまだという事だったので、与えればがつがつ食いの節操のなさ。いつもの3倍の速さで平らげた。そして下痢便。よく見るとお尻はお猿のように真っ赤か。
研人はとりあえず寝ているが、ドクターの予約を取る(2時)。
Teddyの予防接種の予約を取る(12時)。
山のような汚れ物のお片づけを開始する。旦那はへばって体が動かない様子。
12時、旦那とTeddyをVet(動物病院)に連れて行く。今日の注射はRabies(狂犬病)・DHLP(ジステンパー、パルボ)Bordetella(ボルデテラ)の3種。受付で「今日ケンネルから帰って来たら、お尻が真っ赤なんですけれど、注射をしても大丈夫ですか。何か塗ったほうがいいのかしら?」と一応聞いてみる。「ドクターがいないのでわからないけれど、確認してから打ちます。」との返事。待合室で待っていると、ラッキーにもDr. Miyamotoが診てくれたようで当然彼女が現れた。
「どうしたのー?ひどいお尻じゃない。」と、まず一声。5日間初めてケンネルに預けた事を話す。たぶん過度のストレスによる下痢とマットでお尻が擦れたのでは?という事。しばらくご飯を軟らかく煮たもの・・・おかゆ!!を食べさせるように言われ、抗生物質(Milbemycin)10日分を処方してもらった。
体重は5lb(約2キロ)減って59lbとなり、ドクターも指摘していたが性格も変わってしまった。可哀想なTeddy。喜び勇んだのもつかの間つらい日々を過ごしたのかい?Spotではお尻のことも下痢の事も言われなかった・・・Spotに対して不信感がわく。次回からはVet直属のケンネルに預ける事にしよう。予約は早くしないとね。
2時、研人をDr. Ettingerに診せる。診断は気管支炎。 抗生剤”Azitheromycin 通称Zpak”と咳止め”Guaifenesin and Codeine”を処方してもらう。 全く食欲なし。まだ解熱剤もかかせない。水分だけは無理しても取らせるようにする。抗生剤が早く効いてくれるといいのだけど・・・。
4時、旦那のお尻をたたいて、ミツワに連れて行ってもらう。 今日は大晦日。一応おそばも食べたいし、明日は少しばかりお正月気分も味わいたい。予定していたものだけさっと買って帰る。
2004年最後の夕食。海老天作って年越しそば。毎年よく食べる研人の箸が進まない。 何となく暗い年越し。
JapanTVが入っているおかげで、紅白も見ることができたが、10時半には終わってしまった。 今年は年越しを家族揃ってすることもなく、一人一人ぽつぽつと「もう寝るー。」とベッドに入っていく。まだまだ皆疲れている。
さようなら2004年。

 

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