1/1(木)雨
恭賀新年。
皆様あけましておめでとうございます。
今年もよろしくどうぞお願いいたします。
冴えないお天気の元旦。
昨晩12時過ぎまで起きていて、Teddy当番はつらい宏人。
私が起きた8時にはフード付きのジャケットをすっぽり頭にかぶり、
うんち取り用のちりとりとスコップでうんち集めをしていた。
その姿に感心。文句も言わずになかなかいい奴だ。
11時を過ぎて起き出す絵里と研人。
食卓にはお雑煮。けれど宏人はお餅なし。
いつの日からかお餅が嫌いになった。
日本酒とノンアルコールシャンペンで新年の乾杯。
子供達にそれぞれ一年の抱負を語らせる。
研人・・・日記を毎日最低1ページは書く。
(最近またきちんと書き出した日記。本人も自分の古い日記を読んで楽しんでいる様子。
自分で決めた抱負。楽しんで日記が書けたらいい。私も少し気合入れなきゃ。)
宏人・・・人を馬鹿にした様な言い方はしない。
(研人をどうしても馬鹿にする宏人。昨晩ベッドに入ってから考えた抱負だそう。
なかなかいい抱負だと思う)
絵里・・・SATの参考書を毎日少しずつやる。
(あまりにいい子だから抱負が見つからないとおどける絵里。
考え込んだ挙句のこの項目。
PSATテストのVerbal(読み取り)の成績が芳しくなく、このままではカレッジにも影響が出てしまうと、少しでも勉強する事に)
3人抱負を述べ終わり、恒例の父君からのお年玉を有り難く頂く。
ちなみに昨年の抱負は、
絵里・・・1ヶ月2冊以上の本読み・・・辛うじてクリヤー。
宏人・・・言われたらすぐに行動をする・・・抱負を立てたことを自覚していたのはほんの1ヶ月あまり。
まだまだ言われてすぐにできない。
研人・・・ゲームで遊んだら必ず片付ける・・・ゲームで遊ぶ事が少なくなったし、この家に引っ越してからは出しっぱなしでは狭い事もあってきちんとかたしている。
元旦からデートがしたかった絵里だが、私達が認めず。
図書館で借りてきた1988年公開の”1999年の夏休み”と言う何とも言えない不思議なビデオを見たりして家族5人だらだらと元旦を過ごす。
元日の今日の言葉
"God could not be everywhere, so therefore he made mothers ~Jewish Provers"
そんな立派なお母さんになれたらいい。
2004年の始まり。
今年はどんな年になる事やら???
1/2(金)くもり
あっという間に元旦も終わり、旦那は会社へ。
日本語の勉強、残った宿題を子供達はやってしまうと自由時間。
結局研人はエジプト 博物館に行ったエクストラクレジットのレポートはするつもりがなく、必死になって書き写したメモはゴミ箱へ。
私も無理にやらせるつもりもなく、お気楽に遊び始める。
絵里はAndrewが誕生日というので映画に出かけた。
今日の映画は” The Lord oftheRings/The Return of the King”
まあ次から次へとよく映画を見ること。
映画館も高校生がいなくなったら収入激減間違いなしだ。
厳しい親がいるAndrewとのデートはそう簡単には出来ず、絵里も苦労しているみたい。
ま、少しぐらい厳しい親のうちの方がこちらには安心だけどね。
旦那は今日も早々に帰ってきた。
これで仕事しているのかい。
「する仕事があればするぞ」
1/3(土)晴れ
絵里のお友達を呼んでのパーティー。
前々(バージニアの時)から絵里はお友達をたくさん呼んで家でパーティがしたかった。
この家に引っ越して充分なスペースがない事やTeddyがいる事を理由に、私は許可するのを渋っていたが、旦那の「開かせてやれば!」の一言で決まり。
私の条件である明後日から始まる学校の準備・日本語の勉強をやった上で、朝からパーティーの準備を始める。
パーティーと言っても私や絵里が料理を作るわけでもなく、ピザの注文(一番安かっ たCostcoでLarge Pizza3つ)、ドリンクの買出し(2Lの炭酸3本)チップス・アイスクリーム他、スナックの用意それとレンタルビデオ(3本)の貸し出しだけ。
まだクリスマスツリーも片付けていないので、かなり窮屈なパーティーになると思われたが、ふたを開けてみればそれほど問題があったようにも見受けられない。
6時、続々と招待したお友達が来る。
(Margret, Daina, Aiwen, Michel, Conie, Loren, David, Andy, Brian, 他ジュニアの男の子1人の計10人)
ベルが鳴るたびに Teddyが歓迎の嘗め回しをしようとする。
綱をしっかり抑えやめさせるに苦労する。
特にMargretとBrianは犬が大の苦手ときているから、行かせない様に台所に閉じ込める。
パーティーに参加したくてしょうがないTeddy。
6時半、研人は旦那に連れられてインドアサッカーゲームへ。
今日も負け2-10。後半ゴーリーをやったそう。
旦那評”ゴーリーグラブもパンツもなく、組織されたいいチーム相手によく飛びついて処理していた”そうで、合格点。
宏人は自分の部屋に入ったきり出てこないし、Teddyはとにかく落ちつかないしで、 少々つらい時間を過ごす。
しかし家に犬を飼っている子供達はTeddyの相手もお上手。
子供達は映画を見たり、卓球やDDRをしたり、ピザを食べたりでにぎやかに時を過ごす。
パーティの中DianaとAndyがべちゃべちゃくっついていたのは、高校生の内側を見たようであまり心地よくない。
後で聞いたところによれば二人はいつもそうだそう。かなり興ざめ。。。
正直なところ絵里にはあんな風になって欲しくないと切に思った。
9時、旦那と研人サッカーから戻る。
しばし私達も卓球をした後、主寝室で4人+Teddy”らせん”を見る。
リビングルーム からは楽しげなティーン達の笑い声。
11時、お迎えが来て皆さんお帰り。
私は何の手も貸さず簡単なパーティが終わった。
絵里にお父さんにお礼を言うように促す。旦那もも私にお礼を言うように言ったそう。
ほとんど私は関わらないパーティーだったけれど、子供達の日々の様子を少しだけ垣間見たようで、このパーティは有効だったと思う。
絵里も満足したようす。
1/4 (日)くもり
運河のレオンが亡くなってしまったとの連絡が入る。
昨晩急にぐったりと意識がなくなったレオンは病院で手当てを受けたが・・・。
突然の悲報に言葉もない。
死因は肝臓からの出血。
目立った外傷もなくはっきりとした原因は何もわからず。
犬を飼い始めていかに犬が家族にとって大きな存在かわかる。
姉家族を励ます言葉は見つからない。
明日から学校。
子供達はいやだいやだの連発。
家にいたって何をするわけでもないのに、怠惰な生活はこの上もなく極楽なのだろう。
1/5 (月)くもり
ついに始まった学校。実質的にも2004年の幕開け。
キャノンの半導体がどうなるかわからない状況で、私達の生活は未だ安定するはずもないが、子供達は年々成長し、絵里はあと2年で進学先も決めなければならない。
大学の費用は行くところによってまちまちであるが、グリーンカード(永住権)があるのとないのとでは費用がかなり違ってくるようで、さらに州議会はカリフォルニアの教育費の予算減で今後、州立(State)・地域短期(Community College)大学の学費を大幅に上げることを検討している。
私達もこの夏にはグリーンカード申請の手続きに入ろうとは思うものの、キャノンや移民局の状況は決して明るいものではなく、実際にグリーンカード申請の手続きをしている人たちも、通年より異常に手続きに時間がかかっている。
12月に倒れた父の手術の日はもうすぐ決まるであろう。
今は少し容態も安定してお腹もすくようになったようだが、これから大きな手術を控えて、不安は尽きない。
子供達は3人とも実に陽気に毎日を過ごしているが、私達の心が落ち着かないと子供達にも決していい影響はないだろう。
6年半前にテキサスからカリフォルニアに越してきて、あの時子供達はもうすっかり アメリカンで日本語は怪しく、とても日本には帰れないと思ったものだけど、今になってみればあの時なら帰れたと、後ろ向きに考えれば、言う事ができる。
果たして今はどんな時なのだろう。
今できる事をしよう。
だけど今の私には数年後が見えてこない。
1/6 (火)くもり
Teddyはとにかく可愛い。
しかしあまりに人懐こいので、とても番犬にはなりえない。
毎日の散歩でも好みの人がいると必死に行こうとするし、来客には歓迎の舐めまくり飛びつきがさらに激しさを増し、体が大きくなった分取り押さえるがたいへんになった。
やはり子犬のトレーニングに行く必要あり。
必要な予防接種も終わったので、今週土曜からのクラスを晴れて申し込む
(Happy Tails 毎週土曜日6回コース 139ドル)。
絵里は、学校に行く以外何のアクティビティーもなく、ただ宿題と友達とのコンピュータでのチャット。
このままではまずいと思う。
しかし本人は積極的に何かをするでもなく時を過ごしている。
宏人は、学校のクラブ活動は一切参加せず、現在は木曜にアートのクラスに行っているだけ。
友達との行き来も少なく、こんなんでいいのかと、やはり気になる。
研人は、サッカーの練習もなくただ土曜にインドアのゲームをしているのみ。
これま た運動不足と思われる。
そんなわけで、ここにきて子供達の夕方からのアクティビティーがないので、私はゆったりとした時間を過ごす。
年毎に勉強はたいへんになっていき、他に何かをやる時間を持つことはたいへんになってくるのだろうが、学校と家の往復だけでは子供達もつまらないのでは?
1/7 (水)くもり
父の手術の日が1月21日と決まった。
今回は大きな手術になるようで、父はもちろん私達も緊張している。
いたずらに月日は流れる。
ぼちぼちクリスマス用品のお片付けを始める。
オーナメントをすっかり取った裸のクリスマスツリーは何だかさびしげ。
クリスマス用品の片付けと共に一気にガレージとシェッドの中もきれいにしよう。
先日の絵里のパーティー用に借りてきた映画はこれ。
”The New Guy”
(2002年、パーティーで見た映画、高校生のお話。ティーンエイジャーには良かったみたい)
”Anger Management”
(2003年、Adam Sandler, Jack Nicoleson 主演。最低。
あんなつまらない映画は久しぶり。いくらキャストがよくてもね~)
”Daddy Day Care”
(2003年、Eddie Murphy.話題になるだけあって、面白くていい映画だったよう)
私もみれば良かった返してから後悔。
1/8 (木)くもり
一気にガレージの清掃をと思うが、どうもお天気がぱっとしない(と、言い訳)。
来週の3連休にスキーに行こうと会社の金田さんからずっとお誘いを受けていた。
はっきりした返事もしないままに月日が流れ、Tahoeにロッジが取れたと正式に連絡を受けたのは昨日の事。
旦那はすぐに子供達にスキーに行く事を知らせ、私はTeddy を預かってもらう所(Boarding Kennel)に予約の電話を入れた。
が、今日の夕食時 突然絵里が「オー!ノー!火曜日からファイナルのテストだよ。」
ファイナルのテストは日本でいう期末テストか?
あるいはもっと成績の比重が大きい?かよくわからないが、このテストの成績次第で落第はあるし、もちろんカレッジ向けの内申書に大きな影響がある(CAの方が、VAでより比率が大)。
CAに越してきてから初めてのファイナルで少しナーバスになっている絵里は
「スキーには行かない方がいいと思う。」とまで言い出す。
ファイナルの予定も知らなかった哀れな親は、<それでもスキーには行くわよ!>とも言えず、スキーは旦那と宏人と研人で行く事に・・。
ロッジを押さえてあるので5人の大所帯を考えて宿を取ってくれた金田さんには申し訳なく、旦那もどうやってお詫びのメールを打ったいいものやら困り顔。
やっとの思いでメールを打っていた。
中学生の宏人も研人もファイナルのテスト週間だそうだが、そこはまだ中学生。全く気にしている様子もない。
それにしても学校の予定をほとんど把握していない私って・・・。
でも今までファイナルだって言って一生懸命勉強した事あったっけ??
スキーに行かなくてもそれほどやるとは思えないんだけど・ ・・。
たとえスキーに行っても勉強しようと思えば向こうでできるのに・・・。
何だか全てが歯がゆい。
1/9(金)曇りのち雨
学校が始まり、子供にとって長い1週間が終わった。
私は今年1年を考えるのに、ゆっくりとしたいい1週間だった。
夕方から準子さんの家へ私一人遊びに行く。
こんな時は決まってカレーの作り置き。
後は各自勝手に食べてもらう事にして、5時 家を出る。
6人集まるはずが病気・仕事・天候不良で来る事ができず、松本ひとみさん・準子さん・私の3人だけ。
その分少人数ならではの会話も弾み楽しい時間は瞬く間に過ぎた。
おとぼけ天才型のひとみさんは、今日San Jose Stateを無事卒業することが決まっての祝杯。
彼女は6年前にサンノゼに日本から引っ越してきてすぐにコミュニティーカレッジに入学。
2年間のコースを終えた後サンノゼステートに転校。
専門 コースを進むことなく一般コースで全ての教科を学習(驚異的な事で歴史・科学・文学など一般学生が受ける授業を全部パス)、6年間かけて大学を卒業となった。
彼女には現在6年生と9年生のお嬢さんがいて、家事子育てをしながらESL(English as Second Language,第2言語としての英語)の科目からスタートしたにもかかわらず、最終的にはバリバリのアメリカ人の大学を卒業までやってのけたのだ。
えらぶらず淡々とすごい事をやってのける人はいるもんだ。
しかし簡単に卒業できたわけではない。
血の滲むような努力をしたと彼女は言う。
そんなにまで彼女をカレッジに通わせた原動力は何だったのだろう。
さらに大学院まで行こうかなと考えたという彼女。
大学事務局の理不尽な態度でのストレスは最高潮に達し、進学をあきらめたそう。
アメリカの大学に40歳を過ぎて通った彼女からの話はとても考えさせられ、参考になる。
たくさん引越しして、いっぱいの人と知り合いになって、いろんな話をして、いろいろ経験して、そういう人たちは私の財産だ。
筆不精、怠け者の故、引っ越しました葉書もクリスマスカードも年賀状も出さずに1月も中旬になろうとしている。
今になってあわててE-mailを送り出している私。
出した後はすぐ返信はまだかと待ったりしちゃって・・・
<勝手なもんだよ>。
今年の抱負を思いついた。
1/10(土) 晴れ時々くもり
9時~10時半 Teddyのトレーニングクラススタート。
今日は犬抜きの飼い主のみの説明会。
① 犬にとってもしっかりした安心できるリーダーがいるのは心地よい事である。
② まずリーダーは飼い主である認識を持たせる事が必要。
③ 家の中でのトイレの失敗は飼い主によるものがほとんど。
朝晩・食後のトイレは 飼い主がしっかり習慣化する事が大切。
④ 夜中のトイレは月令+2時間は普通。
⑤ 来週が犬と一緒のトレーニングがスタート。
飼い主が神経質になっていると犬にも伝わるので楽しく楽な気持ちでやる事。
チーズやハムのTreatの用意。
その他、犬のトレーニングの秘訣などなるほどと思う事が多い。来週が楽しみだ。
ダウンタウンでやっているというインラインホッケーの申し込みに行く。
水曜夜に行っているピックアップホッケーはどうにも組織的でなく、もう少しきちんとホッケーをしたい宏人は、少し遠いがダウンタウンにあるリーグに申し込む事にした。
場所はRollin' Ice、3月13日~5月22日。費用$170+&18 (Membership)。
ヘルメットは小さくなりズボンは切れているのでお道具を揃えるのにまたお金がかかりそう・・・。
あ~あ。
シーズンが始まる3月初めにはコーチから連絡がありチームが決まる。
7時~ Canon's Winter Masquerade Ball Party
場所はダウンタウンDouble Tree Hotelにて
12月は会場費が高くかかるという事で、年が明けてから行われた会社のパーティー。
昨年はホワイトハウスの目の前で、雪道の足元を気にしながら夜のイルミネーションを楽しみながらのパーティー参加だった。
会場内も黒人が多数を占め赤や金のロングドレスがパーティを盛り上げる。
が、今年は・・・
人影のない地味~な 駐車場を降りホテル1階に陣取られたパーティー会場へ。
チェックインの際、豪華なマスクを各自手渡される。
そして写真撮影。
旦那はマスクパーティーと聞いてすぐにビーズをあしらったお手製のマスクを製作。
一風変わったマスクをつけての撮影。
少し遅めに行ったので席はもうすでにいっぱいの状態(100席ぐらいあったか ?)。
それにしても黒髪ばかり。
ホント、カリフォルニアってアメリカって感じがしないなあ。
日本人席に座る事ができず(何故か完全に分かれている)、ゲストとして子供2人にその友達やボーイフレンドまで連れてきた人、カメラマン2人と同テーブルになる。
メインディッシュのステーキは、狂牛病が発覚する前に注文してあった。
柔らくて結構おいしかったよ。
社員有志によるSkitと呼ばれる寸劇はよく聞き取れなくて何をやっているんだか全然わからない。
その後、くじ引き。
バージニアでは水中撮影用カメラが2年続いて当たったが、今年は何も手に入らず。。。
そしてダンス。
ここのところまた肩こりがひどいので、ダンスじゃなくてエアロビにしてくれないかなとか言いながら、汗びっしょりになるまで旦那と踊る。
スローダンスあり。。。
こういうの宏人が中学のダンスパーティーで踊ってる~!?
想像できないけど、踊ってんのよねー!
2年カリフォルニアを離れている間に知った日本人はかなり少なくなり、今や数家族だけ。
私より絵里の年齢に近い人たちを相手に相変わらず馬鹿話の私・・・進歩がないね。
帰宅11時半、Teddyもベッドでおやすみだったのに、私達の姿を見るや舐めまくり尻尾ふりふりのお帰りのご挨拶。
ホント付き合いがいいんだから。
1/11(日) 晴れ
昨日のパーティで汗をかいたのがよくなかったのか、旦那が風邪を引いたようで朝起きられない。
宏人も昨日から鼻水が出ていてアレルギーとも思われるが、ティッシュを片時も放す事ができない。
それでも今度の週末のスキーの準備を始める。
宏人と研人のスキーウエアーのチェック。
アンダーウエアーが早くもきつくて着られない(去年買ったのにー)。
宏人の新品のジャケットも今年限りか余裕がない。
何年か前にずいぶん大きめのを、シーズンが終わってから買っておいたのだが・・・。
足りないところは絵里と私の物を使う事にして買い物無しで済ませる。
二人に絵里と私のスキー靴も履かせてみる。
私達4人ほとんど足の大きさ変わらず、靴を持っていく事にする。
しかし問題はスキー板。
私のは昔のだから長め、果たして使いこなせるか?
まだスキー1式をそろえる年齢でもないしね。
週末でも悠々自適の宏人。
いつ聞いても宿題はまだやってないとの答え。
宏人にかまわず、絵里のサイエンスの宿題のレポートの調べ物(Nitrogen-Oxides窒素酸化物)の為に、サンノゼのメイン図書館(Dr. Martin Luther King, Jr. Library)に行く。
最近新しく建設され移転となった図書館は、8階建ての巨大な図書館。
絵里は専門書のコーナー 、私達(旦那・研人・私)は外国語のコーナーへと分かれる。
閉館ぎりぎり(5時)まで日本語の漫画を読む旦那と研人。
私はやたらに本をあさり、こんなに読めるのかという量を貸し出しする。
サンノゼはいいよ。こんなに日本語の活字が簡単に手に入るんだもの。
Targetでこれまた絵里の買い物をすませ帰宅。
宿題の終わった宏人も釣れCity Dinerで夕飯。
アメリカらしいDinerて私は好き。
1/12(月)晴れ
2泊3日の外泊許可の出た父はこの週末柏の家にいったん帰ることができた。
食事の世話は姉がしてくれ、多少不自由ながらもゆっくりとした時を過ごせたようだ。
全ての事をやってくれている姉一家に感謝の気持ちでいっぱいだ。
本当にありがとう。
旦那の調子は今一つ。
アレルギーなのか、風邪なのか?
宏人はもう良くなった様だが、研人もどうもはっきりしない。
1月中旬からのこの季節カリフォルニアのこの地域はアレルギーシーズンが始まる時期(日本もそうかしら?)。
薬は抗ヒスタミン剤にしようか風邪薬にしようか悩むところ。
時々思うのだけれど、主婦ってシェフであり栄養士であり、看護婦であり教師であり、ドライバーであり家政婦でありカウンセラーよね。
ホントたいへんなんだからー!
この事前にも書いたっけ?!
1/13(火)くもり後晴れ
申し込んでいたCostcoからのAmerican Express Card(Amex)が送られてきた。
年会費無しのAmexでこの分で年間2%のキャッシュバックも受けられる。
旦那の会費を払っているカードは即キャンセルした方がいいだろう。
キャッシュバックも含めると年間50ドル位は節約する事になるのかな?
早速Costcoにお買い物。
最近のTeddy、ふと気がつくと50cmほど高くなった花壇の上を走り回っている。
ここで怒ってはいけないと”Come, Teddy”と声をかける。
素晴らしいジャンプで花壇を降り一気に駆けてくるTeddy。かっこいい~!
Comeですぐ来たことを褒める Treat。
そしてそこには乗っていけないことを諭す<たぶんわかってない>。
数分後 再び華麗なジャンプで花壇上を走る。
どならないで”Come, Teddy”さっと走り降りるTeddy。
もうTreatはあげられない。
怒っちゃいけないし、Comeですぐに来るのは立派だけど、上がっても声をかけられてすぐ来ればその度にTreatをもらえると思えばいつだって上がるようになるだろう。
こんな時どうするのよ?
それにしても悪びれずさっと来る雄姿は思わず拍手を送りたくなるよ
<これってほとんど親ばか?>
4時~7時、Historyのグループプロジェクトで絵里のお友達3人(Cat,Nina,Fay)が来る。
最近では誰が来ても親同士特に挨拶も交わさないし、適当にスナックを出すだけで自分達で事をどんどん進めている
<そりゃあそうよね、もう高校生なんだから>
今日はコンピューターも使うからとプレールームを占拠しているので宏人と研人はご機嫌斜め。
兄弟がいるってこんな時にもいいわよね。
常に自分の思い通りにはならないって知るんだから。
1/14(水)曇りのち雨
旦那と研人はアレルギーのせいかひどく調子が悪いが、会社・学校へ出かけた。
私はお気楽に準子さん宅へ出かけた。
今日は新年会と言う名目のお食事会。
メンバーは、鍵山・松本・白岩・各務・福田・甲斐・準子さん・私の8名。
各務さん以外アメリカ生活5年以上、どかんとした生き様が立派なつわもの揃い。
そしてポットラックのお食事も見事な出来栄え。
プロの料理人が作ったような品揃え。
これじゃへたなレストランはお呼びじゃない。
それにしても最近お会いする人誰もが頭の切れる優れ者で、質の高さを感じる Almaden。
自分がとっても馬鹿に思えて情けない。
Teddyの事が気になって早く帰りたい私。
過保護すぎると皆に諭され2時までずるずると話し込む。
どうもうちはTeddyに甘すぎるよう。
家に帰るとひたすら私の帰りを待っていたTeddy。
飛びつき舐め回し攻撃。
”NO !” ときつく言ったら私の周りをぐるぐる回りながら吠えまくった。
喜びをどう表現していいのかわからず、ただただ尻尾ふりふりの雄たけび付きぐりぐり回りをしているよう。
抱きかかえ思い切り舐めさせる。
しばらくしてやっと落ち着く。
そんなにさびしがり屋でどうすんのよー。
それがまた可愛いのだけど・・・。
夜、来年高校に入る人のための”High School Information Night”が高校であった。
しかし宏人行きたがらず。私一人で行くのも億劫で欠席。
何だか無気力の日々が続いている。
1/15(木)くもり
研人の咳が止まらずこのままアレルギーの薬だけでいいのか、迷うところ。
旦那の調子も良くならず、眠りが浅いのか夜中に何回も起きている。
旦那がごそごそ起きていると研人の咳が聞こえてくる。
ああ、憂鬱。
こんなんで果たしてスキーに行けるのかい?!
今週初め江戸爺にご足労願って、無事会社の財形融資の返済を完了した。
これで会社からの借金はなくなり少し気分が軽くなった。
が、相変わらずゆうきが丘の御殿に住んでくれる人はおらず、血と汗と涙の結晶の御殿は泣いている。
柏爺の手術の日も近づき、わたしも日本へ一飛びしようかと思う。
子供達は8年前の母の時とは比較にならないほど成長し、少しくらい私がいなくても生活できる事だろう。
今何をするべきなのか?
その時その時でできるだけベストな選択をしたい。
宏人はアートクラスに行く。
今までの先生とは全く違いかなり先生流のやり方を強いているようで、あまり宏人は気に入らない。
しかしまずは基本を身につけさせたく、もう少しこの先生の下で学ばせようと思う。
メイン図書館で借りてきたサイエンスの参考資料をあっさりDavidに貸す絵里。
明日の歴史のファイナルテストの勉強もそこそこにサイエンスのレポートを大急ぎで仕上げる。
締め切りはまだまだ先なのに、彼が取りに来るからとテスト勉強せずにレポートを仕上げる人の良さ。
何でそんなにまでして貸さなくてはいけないのか?
うちでわざわざダウンタウンまで行って借りてきた資料なのに・・・。
まずはテスト勉強してよー。
などと思ってしまう私は意地悪か?
しかし考えてみればうちの3人の子供達、皆それぞれ人が良い。
家ではわがままし放題・兄弟への思いやりなんて微塵も感じられないのに友達にはめちゃくちゃ優しい。
そんなんで言いたい事をきちんと言ってこられるのか多少心配だけど、意地悪な子よりはいいかもね。
1月22日(木)晴れ
7時40分、子供たちをいつものように学校に送り出す。
9時半、旦那様が私を空港まで送ってくれる。
子供たちの事が心配であるのは間違いないが、胸がきゅんとするように寂しさを覚えるのは、Teddyに対して。
そんな自分に苦笑い。
この事をだんなに話すと「俺は?」
・・・・考えもしなかった。。。。ごめん。
12時20分サンノゼ発。AA129便。
真ん中の5人掛け用にたった一人。がらがらの機内で快適フライト。
途中から2人移ってきた人がいたが、2人分の空間を使ってゆっくりすることができた。
映画2本を鑑賞。アメリカンでも日本語で見られる。
これって画期的。
12月23日(金)曇り
予定通り4時過ぎ成田到着。疲れていない。
5時40分、京成バスに乗り柏まで向かう。これも数人の乗客。
途中寄ることになっ ていた千葉駅方面を、客がいないのでスキップ。
順調なドライブとなる。
7時過ぎ、柏駅西口到着。
トランクを持ったまま、岡田病院210号室へ。
バス停まで出て行った葉子姉夫婦と行き違いなった事を気にする父。
大手術の後とは 思えない声の張り・顔つや。
ずいぶん痩せてしまったが、想像していたより元気だ。
来て良かった。
父が朝から私の来るのを心待ちにしていてくれた事を葉子姉聞いて心底思う。
敦男兄の車で運河へ。
しばらく運河に泊めてもらうことにする。
[SJ]
宏人は朝のTeddy当番の後、1日中ゲームとTVで過ごした模様。
研人はTeddyのお散歩とBrushingは、した模様。
絵里は部屋の掃除の後、LLまで歩いて遊びに行き、帰りは誰かの親に送ってもらったそう。
お昼には冷凍庫の餃子を食べたそう。
夕食は、昨日準子さんに頂いたさばの味噌煮の残りと、肉じゃが。
どちらも昨日と同じ。
絵里が大根と油揚げの味噌汁を作り、ご飯を炊いた。
明日はTeddyのクラスと図書館返却、銀行入金、牛乳買出しの予定。
1月24日(土)晴れ
10時、岡田病院へ。
柏爺は昨晩眠れなかったそうで、調子が悪そう。
かなりきついように見受けられる。
昨日の様子とは、かなり異なる。
時を同じにして来てくれた江戸爺と1階の談話室へ。
誕生日おめでとうと花束をいただく。
雑談の後、病室へ。
先ほどは気分も良くなったのか、少し話せるようになった。
姉によれば、おととい酸素マスクがとれたそうだが、今日はチューブの酸素もなくなった。
まだまだチューブだらけのスパゲティー状態だが、少しずつ取れていくのだろうか。
少し寝るというので、葉子姉と二人柏の家に向かう。
いただいたお花は母の仏壇に供えさせていただく。
主のいない柏の家は冷えきり、寒々としている。
換気・花の水やり・近所の挨拶・郵便、留守電チェック。
後から来た敦男兄と3人車でタンタン麺を食べに出かける。
[SJ]
今日は土曜日。絵里がTeddy当番。
9時のTrainingにつれて行く。
昼は、PizzaとおにぎりとChips。
宏人と研人の散髪もした。
Walkは宏人。
研人のゲーム後に、マッシュルームBBQバーガーサンドとチキンブレストサンドを家で作った。
こんなんで満足してるみたい。
研人のゲームは、前半ForwardとDefence、後半Goalieで頑張ったが、大して強くない相手に6-1で敗れる。
ゲーム留守番の絵里と宏人は、Teddyの晩御飯をあげ忘れたので、X。
1月25日(日)晴れ
9時運河を出て、幕張にあるCostcoに出かける。
日本のCostcoはいい。アメリカや日本のお買い得がいっぱい。
食品は日本人の味覚にあっているから買いたいものたくさん。
お土産品を購入。
時間がないのでランチタイムを節約。Costco産テイクアウトのピザと寿司(日本の)を車中で食べる。
1時半、岡田病院へ。
すでに博さん夫婦がいらしていた。
今日は柏爺さらに顔色も良い。
しかしまだ絶食で水も飲めない状態。
病室は室温調節が悪く、ヒーターが入っているとむかむかしてくるほど。
乾燥も進む。
[SJ]
研人Teddy当番。
昨日からTeddyの食事時刻を少しづつ遅らせる。
来週の昼食を3時まで我慢させる為。
ガレージ脇の木蓮が、ずいぶん咲き始めた。
Costcoで牛乳と卓球場の照明を買い、古いのと取替え。
Lelandへ行き、Tennis、Basketball、その他Teddyと遊ぶ。
泥で汚れたので、Teddyもお風呂。
ThaiでTake-outをとり、家で食事中にMikaさんから混ぜご飯とPork BBQがとどく。
1月26日(月)晴れ
敦男兄・葉子姉は久しぶりに仕事に出かける。
私は10時過ぎ病院へ。
今日は少し痛むようだが、経過良好。
口にガーゼで水を含ませる。まだ飲む事ができないので湿らせる程度。
少し身体を起こし、テレビをみる事もある。
午後回診。まずは院長。・・・・最低!!
入ってくるなり「あら~、安達さんかわいそうね。こんなに管だらけで・・・。」
と、ぜんぜん感情なく言う。
柏爺が間違えて後でお話を伺いたいと娘が言っているのでといった途端
「私はだめだめ。担当の久保からにしてください。はい。」
と、逃げるようにして何にもしないで出て行った。
あいつが胃痛で来院した柏爺胃薬を出し続け(2週間)、激痛になって入院・緊急手術になったんじゃないかよー!
久保医師による回診。この時私は病室の外へ。
その後医師との面談を1F外来の診察室で行う。
すい臓・脾臓・大腸と胃の一部をとるたいへん大きな手術であった事、その手術には絶対的な自信があること、術後の回復は順調であるがこれから1週間は注意が必要である事を聞く。
この医師は信頼できると直感した。
後少なくとも1週間は私はこちらにいたいと思う。
帰りのフライトは来週の木曜に予約を入れてあるが、変更可能。
もう少し様子をみることにする。
6時、葉子姉と住友生命の高嶋さんに会う。
姉は自動車保険の手続き、私は海外で給付金を受け取るための手続きのついて説明を受ける。
絵里と宏人が住友に入っている(全納済み)。
海外在住の書類を出す事を勧められる。
[SJ]
久しぶりに学校。Teddyもさびしくなる。
8時に朝食後、庭で子供達の帰りを待つ。
どうやら、食べ物を作るのは絵里、洗い物は研人、洗濯は宏人と決まったらしい。
とはいっても私が帰宅すると、朝食のかすやら、ランチの袋やら、おやつの食い散らかしで、食卓の上はごみだらけ。
洗濯も、汚れ物を入れてスイッチを入れるまで。
乾いたものをたたむとか、干すとか言う作業は含まれていないようだ。
さらには、各人の服を部屋までもって行くとか、 たんすに入れるとかは、彼らには必要ないらしい。
腐ったり、火事を出したりするものでない限り、絶対に手を出さないと決めた。
夕飯はMikaさんからの差し入れと、カレーの残りで十二分。
1月27日(火)晴れ
10時、柏爺の所用で銀行・郵便局に寄ってから病室へ。
朝から発熱38.4度、痛みもあり顔色も悪い。
私が昼食に行っている間に、痛みはさらに強くなったようで、久保医師と看護婦さんがばたばたと手当てをする。
腸から直接入れていた栄養剤中止・痛み止めの筋肉注射を打つ。
熱は下がるものの、なかなか痛みは引かない。
痛み止めの座薬を追加。
医師が治療している間は私は病室外にいるので、中でどういう治療をしているか詳しくわからない。
しかし血液検査等もしているようだ。
5時過ぎ、ようやく痛みが遠のき落ち着いた表情となる。
医師は「今まで何にもなかったのが不思議なほど。
縫合したところから悪いものは出ていないのですが・・・。」と、一言。
信頼してお任せするしかないのだろう。
痛みがなくなって眠気がきたようなので、夜勤の看護婦さんに何かあればすぐ連絡してくれるように頼み、運河に戻る。
昨日とは一転した爺の状態。傍らから見ていて何もできない。
[SJ]
3時に学校から帰り、私が戻る6時の間、子供達は宿題を終わらせているのだろうか?
6時から寝るまで、ゲーム、TV、パソコンしかしていない。
Teddyのトイレすら気付く人はいない。
こういう時に限って、出張が入ったりする。
マサチューセッツのBostonまで、お客を安心させる為のMeeting。
何とか私抜きでやってもらおうと思っていたが、お客からせっつかれ、断りきれなくなった。
すぐにHortonさんに電話し、子供を預かってくれるよう頼む。
東海岸への出張は、移動時間がつらい。
朝6時に離陸して、夕方5時に到着。
途中Chacagoでの乗換えと、3時間の時差の為、こうなってしまう。
金曜の午前中だけのMeetingだが、木曜朝6時から金曜夜11時まで費やす。
このため、子供達とTeddyは、水曜の夜からHorton家に世話になる。
日本からのお土産を期待する。
1/28(水)晴れ
10時半、<今日はどんな感じだろう>どきどきしながら病室に入る。
「痛くなかったのでよく眠れた。」と言う。熱なし。
しかし顔色はよくない。
大おばあちゃんの入っている柏厚生病院へ行く。
510号室の4人部屋に入っている大ばあちゃんは静かな寝息をたて眼鏡をかけたまま気持ちよさそうに眠っている。
狭い病室の他3人も皆ご老人。そして皆眠っている。
声をかけずに病室を後にする。
柏の家へ向かう。近所のおばさんに会ってしまい、いろいろ聞かれる。
家では、まずお母さんに挨拶して、郵便物・留守電のチェック。
CAの友達準子さんに電話。
急に旦那がボストン出張になり子供3人+Teddyを準子さん宅で預かってもらう事になった。
気軽に3人+1匹を引き受けてくれる準子さんに心から感謝。
どうやって感謝の気持ちを表したらいいだろう。
その後家に電話。子供3人と旦那と話す。
宏人の声が大人びてびっくりした。研人は寂しいと言った。絵里はたいへんだけど大丈夫と言った。
旦那は「子供たちは平気だよ。お母さんがいなくてもよそのおばさんがいれば大丈夫。」と言った。
こちらに居させてくれる家族に感謝。
1時、病室に戻る。寒くてたまらないと訴える柏爺。
布団を3枚・電気毛布を強にするが、がたがたとふるえる。
40度以上の発熱。再び医師らがばたばたと手当て。
点滴の仕方が医師の指示と違ったのか看護婦を叱り飛ばす久保医師。
熱さましのお薬がなかなか効いてこない。座薬投与。
夕方になって少し薬が効き始める。37.5度。
やたらに「葉子はくるんかな?」と、姉の来院を待ちわびる柏爺。
私が居るうちは病院通いは少しお休みできればと思っていたが、楽しみにしている柏爺の言葉で来て貰う。
全ての連絡は携帯電話でのメール交換。これだといつでもメールが打てたり受け取ったりできる。
毎日の父の様子や予定も随時メールで連絡。母の入院時にはなかった便利さだ。
5時半。姉が来る。特に話もしようとしない爺。
来てくれるだけでいいのかな。
気がだいぶ弱くなっている。
[SJ]
明日早朝からの出張に備え、子供達はHorton家へ。
私は準備の為久々の残業。
こういう忙しい時に限って、次々と飛び込み仕事が来る。
10時半までかかって、完成したのは五分の一?
まあ、ぶっつけでもこなせる仕事なのだが。
それより、長時間かけて往復しても、私の仕事の時間が取れるかどうか。
Meetingの主目的は、営業的なことなのだから。
1/29(木)晴れ
毎日いいお天気。カリフォルニアでは見られなかった青空が毎日広がる。
日本に来て1週間。皆たいへんな思いで生活している。
10時過ぎ病院へ。昨晩はよく眠れたそう。少し声に張りがある。
看護婦さんに「今日は良さそうですね。」と言うと、「昨日も午後から悪くなったからちょっとまだわかりませんね。」と、言われる。
いい状態で居て欲しい。
柏へ再び足を運ぶ。保険の書類等の整理。
そごうに買物。ホートンさんに送るお礼の品々を1Fの食品コーナーで探す。
智ちゃんが働いているヨックモックにも立ち寄り、いろいろサービスしてもらう。
ありがと、智ちゃん。
病室に戻りシーツ交換を手伝う。
まだまだ体を自由に動かせないので3人がかりの大仕事。
薬局長の西沢さんが様子を見に来た。
親切に薬の説明をしてくれた。ここに教えてくれた薬の名前を書き留めておこう。
ラコール(経腸栄養剤)・ビタミンB1・グルブリン(免疫効果を高める)
・ペニシリン・ペプラール(胃酸を抑える)
彼女の話によると白血球の値もどんどん下がってきているので順調と言えるそう。
荷物が多くなってしまった。葉子姉に車で来て貰う。
夕飯の買物も済ませ病院から帰る。
気分がずいぶん良くなったようで、積極的に口をゆすいだり
体を起こそうとしたりしている爺で、落ち着いて帰る事ができる。
[SJ]
最低の一日。
朝4時40分に起きて6:19発のAAに乗る。
Bostonへは五大湖の湖畔、Chicago経由。
冬場のここいらは、吹雪の為にちょくちょく混乱するので、できれば避けたい空港。
今回は直前の予約、到着時刻もBoise、Newark、Richmondからの部隊と合流する為、制限着き。
やむなく選んだ乗換え空港だった。
前日の天気予報は、小雪がちらつく程度(と理解した)だったが、
Chicagoに近づくにつれ、機体の速度が落ちる。
天候をうかがっているに違いない。
それでも30分遅れで、そろそろと着陸。あたりは粉雪が舞っている。
次の障害は、到着ゲートがない。
みな出発前の凍結防止剤を機体に撒くため、予定通りゲートを離れられない。
機長も「さてどうなりますか」と、楽観的。
「乗り継ぎの飛行機は、みな遅れているはずですから、まだゲートにありますよ」なんて言ってる。
滑走路で待つこと2時間、ようやくゲートに向けて動き出した。
機体が位置を変えたため、後方の様子が見えたが、なんと我々の後ろに、10機のAAがゲート待ちをしている。
あの人たちは、いつ入れるのだろう。
ターミナルで乗り継ぎのBoston行きを探す。
ところが電光掲示板はほとんどのフライトがCancelとなっている。
Boston行きは、予約の便はとっくに掲示板から消え去り、続く2つの便がCancelされている。おいおい。
こうなった時は、窓口で直接交渉しかない。
ターミナル内でAAのカウンターを探すが見当たらず、大行列を覚悟で荷物のCheck In Counterへ。
あらら、待っている人はほとんどいない。
その列に並ぼうとすると、「予定変更の人は赤い電話機を使ってください」
みると人のいないカウンターに、赤い電話機がぞろっと並んでいる。
10分は繋がらないのを覚悟してその一つをつかむと、意外にすぐ繋がり、
丁寧な対応を受ける。
夜の8時の便が取れますと。でもそれはTime tableの時刻で、それがいつ飛ぶかは?
それに乗ってもBoston到着は11時40分。Hotelから1時間強の道のりを、誰かに迎えに来てもらうことになる。
しかもさらに遅れる事は必至。
Boston行きを諦めて、SJに戻る交渉をする。
別の女性が、これまた丁寧に対応してくれる。
最悪、どちらにも飛べなかったら、AAがHotelを取ってくれるのか?の問いには、機体故障ではないのでできません。なるほど。
Bostonへ飛んでも、明日の夜またここで乗換えがあり、2重のリスクとなる。
子供達を人に預けているので、金曜中に帰れないのは困る。
そもそも別人をあてがっていた仕事。などなど、Negative要因を並べて、SJに戻る事に決定。
すでにBoston入りしている同僚に電話し、戻ると告げる。
SJ行きの出発予定は、7時10分。まだ3時間ある。
相当に遅い昼飯を食べ、持参したバーバラ・ブラッドフォードの本を読む。
出発ゲート変更。8:15に遅延。8:35に遅延。
8時過ぎにようやく機体が到着。帰れそうだ。
1月30日(金)晴れ
子供たちがお世話になっているホートンさんのお宅へ日本の味の詰め合わせを送る。
特急便で3,4日で着くそう。喜んでもらえるといいのだけど・・・。
病院へ。熱なし痛みも強くない。しかし機嫌が悪い。
ひたすら回診を待つ柏爺。
私は病室にべったり居るわけにもいかず、柏の町をふらふらする。むなしい。。。
高島屋で行っていた無料健康診断をする。血管年齢55歳と言われショックを受ける。
運河のお隣の家から聞いた羅漢果を飲み始めようか。
午後、久保医師の回診がある。
お腹と尿の管を残して他の全ての管が外された。
ベッドを上げなくても自分で起きる努力をするように再三言われる。
ベッドサイドに足が出せるようになれば尿の管も取れるそう。
本人の頑張りがこれからを決めるのだろう。
しかし、如何せん機嫌が悪い。思わずわがまま言うなと激す私。
今日は早々に病室を去る(5時)。
[SJ]
朝寝坊して起きると、Teddyが庭にいた。
Hortonさんが、落としに来たのだろう。
帰宅したので、今晩は子供を家に帰すよう、電話で伝える。
会社にて、出張の目的が達成できなかった旨を、関係者に説明。
8時の便で飛べた可能性については、夜の便はすべて満席で、不可能だった事にした。
ここはうそも方便。
1年前に帰国された綾田さんが、LAでの学会後にSJにいらした。
いろいろとご人力頂いた恩があり、家に戻った子供達には悪いが、晩餐会に出席した。
子供達はHortonさんに頂いたコロッケと、自分達でご飯をたいて食べた。
外泊もあり山のような洗濯物。
家に帰ったら、洗濯は終了していた。
今日は水漏れもないようだ。
干されていないが、今日はよしとしよう。
ところが、食器は洗えていない、絵里はPCの前、Teddyの姿は見えない。
金曜だというのに早々と寝ていた子供の部屋を覗く。
研人、すでにお休み中。
宏人、ベッドの足元に動くものあり。Teddyだ。
どうしてベッドに上げたり、一緒に寝たりするのだろう。
その後の教育に混乱を招くだけではないか。
外泊中はうんちも出ないTeddy。
きっと宏人も研人もそうなんだろうな。
1月31日(土)晴れ
葉子姉の車で送ってもらって江戸川台へ。
住友生命の証券他日本に居て私が整理できそうな通帳を確認。
江戸川台のコンピューターをチェック。これで旦那が作っているMy DiaryのWebサイトをPCで見られる。
私が日本に来てからは旦那のSJ版と私の日本版を同時進行。
お互いに相手の様子が分かりありがたい。
病院へ。今日も看護婦さんに自分で起きるようにしなさいとはっぱをかけられる柏爺。
それでも傷が痛むのかあまり体勢を変えようとしない。
腸の動きを活発化させないと腸閉塞を再び起こす事もあると言われ、爺に頼む込むようにして動けと言う。
少し風邪気味の敦男兄は病室に入ることなく運転手。
敦男兄の行きたかった‘馬車道‘で昼食。
厚揚げ付テリヤキチキンハンバーグは日本的なお味でおいしかった。今度作ってみよ。
‘D2‘で雑貨のお買物。日本は便利品が多い。
柏の家へ。何故か物置の戸が開き、自転車のカバーが外れている。
1ヶ月以上留守にしているので心配だ。
重要書類の場所を爺に確認する事にする。
たくさんのビールを運河に持っていく。
爺の教え子‘かっちゃん‘から携帯に電話が入る。
「先生がお腹が痛いから早く帰ってきて下さい。」 急いで病院に戻る。
顔をしかめて痛がる爺。
抜糸も半分終わっているし、腸の動きも悪くなるので痛み止めはそうそう打つことができないそう。
我慢してもらうしかない。
「二人の顔を見たら少し痛みが治まった・・・。」と言う爺。
こんな弱気、今まで見たことない。
鍵を持たずにお母さんと家を出たかっチャンは、いったん家に戻るが家に入る事ができず(お母さんはお買物に)病室にいる。
お昼も食べていないとかで自動販売機のおにぎりを食べさす。
姉には先に帰ってもらい、私はかっちゃんが家に帰るまで一緒にいることにする。
7時、かっちゃん再び家に行ってみるが家に入れず。
午後からずっと起きている爺は疲れも溜まったのか痛みは強くなり熱も出始めた。
かっちゃんを交番に連れて行くように勧められる。
気が進まなかったが、爺の言う通り東口駅前交番へ。
この間何回かかっちゃんの家にはメッセージを残す。
私とかっちゃんの関係・状況を説明。
イエローブックで調べたアパートの大家さんであろう電話番号も提示する。
はっきり言って交番の4人のおまわりさん、誰も頼りない。
同じことを何回も話すのがいやになる。
私の話を4人がかりで対応しているのに誰も???
やっと大家さんに電話してくれたが、まだまだ時間がかかりそうな話しっぷり。
もう一度私の携帯からかっちゃんに家に電話させる。
「いた!」と電話を差し出すかっちゃん。チャンチャン!一件落着。
交番のおまわりさんに「お騒がせして、失礼しました~。」と後にする。
お母さんに怒られてしまうと元気のないかっちゃん。
複雑な家庭環境。どこまで介入していいかも分からず駅で別れる。
[SJ]
すがすがしい暖かな土曜日。
9時Teddyのトレーニング。
昨日に続き、白物の洗濯。今日も水漏れは無し。
日中家にいないので、洗濯物は室内で干していたが、今日は物干しを使う。
突然だがスキーに行こうと誘うが、絵里は宿題が多くてダメだと言う。
明日はスーパーボール サンデーなので、アメリカ人はTVに釘付けになる。
遊びに行くには、絶好なのに。
来週再度Bostonへの出張依頼があり、子供達に相談するが、人の家に泊まるより、この家にいたいという。
夜のChatも一因だろうが、勝手にできる家が良いという事か。
順子は木曜に帰る予定と言う。
水曜一晩、子供だけで何とかしてもらおう。
食器を取りに来ないMikaさんの家まで、Teddyと散歩に出かける。
絵里と宏人はついて来ない。
そのままCamden脇の公園で、しばし遊ぶ。
5時、Horton家に忘れてきたTeddy用品を引き取り、Costcoで飲料水を買い、Korean豆腐の夕食。
夜9時半、研人のIndoor Soccerの最終戦。
開始前から結果は見えた相手。何点差に抑えるか。
今日もサブ無しの研人チーム、相手は2倍は、いる。
前半Field、後半Goalie。
Fieldも良く頑張った。
後半開始時に、「いきなりボコボコ入れられるなよ」と声をかけるが、倒れこんだところに至近距離から顔面にシュートを受け、いきなり戦意喪失。
それでも最後まで良く頑張りました。
これで一つシーズンが終わった。
恭賀新年。
皆様あけましておめでとうございます。
今年もよろしくどうぞお願いいたします。
冴えないお天気の元旦。
昨晩12時過ぎまで起きていて、Teddy当番はつらい宏人。
私が起きた8時にはフード付きのジャケットをすっぽり頭にかぶり、
うんち取り用のちりとりとスコップでうんち集めをしていた。
その姿に感心。文句も言わずになかなかいい奴だ。
11時を過ぎて起き出す絵里と研人。
食卓にはお雑煮。けれど宏人はお餅なし。
いつの日からかお餅が嫌いになった。
日本酒とノンアルコールシャンペンで新年の乾杯。
子供達にそれぞれ一年の抱負を語らせる。
研人・・・日記を毎日最低1ページは書く。
(最近またきちんと書き出した日記。本人も自分の古い日記を読んで楽しんでいる様子。
自分で決めた抱負。楽しんで日記が書けたらいい。私も少し気合入れなきゃ。)
宏人・・・人を馬鹿にした様な言い方はしない。
(研人をどうしても馬鹿にする宏人。昨晩ベッドに入ってから考えた抱負だそう。
なかなかいい抱負だと思う)
絵里・・・SATの参考書を毎日少しずつやる。
(あまりにいい子だから抱負が見つからないとおどける絵里。
考え込んだ挙句のこの項目。
PSATテストのVerbal(読み取り)の成績が芳しくなく、このままではカレッジにも影響が出てしまうと、少しでも勉強する事に)
3人抱負を述べ終わり、恒例の父君からのお年玉を有り難く頂く。
ちなみに昨年の抱負は、
絵里・・・1ヶ月2冊以上の本読み・・・辛うじてクリヤー。
宏人・・・言われたらすぐに行動をする・・・抱負を立てたことを自覚していたのはほんの1ヶ月あまり。
まだまだ言われてすぐにできない。
研人・・・ゲームで遊んだら必ず片付ける・・・ゲームで遊ぶ事が少なくなったし、この家に引っ越してからは出しっぱなしでは狭い事もあってきちんとかたしている。
元旦からデートがしたかった絵里だが、私達が認めず。
図書館で借りてきた1988年公開の”1999年の夏休み”と言う何とも言えない不思議なビデオを見たりして家族5人だらだらと元旦を過ごす。
元日の今日の言葉
"God could not be everywhere, so therefore he made mothers ~Jewish Provers"
そんな立派なお母さんになれたらいい。
2004年の始まり。
今年はどんな年になる事やら???
1/2(金)くもり
あっという間に元旦も終わり、旦那は会社へ。
日本語の勉強、残った宿題を子供達はやってしまうと自由時間。
結局研人はエジプト 博物館に行ったエクストラクレジットのレポートはするつもりがなく、必死になって書き写したメモはゴミ箱へ。
私も無理にやらせるつもりもなく、お気楽に遊び始める。
絵里はAndrewが誕生日というので映画に出かけた。
今日の映画は” The Lord oftheRings/The Return of the King”
まあ次から次へとよく映画を見ること。
映画館も高校生がいなくなったら収入激減間違いなしだ。
厳しい親がいるAndrewとのデートはそう簡単には出来ず、絵里も苦労しているみたい。
ま、少しぐらい厳しい親のうちの方がこちらには安心だけどね。
旦那は今日も早々に帰ってきた。
これで仕事しているのかい。
「する仕事があればするぞ」
1/3(土)晴れ
絵里のお友達を呼んでのパーティー。
前々(バージニアの時)から絵里はお友達をたくさん呼んで家でパーティがしたかった。
この家に引っ越して充分なスペースがない事やTeddyがいる事を理由に、私は許可するのを渋っていたが、旦那の「開かせてやれば!」の一言で決まり。
私の条件である明後日から始まる学校の準備・日本語の勉強をやった上で、朝からパーティーの準備を始める。
パーティーと言っても私や絵里が料理を作るわけでもなく、ピザの注文(一番安かっ たCostcoでLarge Pizza3つ)、ドリンクの買出し(2Lの炭酸3本)チップス・アイスクリーム他、スナックの用意それとレンタルビデオ(3本)の貸し出しだけ。
まだクリスマスツリーも片付けていないので、かなり窮屈なパーティーになると思われたが、ふたを開けてみればそれほど問題があったようにも見受けられない。
6時、続々と招待したお友達が来る。
(Margret, Daina, Aiwen, Michel, Conie, Loren, David, Andy, Brian, 他ジュニアの男の子1人の計10人)
ベルが鳴るたびに Teddyが歓迎の嘗め回しをしようとする。
綱をしっかり抑えやめさせるに苦労する。
特にMargretとBrianは犬が大の苦手ときているから、行かせない様に台所に閉じ込める。
パーティーに参加したくてしょうがないTeddy。
6時半、研人は旦那に連れられてインドアサッカーゲームへ。
今日も負け2-10。後半ゴーリーをやったそう。
旦那評”ゴーリーグラブもパンツもなく、組織されたいいチーム相手によく飛びついて処理していた”そうで、合格点。
宏人は自分の部屋に入ったきり出てこないし、Teddyはとにかく落ちつかないしで、 少々つらい時間を過ごす。
しかし家に犬を飼っている子供達はTeddyの相手もお上手。
子供達は映画を見たり、卓球やDDRをしたり、ピザを食べたりでにぎやかに時を過ごす。
パーティの中DianaとAndyがべちゃべちゃくっついていたのは、高校生の内側を見たようであまり心地よくない。
後で聞いたところによれば二人はいつもそうだそう。かなり興ざめ。。。
正直なところ絵里にはあんな風になって欲しくないと切に思った。
9時、旦那と研人サッカーから戻る。
しばし私達も卓球をした後、主寝室で4人+Teddy”らせん”を見る。
リビングルーム からは楽しげなティーン達の笑い声。
11時、お迎えが来て皆さんお帰り。
私は何の手も貸さず簡単なパーティが終わった。
絵里にお父さんにお礼を言うように促す。旦那もも私にお礼を言うように言ったそう。
ほとんど私は関わらないパーティーだったけれど、子供達の日々の様子を少しだけ垣間見たようで、このパーティは有効だったと思う。
絵里も満足したようす。
1/4 (日)くもり
運河のレオンが亡くなってしまったとの連絡が入る。
昨晩急にぐったりと意識がなくなったレオンは病院で手当てを受けたが・・・。
突然の悲報に言葉もない。
死因は肝臓からの出血。
目立った外傷もなくはっきりとした原因は何もわからず。
犬を飼い始めていかに犬が家族にとって大きな存在かわかる。
姉家族を励ます言葉は見つからない。
明日から学校。
子供達はいやだいやだの連発。
家にいたって何をするわけでもないのに、怠惰な生活はこの上もなく極楽なのだろう。
1/5 (月)くもり
ついに始まった学校。実質的にも2004年の幕開け。
キャノンの半導体がどうなるかわからない状況で、私達の生活は未だ安定するはずもないが、子供達は年々成長し、絵里はあと2年で進学先も決めなければならない。
大学の費用は行くところによってまちまちであるが、グリーンカード(永住権)があるのとないのとでは費用がかなり違ってくるようで、さらに州議会はカリフォルニアの教育費の予算減で今後、州立(State)・地域短期(Community College)大学の学費を大幅に上げることを検討している。
私達もこの夏にはグリーンカード申請の手続きに入ろうとは思うものの、キャノンや移民局の状況は決して明るいものではなく、実際にグリーンカード申請の手続きをしている人たちも、通年より異常に手続きに時間がかかっている。
12月に倒れた父の手術の日はもうすぐ決まるであろう。
今は少し容態も安定してお腹もすくようになったようだが、これから大きな手術を控えて、不安は尽きない。
子供達は3人とも実に陽気に毎日を過ごしているが、私達の心が落ち着かないと子供達にも決していい影響はないだろう。
6年半前にテキサスからカリフォルニアに越してきて、あの時子供達はもうすっかり アメリカンで日本語は怪しく、とても日本には帰れないと思ったものだけど、今になってみればあの時なら帰れたと、後ろ向きに考えれば、言う事ができる。
果たして今はどんな時なのだろう。
今できる事をしよう。
だけど今の私には数年後が見えてこない。
1/6 (火)くもり
Teddyはとにかく可愛い。
しかしあまりに人懐こいので、とても番犬にはなりえない。
毎日の散歩でも好みの人がいると必死に行こうとするし、来客には歓迎の舐めまくり飛びつきがさらに激しさを増し、体が大きくなった分取り押さえるがたいへんになった。
やはり子犬のトレーニングに行く必要あり。
必要な予防接種も終わったので、今週土曜からのクラスを晴れて申し込む
(Happy Tails 毎週土曜日6回コース 139ドル)。
絵里は、学校に行く以外何のアクティビティーもなく、ただ宿題と友達とのコンピュータでのチャット。
このままではまずいと思う。
しかし本人は積極的に何かをするでもなく時を過ごしている。
宏人は、学校のクラブ活動は一切参加せず、現在は木曜にアートのクラスに行っているだけ。
友達との行き来も少なく、こんなんでいいのかと、やはり気になる。
研人は、サッカーの練習もなくただ土曜にインドアのゲームをしているのみ。
これま た運動不足と思われる。
そんなわけで、ここにきて子供達の夕方からのアクティビティーがないので、私はゆったりとした時間を過ごす。
年毎に勉強はたいへんになっていき、他に何かをやる時間を持つことはたいへんになってくるのだろうが、学校と家の往復だけでは子供達もつまらないのでは?
1/7 (水)くもり
父の手術の日が1月21日と決まった。
今回は大きな手術になるようで、父はもちろん私達も緊張している。
いたずらに月日は流れる。
ぼちぼちクリスマス用品のお片付けを始める。
オーナメントをすっかり取った裸のクリスマスツリーは何だかさびしげ。
クリスマス用品の片付けと共に一気にガレージとシェッドの中もきれいにしよう。
先日の絵里のパーティー用に借りてきた映画はこれ。
”The New Guy”
(2002年、パーティーで見た映画、高校生のお話。ティーンエイジャーには良かったみたい)
”Anger Management”
(2003年、Adam Sandler, Jack Nicoleson 主演。最低。
あんなつまらない映画は久しぶり。いくらキャストがよくてもね~)
”Daddy Day Care”
(2003年、Eddie Murphy.話題になるだけあって、面白くていい映画だったよう)
私もみれば良かった返してから後悔。
1/8 (木)くもり
一気にガレージの清掃をと思うが、どうもお天気がぱっとしない(と、言い訳)。
来週の3連休にスキーに行こうと会社の金田さんからずっとお誘いを受けていた。
はっきりした返事もしないままに月日が流れ、Tahoeにロッジが取れたと正式に連絡を受けたのは昨日の事。
旦那はすぐに子供達にスキーに行く事を知らせ、私はTeddy を預かってもらう所(Boarding Kennel)に予約の電話を入れた。
が、今日の夕食時 突然絵里が「オー!ノー!火曜日からファイナルのテストだよ。」
ファイナルのテストは日本でいう期末テストか?
あるいはもっと成績の比重が大きい?かよくわからないが、このテストの成績次第で落第はあるし、もちろんカレッジ向けの内申書に大きな影響がある(CAの方が、VAでより比率が大)。
CAに越してきてから初めてのファイナルで少しナーバスになっている絵里は
「スキーには行かない方がいいと思う。」とまで言い出す。
ファイナルの予定も知らなかった哀れな親は、<それでもスキーには行くわよ!>とも言えず、スキーは旦那と宏人と研人で行く事に・・。
ロッジを押さえてあるので5人の大所帯を考えて宿を取ってくれた金田さんには申し訳なく、旦那もどうやってお詫びのメールを打ったいいものやら困り顔。
やっとの思いでメールを打っていた。
中学生の宏人も研人もファイナルのテスト週間だそうだが、そこはまだ中学生。全く気にしている様子もない。
それにしても学校の予定をほとんど把握していない私って・・・。
でも今までファイナルだって言って一生懸命勉強した事あったっけ??
スキーに行かなくてもそれほどやるとは思えないんだけど・ ・・。
たとえスキーに行っても勉強しようと思えば向こうでできるのに・・・。
何だか全てが歯がゆい。
1/9(金)曇りのち雨
学校が始まり、子供にとって長い1週間が終わった。
私は今年1年を考えるのに、ゆっくりとしたいい1週間だった。
夕方から準子さんの家へ私一人遊びに行く。
こんな時は決まってカレーの作り置き。
後は各自勝手に食べてもらう事にして、5時 家を出る。
6人集まるはずが病気・仕事・天候不良で来る事ができず、松本ひとみさん・準子さん・私の3人だけ。
その分少人数ならではの会話も弾み楽しい時間は瞬く間に過ぎた。
おとぼけ天才型のひとみさんは、今日San Jose Stateを無事卒業することが決まっての祝杯。
彼女は6年前にサンノゼに日本から引っ越してきてすぐにコミュニティーカレッジに入学。
2年間のコースを終えた後サンノゼステートに転校。
専門 コースを進むことなく一般コースで全ての教科を学習(驚異的な事で歴史・科学・文学など一般学生が受ける授業を全部パス)、6年間かけて大学を卒業となった。
彼女には現在6年生と9年生のお嬢さんがいて、家事子育てをしながらESL(English as Second Language,第2言語としての英語)の科目からスタートしたにもかかわらず、最終的にはバリバリのアメリカ人の大学を卒業までやってのけたのだ。
えらぶらず淡々とすごい事をやってのける人はいるもんだ。
しかし簡単に卒業できたわけではない。
血の滲むような努力をしたと彼女は言う。
そんなにまで彼女をカレッジに通わせた原動力は何だったのだろう。
さらに大学院まで行こうかなと考えたという彼女。
大学事務局の理不尽な態度でのストレスは最高潮に達し、進学をあきらめたそう。
アメリカの大学に40歳を過ぎて通った彼女からの話はとても考えさせられ、参考になる。
たくさん引越しして、いっぱいの人と知り合いになって、いろんな話をして、いろいろ経験して、そういう人たちは私の財産だ。
筆不精、怠け者の故、引っ越しました葉書もクリスマスカードも年賀状も出さずに1月も中旬になろうとしている。
今になってあわててE-mailを送り出している私。
出した後はすぐ返信はまだかと待ったりしちゃって・・・
<勝手なもんだよ>。
今年の抱負を思いついた。
1/10(土) 晴れ時々くもり
9時~10時半 Teddyのトレーニングクラススタート。
今日は犬抜きの飼い主のみの説明会。
① 犬にとってもしっかりした安心できるリーダーがいるのは心地よい事である。
② まずリーダーは飼い主である認識を持たせる事が必要。
③ 家の中でのトイレの失敗は飼い主によるものがほとんど。
朝晩・食後のトイレは 飼い主がしっかり習慣化する事が大切。
④ 夜中のトイレは月令+2時間は普通。
⑤ 来週が犬と一緒のトレーニングがスタート。
飼い主が神経質になっていると犬にも伝わるので楽しく楽な気持ちでやる事。
チーズやハムのTreatの用意。
その他、犬のトレーニングの秘訣などなるほどと思う事が多い。来週が楽しみだ。
ダウンタウンでやっているというインラインホッケーの申し込みに行く。
水曜夜に行っているピックアップホッケーはどうにも組織的でなく、もう少しきちんとホッケーをしたい宏人は、少し遠いがダウンタウンにあるリーグに申し込む事にした。
場所はRollin' Ice、3月13日~5月22日。費用$170+&18 (Membership)。
ヘルメットは小さくなりズボンは切れているのでお道具を揃えるのにまたお金がかかりそう・・・。
あ~あ。
シーズンが始まる3月初めにはコーチから連絡がありチームが決まる。
7時~ Canon's Winter Masquerade Ball Party
場所はダウンタウンDouble Tree Hotelにて
12月は会場費が高くかかるという事で、年が明けてから行われた会社のパーティー。
昨年はホワイトハウスの目の前で、雪道の足元を気にしながら夜のイルミネーションを楽しみながらのパーティー参加だった。
会場内も黒人が多数を占め赤や金のロングドレスがパーティを盛り上げる。
が、今年は・・・
人影のない地味~な 駐車場を降りホテル1階に陣取られたパーティー会場へ。
チェックインの際、豪華なマスクを各自手渡される。
そして写真撮影。
旦那はマスクパーティーと聞いてすぐにビーズをあしらったお手製のマスクを製作。
一風変わったマスクをつけての撮影。
少し遅めに行ったので席はもうすでにいっぱいの状態(100席ぐらいあったか ?)。
それにしても黒髪ばかり。
ホント、カリフォルニアってアメリカって感じがしないなあ。
日本人席に座る事ができず(何故か完全に分かれている)、ゲストとして子供2人にその友達やボーイフレンドまで連れてきた人、カメラマン2人と同テーブルになる。
メインディッシュのステーキは、狂牛病が発覚する前に注文してあった。
柔らくて結構おいしかったよ。
社員有志によるSkitと呼ばれる寸劇はよく聞き取れなくて何をやっているんだか全然わからない。
その後、くじ引き。
バージニアでは水中撮影用カメラが2年続いて当たったが、今年は何も手に入らず。。。
そしてダンス。
ここのところまた肩こりがひどいので、ダンスじゃなくてエアロビにしてくれないかなとか言いながら、汗びっしょりになるまで旦那と踊る。
スローダンスあり。。。
こういうの宏人が中学のダンスパーティーで踊ってる~!?
想像できないけど、踊ってんのよねー!
2年カリフォルニアを離れている間に知った日本人はかなり少なくなり、今や数家族だけ。
私より絵里の年齢に近い人たちを相手に相変わらず馬鹿話の私・・・進歩がないね。
帰宅11時半、Teddyもベッドでおやすみだったのに、私達の姿を見るや舐めまくり尻尾ふりふりのお帰りのご挨拶。
ホント付き合いがいいんだから。
1/11(日) 晴れ
昨日のパーティで汗をかいたのがよくなかったのか、旦那が風邪を引いたようで朝起きられない。
宏人も昨日から鼻水が出ていてアレルギーとも思われるが、ティッシュを片時も放す事ができない。
それでも今度の週末のスキーの準備を始める。
宏人と研人のスキーウエアーのチェック。
アンダーウエアーが早くもきつくて着られない(去年買ったのにー)。
宏人の新品のジャケットも今年限りか余裕がない。
何年か前にずいぶん大きめのを、シーズンが終わってから買っておいたのだが・・・。
足りないところは絵里と私の物を使う事にして買い物無しで済ませる。
二人に絵里と私のスキー靴も履かせてみる。
私達4人ほとんど足の大きさ変わらず、靴を持っていく事にする。
しかし問題はスキー板。
私のは昔のだから長め、果たして使いこなせるか?
まだスキー1式をそろえる年齢でもないしね。
週末でも悠々自適の宏人。
いつ聞いても宿題はまだやってないとの答え。
宏人にかまわず、絵里のサイエンスの宿題のレポートの調べ物(Nitrogen-Oxides窒素酸化物)の為に、サンノゼのメイン図書館(Dr. Martin Luther King, Jr. Library)に行く。
最近新しく建設され移転となった図書館は、8階建ての巨大な図書館。
絵里は専門書のコーナー 、私達(旦那・研人・私)は外国語のコーナーへと分かれる。
閉館ぎりぎり(5時)まで日本語の漫画を読む旦那と研人。
私はやたらに本をあさり、こんなに読めるのかという量を貸し出しする。
サンノゼはいいよ。こんなに日本語の活字が簡単に手に入るんだもの。
Targetでこれまた絵里の買い物をすませ帰宅。
宿題の終わった宏人も釣れCity Dinerで夕飯。
アメリカらしいDinerて私は好き。
1/12(月)晴れ
2泊3日の外泊許可の出た父はこの週末柏の家にいったん帰ることができた。
食事の世話は姉がしてくれ、多少不自由ながらもゆっくりとした時を過ごせたようだ。
全ての事をやってくれている姉一家に感謝の気持ちでいっぱいだ。
本当にありがとう。
旦那の調子は今一つ。
アレルギーなのか、風邪なのか?
宏人はもう良くなった様だが、研人もどうもはっきりしない。
1月中旬からのこの季節カリフォルニアのこの地域はアレルギーシーズンが始まる時期(日本もそうかしら?)。
薬は抗ヒスタミン剤にしようか風邪薬にしようか悩むところ。
時々思うのだけれど、主婦ってシェフであり栄養士であり、看護婦であり教師であり、ドライバーであり家政婦でありカウンセラーよね。
ホントたいへんなんだからー!
この事前にも書いたっけ?!
1/13(火)くもり後晴れ
申し込んでいたCostcoからのAmerican Express Card(Amex)が送られてきた。
年会費無しのAmexでこの分で年間2%のキャッシュバックも受けられる。
旦那の会費を払っているカードは即キャンセルした方がいいだろう。
キャッシュバックも含めると年間50ドル位は節約する事になるのかな?
早速Costcoにお買い物。
最近のTeddy、ふと気がつくと50cmほど高くなった花壇の上を走り回っている。
ここで怒ってはいけないと”Come, Teddy”と声をかける。
素晴らしいジャンプで花壇を降り一気に駆けてくるTeddy。かっこいい~!
Comeですぐ来たことを褒める Treat。
そしてそこには乗っていけないことを諭す<たぶんわかってない>。
数分後 再び華麗なジャンプで花壇上を走る。
どならないで”Come, Teddy”さっと走り降りるTeddy。
もうTreatはあげられない。
怒っちゃいけないし、Comeですぐに来るのは立派だけど、上がっても声をかけられてすぐ来ればその度にTreatをもらえると思えばいつだって上がるようになるだろう。
こんな時どうするのよ?
それにしても悪びれずさっと来る雄姿は思わず拍手を送りたくなるよ
<これってほとんど親ばか?>
4時~7時、Historyのグループプロジェクトで絵里のお友達3人(Cat,Nina,Fay)が来る。
最近では誰が来ても親同士特に挨拶も交わさないし、適当にスナックを出すだけで自分達で事をどんどん進めている
<そりゃあそうよね、もう高校生なんだから>
今日はコンピューターも使うからとプレールームを占拠しているので宏人と研人はご機嫌斜め。
兄弟がいるってこんな時にもいいわよね。
常に自分の思い通りにはならないって知るんだから。
1/14(水)曇りのち雨
旦那と研人はアレルギーのせいかひどく調子が悪いが、会社・学校へ出かけた。
私はお気楽に準子さん宅へ出かけた。
今日は新年会と言う名目のお食事会。
メンバーは、鍵山・松本・白岩・各務・福田・甲斐・準子さん・私の8名。
各務さん以外アメリカ生活5年以上、どかんとした生き様が立派なつわもの揃い。
そしてポットラックのお食事も見事な出来栄え。
プロの料理人が作ったような品揃え。
これじゃへたなレストランはお呼びじゃない。
それにしても最近お会いする人誰もが頭の切れる優れ者で、質の高さを感じる Almaden。
自分がとっても馬鹿に思えて情けない。
Teddyの事が気になって早く帰りたい私。
過保護すぎると皆に諭され2時までずるずると話し込む。
どうもうちはTeddyに甘すぎるよう。
家に帰るとひたすら私の帰りを待っていたTeddy。
飛びつき舐め回し攻撃。
”NO !” ときつく言ったら私の周りをぐるぐる回りながら吠えまくった。
喜びをどう表現していいのかわからず、ただただ尻尾ふりふりの雄たけび付きぐりぐり回りをしているよう。
抱きかかえ思い切り舐めさせる。
しばらくしてやっと落ち着く。
そんなにさびしがり屋でどうすんのよー。
それがまた可愛いのだけど・・・。
夜、来年高校に入る人のための”High School Information Night”が高校であった。
しかし宏人行きたがらず。私一人で行くのも億劫で欠席。
何だか無気力の日々が続いている。
1/15(木)くもり
研人の咳が止まらずこのままアレルギーの薬だけでいいのか、迷うところ。
旦那の調子も良くならず、眠りが浅いのか夜中に何回も起きている。
旦那がごそごそ起きていると研人の咳が聞こえてくる。
ああ、憂鬱。
こんなんで果たしてスキーに行けるのかい?!
今週初め江戸爺にご足労願って、無事会社の財形融資の返済を完了した。
これで会社からの借金はなくなり少し気分が軽くなった。
が、相変わらずゆうきが丘の御殿に住んでくれる人はおらず、血と汗と涙の結晶の御殿は泣いている。
柏爺の手術の日も近づき、わたしも日本へ一飛びしようかと思う。
子供達は8年前の母の時とは比較にならないほど成長し、少しくらい私がいなくても生活できる事だろう。
今何をするべきなのか?
その時その時でできるだけベストな選択をしたい。
宏人はアートクラスに行く。
今までの先生とは全く違いかなり先生流のやり方を強いているようで、あまり宏人は気に入らない。
しかしまずは基本を身につけさせたく、もう少しこの先生の下で学ばせようと思う。
メイン図書館で借りてきたサイエンスの参考資料をあっさりDavidに貸す絵里。
明日の歴史のファイナルテストの勉強もそこそこにサイエンスのレポートを大急ぎで仕上げる。
締め切りはまだまだ先なのに、彼が取りに来るからとテスト勉強せずにレポートを仕上げる人の良さ。
何でそんなにまでして貸さなくてはいけないのか?
うちでわざわざダウンタウンまで行って借りてきた資料なのに・・・。
まずはテスト勉強してよー。
などと思ってしまう私は意地悪か?
しかし考えてみればうちの3人の子供達、皆それぞれ人が良い。
家ではわがままし放題・兄弟への思いやりなんて微塵も感じられないのに友達にはめちゃくちゃ優しい。
そんなんで言いたい事をきちんと言ってこられるのか多少心配だけど、意地悪な子よりはいいかもね。
1月22日(木)晴れ
7時40分、子供たちをいつものように学校に送り出す。
9時半、旦那様が私を空港まで送ってくれる。
子供たちの事が心配であるのは間違いないが、胸がきゅんとするように寂しさを覚えるのは、Teddyに対して。
そんな自分に苦笑い。
この事をだんなに話すと「俺は?」
・・・・考えもしなかった。。。。ごめん。
12時20分サンノゼ発。AA129便。
真ん中の5人掛け用にたった一人。がらがらの機内で快適フライト。
途中から2人移ってきた人がいたが、2人分の空間を使ってゆっくりすることができた。
映画2本を鑑賞。アメリカンでも日本語で見られる。
これって画期的。
12月23日(金)曇り
予定通り4時過ぎ成田到着。疲れていない。
5時40分、京成バスに乗り柏まで向かう。これも数人の乗客。
途中寄ることになっ ていた千葉駅方面を、客がいないのでスキップ。
順調なドライブとなる。
7時過ぎ、柏駅西口到着。
トランクを持ったまま、岡田病院210号室へ。
バス停まで出て行った葉子姉夫婦と行き違いなった事を気にする父。
大手術の後とは 思えない声の張り・顔つや。
ずいぶん痩せてしまったが、想像していたより元気だ。
来て良かった。
父が朝から私の来るのを心待ちにしていてくれた事を葉子姉聞いて心底思う。
敦男兄の車で運河へ。
しばらく運河に泊めてもらうことにする。
[SJ]
宏人は朝のTeddy当番の後、1日中ゲームとTVで過ごした模様。
研人はTeddyのお散歩とBrushingは、した模様。
絵里は部屋の掃除の後、LLまで歩いて遊びに行き、帰りは誰かの親に送ってもらったそう。
お昼には冷凍庫の餃子を食べたそう。
夕食は、昨日準子さんに頂いたさばの味噌煮の残りと、肉じゃが。
どちらも昨日と同じ。
絵里が大根と油揚げの味噌汁を作り、ご飯を炊いた。
明日はTeddyのクラスと図書館返却、銀行入金、牛乳買出しの予定。
1月24日(土)晴れ
10時、岡田病院へ。
柏爺は昨晩眠れなかったそうで、調子が悪そう。
かなりきついように見受けられる。
昨日の様子とは、かなり異なる。
時を同じにして来てくれた江戸爺と1階の談話室へ。
誕生日おめでとうと花束をいただく。
雑談の後、病室へ。
先ほどは気分も良くなったのか、少し話せるようになった。
姉によれば、おととい酸素マスクがとれたそうだが、今日はチューブの酸素もなくなった。
まだまだチューブだらけのスパゲティー状態だが、少しずつ取れていくのだろうか。
少し寝るというので、葉子姉と二人柏の家に向かう。
いただいたお花は母の仏壇に供えさせていただく。
主のいない柏の家は冷えきり、寒々としている。
換気・花の水やり・近所の挨拶・郵便、留守電チェック。
後から来た敦男兄と3人車でタンタン麺を食べに出かける。
[SJ]
今日は土曜日。絵里がTeddy当番。
9時のTrainingにつれて行く。
昼は、PizzaとおにぎりとChips。
宏人と研人の散髪もした。
Walkは宏人。
研人のゲーム後に、マッシュルームBBQバーガーサンドとチキンブレストサンドを家で作った。
こんなんで満足してるみたい。
研人のゲームは、前半ForwardとDefence、後半Goalieで頑張ったが、大して強くない相手に6-1で敗れる。
ゲーム留守番の絵里と宏人は、Teddyの晩御飯をあげ忘れたので、X。
1月25日(日)晴れ
9時運河を出て、幕張にあるCostcoに出かける。
日本のCostcoはいい。アメリカや日本のお買い得がいっぱい。
食品は日本人の味覚にあっているから買いたいものたくさん。
お土産品を購入。
時間がないのでランチタイムを節約。Costco産テイクアウトのピザと寿司(日本の)を車中で食べる。
1時半、岡田病院へ。
すでに博さん夫婦がいらしていた。
今日は柏爺さらに顔色も良い。
しかしまだ絶食で水も飲めない状態。
病室は室温調節が悪く、ヒーターが入っているとむかむかしてくるほど。
乾燥も進む。
[SJ]
研人Teddy当番。
昨日からTeddyの食事時刻を少しづつ遅らせる。
来週の昼食を3時まで我慢させる為。
ガレージ脇の木蓮が、ずいぶん咲き始めた。
Costcoで牛乳と卓球場の照明を買い、古いのと取替え。
Lelandへ行き、Tennis、Basketball、その他Teddyと遊ぶ。
泥で汚れたので、Teddyもお風呂。
ThaiでTake-outをとり、家で食事中にMikaさんから混ぜご飯とPork BBQがとどく。
1月26日(月)晴れ
敦男兄・葉子姉は久しぶりに仕事に出かける。
私は10時過ぎ病院へ。
今日は少し痛むようだが、経過良好。
口にガーゼで水を含ませる。まだ飲む事ができないので湿らせる程度。
少し身体を起こし、テレビをみる事もある。
午後回診。まずは院長。・・・・最低!!
入ってくるなり「あら~、安達さんかわいそうね。こんなに管だらけで・・・。」
と、ぜんぜん感情なく言う。
柏爺が間違えて後でお話を伺いたいと娘が言っているのでといった途端
「私はだめだめ。担当の久保からにしてください。はい。」
と、逃げるようにして何にもしないで出て行った。
あいつが胃痛で来院した柏爺胃薬を出し続け(2週間)、激痛になって入院・緊急手術になったんじゃないかよー!
久保医師による回診。この時私は病室の外へ。
その後医師との面談を1F外来の診察室で行う。
すい臓・脾臓・大腸と胃の一部をとるたいへん大きな手術であった事、その手術には絶対的な自信があること、術後の回復は順調であるがこれから1週間は注意が必要である事を聞く。
この医師は信頼できると直感した。
後少なくとも1週間は私はこちらにいたいと思う。
帰りのフライトは来週の木曜に予約を入れてあるが、変更可能。
もう少し様子をみることにする。
6時、葉子姉と住友生命の高嶋さんに会う。
姉は自動車保険の手続き、私は海外で給付金を受け取るための手続きのついて説明を受ける。
絵里と宏人が住友に入っている(全納済み)。
海外在住の書類を出す事を勧められる。
[SJ]
久しぶりに学校。Teddyもさびしくなる。
8時に朝食後、庭で子供達の帰りを待つ。
どうやら、食べ物を作るのは絵里、洗い物は研人、洗濯は宏人と決まったらしい。
とはいっても私が帰宅すると、朝食のかすやら、ランチの袋やら、おやつの食い散らかしで、食卓の上はごみだらけ。
洗濯も、汚れ物を入れてスイッチを入れるまで。
乾いたものをたたむとか、干すとか言う作業は含まれていないようだ。
さらには、各人の服を部屋までもって行くとか、 たんすに入れるとかは、彼らには必要ないらしい。
腐ったり、火事を出したりするものでない限り、絶対に手を出さないと決めた。
夕飯はMikaさんからの差し入れと、カレーの残りで十二分。
1月27日(火)晴れ
10時、柏爺の所用で銀行・郵便局に寄ってから病室へ。
朝から発熱38.4度、痛みもあり顔色も悪い。
私が昼食に行っている間に、痛みはさらに強くなったようで、久保医師と看護婦さんがばたばたと手当てをする。
腸から直接入れていた栄養剤中止・痛み止めの筋肉注射を打つ。
熱は下がるものの、なかなか痛みは引かない。
痛み止めの座薬を追加。
医師が治療している間は私は病室外にいるので、中でどういう治療をしているか詳しくわからない。
しかし血液検査等もしているようだ。
5時過ぎ、ようやく痛みが遠のき落ち着いた表情となる。
医師は「今まで何にもなかったのが不思議なほど。
縫合したところから悪いものは出ていないのですが・・・。」と、一言。
信頼してお任せするしかないのだろう。
痛みがなくなって眠気がきたようなので、夜勤の看護婦さんに何かあればすぐ連絡してくれるように頼み、運河に戻る。
昨日とは一転した爺の状態。傍らから見ていて何もできない。
[SJ]
3時に学校から帰り、私が戻る6時の間、子供達は宿題を終わらせているのだろうか?
6時から寝るまで、ゲーム、TV、パソコンしかしていない。
Teddyのトイレすら気付く人はいない。
こういう時に限って、出張が入ったりする。
マサチューセッツのBostonまで、お客を安心させる為のMeeting。
何とか私抜きでやってもらおうと思っていたが、お客からせっつかれ、断りきれなくなった。
すぐにHortonさんに電話し、子供を預かってくれるよう頼む。
東海岸への出張は、移動時間がつらい。
朝6時に離陸して、夕方5時に到着。
途中Chacagoでの乗換えと、3時間の時差の為、こうなってしまう。
金曜の午前中だけのMeetingだが、木曜朝6時から金曜夜11時まで費やす。
このため、子供達とTeddyは、水曜の夜からHorton家に世話になる。
日本からのお土産を期待する。
1/28(水)晴れ
10時半、<今日はどんな感じだろう>どきどきしながら病室に入る。
「痛くなかったのでよく眠れた。」と言う。熱なし。
しかし顔色はよくない。
大おばあちゃんの入っている柏厚生病院へ行く。
510号室の4人部屋に入っている大ばあちゃんは静かな寝息をたて眼鏡をかけたまま気持ちよさそうに眠っている。
狭い病室の他3人も皆ご老人。そして皆眠っている。
声をかけずに病室を後にする。
柏の家へ向かう。近所のおばさんに会ってしまい、いろいろ聞かれる。
家では、まずお母さんに挨拶して、郵便物・留守電のチェック。
CAの友達準子さんに電話。
急に旦那がボストン出張になり子供3人+Teddyを準子さん宅で預かってもらう事になった。
気軽に3人+1匹を引き受けてくれる準子さんに心から感謝。
どうやって感謝の気持ちを表したらいいだろう。
その後家に電話。子供3人と旦那と話す。
宏人の声が大人びてびっくりした。研人は寂しいと言った。絵里はたいへんだけど大丈夫と言った。
旦那は「子供たちは平気だよ。お母さんがいなくてもよそのおばさんがいれば大丈夫。」と言った。
こちらに居させてくれる家族に感謝。
1時、病室に戻る。寒くてたまらないと訴える柏爺。
布団を3枚・電気毛布を強にするが、がたがたとふるえる。
40度以上の発熱。再び医師らがばたばたと手当て。
点滴の仕方が医師の指示と違ったのか看護婦を叱り飛ばす久保医師。
熱さましのお薬がなかなか効いてこない。座薬投与。
夕方になって少し薬が効き始める。37.5度。
やたらに「葉子はくるんかな?」と、姉の来院を待ちわびる柏爺。
私が居るうちは病院通いは少しお休みできればと思っていたが、楽しみにしている柏爺の言葉で来て貰う。
全ての連絡は携帯電話でのメール交換。これだといつでもメールが打てたり受け取ったりできる。
毎日の父の様子や予定も随時メールで連絡。母の入院時にはなかった便利さだ。
5時半。姉が来る。特に話もしようとしない爺。
来てくれるだけでいいのかな。
気がだいぶ弱くなっている。
[SJ]
明日早朝からの出張に備え、子供達はHorton家へ。
私は準備の為久々の残業。
こういう忙しい時に限って、次々と飛び込み仕事が来る。
10時半までかかって、完成したのは五分の一?
まあ、ぶっつけでもこなせる仕事なのだが。
それより、長時間かけて往復しても、私の仕事の時間が取れるかどうか。
Meetingの主目的は、営業的なことなのだから。
1/29(木)晴れ
毎日いいお天気。カリフォルニアでは見られなかった青空が毎日広がる。
日本に来て1週間。皆たいへんな思いで生活している。
10時過ぎ病院へ。昨晩はよく眠れたそう。少し声に張りがある。
看護婦さんに「今日は良さそうですね。」と言うと、「昨日も午後から悪くなったからちょっとまだわかりませんね。」と、言われる。
いい状態で居て欲しい。
柏へ再び足を運ぶ。保険の書類等の整理。
そごうに買物。ホートンさんに送るお礼の品々を1Fの食品コーナーで探す。
智ちゃんが働いているヨックモックにも立ち寄り、いろいろサービスしてもらう。
ありがと、智ちゃん。
病室に戻りシーツ交換を手伝う。
まだまだ体を自由に動かせないので3人がかりの大仕事。
薬局長の西沢さんが様子を見に来た。
親切に薬の説明をしてくれた。ここに教えてくれた薬の名前を書き留めておこう。
ラコール(経腸栄養剤)・ビタミンB1・グルブリン(免疫効果を高める)
・ペニシリン・ペプラール(胃酸を抑える)
彼女の話によると白血球の値もどんどん下がってきているので順調と言えるそう。
荷物が多くなってしまった。葉子姉に車で来て貰う。
夕飯の買物も済ませ病院から帰る。
気分がずいぶん良くなったようで、積極的に口をゆすいだり
体を起こそうとしたりしている爺で、落ち着いて帰る事ができる。
[SJ]
最低の一日。
朝4時40分に起きて6:19発のAAに乗る。
Bostonへは五大湖の湖畔、Chicago経由。
冬場のここいらは、吹雪の為にちょくちょく混乱するので、できれば避けたい空港。
今回は直前の予約、到着時刻もBoise、Newark、Richmondからの部隊と合流する為、制限着き。
やむなく選んだ乗換え空港だった。
前日の天気予報は、小雪がちらつく程度(と理解した)だったが、
Chicagoに近づくにつれ、機体の速度が落ちる。
天候をうかがっているに違いない。
それでも30分遅れで、そろそろと着陸。あたりは粉雪が舞っている。
次の障害は、到着ゲートがない。
みな出発前の凍結防止剤を機体に撒くため、予定通りゲートを離れられない。
機長も「さてどうなりますか」と、楽観的。
「乗り継ぎの飛行機は、みな遅れているはずですから、まだゲートにありますよ」なんて言ってる。
滑走路で待つこと2時間、ようやくゲートに向けて動き出した。
機体が位置を変えたため、後方の様子が見えたが、なんと我々の後ろに、10機のAAがゲート待ちをしている。
あの人たちは、いつ入れるのだろう。
ターミナルで乗り継ぎのBoston行きを探す。
ところが電光掲示板はほとんどのフライトがCancelとなっている。
Boston行きは、予約の便はとっくに掲示板から消え去り、続く2つの便がCancelされている。おいおい。
こうなった時は、窓口で直接交渉しかない。
ターミナル内でAAのカウンターを探すが見当たらず、大行列を覚悟で荷物のCheck In Counterへ。
あらら、待っている人はほとんどいない。
その列に並ぼうとすると、「予定変更の人は赤い電話機を使ってください」
みると人のいないカウンターに、赤い電話機がぞろっと並んでいる。
10分は繋がらないのを覚悟してその一つをつかむと、意外にすぐ繋がり、
丁寧な対応を受ける。
夜の8時の便が取れますと。でもそれはTime tableの時刻で、それがいつ飛ぶかは?
それに乗ってもBoston到着は11時40分。Hotelから1時間強の道のりを、誰かに迎えに来てもらうことになる。
しかもさらに遅れる事は必至。
Boston行きを諦めて、SJに戻る交渉をする。
別の女性が、これまた丁寧に対応してくれる。
最悪、どちらにも飛べなかったら、AAがHotelを取ってくれるのか?の問いには、機体故障ではないのでできません。なるほど。
Bostonへ飛んでも、明日の夜またここで乗換えがあり、2重のリスクとなる。
子供達を人に預けているので、金曜中に帰れないのは困る。
そもそも別人をあてがっていた仕事。などなど、Negative要因を並べて、SJに戻る事に決定。
すでにBoston入りしている同僚に電話し、戻ると告げる。
SJ行きの出発予定は、7時10分。まだ3時間ある。
相当に遅い昼飯を食べ、持参したバーバラ・ブラッドフォードの本を読む。
出発ゲート変更。8:15に遅延。8:35に遅延。
8時過ぎにようやく機体が到着。帰れそうだ。
1月30日(金)晴れ
子供たちがお世話になっているホートンさんのお宅へ日本の味の詰め合わせを送る。
特急便で3,4日で着くそう。喜んでもらえるといいのだけど・・・。
病院へ。熱なし痛みも強くない。しかし機嫌が悪い。
ひたすら回診を待つ柏爺。
私は病室にべったり居るわけにもいかず、柏の町をふらふらする。むなしい。。。
高島屋で行っていた無料健康診断をする。血管年齢55歳と言われショックを受ける。
運河のお隣の家から聞いた羅漢果を飲み始めようか。
午後、久保医師の回診がある。
お腹と尿の管を残して他の全ての管が外された。
ベッドを上げなくても自分で起きる努力をするように再三言われる。
ベッドサイドに足が出せるようになれば尿の管も取れるそう。
本人の頑張りがこれからを決めるのだろう。
しかし、如何せん機嫌が悪い。思わずわがまま言うなと激す私。
今日は早々に病室を去る(5時)。
[SJ]
朝寝坊して起きると、Teddyが庭にいた。
Hortonさんが、落としに来たのだろう。
帰宅したので、今晩は子供を家に帰すよう、電話で伝える。
会社にて、出張の目的が達成できなかった旨を、関係者に説明。
8時の便で飛べた可能性については、夜の便はすべて満席で、不可能だった事にした。
ここはうそも方便。
1年前に帰国された綾田さんが、LAでの学会後にSJにいらした。
いろいろとご人力頂いた恩があり、家に戻った子供達には悪いが、晩餐会に出席した。
子供達はHortonさんに頂いたコロッケと、自分達でご飯をたいて食べた。
外泊もあり山のような洗濯物。
家に帰ったら、洗濯は終了していた。
今日は水漏れもないようだ。
干されていないが、今日はよしとしよう。
ところが、食器は洗えていない、絵里はPCの前、Teddyの姿は見えない。
金曜だというのに早々と寝ていた子供の部屋を覗く。
研人、すでにお休み中。
宏人、ベッドの足元に動くものあり。Teddyだ。
どうしてベッドに上げたり、一緒に寝たりするのだろう。
その後の教育に混乱を招くだけではないか。
外泊中はうんちも出ないTeddy。
きっと宏人も研人もそうなんだろうな。
1月31日(土)晴れ
葉子姉の車で送ってもらって江戸川台へ。
住友生命の証券他日本に居て私が整理できそうな通帳を確認。
江戸川台のコンピューターをチェック。これで旦那が作っているMy DiaryのWebサイトをPCで見られる。
私が日本に来てからは旦那のSJ版と私の日本版を同時進行。
お互いに相手の様子が分かりありがたい。
病院へ。今日も看護婦さんに自分で起きるようにしなさいとはっぱをかけられる柏爺。
それでも傷が痛むのかあまり体勢を変えようとしない。
腸の動きを活発化させないと腸閉塞を再び起こす事もあると言われ、爺に頼む込むようにして動けと言う。
少し風邪気味の敦男兄は病室に入ることなく運転手。
敦男兄の行きたかった‘馬車道‘で昼食。
厚揚げ付テリヤキチキンハンバーグは日本的なお味でおいしかった。今度作ってみよ。
‘D2‘で雑貨のお買物。日本は便利品が多い。
柏の家へ。何故か物置の戸が開き、自転車のカバーが外れている。
1ヶ月以上留守にしているので心配だ。
重要書類の場所を爺に確認する事にする。
たくさんのビールを運河に持っていく。
爺の教え子‘かっちゃん‘から携帯に電話が入る。
「先生がお腹が痛いから早く帰ってきて下さい。」 急いで病院に戻る。
顔をしかめて痛がる爺。
抜糸も半分終わっているし、腸の動きも悪くなるので痛み止めはそうそう打つことができないそう。
我慢してもらうしかない。
「二人の顔を見たら少し痛みが治まった・・・。」と言う爺。
こんな弱気、今まで見たことない。
鍵を持たずにお母さんと家を出たかっチャンは、いったん家に戻るが家に入る事ができず(お母さんはお買物に)病室にいる。
お昼も食べていないとかで自動販売機のおにぎりを食べさす。
姉には先に帰ってもらい、私はかっちゃんが家に帰るまで一緒にいることにする。
7時、かっちゃん再び家に行ってみるが家に入れず。
午後からずっと起きている爺は疲れも溜まったのか痛みは強くなり熱も出始めた。
かっちゃんを交番に連れて行くように勧められる。
気が進まなかったが、爺の言う通り東口駅前交番へ。
この間何回かかっちゃんの家にはメッセージを残す。
私とかっちゃんの関係・状況を説明。
イエローブックで調べたアパートの大家さんであろう電話番号も提示する。
はっきり言って交番の4人のおまわりさん、誰も頼りない。
同じことを何回も話すのがいやになる。
私の話を4人がかりで対応しているのに誰も???
やっと大家さんに電話してくれたが、まだまだ時間がかかりそうな話しっぷり。
もう一度私の携帯からかっちゃんに家に電話させる。
「いた!」と電話を差し出すかっちゃん。チャンチャン!一件落着。
交番のおまわりさんに「お騒がせして、失礼しました~。」と後にする。
お母さんに怒られてしまうと元気のないかっちゃん。
複雑な家庭環境。どこまで介入していいかも分からず駅で別れる。
[SJ]
すがすがしい暖かな土曜日。
9時Teddyのトレーニング。
昨日に続き、白物の洗濯。今日も水漏れは無し。
日中家にいないので、洗濯物は室内で干していたが、今日は物干しを使う。
突然だがスキーに行こうと誘うが、絵里は宿題が多くてダメだと言う。
明日はスーパーボール サンデーなので、アメリカ人はTVに釘付けになる。
遊びに行くには、絶好なのに。
来週再度Bostonへの出張依頼があり、子供達に相談するが、人の家に泊まるより、この家にいたいという。
夜のChatも一因だろうが、勝手にできる家が良いという事か。
順子は木曜に帰る予定と言う。
水曜一晩、子供だけで何とかしてもらおう。
食器を取りに来ないMikaさんの家まで、Teddyと散歩に出かける。
絵里と宏人はついて来ない。
そのままCamden脇の公園で、しばし遊ぶ。
5時、Horton家に忘れてきたTeddy用品を引き取り、Costcoで飲料水を買い、Korean豆腐の夕食。
夜9時半、研人のIndoor Soccerの最終戦。
開始前から結果は見えた相手。何点差に抑えるか。
今日もサブ無しの研人チーム、相手は2倍は、いる。
前半Field、後半Goalie。
Fieldも良く頑張った。
後半開始時に、「いきなりボコボコ入れられるなよ」と声をかけるが、倒れこんだところに至近距離から顔面にシュートを受け、いきなり戦意喪失。
それでも最後まで良く頑張りました。
これで一つシーズンが終わった。
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