9日間のカリフォルニア滞在は、ひたすら忙しくあっという間に終わってしまった。
7/5火<1日目>
ロサンジェルス(LA)到着。LAに住む娘に迎えに来てもらった。すぐに1時間半の南下してアーバインに住む次男のアパートに向かった。次男と駐車場で合流し、そのまま量販店コスコまで買い物に出た。次男のアパートでコスコで購入した食料品を3人の子供たちに分配、日本からのお土産も3等分にした。次男はすぐに日本太鼓の練習へ。夕飯は娘と私たちの3人でベトナム料理を食べた。娘はLAに戻り、私たちは次男が乗っている車でサンディエゴ(SD)の家に向かった。SD到着夜の11時過ぎだった。長男はお出かけ中だったので、家の中を一回り。なんだか変な感じ。長男帰宅後、再会を祝し乾杯!
7/6水<2日目>
予約しておいたDMVで運転免許の更新。通常はオンラインでできるのだが、2回すでにオンラインで更新してしまったので今回の更新はDMVまで出向く必要があった。有効期限が切れていたので、面倒なことになるかと思いきや、何の問題もなく仮の免許書(有効期限10月まで)が発行された。本来の免許書は2~3週間で発送になると言われ、<これがなかなか来ないのよね~>なんて思っていたのだが、すでにSDの家に送付されたそう。あまりに簡単に手続き終了でちょっと拍子抜けしたような・・。
家は、内外問わず荒れ放題。ソファーには誰のものかもわからない衣類が山とあった。友達が来て忘れていくとか・・。極めつけはマスターベッドルームに置かれた2人用の長い枕?!何なんだ~~~?!聞けば友人(男)が枕を持ってお泊りに来て忘れていったとか。確かにその友人の名前が書かれていたけれど、何をやっているのかしらね。それにしても、トイレに洗面所・キッチンとどこもかしこもずいぶん汚してくれたもんです。こりゃ少しずつ時間をかけて掃除しなくちゃ、簡単にはきれいにならないと早々に掃除開始。夫は荒れ放題の雑草取り。狭い庭も何も手を加えず草ぼうぼうになっていた。
それでも我々が来ると長男は大慌てで掃除したような痕跡が見えるのが大いに笑えた。シーツをはがして洗濯したり(何か月ぶり?)大急ぎで棚を拭いたような片隅に集められた埃とかね。そういえば娘と次男が昨日「今頃はH(長男)は掃除で大変そう~。」とニヤニヤ笑っていた。ちょっとからかったら、長男「すっごく大変だったんだからー。」と口をとがらせていた。haha.
山のような郵便物・書類をチェックした後、この日もコスコにお買い物。郵便物に期待していたコスコやクレジットカードのキャッシュバックがきちんとあったのがうれしい。銀行で解約の手続きを取ったり携帯電話を調べたり、あれもこれもと雑事に追われた。
夕飯はコスコで買ったサーモンを焼いた。調理機器や調味料・・いろいろ変わっててスムーズに調理ができない。でもサーモン、やっぱ美味しいよぉ~~。
カリフォルニアに行ったら食べるぞリストを一つずつ食べていく決意を固めた(笑)。
今まで一人暮らしを経験したことがないのに、いきなりアパートとはいえ1軒の家の管理を任された長男は、いろいろ大変なんだろうと推察する。家の掃除はともかく、郵便物の仕分け、重要書類は私に写真やスキャンで送らなければならない。郵便物は娘や次男の物もあるし、それらのお世話も長男の役目だ。銀行の残高チェックや支払はできるだけオンラインで私がするようにしているが、それでもオンライン処理できないものもある。そもそも事務処理能力に欠け、面倒くさがり屋の長男が管理しなくてはならないというのも、酷なものだねぇ。
7/7( 木)<3日目>
サマークラスに太鼓レッスンと忙しく過ごす次男は、私たちの滞在中サンディエゴの家に戻ってくる事も出来ないと言う。それでもスケジュールを調整して、この日をオープンにしてくれたので、私たちは長男を連れて彼の住むアーバインに出かけて行った。アーバインまでは海岸線を約1時間半のドライブである。
大学2年となる次男は、寮生活からアパート住まいに変わった。アパートは大学の敷地内にあり清々とした贅沢な所だった。息子はバストイレ付の2人部屋、同じユニットには他2つの一人部屋とリビング&キッチン,バストイレがついている。大物家具や冷蔵庫は設置されており、こんな贅沢許されるの~ってな、お部屋だった。同じUC(カリフォルニア大学)といえども、場所によってずいぶん生活環境が異なる。昨年LAの大学のアパートに住んでいた娘もあまりの違いに驚いてた。。LAの住まいは狭い・高いの極みだからねぇ。
UCI大学のキャンパス、近くのショップを案内してもらった。1965年創立のUCIであるが、キャンパスは近代的でわかりやすい配置になっている。
私達は、息子が8月から始めるというバイト先をのぞいたり、時々利用するというフードコートに行ったりした。昼食には待望のLee's sandwichesにも行った。このベトナムサンドイッチ屋さんはシリコンバレーで多数の店舗を持つレストランで一時は1週間に1回は食べるほど私たちは気に入っていたけれど、サンディエゴには店がなく、とても恋しく思ってた。
キャンパスを離れ、南カリフォルニア最大の300店舗以上が入る巨大モールSouth Coast Plazaに行った。高級品店街をウインドショッピング。おしゃれしてくれば良かったと後悔した。モール内をフラフラしていただけでタイムアウトとなり、大急ぎでアパートに戻った。この日も6時から息子の日本太鼓の練習があるのだった。今や生活の中心が太鼓となった息子だが、週末はサンノゼの祭りイベントで太鼓のパフォーマンスに出かけていくという。
アーバイン観光(?)を終えた私たちは、海岸線を下る。途中どれほどのお金持ちなんだという超高級リゾート地Laguna Beachを通る。どんな人が住んでるんだろ?この辺りは走る車も超高級車揃い。ちょっと夕飯でもと思ったけれど、どうも場違いな私たち・・なかなか決められない内に落ち着ける雰囲気に車窓からの風景が変わっていった(笑)。
イタリアンで夕食。これぞアメリカものすごい大盛り、大味でございます。食材は良いのに、何でここまで濃い味にするかな~?やはりイタリアンはアメリカでは避けるに限る。いい値段とる割りに、これはいけるという事はほとんどない。その点日本のイタリアンは安くておいしいなあ。それでも夫はワインなんぞ飲み、帰りは長男に運転してもらってと、ちょっと良い気分だった。
7/8(金)<4日目>
連日、最高気温25度・湿度40%の青空の南カリフォルニアだから、夜もぐっすりよく眠れる。すっかり朝寝坊してしまって、行動開始が遅くなった。
この日はまずは掃除から始めた。夫は車の整備やガレージ内を、私はキッチン・洗面所。その後、郵便物や書類の整理をしてあっという間に半日が終わった。
国際免許の再発行手続きをしたり、日本での免許取得のためのドライビング記録のコピーを作ってもらったり、DMVとAAA(日本のJAFF)へ行った。その後我が家のメインバンクに出向き、今後の資金繰りのお話を少し。担当者からの電話をもらう事にした。(後日談、約束の電話はかかってこなかった。こんな事もあろうかと滞在早めに銀行に出向いて良かった。再チェックする時間が残されていたからね。こういう所アメリカを信用しちゃいけないのよね~。)
昼食抜きの私たちは早めの夕食を行きつけの韓国焼肉店で食べた。韓国焼肉もカリフォルニアで食べるリストに入っていたのです。いやいや、久々の肉肉肉・・・。思い切り食べた~。お腹がはちきれそうになった。
7時過ぎ、腹ごなしに家から5分のUTCモールに出かけた。このモール大好き。何も買わずプラプラしているだけで楽しい。冷たいほどの夜風が心地よい。灯り出した電灯の明かりがやさしい光を放ってる。
この街、好きだなあ~。
7/9(土)<5日目>
ロサンジェルスに住む娘が、この週末サンディエゴに戻って来てくれるという。
彼女の所からは1時間半南下、SDからは30分北上した所にあるカールスバッドのアウトレットで、待ち合わせをした。
サンディエゴ近郊のアウトレットは2つあり、このカールスバットとメキシコとの国境沿いにあるLas Americasだ。アウトレットもいろいろで、Las Americasはさらにお安いアウトレットのような気がするのだけど、ホントかな?
それはさておき、中間点である Carlsbad Premium Outletsは、私のお気に入りのアウトレット。規模も手ごろ、好きなショップがたくさん入っている。
http://www.kingsfishhouse.com/index.html
ちょっとした旅行気分に心も踊る。次男も来られたら良かったなあ(次男は太鼓パフォーマンスでサンノゼに行ってる)。クラムチャウダー、ソフトシェルクラブサンド、フィッシュ&チップス、サーモン、カキフライ・・・アメリカならではのシーフード料理に舌鼓を打った。
お昼を過ぎたら、駐車場は満車状態。今までにない混みようだ。
4人バラバラになって勝手にお好みの物を物色。行く店は決まっているので、あまり見失うこともない。
http://delmarpizza.net/
飾らない店の作り、リーズナブルなお値段。席が少ないのが難だけど、デルマルに行ったら外せないピザ屋だ。おしゃれな海岸線の街デルマールは犬連れも多く、犬同伴OKのレストランも多い。この前はテディーと一緒だったな、ああ、連れてきたかった~。
7/10(日)<6日目>
庭つくりが趣味になりつつある夫は、いろいろとガーデン用品を手に入れたいということで、サンディエゴダウンタウンにあるオールドタウンに出かけた。
何でオールドタウンかというと、、、メキシコの品々が安く売られているので掘り出し物でもないかとチェックしたかった。だけど、ガーデン用品ってどれもこれも大物だし、小さくても重い!安くても送料かけてまでの物でなく・・・。
今まで貸家の生活をしていたので、何の興味もなかったガーデン用品だが、こうして興味を持ってみるとアメリカでは非常にさまざまな物が手ごろな価格で買えるのを知った。
サンディエゴのアパートには、1月から一人ルームメイトが入っていた。彼は、大学が夏休みに入って実家に帰っているが、9月の新学期にはまたサンディエゴに戻ってくる予定だ。
来月8月にはさらに2人のルームメイトが入る事になった。長男の広いとは思えない部屋に2人の男が入る。あの部屋でどうやって暮らすんだろう?との想像はともかく、長男はマスターベッドルームに居を移すことになった。
この日は午後からは、マスターベッドルームの片づけに追われた。マスターベッドルームには娘や次男の衣類他がクロゼットにたくさんあるが、娘も積極的に荷物整理をしてくれたので、思いのほか早々に片付けは終わり、長男は少しずつ衣類の移動にかかっていた。
というわけで、長男は友達と8月から3人、9月からは4人の共同生活となる。
今回サンディエゴの家に帰って、自分の家のようなそうでないような、不思議な感覚に襲われたけれど、今後ますます変わっていくんだろうなあ~。
カリフォルニア滞在も残りあと僅かとなった。行きたかったお出かけスポットもろくに行けず、食べたい物もリストの半分ほどしか食べてない。お買いものはまだまだしたいし・・。でも絶対しなくちゃいけない事はそれなりに進めてるし、仕方がないか(泣)。
7/11(月)<7日目>
午前中は、UTCモールへ。5分で行けるっていうのは実にうれしい。Clarksで大セール開催中。アウトレットより安い!夫は2足購入。ガーデン用品もあるし大荷物になりそう。全部持ち帰れるのか、だんだん心配になってきた(笑)。
またまた家の掃除。
午後からは、長男と夕飯の買い出し・銀行他の残りの事務処理に行った。
長男の食生活はかなりお粗末なものらしい。冷蔵庫に豊富にあったのはビールだけ。一体これでどうやって食べてるのという状態だった。そんな悲惨な食生活を見かねてか、自宅から大学に通っている友人が時々家族の食事に誘ってくれるという。その友達に一般家庭での日本食に招待したいという長男の希望があったので、友人たち4人を夕飯に招く事にした。
日本食なら日本のスーパーだ。日本食材を求めて<にじや>へ行った。しかし、買い物が難しい。一回で使いきってしまう物は良いにしても、使いきれない食材は腐らせるだけなので、できるだけ残らない物を使い、大勢で食べられて若者受けする、しかも短時間でパパッと料理できる一般的な日本食って何かしら?
五目ちらし・肉じゃが・鳥のから揚げ・味噌汁の日本食にした。それにちょっとアメリカンなサラダとサーモンマリネの前菜を添えてというメニュー。デザートにフルーツはたっぷりあるけど、若者4人が来て足りるかなあ~?
5時過ぎに帰宅、大急ぎでディナーの支度になった。
しかし、自分の物でなくなった台所というのは何とも使いにくい。鍋釜他、おたまやしゃもじ等のキッチンツールが簡単に見つからない。その極めつけが飯台だった。パーティー用にと置いていった飯台がどこを探しても見つからない。息子に聞いても「そんなのあったの?」という返事。もしやと思い娘に電話してみたら、「ああ、それ持ってきてるよ」だって。 チ~ン!
包丁も鍋も皿も、娘も次男も必要とあればこの家からそれぞれの地に持って行ってる。そりゃあ至って当然の事なんだけど、全く状況がつかめていない私は確かあったはずと、それぞれの品をいちいち探すことから料理を始める必要があったのだ。ふ~っ。
夜8時、息子の友達が集合して夕飯となった。狭いアパートゆえ、我々夫婦は庭へ。心地よい夜風を感じながらの夕食だった。
キッチンから聞こえる息子達のが楽しそうに声。サンディエゴでも自分の場所ができたんだなあと、うれしくなった。今日の友達はハイキングを通して知り合った仲間だとか。彼がFlickrにアップする自然の写真は、彼らと行っているのかしら?
長男は8月からサマークラスが始まる。そして動物園や水族館でのボランティアも同時期にスタートとなるので、忙しくなることだろう。その前に、机や本棚を移す自分の部屋の引っ越しもしなくちゃとは大仕事が待ってる。
私が料理に悪戦苦闘している間、夫は苦労して荷詰めをしていた。一人23キロを2個持てるのだけど、パズルのようなパッキングには、かなりの時間を要してた。
さあて、サンディエゴでのお泊りもこの日が最終日。明日は娘のいるロサンジェルスへ向かう。
葛桜れい2011年07月30日 14:04
カルフォルニア滞在その4まで、一気に読んでしまいました。
前から思っていたのですが、文章に才能を感じてしまうー
長文のブログを読むのが苦手な私に、一気に読ませてしまうとは***
只者ではないないですよ!!
3人のお子様の成長ぶりを羨ましく思ったり、雑用に追われる日々を自分のことのように感じてしまいました。
私も海外で暮らす楽しさや、チョッとだけドキドキを疑似体験させてもらいました。
お帰りなさい!!お疲れさまでしたわーい(嬉しい顔)
kame32011年07月31日 22:15
さまざまの地でいろんな事があって、そのたびいろいろと思ってもすぐ忘れてしまいます。少しでも書き留めておこうと日記に書いていますが、どうも長々と要領の得ない文になってしまい、お恥ずかしい限りです。
お子様たちとの時、ばたばたと忙しい日々をお過ごしになっていらっしゃるのですね。とてもうらやましいです。
7/12(火)8日目
あっという間の1週間だったが、もうサンディエゴを発たなくては・・・。息子にお惣菜でも少し作っておきたいななんて思っていたけど、そんな時間はありゃしない。
10時、サンディエゴのアパートを出て、アーバインの次男のアパートに向かった。息子に写真を見せてもらったり、太鼓の話を聞いたりの穏やかな時間をほんの少し持った後、アパートから5分の韓国レストランで昼食。私は豆腐のチゲ(スンドゥブチゲ)とビビンバを頂いた。これらの韓国料理も時々食べたくなるメニューである。韓国のおぼろ豆腐の美味しさはもちろんだが、バンチャンと言われるたくさんの小鉢に入ったおかずがうれしい。
食後すぐに北上、娘のアパートに向かった。運転は夫。私は満腹になって、ちょっとウトウトしてしまったら、あっという間にロサンジェルスに着いていた(笑)。
LA生活2年目となるのを期に、先日引っ越したばかりのこのアパートはとにかく古い。LA1年目で入っていたUCLA院生用の大学アパートとは、ロケーションもアパートの状態も全く違う。娘はこのアパート(2ベッドルーム・リビング・キッチン)にルームメイトと2人で住む。
娘のアパートでちょっと休憩後、この日も太鼓の練習のある次男はアーバインに戻って行った。
それにしても、、、である。子供3人それぞれに車の運転練習に付き合い免許を取らせ、最初は心配でハイウエーには乗らせなかった。それがいつの間にか、ホントいつの間にか3人ともクレイジーなLAの高速道路を走りこなし、長距離ドライブもなんのそのになってしまった。これは単に運転免許だけど、こうして子供たちはいつの間にいろんな事が出来るようになってしまう。LAのハイウエーは怖くて運転できない私を飛び越えて・・。
長男そして次男とさよならした私たちは、娘にUCLAを案内してもらう事にした。
絵になる大学と評判のUCLAは、カリフォルニア大学としてはバークレイに次ぎ1919年に設立された。誰もが一度は訪れてみたらいいというのも頷ける。重厚なたたずまいは、喧噪のLAにいる事を忘れてしまいそうほど、濃厚で落ち着きそこには別の空間が存在する。
娘のバイト先だった、Asian American Studiesのオフィスでお世話になってる方とも挨拶することができた。そして夏からTA(Teachers's Assistant)として働いている教室や、図書室・ブックストアをのぞいたりもした。
娘がインドネシア料理を食べに行こうと誘った。素敵なファンシーレストランを想像していたら、学生食堂風の全く飾り気のないレストランだった。娘曰く、「常に金欠状態にある学生なんだから、LAには美味しい高級レストランがいっぱいあるけど、私は全然知らないよ~。」
簡素ではあったが、インドネシアの食事が初めての私たちは新種の美味しさを味わい素敵な晩餐となった。タイ・ベトナム・インド料理どれも好き。そしてこれからはインドネシア料理も加わりそうね。驚いたことに、メニューには<ナシ>と呼ばれるオランダ駐在時代に時々食べていたものもあり、それらがインドネシアから来てた?なんて、話題豊富で楽しい夕食となった。アジアのお食事も、それぞれ辛みや使っている食材は同じものも多いが、国ごとに全く違った食事メニューとなる。<食文化>面白いね~。
UCLAはハリウッドのすぐ裏に位置し、海岸線の街サンタモニカまでほんの15分ほどだ。
娘のアパートで一泊。ルームメイトは旅行中というので、リビングにスリーピングバッグを広げて寝た。明日の今頃は機内かぁ・・。何でこんなにも簡単に時が過ぎてしまうんだろ。
7/13(水)9日目
娘は朝からバイトに行った。彼女の仕事は大学の日本語クラスのTA(Teacher's Assistant)。日本語の教育は自宅学習だけで、当の昔に英語が第一言語になってしまった娘が日本語を教える~?最初その話を聞いた時は、<おいおい、大丈夫かい?>と思った。
しかし、昨年日本での1年間の留学は彼女の日本語力をグンとアップさせたらしい。日本の大学で何を学んだかはいささか疑問ではあるが、友達との交流でメキメキ日本語が上達した。2つのバイトを経験したのも良かったのかもしれない。敬語が使えるようになったのだ。
アパートに残された私達は、コーヒーでも飲みに行こうと外に出たが、徒歩で行ける所にコーヒーショップがない。LAは魅力的な街ではあるけど、車を出しても停める所を見つけるのが容易でない。車社会であるのに、どこかしこも渋滞でそこらじゅう車で動きがとれず行きたい所に簡単にいけない。ニューヨークやサンフランシスコも同じようなものだから、大都市では致し方ない事なのだろう。
そうこうする内にアパートを出る時間が来た。
アパートに鍵をかけ車に荷物を積み込み、娘との待ち合わせ場所に向かった。娘のバイト先のクラスの空きの時間を利用してLA空港まで送ってもらう事にしていたのだ。
来る時はワクワク、帰路はドロンとした気分。人間の心って正直なのもの。<心の色>って言葉が浮かんだ。空港正面で荷物と共に車を降りた私たちは娘とお別れした。11時だった。
LA発3時45分なのでフライトまで5時間近くあったが、送ってもらえたのは非常に助かった。なんせ大荷物だからねぇ。
成田到着、翌日(7/14)午後7時。
荷物チェックに手間取るかと思っていたが、殊の外すんなり通過し私たちは車をピックアップ後、すぐに家に向かった。
帰宅午後11時。順調なドライブだった。
日本に帰ったら気になるのは、テディー。翌朝の再会が楽しみのような怖いような・・だった。
結局家族5人で食卓を囲む事は出来なかった。次男に至ってはディナーも一夜の宿を共にする事も叶わなかった。それでも子供たちは、それぞれに忙しいスケジュールをなんとか調整し、私たちとの時を持とうとしてくれた。親を喜ばせるような言葉は言ってくれない子供たちだけど、さりげない彼らの優しさをありがたく思う。
子供たちと離れて9か月。彼らの生活ぶりを見るまでは、私は今一つ子離れしていない自分を感じていた。しかし今回の訪米で、子供たちがそれぞれ自分のこれからを考え、自分の世界を持ってそれなりに生き生きと暮らしているのを見て、吹っ切れた。私は私。私の人生を考えなくてはいけない。実際、今子供に必要なのはお金で、親のお世話は必要としていない。高校卒業と同時にこのような状況になった次男にはかなり不安はあったけれど、いずれは来る親離れ子離れで、我が家はいちどきに来ただけの事。さみしくもあるが、こうならなければ日本とアメリカで離れては暮らせない。私は何か困った事があった時、いつでも帰れる港ではありたいなって願うだけだな。
今回カリフォルニアに行ってきて、なんとなく心が落ち着いたのには、もう一つ理由がある。
思っていたより、サンディエゴはずっと近い!って感じたからだ。今回は日本でもアメリカでも全く時差ボケがなかった。何の違和感もなくすーっと日米の生活に入っていけた。これなら行きたい時に気楽に行ける。さらにテディーを安心して預ける場所も見つけたしね。
となると、問題は資金・時間・健康だ。行くならやはり夫と一緒に行きたいな。なかなか二人3拍子揃えるのは難しそうだけど、次回を楽しみに、私は日本での生活も楽しむぞぉ!